57.Dの疾走 ~二つの襲撃~
…1960年代。高度経済成長の中、鉄道も大きく様変わりを始めようとしていた。
1968年10月1日。鉄道ファンの間では「ヨンサントオ」と呼ばれているこの日を境に、蒸気機関車は急速に歩みを終え始めた。黒い過去から、青や赤に彩られた未来へと変わり始めたのである。しかし、それでもなお日本各地では人々や物資の脚となるべく、数多くの蒸気機関車が煙を上げ、機関士さんの助力の元で走り続けていた…。
本来D54形蒸気機関車は重量貨物向けに開発されたものであり、旅客列車の先頭に立つ事は想定されていない。ただ、この第1049列車のようにローカル線ではときたまそのような事例が見られた。客車を三両繋ぎ、まだ寒さ残る大地を石炭を食べながら疾走していた。
運転台に二人の男がいた。一人はこの鉄の馬の操縦に携わり、もう一人は黒く輝く「食料」を与えるため、スコップを動かしている。今日も動きは順調、このトンネルを抜ければ無事に終着駅に着くだろう、そう思った時。
二人は一瞬、耳鳴りのようなものを感じた。僅かな無音の時間が気になったものの、再び聞こえ始めたドラフト音に運転を続けようとした…
「お疲れ様です」
…その耳に、聞き慣れない三つ目の声が入ったのは、その直後であった。
熱気に包まれた運転室とは不似合いの黒の燕尾服、長髪、そして眼鏡。一瞬の沈黙の後、彼は再び口を開いた。満面の笑みも含めて。
「この運転、僕が代わりましょう」
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現代。
最近巷では災害対策などでバックアップの重要性が問われるようになったのだが、その点この丸斗探偵局は最先端をいっているのかもしれない。黒猫のブランチを除くメンバー全員が何かしらの分身もしくは増殖能力を持ち、自らと同一の存在を創りだす事が出来るからである。
「でも暇ね…」
「仕方ないですニャ」
今回も同様であった。恵、デューク、蛍、クリスの四名が過去へ乗り込む一方、万が一依頼が来た時に備えて恵、デューク、ブランチの三名は丸斗探偵局に残って留守番をする事になった。名前が被っている二名が、「増殖」を行ったメンバーである。
「ケイちゃん大丈夫かな…」
恵は心配だった。一応向こうにもデュークや自分がいるのは把握しているのだが、件の最悪の可能性が頭からちらついて離れない。
「局長、随分心配していますね」
「当然よ、デュークが敵側にもいるんだから」
というより、倒したのにまた現れるのかというのが率直な恵の感想であった。今までに恵と対峙したニセデュークは三名。一人は異次元へ放置状態にされ、もう二人は時空改変能力を停止させられて時空警察へ送還されている。今どうなっているかはまだクリス捜査官から聞いていないが、普段通りの穏やかな表情を見る限りは問題なくタダ働きの刑を処せられているのだろう。どこか罪が軽い気がするのが気になるところであるが…。
ともかく、こちらは何ともなく留守番を過ごせそうだ…と思った時。
「よう」
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「思うんだけど、毎回地の分で『○○の時』って打たれると来訪者か何かあるのよね」
「何言ってるんですか局長…」
メタフィクションも辞さない発言も相変わらずな局長が迎えたのは、ご存じ増殖系男子こと『有田栄司』であった。最近は事前の連絡も無しに勝手にお邪魔しており、もはや完全に探偵局の居候と化している感がある彼。
「話戻すぞ。列車か…」
「そうみたいですニャ。今頃昔の世界でドタバタしてるかもしれないですニャー」
ブランチも又聞きと言う形でしか情報を得ていないので細かい事は局長やデュークの解説に任せている。
幻の機関車の謎を探りに行くという話を聞いて、興味を示さない男は少ないだろう(当社比)。『栄司』も、興味深そうにその内容を聞いていた。何でもありだ、というコメントを付けて。
「別のお前らが持って行った懐中時計も、そうなると別の宇宙という事になるのか?」
「いえ、正確に言うとこの宇宙のもので間違いないでしょう」
「へ?」
別の地球から迷い込んだはずなのに、どうして「同じ宇宙」だと言えるのか。恵の疑問に、歩く知恵袋のデュークが説明した。
蛍たちと正体について悩む中、彼はおもむろに懐中時計を手に触っていた。恵はずっと同じような形の時計が欲しくなったとばかり思っていたのだが実際は異なっていた。ブランチの持つ特殊能力を借り、真相を探ろうとしていたのだ。もしこの宇宙とは別の場所から流れ着いてきた場合、そこから感じられる素粒子などの波長は別物になっている可能性がある。これを調べれば、おおまかな元の宇宙の位置は特定できるはずだ、と考えたのである。だが、その結果は少々予想外のものであった。
「分かりやすく言うと、別の銀河にあるもう一つの地球です」
「そんなのあるの?」
「まあ可能性としてはあるだろ、宇宙は無限に広いしな」
『栄司』の言葉通りだ。恐らくD54形蒸気機関車と牽引する客車は、何らかの要因で生じたワープゲートを潜り抜けてしまい、この地球に現れてしまったのだろう、というのがデュークの推測であった。そして、それと同時に…こちらに関しては恵たちにも内緒にしていたのが、安心感を覚えた。全く別の宇宙ではないとすれば、例え何かの干渉が起きていたとしても彼は最善の状態で戦える。無限に広がる「宇宙」の中でならどこでも彼の時空改変は無敵の強さを保てるのだ。
「実質、懐中時計を返却して返すというのが目的ですね」
「なるほどね…」
…分かりやすく説明してくれているのは理解できるが、肝心の内容が理解できないブランチは暇を隠さないように大きなあくびをした。だが、その時に一気に吸い込んだ酸素が、彼の脳内にある信号を送りこませた。漢字二文字で表すと、『危険』である。
明らかにブランチの様子がおかしい事には恵も気付いた。どうしたのかと聞く彼女だが、ブランチもよく分からないようだ。大丈夫か、と心配する『栄司』に、デュークは声をかけた。
「大丈夫な訳、ないよね」
――!!
