66.アナグマ変化帳・後編
とある街の繁華街は、昼に負けず劣らず夜も賑やかだ。以前は連続ホストホステス行方不明事件で騒然となっていたようだが、今は彼らも帰還し、元の活気を取り戻している。そんな街のとあるキャバクラで、一組の男たちが盃を握って酔っ払っていた。
「随分飲みますわね、社長さん?」
金髪の美女が優しげに声をかけた。彼女からワインを注がれた痩せ気味な男は気分上々のようだ。当然かもしれない、彼ともう一人、頭が禿げた男と共に行った事業が成功を収めたからだ。自慢げに語る二人に、もう一人の女性がどんな事をしたのか尋ねた。この時に酔いが回りすぎていなければ、この二人以外も含めて全ての女性が同じ顔、同じ服、そして同じ声であるという異常事態である事にすぐに気づいていたかもしれない。だが、天狗になっていた二人は全くそんな考えを持ち合わせていないようだった。
美女に褒められて有頂天な禿げ頭な男は、警察をこけにしてやったと堂々と語った。彼らが各地からリサイクル用の金属や化学製品を集めたお金は億単位にも及ぶ。だが、彼はそれを新たな製品にする事なぞさらさら考えていなかった。所詮ガラクタ、ポイすれば皆大好き地球様が自然の中に取り込んでくれるだろう。廃棄を委託された痩せ男も笑っていた。
そんな事やって皆は困らないのか、と美女は聞いた。大きい胸をたわわと見せたのは目眩ましだとはまだ気づかれていない様子である。返ってきた返事は、そんな事はどうでもいいというものであった。時効が最近ついに成立した今、彼らがもし糾弾されても責任を問わせるのは難しい。自分たちと同じ事をしている業者はたくさんいるしそちらをやった方が警察のためだとまで二人は豪語し、高笑いした。それに合わせて美女たちも薄く笑い声を重ねた。幻想的な響きが、建物の中を包む。…いや、「的」ではなくここは幻想の空間そのものである。
その生みの親たる存在はここで確信を得た。犯人であるこの二人にとっては、不法投棄したゴミは金のなる木そのもの、そして金は人間が最も欲しがる財産の一つ。となると、ゴミが「恩返し」に来たら喜ばないはずはない。
作戦はいよいよ本番の時を迎えた。
「凄いですわね、そんな大掛かりな事をするなんて」
ホステスはどんな客も褒めなくてはならない仕事。ただ、相手はその言葉の裏に気づいていない連中な場合もある。そうなるとこちらが有利になる。巨乳の美女にお褒めのキスをされる直前まで、二人の「犯人」は異変に気づいていなかった。そのキスの味が、ヘドロどころか激物並であった事に。
急いで気持ち悪さを取り、怒ろうとした痩せ男の目の前で、笑顔の美女の顔が溶けはじめた。まるで泥にまみれたゴミの山が崩れるかのように。酔いが醒めはじめた二人、多分酒を飲みすぎたのだと結論づけて水に手を取り、一気に飲んだ。そして一気に吹き出した。見た目からでは想像もつかない、血とヘドロが混ざったかのような凄まじい味だったのだ。そして完全に目覚めた二人の男は、悲鳴と共にようやくこの場所の異様さに気がついた。食べ物、鑑賞植物、明かり、ソファー…ありとあらゆる物が、使い古された「ゴミ」だったのである。美女たちもよく見れば、錆びた金属棒を軸にしたただのヘドロの山…。これは夢だと何度呟いても、男たちに映る光景に全く変わりは無く、それどころかゴミの山は大きくなるばかり。ついに二人の中年男性は甲高い悲鳴をあげて逃げ出した。
…だが幻想は終わらない。急いで「高級車」に乗って逃げ出す二人の視線の先で、繁華街が崩れ始めたのだ。辺り一面どこを見てもゴミの山に変わってゆく町並み。街路樹はボロボロの電柱に、道行く車も次々に廃車に変貌する。「運転」していた禿げ頭の男を一番恐怖に陥れたのは、人々が次々にヘドロになって崩れていく様であった。まるであの時土の下に埋めた大量の廃棄物のように、辺りがどんどんゴミだらけになっていく…!
