78.MEGUMI and MEGUMI ~Dと逆襲とアプリケーション・5~
OTENTOとニセデュークの共同戦線は、周到な準備の中にあった僅かな穴を貫かれた事で、まずOTENTO側が敗北を喫した。荒涼としたプログラム内部は、次第に正常な状態へと戻り始めている。だが、もう一つの現実世界側は、今まさに危機的な状況にあった。
周りから遮られ、時間すら止められている中、二人の恵局長は、助手と同じ姿と能力を持つ三人の偽者に取り囲まれていた。
「ブランチとケイちゃんはどこなの!?答えなさい!」
「デューク…どうして…」
確かに遺伝子配列も脳の神経構造も、二人の局長は全く同じである。だが、その事は双方がほぼ同一の反応を示すという証拠にはならない。同じ電子回路でも、気付かぬうちにショートを起こす事もある。遺伝子の配列も、そこに様々な装飾が付く事で全く違った結果が生まれる事が知られている。アサガオの花の色や、猫の模様などが良い例である。
さて今回の場合、二人の丸斗恵を分けたのは一言で言うと「経験」であった。一方の局長は、猫屋敷や謎の富豪、宇宙生物、そして暴走機関車など様々な体験を経て、栄司やブランチ、蛍をはじめとする多くの仲間を得る事が出来た。その中で、どんな事態になっても恐れずに対処する事が出来る度胸や心の強さをさらに高めていたのである。しかし、もう一方の局長はそれが出来ない環境に閉じ込められていた。デューク・マルトが消えた後、あの異世界を脱出するまで彼女の周りにいたのは全員自分。皆一様に全く同じものしかいない中で、今回のような異常事態など起こるはずも無かった。そんな二つの異なる過去を経た今、二人の局長は三人の悪と対峙している。
「どこ…と言われましても」「ここです」「としか言えないですね…」
…一応これは真実である。二人はニセデュークの力によって体の構造を電子信号に変えられ、この家電量販店に潜んでいたもう一つの魔物に囚われていたからだ。過去形なのは、既にこの時点でそれはかつてと同じように、時空改変能力者によって倒されていたからである。だが、その事を知らない恵が納得する訳は無い。口元ににやけすら浮かび始めた三人に、はっきりとした口調で彼女はふざけるな、と鋭く言った。だが、彼らから返って来たのは…
「どうしたんですか、恵さん?」「彼らは無事なんですよ」「喜ばないんですか?」
疑問の声であった。
「何言ってるのよ、喜ぶわけ無いじゃない!変な事したのは目に見えてるんだから!」
「確かに…」「「変な事かもしれないですね」」
そして、彼らは言った。命に別条はない、それだけ分かれば十分ではないか、と。その言葉が、恵局長をますます怒らせる事になったのは当然であるが、そんな彼女はこの時一つ思い違いをしていた。三人…いや、今回襲ってきたニセデュークは決して恵局長をからかったり馬鹿にしている訳ではない。オリジナルのデュークの仲間である彼女には、なるべくそのような事は避けている…と彼自身は考えていた。それなのになぜ彼女は怒っているのか、まずそれ自体が今のニセデュークの脳内から導き出す事が出来なかったのである。彼もまた、「友」という経験を持っていなかった。
だからなのかもしれない。このような状況の中でも、悠々と局長に、未来へ一緒に行こうと誘ったのは。それはまるで、夢を見ているような光景であった。三つの声が重なりあい、燕尾服と黒縁眼鏡で女性を導かんとする美形の男性…まるで麻薬すら思い起こさせるその響きだが、何度も聞き慣れた恵局長には通用しなかった。
…はずだった。
「…デューク…」
「…ちょ、ちょっと!駄目!」
彼女の隣の、もう一人の恵局長は今までそのような事を体験した事が無かった。
そういえば、初めてニセデュークと遭遇した時もそうであった。あの時ごく自然に探偵局に入ってきた偽者に、恵局長は全く違和感を持っていなかった。むしろ、彼に少々依存しそうな程だと言われても、彼女は否定しないであろう。それほどデューク・マルトは恐れるべき…いや、畏れるべきものなのだ。もしその力を敢えて制御せず放出すれば、人の心など簡単に掴めてしまう。今、アナザー恵はニセデュークの虜になりかけていた。
「いっちゃ駄目!あれは偽者…」
「でも、デュークよ…私の助手よ!」
