53.謎のエレベーター 後編
本当にいいのか。少し困り顔のデュークが、真剣な顔の蛍にもう一度問いただした。
今、屋上にいるのは「一組」の男女。硬い柵越しに、ビルの真下を覗きこんでいる。他の皆はどこに行ったのかと言うと、この「一組」の中にいるのだ。以前蛍に施した、人格を一つに統合するという技を使用し、一時的に全員が一つの存在になったのである。全員とも依頼内容が同じと言う事もあり、今回の作戦はそうした方が有利だと考えた助手の判断である。
ただ、その後が問題であった。デュークの考えた作戦を行うには、まずこの異次元を突破するしかない。だが、階段もエレベーターも、全て封じられてしまっている。そんな中、一つだけまだ試していない事があった。このビルの外壁から飛び降りた場合、一体どうなるのだろうか?
勿論危険すぎる行為として、自分のように万能ではない蛍を助手は止めようとしたのだが、彼女は聞かなかった。事件を解決するのは探偵の仕事、安楽椅子に座ってのんびり構えてるのはごめんだ、と言い返されてしまった。ずっと豪邸と言う名の檻に閉じ込められてきた彼女の決意である。
「…分かった。だけど、絶対僕から離れないように」
「分かりました、先輩!」
彼が離す事など勿論ないのだが。
そして、作戦は決行された。
自殺者を未然に防ぐ固い柵は、瞬時にデュークの手で引きちぎられた。次にその手の力を緩め、大事な後輩をしっかりと抱きかかえた。そして…
「覚悟はいい?」
「大丈夫です」
…デュークの足が、ビルの屋上から離れた。
ものすごい勢いで、地面へ向かって体が落ちて行く。空気抵抗や速度をもろに受け、初めての経験に悲鳴も上げられず、眼を見開く蛍。そしてそのまま地面が目の前に見えた時、彼女がふと見たデュークの目つきが変わった。蛍がまだ一度も見た事が無い、局長に言わせると「犯罪者の顔」に…。
そして、そのまま光が二人を覆い、あまりの眩しさに蛍は眼を開ける事が出来なかった。
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…気がついた時、蛍がいたのは見た事もない景色の中だった。彼女にとってつい先ほどまでいたはずの街並みとも、激突寸前までになったアスファルトの地面とも違う。天国か、という思いが一瞬よぎった時、彼女は傍にいる頼りある存在に気がついた。
「大丈夫、全て終わったよ」
眼を閉じている時間は僅かであったが、デュークにとっては永遠に等しい時間。その間に、彼は全ての目的を果たしていた。どういう事か尋ねた蛍に、彼は指差しで返答をした。そこにある光景に、蛍は文字通り絶句した。
「せ…先輩、これって…」
そこにいたのは、恐れ慄いた顔の一人の老人であった。杖を投げ捨て、彼らを怖がるような眼で見ている。
一体何をしたのか。あれは誰なのか。厳しい口調で聞く蛍に、デュークは正直に答えた。
「…あれが、この土地の神様、土地神だ」
神様が一番恐れるもの、それは自らの存在が忘れ去られる事である。信仰心の薄れにより廃れた神社や寺、そしてお地蔵さん。それらはやがて、その存在を思い起こしてもらうために様々な超常現象を起こした。しかし、それは人々を恐れによって思い出させてもらうという、いわば脅しのようなものである。余りにもそれが行きすぎると、やがてそれは「祟り」とされ、悪い事として受け継がれてしまう…。
「それと同じ事を、ちょっとやってみただけさ」
その言葉の意味が、最初蛍は読めなかった。だが、次第に何が言いたいか分かって来た時、彼女の肌を悪寒が走った。確かにデュークは万能、森羅万象あらゆるものを操る事が出来る。だが、まさか神様に「祟り」を起こさせるような事すら出来るとは、予想だにしていなかった。
デュークは、神を「殺す」方法を既に知っていた。過去へ飛び、その神様が生まれるきっかけを消し去る。未来において、超常的存在を抹殺するために未来のお役所の「お偉いさん」が用いた方法でもある。ただし、タイムスリップが出来ない彼らは、その時点で残された遺物を消し去る事しか出来なかった。だが、デュークは違った。
目の前で神様が怯えている理由も、ずばりそれであった。あの一瞬の間に、この土地神が生まれる要因そのものがデュークによって消し去られようとしていたのだ。
「当然だろ、この土地神は他人に迷惑をかけて来たんだ。手出しも出来ない弱い人たちに祟りと言ってあのような事をしてきた」
自分より強い存在を知らない、おごり高ぶった存在。
そんな事なら、忘れ去られるのも当然だ。
お前はもう土地神でも何でもない、ただの祟り神だ。