そして、ハンドル操作を誤られた高級車は、道の脇にあったゴミ捨て場に激突した。
…はっと気づいた時には、辺りは元の普通な繁華街に戻っていた。唖然とする二人だが、次の瞬間その顔は驚愕に代わった。
「「「「「「「「「「「「ようやく気づいたな?」」」」」」」」」
そして、恐怖と現実逃避、様々な感情がおり混ざった結果、二人は気絶した。まあ当然だろう、今の彼らは…
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「酒気帯び運転で、お前たちを逮捕する」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
数十、数百人もの同じ顔の警官に囲まれているのだから。
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「…ちょっと待って」
「何だ恵、文句ありそうな目で見やがって」
「あるわよ!今回の話のタイトルは『アナグマ変化帳』なのに何で最後栄司がかっさらってるのよ!」
後日、探偵局に集まった面々が抱えていた疑問を、真っ先に恵はその本人にぶちまけた。確かに今回大活躍したのはアナグマ…というより「狢」のジュンタや、「狐」のドンとエルの夫婦なのは間違いないが、あれだけ無理だとごちゃごちゃ言っていた栄司が最終的に美味しい所を頂いたからである。逮捕できたと言うだけではなく、例の二つの業者が完全に栄司のブラックボックスに入ってしまった事で、今後男たちがせしめた金は様々な容疑をかける事で彼の懐に収まる事がほぼ確定済みなのも頂けない。
「た、確かに悪い事をしているといつかボロは出るものですが…」
「栄司さんは容赦ニャいですニャ…」
ただ、蛍を含めてそれ以上の文句は言えない。何せ今回この話を持ちかけたのは、他でもなく仕掛け人の狐夫婦と狢の三名だったからである。
デュークが一旦消去しようとした廃棄物を利用し、繁華街で犯人にひと泡吹かせる。これが彼らの目的であった。ただ、現代の人々には夢だと処理される可能性もあり、その場合は反省に至らないかもしれない。そこで、最後のとどめとして栄司にその話が持ちかけられたのだ。
「妖怪は法律には縛られることは無い、栄司さんはそう言ってくれたからな」
「俺に責任回さないで下さいよ…」
「大丈夫ですよ、オイラたちエージさんにプレッシャーかけるつもりはないですから」
いつも自分がやっている事は、いざ自分にされると対処法がなかなか思い浮かばないものだ。今回幸いだったのは、三名ともそこまで悪事に至る事はしなかったことかもしれない。二人の男が食べたフルーツやお菓子は、姿や味を変えたとはいえ元はエルの実家から持ちこまれた油揚げであり、ゴミは一口も彼らの口に入っていない…はずだ。多分あの時吐いたから。栄司たちの診断でも毒物は無い。一応。
「昔のわたくしの家ではもう少々過激な事をしておりましたが、今回は少々遠慮いたしましたの」
「ま、まあそうしてくれた方が…」
いくらデュークのような存在でも、妖怪と言うものは栄司並に油断ならない相手のようだ。
そういえば、結局何故タイトルに「アナグマ」の「変化帳」と書いてあったのだろうか、という疑問が蛍には残っていた。それは、その変化術を使う本人たちが教えてくれた。目の前で技を見せた途端、彼女の眼が点になった。そこに立っていたのは、あの時の美女…であり、ジュンタであった。ドン曰く、見た目は田舎くさいが、彼が得意とするのはこういった変化術の方らしい。彼が犯人二人を誘惑し、ドンが偽りの建物を作り上げ、そしてエルが得意の術で町をゴミの山に見せた、というのが今回のシナリオであった。
「凄いなぁ…」
知識欲が豊富な蛍は、今回の妖怪たちの働きに感心しっぱなしである。
と、そんな中で話をにこやかに聞いていた龍之介が、ある言葉を口に発した。このやり方が、あるものとよく似ている、と。それが名指しされた時、当の本人の眼が確かに一瞬だけ引き締まったような感じになった。
「確かに…これ、デューク先輩の時空改変ですね…」
「ああ、そういえばそうですわね、わたくしたちの変化術って」
「俺はずっと似てると思ってたが」「絶対後だしね」「やかましい」
…確か以前、妖怪は未来においては差別され、人権も与えられない存在と化していると聞いた。その中で実験動物的な扱いをされる妖怪がいてもおかしくは無い。…もしかして、デューク・マルトは…
「…妖怪ではないか、と続きそうですがそれは違います。断言します」
「んー、まあそうですかニャ…?デュークさんとドンさんの匂いは全然違いニャすし…」
「まあね、僕は人間としていたい。妖怪でも神様でもない」
彼の口調から、どこか決意めいた響きを感じたのは、恵だけでは無かったかもしれない。
ともかく、不法投棄に関しては犯人も別件で警察…というより栄司側に身柄が行きわたった事もあり、完全解決に近い形でお開きとなりそうだ。この二人が逮捕されても、不法投棄は今後も各地で横行し続けるであろう。だが、この世界には因果応報と言う言葉がある。悪い事をした者には、それ相応の罰がやってくるのだ。
…ただ、それがやって来た時に対処法を練られていた場合は別だが。




