64.アナグマ変化帳・前編
突然だが、皆様はアナグマという動物をご存知だろうか。
何でも食べる少し大きめなイタチの仲間で、外見はタヌキに少し似ている。名前の通りの穴掘り名人で、地下に何世代にも渡って複雑な巣を作るという。この入口に足がはまって牛や羊が怪我をしたり、家畜の病原菌を媒介するなど農業においては人間に嫌われてはいるものの、基本はその外見の可愛さなどから人気があるようである。また一方では狩猟の獲物にもされ、ダックスフントなど様々な犬がアナグマ狩りに用いられている。
さて、そんなアナグマだがもうひとつ、日本においては各地で「貉」と呼ばれ、同名の妖怪の正体とされる場合が多い。人を化かし、幻影を見せるその能力は狸や狐にも匹敵するという。そして、昨今の動物たちの都会化の中で、化けアナグマも多くが人間社会に溶けこみ、地下建築物の設計に携わっているようだ。化け狐のドンの友人にも、そういった仲間がいる。共に道路工事に携わったり互いに森の珍味を交換しあったり、今も仲は良好のようである。
そんな彼の家族が、危機を迎えている。探偵局に血相を変えて飛び込んだドンと奥さんのエルから、恵たちは今回の依頼を聞いた。
「本当は探偵の仕事じゃないけど…でも…」
「事態は深刻ですね」
「そうなんだデュークさんに恵さん、俺の友達の家族が突然具合がおかしくなって…」
体が痺れて動けず、餌も取れない危機的な状況だと言う。間違いなく緊急事態である。ただ、動物の体の具合となると、丸斗探偵局には少々荷が重い話である。餅は餅屋、ここはプロの力を借りた方がいいかもしれない。ブランチが机の上から持って来たガラケーを片手に、恵は急いで電話をした。だが…
「え、郷ノ川先生は無理…ニャんですか!?」
「うん…」
だが急患が立て続けに来ているという状況では無理もない。つい忘れがちになってしまうが、自分自身を予備に投入出来るのは探偵局の皆や栄司くらいしか出来ないのだ。しかし、このまま放置するわけには行かない、誰か先生の代わりになってくれる者はいないのだろうか・・・?
そんな膠着状態を解きほぐしたのは、優しい物腰の狐の奥さん、エルであった。彼女が名前を呼んだ主に関して蛍が知っているのは、郷ノ川医師の一番弟子である事くらいである。しかし、彼もまた腕利きで有名なのは確かである。改めて電話したところ、運よく「彼」のオファーを取る事に成功した。
「でも夜遅くですニャ」
「午後十時以後か、仕方ないな、エル」「ええ貴方。探偵局の皆様方、また夜にお会い…」
「いえ、大丈夫です。今から会いに行きましょう」
「「・・・えっ?」」
「あ、そうか♪」
変化能力に優れていても、化け狐はタイムスリップは出来ないようである。デュークの力を借り、すぐに皆は動物病院へと場所を移動させた。事前に相手にも時空改変の旨は伝えてあるので、向こうも混乱せずすぐに迎えてくれた。ただし、蛍だけは驚きを隠せずにはいられなかったようだ。
「く…熊のお医者さんですか!?」
月影龍ノ介。ミュータントのツキノワグマである。
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「なるほど、事態は理解しただ」
「恵さんたち済まない、先に龍さんや先生に相談すべきだった…」
謝るドンに大丈夫だと返す恵。あの時はかなり慌てていたのは目に見えて分かっていた。判断が狂うのも仕方ないだろう。
一方蛍は、龍ノ介に対して相変わらず熱い視線を送っていた。しかし、それは先程の驚愕ではない。人間たちのみならず、この夫婦のような妖怪たちにも絶大な信頼を得て、さらにそれをしっかりと医療でお返ししているという彼への尊敬の眼差しである。
「ホタルー、龍之介先生を見つめすぎだニャ…」
「へぇ、遅刻した不真面目なあんたが嫉妬ねー」
「局長も人の事言えませんよ」
ともかく、事態は深刻であるのは確か。師匠である郷ノ川医師からは先程出動許可が降りたという熊の龍ノ介医師は、喜んで協力すると約束してくれた。ただ、先程の蛍のように見知らぬ人を驚かすといけないので、目的地までは再びデュークの力を借りる事になった。
