70.MEGUMI VS MEGUMI〜その4:船を山に登らせてみた・後編〜
元から探偵局にいた恵と異次元から流れついた恵。本来同一であるはずの二人は、途中からその記憶に差異が生じている。彼女と同じ能力を持つ有田栄司にとってはそれが日常であり常識となっているのだが、一度その生き方に異議を唱えた彼女はそうはいかなかった。
今、探偵局の足並みは乱れていた。
「…分からない…」
「局長、大丈夫ですか?」
こちらの恵は、皆様お馴染みのボーイッシュな局長である。おしどり夫婦の旦那さん側の依頼を担当されたのだが、得意の増殖能力を用いた聞き込み調査でも、近所の奥様方からの有力情報はゼロなまま。信じられない、浮気じゃないのではないかという意見も流れるほどであったが、恵局長は自分の仮説を曲げるほどの余裕を残念ながら持っていなかった。何故なら…
「で、向こうの様子は?」
「向こう…ですか?…ああ、もう一人の局長と僕と…」
「そう、あっちも進んでない感じ?」
向こうも進んでいない、と返す助手であるが脳内でこっそりと自らの言葉に訂正を付けた。「どちらも進ませていない」と。
様々な考えが入り乱れるのは大いに結構だし、対立してしまう事も当然起こりうる事態なのはデュークも承知している。だが、それがどちらも歩み寄りの姿勢を見せる様子がない事に、万能の力を有する彼は苛立っていたのだ。その事を示すため、わざと有力な証拠を踏ませないように、記憶や事象にこっそり細工を施したのである。心に余裕がない二人の恵は全く気付いていない。
悩む恵を静かに見守る彼。今頃向こうのアナザー恵に付いているもうひとりの自分も同じように局長をただ眺めているのだろう。そう考えた時、別の探偵局員が声をかけた。
「そういえば、前に私が調べた時に奥さんが決まった場所に行ってたような…」
「えっ!ケイちゃんそれ詳しく教えて!」
ここだけの話、この策略を知っているのは仕掛け人のデューク以外には栄司のみである。調査に携わる探偵局員の蛍やブランチにも、彼は時空改変能力で気づかれないように細工を施していた。恵が蛍の報告に嬉しさをにじませる一方、蛍本人はあの時自分が撮る事に成功した写真に対して何か違和感を持っていた。デュークにも当然相談が入るが…。
「ごめん、僕もちょっと分からない…何だろうか…?」
「デューク先輩、時空改変は使わないんですか?一発で分かりそうなのに…」
「そうむやみに使っちゃ駄目なのは知ってるだろ?」
すいません、と謝る蛍以上にデュークは心の中で彼女とブランチに謝罪をした。むやみに使うと、今のような恐ろしい事態を簡単に引き起こしてしまうのだ。写真に映る女性があの時に来たもうひとりの依頼人―旦那の素行調査を依頼した方―である事に誰ひとり全く気付けないという今の状態のように。
「デューク!」
「あ、はい、すいません何でしょう?」
「明日に皆でもう一度この場所へ行くわよ。奥さんを尾行するためにね」
「すると当然…」
「うん、確かに時空改変は切り札かもしれないけど、局長命令には従ってもらうわ」
了解です、と彼は返した。
どこか腑に落ちない表情を蛍が滲ませたのは仕方ないかもしれない。
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翌日。
毎度の事ながら、デュークの能力は神様に喧嘩を打って勝ってしまうほどのパワーを有している。蛍は今回も驚きを隠せずにはいられなかった。それもそうだろう、まさか生きながら「お化け」になれる機会など今までの人生では無かったからだ。
「お化けというより、正確には位相を変えたという感じかな」
「え、居候?誰が?」
「最後の二文字は関係ないですよ局長…。つまりお化けと透明人間を合体させた感じになっているんです」
ややこしい説明をすると局長の頭から煙が出てしまうので省かせて頂く。それに、ちょうど良いタイミングで依頼人の奥さんがやって来たからでもある。その手には何やら大きな四角い物が入った鞄が下がっていた。一体何だろうか、プレゼントか。話し合う恵たちの声も、位相が違うので奥さんに聞こえる事はない。
そのまま追跡を始めた一行の中で、デュークは脳内に思考回路をもう一つ形成していた。情報量が多い二つの物事を整理するにはこちらの方が良いからである。一方は局長側に従う中、もう一方は別の存在とコンタクトを取っていた。
『大丈夫か、そちらの様子は?』
『ああ、心配ない。位相もずらしているからね』
線路と道路がそのまま交わると、そこに踏切が出来る。鉄道と自動車がそこで出会うが時には渋滞が起きたり事故も発生してしまう。しかしもし片方を高架橋にして立体交差にすれば、同じ時間に鉄道と自動車がそこを渡っても出会う事はないし渋滞も緩和される。
