86.探偵局、西へ! その4・商店街人々模様
西の百万都市は、昼も夜も眠らない。商店街はシャッターを閉じるが、一歩路地裏に出ると居酒屋や風俗店が連なる大人が楽しむ空間へと早変わりする。スーツ姿の若者や少々はだけた衣装の女性、酔っ払った中年の会社員、まだまだ夜の暑さは皆の心も熱さで包みこんでいるようである。
…そんな町の中で。
「なぁ兄貴、ホントにここにいるのかねぇ…」
「旦那が言ってたんだから間違いねぇだろ、匂いは感じるんだから」
ひょろりと背が高い男が「兄貴」と呼ぶ、筋肉質だが背の低い男も少しだけ心配には思っていたようだ。夜でもあくせくと人々が動くこの街では、彼らの事を気にかける人は少ない。だが、それは彼らにとっては幸いであった。何故なら今、この二人は頼まれ事をこなしているからだ。それも、なるべく他人にばれては事態がややこしくなる話だからだ。
二人が探しているのは、ある人物であった。両親を失ったこの兄弟を養ってくれた「旦那」の先祖と関わりがあるとされる者と接触したとされる者だ。これまで何名かに目星をつけて事情聴取を行った者の、どれも結果は本筋とは全く関係ない、単なる仕事仲間や近所づきあいのみであった。今回もそうでは無いか、という意見は一応言ったのだが、逆に二人は独断は禁物と言い込められ、遠く松山の地からはるばる来る羽目になったのだ。
「あー眠い…というか腹減った…」
「そういや兄貴、俺たち夕飯まだだったなぁ…」
さすがに腹が減っては戦は出来ぬ、と言う事で夕飯を取る事になった…のだが、彼らの夕ご飯は単なる人間とは違っていた。普通の人間ではどんなに歯が固くても冷凍された魚を丸ごと、それも前歯で噛み砕く事は困難である。だが、この兄弟にはそれが可能なのだ。と言うより、彼らの主食はその魚だから当然である。ビニール袋からスーパーで買った魚を取りだし、物陰に隠れて固い音を立てながら食す、「妖怪」ならではの芸当である。
やっぱりケチらずホテルを頼めば良かったと今更ながら後悔した二人…だが、その時。
「…!」
「なあ、兄貴…」
「言うな、この匂いは…」
そういえば以前、「旦那」とその奥さんが噂にしていた事がある。ここから遠く離れた屋久島という場所に、恐らく十数年前、人間によってどこからか狸が持ち込まれた。人間たちが世界自然遺産にも認定する自然が残り、多くの動物が住むこの島だが、一方でタヌキのライバルになり得るような大型の動物は根っから存在していない。それ故、食欲旺盛なタヌキたちが図々しく他の動物たちの餌を横取りしたりして多大な迷惑をかけてしまっているらしい。しかも、その個体群の中に変化能力を持っている奴が混ざっていたのがまずかった。ライバルの居ない環境下で礼儀を覚える事が無かったこの連中が島を抜け出し、あちこちで様々な超常現象を起こして人々を脅かしていると言う。ある意味人間たちの自業自得と言えなくもないが、「旦那」側からするとこれまで上手くいっていた人間と彼ら変化動物との化関わり合いが悪くなってしまう可能性が大いにあり、非常にまずい状況だ。
「よぅし、こうなったら…」
「待て待て、ここで元の姿に戻っちゃ駄目だろうが!」
「で、でもこっちの方が素早く動けるし…」
「お前もニュース見ただろ、俺たちゃ人間の世界だと『絶滅種』だっつーの!」
つい熱くなった弟も、兄の言葉を聞いて冷静さを取り戻した。今この街にいるほとんどの人間たちは、昔から言われる言い伝えを知らない。キツネやタヌキ、ムジナと同等、いやそれ以上に「カワウソ」は変化の達人でもあるのだ…。
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そんな事態が起きていた痕跡を消すかのように、昼の町並みは太陽の光がさんさんと照らしている。休日の街中は人通りも多く、掻き分けて移動するのも少し大変だ。ただ、そんな街中でもやっぱり目立つのはこの長髪の助手である。
「デュークってやっぱり背が高いのよね…」
「もう慣れてしまいましたけどね」
「なんか漫画とかでよくありそうな感じっすね」
「そ、そうなんですか…」
表情をあまり変えないままで突拍子もない事をさらりと言ってのける陽元シンには、蛍も少々唖然としてしまった。真面目に自分の仕事に対して取り組んでいる様子は彼女の隣にいる紫髪の人とは異なる点だが、内面は良く似ているように感じた。栄司といい陽元兄妹といい、類は友を呼ぶというものだろうか…。ちなみに、その妹であるミコは今、母の家事を手伝っている所だと言う。久々の帰郷とならば、いつも頑張っている母ちゃんを手伝わない訳にはいかないようだ。
「でも何だかドタバタしてたわね、お母さんの方は必要ないって言ってたけど…」
「オレの家はみんな強引っすからね、意地と意地のぶつかり合いって感じかもっす」
「でもみんな明るいですよね、ある意味理想的な家庭かもしれないですね」
「サンキュっす、デュークさん」
そんな訳で一行は商店街の様々な場所に立ち寄った。アクセサリーショップに蛍は外見年齢相応に目を輝かせ、古本屋ではデュークが気になる本を見つけて購入し、そして地元の名産店にはすぐに局長が目星をつけていた。今回は単なる旅行、依頼を受けての調査では無いので各自きままに動いている様子だ。シンもこの賑やかな商店街で何も買わずにいるのはもったいないと言う事で、少々古びた文房具屋からボールペンを購入していた。少々値段は高いがインクが安定して出るのでかすれが全くないと言う、彼お勧めの一品だ。