そうと決まれば早速向かおうとする恵たちだが、龍ノ介は一旦それを制止した。今回は少々準備が手間取るというのだ。その原因は、ドンが語ったアナグマ一家の症状であった。病原体によるものではない、まるで毒物に触れてしまったような感触である。
「それってどういう…事?」
「んだなぁ…人間風に言うと、こりゃ公害だべ」
「えっ…?」
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恵、デューク、ブランチ、蛍、龍ノ介、そしてドンとエル。人間と黒猫と化け狐と熊が並び立つという少々シュールな光景が、森の近くにある草原の上に現れた。エルが持ってきた鞄と同じように、龍ノ介医師の方も医療物を詰め込んで鞄が大きく膨らんでいた。
「では、呼んで来ますわ。貴方、いくわよ」
「うん。皆さん、少し待っていてくれ。すぐに戻ってくる」
家族の元に戻って看病を続けている友人の元へ向かうべく、狐の夫婦は元の姿に戻った。まさか変化の術を目の前で見る事になるとは思わなかった恵たちからは自然に拍手が起きていた。ただ、最近体重が気になる旦那のドンは、狐の姿でもお腹が出てしまっているようだが。
そして、戻ってきたのは三人の人影だった。エルの隣で必死な顔をしているのが、例のアナグマの親友のようだ。ドンは勿論、スタイル抜群のエルと比べても痩せ型体型の彼は、着くなり龍ノ介の元で必死にお願いを始めた。
「せ、先生!!お願いします!!オイラの母ちゃんや子供を助けて下さい!このままだと皆くたばっちゃいます早くお願い(ry
「そ、そんなに焦らなくても安心だべ・・・」
少々せっかちらしいアナグマの友人「ジュンタ」を押さえつつ、龍ノ介が行動に移った。鞄の中に入っているのは、医療用の注射針や薬品。今回の治療に相応しいと判断した様々な装備が備わっているのだ。
自分たちも行こうとしたブランチだが、デュークに止められてしまった。ここから先は医者の仕事、いくら時空改変を使ってもそれはただの真似事に過ぎない。今は彼に任せ、邪魔をしないのが一番なのだ。探偵局に出来るのは、ただ無事を祈るだけである…
…とばかり、あの時の面々は思っていた。
「局長、暇そうですね」
「だってする事ないんだもーん…」
見た目は「美しい」自然に目を奪われるお嬢様やはしゃぎ回る黒猫の一方で、恵は暇だった。結局今回の事例に関して活躍できたのはデュークだけ、自分はただの傍観者ではないか。
ふて腐れつつ草原に横になろうとした直前に、彼女の視線はある一点に集中した。それは明らかにここにいないはずだと仮定していた存在、しかも何故か二人もいる。隣の助手に聞いても理由が分からない時は、本人に聞くのが一番だ。
そして、恵は大声で有田栄司の名を叫んだ。
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「なるほど、二人とも別の部署なんですね」
「「そういう事だ、蛍」」
有田栄司はあちこちに偏在している。当然同じ職業に何人もいる事も多いが故、今回のような合同調査もあるようだ。二人とも鏡のように瓜二つだが、ネクタイの色で区別をしているようである。
「で、何しに来たのよ?観光?」
「局長、それは流石に無いと思いますよ…」
「冗談よ冗談。まあ栄司ならやりかねないと思うけど」
「どういう意味だおい」
当然ながらもっと重大な理由なのだが、その前に先に探偵局側からここにやって来た理由を言う事になった。
「アナグマの一家が病気でダウンか…」
「出稼ぎに来ていたジュンタさんの一家なんです。奥さんや子供を残して単身赴任で出稼ぎに…ってあれ、どうしたんですか?」
「どうしたんですかニャ、そんな深刻そうな顔にニャって…」
「…ああ、お前らの仕事奪ってすまんが、犯人が分かったぞ。デューク、お前も予想していた奴だ」
「…分かっていましたか、栄司さん」
「「「へ?」」」
龍ノ介が言っていた単語の意味が、ようやく局長たちにも理解出来た。公害は決して自然界では起きない災害、全て人間が起こす災いである。そして今回も、原因は人間側だった。
この草原の土の下に、大量の産業廃棄物が眠っている。しかも、全て不法投棄で。