65.アナグマ変化帳・中編
有田栄司は傲慢な男である。大事な姉を失い、孤独を何人もの自分と共に補う中で、彼は人間社会における物事の解決方法を学んでいった。例え善人や弱者が文句を言おうと、最終的にこの世界を動かすのは権力と金、そしてそれに基づく法律である。だからこそ、彼はその手法を敢えて使用した上で、かつて自らも陥りかけた弱者を救いつつも、垂れ流される甘い汁をたっぷり吸いながら生き続けている。彼はボランティアのような無償の努力を嫌っているのだ。
そんな我儘かつがめついことに定評のある栄司が…
「…すまない」
…謝った。
しかも、相手は人間ではなく動物である。
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今回のアナグマ一家を襲っていた病魔は、それに留まらずこの周囲一帯にも被害を及ぼし始めていた。まだマスメディアには伝えていない内容だが、近隣の住宅で採集された井戸水から、特定の物質が高濃度で検出されたのである。その名前を聞いても恵やブランチ、化け狐夫婦、そしてアナグマ一家はさっぱり分からなかったが、デュークと龍之介は一度聞いただけでそれが何を表すかを読み取った。そして蛍も、以前新聞でその名前を見た事があるのを思い出した。これが混入していた区域で、多くの人々が体調不良を起こしたという内容だ。
あの時龍之介が呟いていた「公害」というものは、人間が原因で巻き起こされる環境の変異を表す。まさしく今回もそれであった。栄司が自らのネットワークを駆使して調べた結果、その原因は「地下」にある事が判明した…。
「それが不法投棄のゴミと言う事ね…」
「しかも産業廃棄物…念のために言いなおせば、猛毒だ」
そう言われれば、ジュンタ以下アナグマ一家も納得する。廃工場から出た猛毒を溜めこんだゴミによって、一時は呼吸すら難しくなりかけたアナグマたちも、龍之介の治療によってその症状が落ち着いてきたようだ。一週間はそのまま安静にする必要があるものの、しばらくの間デュークと共に郷ノ川アニマルクリニックからここへ定期的に治療班が来る事になったので栄養面の問題はなさそうである。
ただ、これで解決…と言う事は勿論ない。むしろ、問題はそこからであった。
冒頭に栄司が謝った理由、それは今回の犯人を栄司の力で取り押さえる事は出来ないというものだった。
「ど、どういう事…ですか!?」
「あんた法律の抜け穴なんていくらでも知ってるでしょ、出来ないの?」
無茶言うな、と返しつつ彼はこの事態を説明した。
栄司たちが動けない理由の一つは、この土地の地下に産業廃棄物を不法に埋めた犯人である「業者」が、今は存在しない事。彼が今の役職に就く前に埋め立てが起きたようで、その時点で犯人は特定できていたらしいが、法律などの足かせが重すぎ、結局業者への立ち入りに至る前に時効が訪れてしまったらしい。普段あちこちから金をせしめる栄司だが、基本的に法律に沿った、もしくは解釈可能な方法を用いて行っている。それを超えた時点で、有田栄司という名は完全に犯罪者となってしまう事を恐れていたのだ。これには恵たちも納得せざるを得なかった。
「じゃ、じゃあデュークさんの力を借りればニャんとか…」
「それはするつもりは無い」
「へ!?」
法律どころか自然法則すら当てはまらないこの男に頼れば何でも解決できるのは分かる。だが、そんな神頼みがいつまでも通用するとは栄司は考えてなかった。デュークの事を信用しないからではない、逆に信用しているからこそである。
「デュークは自分を神だとは見て欲しくないんだろ、確か?」
「え、ええ…そうですね。僕はあくまで探偵局の助手ですので」
ドンやエルも、デュークの持つ力に関してはよく知っていた。何せ祟りを起こす土地神様を圧倒した程だから。
…沈黙に包まれていたアナグマ一家の穴の傍で、それを打ち破ったのはその一家の大黒柱たるジュンタであった。彼ははっきりと、復讐は望んでいない、と言った。その言葉にいちばんはっとしたのは、この沈黙を生み出す要因となってしまった栄司であった。
「オイラは母ちゃんや子供たちが無事になって、それで安心してウマい木の実とかが食べれればそれでいいんです」
「そうか…貴方が言うなら俺も受け入れざるを得ないですね」
ただ、煮えくり返らないものが胸の中にあるのは皆同じだった。確かに安泰になるというのが一番の方法かもしれないが、それはこの一帯だけの話。業者が雲隠れした以上、反省してないのは見え見えだ。また同じような被害を各地でもたらすかもしれない、今それを止める最後のチャンスではないか。それが、皆の話をじっくりと聞いていた蛍の考えであった。ただ、それでも納得いく解決策は見つからず、事態は複雑になりかけていた。
その時であった。龍之介が、ある考えを持って栄司に声をかけたのは。
「オラ思ったんだが、栄司はデュークどんの力に頼りたくねえべ?」
「そうだが…頼れって言うのか?」
「いや、頼るんじゃなくて、探偵に『依頼』すればいいんでねえか?」
「…!」
以前龍之介が栄司の予防接種に携わった時、彼が呟いていた内容が心の中に残っていた。「無償の努力」というものは嫌いで、お金でなくとも、何かしらの笑顔や報酬があるからこそ人は働ける、と。度々デュークに頼りたくないと言うのは、彼の神様級の力の件以外にも、報酬なしで彼を動かす事に抵抗があるからではないか、と多くの人々に関わる熊のお医者さんは考えたのだ。そして、それはまさに栄司にとって盲点となっていた考えであった。
この一帯の有害物質及び産業廃棄物の除去に関しては、丸斗恵を通してデューク・マルトに「仕事」という形で依頼する事で一致した。神頼みではなく、人を金で動かす「仕事」である。ただ、もう一つの業者に関してはどうするのかという話題になった時、今度は狐夫婦が質問をした。
「わたくし、まだ人間生活に慣れていませんので法律は詳しくないのですが、妖怪の行動を取り締まる法律というものは…」
「さ、さすがにそこまでは…」
何でもあり過ぎる内容にさすがの栄司も少々顔が引きつっていたものの、彼の知識の中にはそのような人間では無い存在が巻き起こす超常現象を規制する法律などは思い浮かばなかった。強いて言うなら有害鳥獣の駆除関連にあたるかもしれない、と付けくわえたものの、恐らく彼らならそのようなものに引っかかる事は無いだろう。
「こういうのは俺たち狐が得意とするものだ。栄司さんや探偵の皆さんに頼ってばかりで済まない」
「私は気にしてないわよ、油揚げを毎月送ってくれてますからね」
「ま、まあ局長の言うとおり重要なポイントかもしれないですが…」
そう苦笑いしつつも、デュークも楽しみにしていた。「未来」においては存在が肯定されたばかりに、妖怪の超常現象そのものも法律による規制及び罰則の対象とされており、ほぼ禁忌となってしまっている。それ以前に、間近で日本の誇る妖怪の力を見れる機会などあまりないだろう。
ともかく話し合いは整った。アナグマ一家やこの一帯の人々を守るべく、妖怪たちと未来からの来訪者が力を合わせる時が来たようだ。