「違う!絶対違う!お願いやめて!」
必死になってもう一人の自分を止めようとする恵に、何故そこまで拒むのか、と三人のニセデュークは独り言のように疑問を投げかけた。あの時のオリジナルの行動とよく似ている。どうして自分の方法を受け入れようとしないのか。どうして一緒に行こうとしないのか。
「「「どうして止めるんですか?」」」
「そんな強引な方法、受け入れる訳ないでしょ!」
即答であった。
まるで先生に怒られた生徒のように、ニセデュークの表情が歪んだ。だが、それはすぐに睨みつける顔に変わり、そして彼らは強硬手段に取る事を宣言した。止めようとしても無駄、時空改変の前には拒む心もやがて虜になってしまうからだ。その恐るべき事実に気がついた恵局長の方は、先程までの強硬姿勢が逆に怯えへと変わってしまった。
「やめてよ…ブランチとケイちゃんは…」
「気にする事はありませんよ」「恵さんは僕と一緒になるんですから」「邪魔はさせません」
「駄目!それだけは…絶対駄目!」
しかし、その間もアナザー恵はニセデュークの方へと向かっている。手を伸ばせば、もう彼らに囚われてしまう距離まで来てしまっていた。丸斗恵のみでは、もはやどうしようもない事態にまで追い込まれていた。これを止める力は、「彼女」は持っていない。
…つまり、「彼女」以外の人物ならば!
=================
時空改変の力は、常識や概念と言うものを吹っ飛ばしてしまうほどの威力を持つ。太陽を西から昇らせる事も、クジラを空に浮かべる事も簡単だ。そして、物凄い長い時間をわずかな時間に圧縮すると言う常識ではありえない現象も、この力を使えばいともあっけなく成しえてしまう。
今回も同様であった。眩い光という演出が、そのような事が起きたのを伝える合図となった。目を瞑った恵局長が気付いた時には、彼女は固く冷たい家電量販店の床に尻もちを突いていた。そしてその横には、きょとんとした顔のもう一人の自分の姿があった。「演出者」の力によって、悪夢は無事に晴らされたようだ。そして、目線を上に挙げた時、そこに居たのは待ちに待った存在であった。確かに姿も形も、声の口調も一緒である。だが、長年彼と共に様々な事件を解決してきたという実績が、彼女にこれが「オリジナル」、真のデューク・マルトである事を示していた。喜びの声が、自然に二つの口から出た。
「お待たせしました、二人とも無事ですよ」
探偵局の他の二人の仲間は、恵局長が座っていたベンチの上で静かに眠っていた。安らかな寝息と小さいながらも耳に残ってしまういびきを聞く限り、命に別条なしというのは真実だったようだ。だが、そう恵に伝えた本人は今、命の危機に晒されていた。
例えば、財布からこっそりお金を頂こうとした瞬間が親に見つかった時。例えば、カンニングをしようとしてこっそり紙を取りだした瞬間に目の前に先生がいた時。恐怖や絶望、愕然、そのようなネガティブな感情が渦巻き、相手が命を奪うのではないかとまで思いつめそうな表情が、ニセデュークに浮かんでいた。顎は震え、コピーである自分の基となった存在に対して言葉を発する事が出来ない。オリジナルが何をしたのかは恵には分からなかったものの、確実な事は形勢は完全に逆転され、そして二度と元に戻す事は出来ないというものだ。
「友達が欲しかったんだろ?」
怒りを隠さず、冷たい口調でデュークは自分と同じ顔の存在に言った。
「お前には一生出来ない。僕には分かる」
君の考えは、全てお見通しだ。
そして、彼は最後通告を行った。お前は要らない、と。
…だが、その通告に対して、意外な所から異議申し立てが飛んできた。確かに彼は全知全能の存在だが、そんな彼にも苦手なものは当然ある。デューク・マルトが最も大事にする存在にして、一番頼りにしている女性。彼女の制止に、ニセデュークに時空改変を施そうとしたデューク・マルトの手が止まった。
「ねえデューク…ひとつ聞いていい?」
心を奪われそうになりながらも、アナザー恵はしっかりと事の成り行きを見つめ、覚えていた。ニセデュークに対する恐怖や怒りという感情を持ち合わせていなかった事が逆に幸いした。彼女はあの一言を覚えていたのだ。
未来から逃亡してきた「あの時」、デュークに何が起きたのか。