…その一言で、場の空気は一変した。『栄司』の表情が、明らかに先程とは違う。彼では無く「デューク」が得意とするはずの絶対零度の笑みを顔に見せ始めている。そして、彼が何者かを定める決定的な証拠となったのは、部屋のドアを乱暴に開けた男の台詞であった。
「お前、何者だ!!」
もう一人の有田栄司が、目の前の自分を睨みつけて言い放った。恵もソファーに座っておらず、ブランチを抱きかかえたまま『栄司』と対峙を始めていた。デュークも加え、三方から睨みをきかされている『彼』の姿が、少しづつ変わり始めた。
「ブランチにはすぐばれると思ったんですけどね…」
その声は、丸斗探偵局の助手と全く同じ声。その姿も、髪型も、全く同じ。
だが、その心は別物。各地で自分の欲望に任せ、好き勝手放題を続ける「公爵」の姿。
圧倒的に不利そうに見える状態でも、四人目の彼は余裕の顔を崩していなかった。
「僕は皆様に、少々挨拶に伺いたくてここに来ました」
一体なんだ、と言葉を荒げるデュークに、『デューク』は言った。マジックの醍醐味は芸だけではなく、そのネタバラシにもある、と。手の込んだように見えるものも、蓋を開ければ予想外の方法で行われているもの。彼も、今回の事件の真相を自ら語りにやって来たのだ。
「…先に言っておきますが、僕は囮ですので」
「…囮…?」
「ええ、今頃もう一人の僕が…」
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「探偵局に訪れているだろうね」
「ひっ…!」
蛍は、恐怖を覚えていた。目の前の男の前に立ちふさがる恵とデューク、そしてクリス捜査官の影に隠れて怯えている。その声は、丸斗探偵局の助手と全く同じ声。その姿も、髪型も、全く同じ。だが、その心は別物。各地で自分の欲望に任せ、好き勝手放題を続ける「公爵」の姿。探偵局同様に圧倒的に不利そうに見える状態でも、五人目の彼は余裕の顔を崩していなかった。
今、列車の車内の時間は完全に停止している。探偵局の面々の横にいる人は、まるで石のように動かない。それはソファーの硬さや床のたわみも同様であった。年季の入った客車の中で影響を受けていない…いや、わざと影響を受けさせないようにされているのはこの五人だけである。
「随分大掛かりな罠を張ってくれるじゃないの」
「別の宇宙からこれを呼びだしたのは、やはりお前たちだったんですね」
クリス捜査官と恵の厳しい目が、ニセデュークの元へと飛ぶ。しかし、偽りの穏やかな表情はそれでも崩れなかった。
「ええ、ゲートを作って貴方がたを誘い出す。念のためにもう一人の僕も探偵局に行っていて正解でしたよ」
「戦力分散だなんて、姑息な真似してくれるじゃないの」
それは、目の前にいる「彼」も同様だ。その言葉を前に、デュークは怒りの感情をあらわにした。「違う」の一言は、蛍が見た静かな怒りではなく、まるでうっとおしい物を排除したがるような鋭く大きい声であった。
「何が違うんだい?君も所詮は僕たちと同類だ」
「ふざけるな!こんな手を使ってまで、僕を犯罪組織まで…」
「そうさ、戻らせるつもりだよ」
そんな事はさせない、と二人の女性も動き出した。一方でその後ろにいる少女が動き出すのには、少し時間がかかってしまった。怖いと言う感情が、どうしても蛍の心を邪魔し続ける。だが、そのつっかい棒は、感情を生み出す原因によって取り除かれた。大きな物音が車内中に響いた次の瞬間、動かない乗客たちの体に現れたのは無数の刃物であった。恐怖が最高潮に達した事を示す小さい悲鳴が蛍の口から洩れた。
「人質か…!」「卑怯よ!」「最低ですね」
「言うだけ言って下さい。
あくまで念のためですからね。別に僕は殺す事なんて前提においてはいません」
ただし、出方による。
その一言で、蛍の心が変わり始めた。
目の前の男は、デューク先輩では無い。姿形も声も全く一緒だけど、心は全然違う。だからこそ、許せなかった。命をもてあそばんとするその態度を。ふっと顔を上げた時、全ては既に始まっていた。自らの数を増やし、ニセデュークの懐に突進する恵の姿をきっかけに…。




