56.Dの疾走 ~幻の機関車~
いつも依頼が無い事に提供がある丸斗探偵局に、本当に珍しく来客があった。
依頼主は恵局長ほどの年齢の女性。仲間たちに会うため事前に休みを取っていたブランチを除く探偵局の三人の手元に渡されたのは、今回の依頼の中心となる懐中時計と、モノクロの写真であった。
数十年前の時計にしてはサビやメッキの剥がれなどは見当たらず、新品のようなこの物件。探偵局が頼まれたのは、これを写真の人物の元へと返却して欲しい、というものであった。依頼人の女性の父がかつて、モノクロの画像に映る男性から「貸して」貰ったと言う一品。駅で迷子になった彼に道しるべだといって渡してもらって以来、ずっとその男性とは会えずじまいだったと言う。既に老年期に入り、体の具合を悪くしてしまった父に代わって、この街唯一の探偵局であるこの場所へやって来たのである。
勿論、丸斗探偵局としても恵としても断る余地はさらさらない。依頼料は解決の連絡後の後払いという事で互いに承諾し合った。今回もいつもの通り、有能な助手の手ほどきですぐに解決するかもしれない、そういう軽い気持ちが有った事を恵は否定しないだろう。何故なら…
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「局長、駄目じゃないですか無茶振りしたら!」
新入りとはいえ、蛍は気と押しが強い性格だ。反論も出来ず、気付いたら「写真一枚」から全てを推測するという形にデュークをさせてしまった恵局長にも、しっかりと自分の意見をぶつけている。
確かに神様すら慄いてほどの時空改変能力の持ち主で、基本的に出来ない事は無いのは分かっている。ただ、だからと言ってそれに頼りっぱなしと言うのはいかがなものか。そう言った蛍の反論は恵も承知の上であった。ただ、それよりも彼女を動かしたのは、これがれっきとした真面目な依頼であると言う事だ。
「依頼人のお父さん、ずっとこの事を心配してたのよ?無くて困ってるんじゃないかって」
「そ、そうですが…」
「困ってる人がいるのに、探偵がそれを選り好みするのは変じゃない?」
当たって砕けろ精神の局長の言葉には、経験が滲み出ていた。こうなれば蛍も納得せざるを得ない。ただ謝罪の一言を残しながらも、先程から真剣に写真を眺めている美形の助手を見るとやはり心配はしてしまう。どこか悩んでいるような顔だからだ…。
「大丈夫、デューク?」
「ええ、別に僕はこれくらいは大丈夫ですから。蛍も心配ないよ」
「そうですか…これはすいません。でも、どうしたんですか?」
「うん、この写真なんだけど…」
デュークが悩んでいるのは、この写真から滲み出る何か異様な感じであった。
見た目は普通の蒸気機関車の写真。運転手の顔もよく見える。ただ、妙な違和感が漂っていると彼は言った。彼のようにハイスペックな頭脳を持たない恵や蛍にはよく分からない感触だ。念のため写真を見せてもらった恵局長の目が、ある一点を捉えた。
「Dの…54?」
現在JRで運転されているSLには、前面に車両の形式と番号が書かれたナンバープレートが設置されている。最初の英語一文字で動力を直接受け取り車両を動かす「動輪」の数が、次の二ケタの数字で車両の形式、そしてそこから空白の後に番号が書かれている。この機関車の場合「D54形の10号機」という事になる。ただ、それがどういう事なのかは恵や蛍もよく分からなかった。
今の彼らの頭では理解できない以上、残った手は一つ。蛍も仕方ないという顔だ。あくまで時空改変が切り札である事は、怯えた土地神様の表情の記憶が鮮明に物語っていた。これを使用すれば、あらゆる物語が1話で終了しかねないほどだからだ…。今回も、あれだけ悩んでいた写真の謎があっけなくデュークによって解明されてしまった。ただ、そこから導き出された答えは驚くべきものであった。
「え、存在しないって!?」
「はい、この『D54』という蒸気機関車、一両も作られていないはずなんです」
「ど、どういう事なんですか!?」
デュークが得た鉄道マニアの知識にも、マイナーな「幻の蒸気機関車」としてこの機関車が記録されている場所へ辿りつくのには時間がかかってしまった。世界事情によって計画変更が起こった故に製造が中止され、図面のみが残る結果になってしまったD54形。しかし、この写真に映っていたのは間違いなくこの黒いボディだ…。
では、一体この懐中時計は何なのだろうか。どこから来たのか。推理力を働かせようとする蛍や恵も、全く思い当たる節が無くなってしまった。苦悩の声が響く探偵局。その声が次第に三つ聞こえ始めていた。
「ケイちゃんなんか分かった?」
「いえ、何も…」
「うーん…」「文殊の知恵って嘘よね…」「三人に増えても分からないし…」
全員同じ考えだから無理じゃないか、という突っ込みを局長は新入りから返されてしまった。違う考えが集うからこそ、学問の神様を越えた知識を得る事が出来るのだ、と。
――その通りです。
…四種類目の声は、探偵局の一員とは違う声であった。蛍の眼が少し困惑を見せる一方、残りの二人は少し驚きを見せていた。
探偵局に音も無く現れたのは、時空警察の捜査官「クリス・ロスリン・トーリ」であった。
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時空の亀裂が、過去の世界に生じた。
それが、彼女がやってきた理由であった。
「ニャるほど…それがこの機関車を持ってきたっていう事ですニャ?」
そして、ブランチも探偵局へと戻ってきた。前述したとおり今日はオフだったのだが、事態が事態。暇だった彼も、首輪を伝った連絡を受けて探偵局へ馳せ参じていた。
「恐らくそうでしょう。他の地球から紛れ込んだ可能性があります。…どうしましたか、蛍さん?」
「…未来の技術って凄いですね、そんなことまでわかっちゃうなんて…」
デューク同様に知識欲が旺盛な蛍には、クリス捜査官の技術や知識は憧れるに匹敵するものだったようだ。
ともかく、過去にこの懐中時計の秘密を解く鍵がある。彼女と共に、恵たちは写真が映っていた時代へと飛ぶ事になった。元々実地での行動の方が好きであった彼女にはうってつけだったかもしれない。ただ、ついて行こうとしたブランチを、デュークは何故か静止した。珍しく行動しようとしたのにどうしてなのかと不満げな黒猫だが、もう一人同意する者がいた。
「すいませんがブランチさん、貴方は残ったほうがいいかもしれません?」
「ふぇ?」
クリス捜査官も、探偵局助手も、ある事を気がかりにしていた。なるべくなら避けたい、だが想定しなければならない恐るべき展開があったからである。蛍がそれを聞いても、まだそこまで現実味を帯びて感じる事は出来なかった。デューク先輩と全く同じ顔をした邪悪な偽者の存在を…。
「念のために僕も残っておきましょう」「私も残るわね」
局長と助手がもう一組、ブランチの方向に現れた。双方とも「増殖」能力を用いているため、ミュータントの鼻や耳でも違いは感じられない。これもある意味最悪の事態を考慮の上の策略だ。
そして、準備を整えた一同は、もう一人の自分たちの見送りを背に一路過去へと飛んだ。向かうは1960年代、まだ蒸気機関車が前線で活躍していた頃。
※D54形はこの「増殖探偵・丸斗恵」内の世界にのみ存在するフィクションの蒸気機関車です。ご了承ください。