恵の能力を真似て二人に分身したデューク・マルトが行っているのがまさにこれである。今、もう一方の彼もアナザー丸斗恵やブランチと共に位相をずらしてこっそり尾行を行っている。相手はふくよかな依頼人の女性の旦那さん・・・すなわちこちら側の依頼人でもある。ブランチにも蛍同様の仕掛けが施されているため、この事態にはまだ気付いていないとデュークは互いに通信で情報を共有した。
『確か、このまま行くと…?』
『うん、二人は公園で出会うはずだ』
量子力学的にも可能性は非常に高い。科学にも裏付けされた彼の予想は、結果として見事的中した。
「『あれ、依頼人の人!?」』
「『そのようですね、局長」』
二つの一行は、全く同じ場所に被るように隠れていた。恵とデュークは互いに姿が重なりあい、蛍はブランチと同じ場所にいる。ただし気付いているのは仕掛け人のみである。
一方、12の瞳が見つめる先には気まずそうな夫婦の姿があった。おしどり夫婦の評判は、混乱とその中に見える優しさからも頷ける。互いにどちらから話を切り出そうか悩んでいるようだ。
「「あの…」」
見事にハモった。
「…それは一体何かな?」
先に切り出した夫に、同じ言葉を妻は返した。現に彼も、同じように大きな包みを持っている。
「いや、その…」
「どうしたのよあなた、今まで内緒話なんて無かったのに」
「君も今まで無かったよな…なんで中身を言えないんだ?」
「だって…忘れたの、あれ?」
「あれって言われて…いや、君だって忘れてるじゃないか、何も用意してないみたいだし」
「そんな…。あなた酷い、全然覚えてないなんて…」
「君も忘れるなんて思わなかったよ」
これは修羅場になるのが目に見える。そう二人の恵が思った次の瞬間。
「「10回目の結婚記念日!」」
またハモった。
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「本当にすいません」「ご迷惑かけました」
大丈夫だと恵やデュークはいうが、謝りどおしの夫婦はしばらく止まらなかった。
結局浮気でも脅迫でも何でもなく、10回目の結婚記念日に向けての準備というのが真相だった。互いに内緒でプレゼントを用意していたのだが、秘密が苦手というのが災いし、サプライズを楽しみにする行動が体に出てしまっていたのだ。
「ちょうどあの日が前日でして…ふふ」「はは、ちょっと早く渡してしまいましたよ」
あの後二人が仲睦まじくベンチで互いのプレゼントを渡し合う様子をじっくり眺めていたなどとても探偵局からは言えない。
そして、お金の件になった時、恵を差し置いて動いたのはデュークだった。
「今回の依頼料分で、お二人でご旅行などに行ってはいかがでしょうか」
「「え?」」
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どういうつもりか、オリジナル局長からアナザーが分離した後に二人の恵は問いただすはずであった。確かに満面の笑みの夫婦に水は注したくない。だが、何故自分を差し置いてデュークが判断したのか。そう言おうとした二人を見つめたのは、デュークとブランチ、そして蛍の怒りの視線であった。
「局長が喧嘩するからこういう事にニャったんですニャ!」
「え、でも決めたのデュークじゃない!」「なんで私たちが!」
「恵局長の指示がバラバラで、凄く苦労したんですからね!」
「そんな事…」「言われても…」
「局長?」
とどめはデュークの冷たい目線だった。
「あの時お二人は喧嘩の矛先を僕に向けて給料を全面停止しましたよね。その結果がこの有り様ですか?ちゃんと考えて物事を実行したのですか?」
「「う…いや、その…」」
「「「局長!!」」」
そして、探偵局は黒と桃の二色で埋め尽くされた。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「責任取って下さい!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」ニャ!」
…後日、ブランチたち街の動物たちの憩いの場である美紀さんの家にて食事会が開かれた。蛍を変わらず可愛いとナデナデする化け狐の奥さんであるエルや、自分もあんな夫婦になりたいと江ノ川医師に話す旦那さんのドンなど、忙しい時間を縫って集まった探偵局の仲間たちに笑顔の輪が広がった。
ただし、皆が食べた分だけ給料から直接引かれるという罰を部下の満場一致で受ける羽目になった二人の恵局長を除いて。まだまだ街のカラスやスズメ、犬に猫たちがやって来ているのを見る限り、ため息が今日はずっと尽きないようである。
…これだけ散々な事態に遭えば、もう仲間を巻き込むような喧嘩や意地の張り合いは起きないだろう。
「デューク、お前も悪だな」
誰もいない物陰で、こっそり栄司は彼の耳元に弾んだような声で言った。
『いえいえ、栄司さんほどでは』
悪代官に定型文をテレパシーで返しながら、デュークは眼鏡越しにウインクを送った。