商店街に挟まれたような形の大きな道路には、真ん中に路面電車の線路が通っていた。昔は丸斗探偵局のあった町にも路面電車があったそうで、それが発展して今の清風電鉄になったと言うが、かなり昔の話なのであまり実感は無い。それ故、街中を5両編成の大きな電車が走り抜ける光景には、蛍も恵も驚いていた。
「そういえば、日本で一番大きな路面電車だそうですね」
「そうっす、ずっと昔から走り続けて来たっす。オレもこれを見ると故郷に帰って来たっていう感じがするっすね」
「故郷ですか…」
恵局長もそう言う事はあるのか、と尋ねる蛍だが、相変わらずそこら辺の正確な回答ははぐらかされてしまっていた。今の彼女にとっては、丸斗探偵局こそが故郷であり我が家の庭のようなものだからかもしれない。何か故郷に嫌な思い出でもあるのかとつい思ってしまった蛍だが、すぐに信号が青になり人の流れがどっと向かってくる中でそんな疑問は吹き飛んでしまった。
「…ん?」
そんな彼女がとある人影に気がついたのは、道路を抜け、商店街を歩き、そして川に近づいた時であった。確かに彼はどこにでも偏在している、増殖能力をフルに活用した存在である。ただ、これまでに蛍たちが出会った大半の彼は探偵局周辺で仕事をしている者ばかり、こうやって離れた場所に住む存在と出くわすのは少々新鮮な気分であった。
有田栄司はたまに他の自分自身と情報交換や交流を行う事で記憶を共有し、万が一のバックアップや自分同士での連携に備えている。今回はそれが幸いした。大声で彼を呼ぶのが、丸斗探偵局の四番目の局員、丸斗蛍だとすぐに気づけたからだ。
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「…え」
…とシンが驚くのも無理は無いだろう。漫画ならよくある展開だが、探偵と警察が共同作業を行うと言う事は実際は少ないと聞く。警察は事件事故が起きた後の処理を担当するのに対し、探偵はそれが起きないようにするいわば「予防接種」のような役割を担っている事が理由の一つである。それにこちらは私営、向こうは公営。立場すら違うものが交流を持つと言うのは難しいものだろう。だが今彼の目の前にいるのは、機密情報のようなものを何の躊躇も無く平気で口にし、丸斗探偵局と和気あいあいと喋る刑事、有田栄司である。
「あ、あの…」
「…え、あ、忘れてた!そういえば雑誌記者がここにいたんだった!」
「え、局長忘れてたんですかもう!」
「ちょっと待て、俺完全に情報漏洩してるじゃねえかよ!」
「あ、ミコさんの兄のシンさんです…」
「ど、どうも…」
…これでも探偵局長である。
一旦は大混乱になってしまったのだが、すぐに鎮静化した。場所がファーストフード店なのも理由の一つだろう。簡易的な自己紹介を終えた後、こんな所でやって大丈夫なのかとすぐに彼は疑問を口にした。だが、皆から返ってきた答えは妙に落ち着いていた。
「そう言う時は…な、デューク?」
「ええ、ミコさんから聞いたと思いますが僕たちも貴方がた一家の予知能力のようなものを…」
「な、何すかそれ…」
…そう、ミコはシンに対して全然連絡を寄こしていなかったのだ。様々な事を積み重ねてきた丸斗探偵局だが、それ故初対面の人に対して自分たちの力を説明する事は難しい。さすがにミコの両親には迷惑をかけたくないので内緒にしてほしいという事だったのだが、実の兄に対してもミコはだらだらと怠けていたようだ。
類は友を呼ぶというのはどうやら真実のようだ、と蛍は心の中で思った。
ただ、確かにシンの言うとおり、この中だと栄司が持ち込んだ込み入った話は出しにくい。ちょうど昼飯も食べ終わった所なので、皆で陽元家に引き揚げ、そこで作戦会議を行う事にした。ただその前に、シンにだけは探偵局やその仲間たちの力を一応紹介する必要がある。まずその一端を見せたのは、デューク・マルトの起こした時空改変であった。彼が指を鳴らすと、先程まで自分たちの元に集まっていた視線が消え、まるで自分たちが座っていた席に最初から誰もいなかったかのようになっている。
「…なるほど、この階のお客さんから私たちの記憶を消したのね」
「ええ、あくまで機密事項ですから」
さらりとそう言う言葉が出る事にシンは唖然としながらも、その眼は輝きに満ちていた。彼以外にも不思議な能力を持つ存在は、この世にいたのだから。
…母に事前に来客がもう一人増える事を連絡した後、一行は賑やかに陽元家へ向かう事となった。その途中、ふとデュークの視線が一人の通行人を捉えた。彼の表情に気付いた恵がどうしたのかと尋ねるが、何でもないという返事が戻ってきた。疑わしきは罰せず、まだその存在が怪しいものであるとは決まった訳ではない。しかし、疑念は持ち続ける必要がある、と彼は心の中で決めていた。
そして、それは恐らく正解だったに違いない。探偵局も気づかぬ間に、その「怪しい存在」によって大変な出来事がこの街で起きていたのだから…。