言いたい放題で神様を責めるデューク。蛍が止めるのも聞かず、目つきを鋭く、見下したかのように言葉をぶつけつづけた。そして、怯える神様にとどめを刺そうとした時…。
彼の頬に、鋭い痛みが走った。
「…もうやめてください!」
見ていられなかった。確かにあの老人…土地神は、このような大掛かりな仕掛けを使って、人々を危めてきた。しかし、それは自分の事を思い起こさせるためではなかったのか。
「デューク先輩…今先輩がしようとしてるやり方こそ、祟りじゃないですか!」
これ以上苛めるのなら、自分が相手になる。土地神と「犯罪者」の間に立ち、蛍は力強く言い放った。例え自分の先輩でも、命の恩人でも、そして神様ですら敵わない恐るべき存在でも、自分の意見はしっかりと言う。それが、自分で人生を切り開き始めた蛍の意志であった。
しばしの沈黙が流れた後、折れたのは「犯罪者」の方であった。いや、元々彼は折れるつもりでいたのかもしれない。
「…よく言えたね、蛍」
彼はその言葉を待っていたのだ。例え強大な相手でも、恐れず正義の心を貫き通すという意志を。
蛍と共に、先程までの無礼を許して頂きたいと土地神にデュークは謝った。許さないと言えば先程のような事になるのは目に見えていると言わんばかりに、複雑な表情を返す神様。恐れやら安心やら、様々な感情が入り混じっているのを二人は感じていた。
このまま返してほしい、と言ってしまえばそれで事態は解決するかもしれない。しかし、それではこちらの事案は放置する事になる。土地神はこのまま一人さびしく、忘れ去られたままの日々を送る事になってしまうのだ。可哀想だと言う蛍の気持ちを、元の穏やかな顔に戻った助手は受け止め、そして提案した。
「失礼ですが、土地神様。もう一度、過去を変えてもよろしいでしょうか?」
先程とは打って変わって、丁寧かつ優しい口調のデュークは、ある事を考えていた。
誰かを殺したり消したりすることは非常に楽な事であり、あっけないものである。そして、誰もが考える事でもある。しかし、そのような事を何度も繰り返してきたデュークにとって、この空しさや哀しさは身にしみるものとなった。同時に、逆に誰かを笑顔にする、明るい気分にする事の難しさ、そしてその後の嬉しさという事も、体の中にすっかり浸透していたようだ。
そして、彼が指を鳴らした途端、辺りの風景は再び一変した。
「あれ、ここってビルの…あれ?」
彼らが戻って来たのは、ビルの屋上。しかし、蛍はその光景に全く違う物がある事に気がついた。
大きな観覧車の近くにある、小さいながらも赤く綺麗に、可愛げに収まっている一つの建物。鳥居が太陽の光を浴び、その色合いを鮮やかに見せている。その光景に、土地神も驚きを隠せなかったようだ。
「これが、貴方が存在したと言う証です」
再び助手は大掛かりな事をやってのけた。このデパートが出来る過程に介入を行い、ここの土地の神様を祭るための小さな神社を建ててもらうように歴史を変えたのである。どういう事が起きたのかは、彼本人しか知らない。しかし、どちらにしろ土地神様の顔色を明るく変えるには十分なほどであった。子供のように神社の中に入り、中でその様子を味わう。やつれていた顔が、次第に明るくふくよかに変わり始めていた。
「皆が自分の事を覚えてくれたから、元気が戻って来たんですね」
「そうかもしれないね」
歴史が変わった余波というのは、あながち悪く語られる時が多い。しかし、デュークの力同様、見方によっては誰かを救う力ともなるのである。
そして、改めて融合していた他の自分たちを分離しようとした時、二人は土地神様に呼び止められた。言葉は発しなかったが、何を言いたいかはすぐに伝わった。
「そ…そんな…そこまで凄い事…」
特にデュークにとっては非常に驚くべき内容であった。彼らに恩返しをしたい、と言って来たのである。あれだけ酷い事をして、半殺しにまでしたのに、本当にいいのか。今度は逆に助手の方が躊躇する番となった。確かに力は自分の方が上とはいえ、立場としては相手の方が上。そのような者にあそこまで恐ろしい仕打ちをしてしまった自分に、そのような資格は無い。そう言った彼だが、神様はその上を行っていた。
「その事はその事…この事は…」
昨日の喧嘩は今日に持ち込ませない。それに、デュークも蛍のビンタ一発でその分のお返しを十分にされた。だから、もう大丈夫だ。元気と威厳を取り戻した、ありがたい神様からの一言であった。
自分のわがままを聞いてくれたお礼に、こちらも一つだけ我がままを聞いてもらってもいい。そう言った神様だが、デュークはそのような気は毛頭起きなかった。代わりに、隣にいる新人の願いを聞いてもらう事にした。最初は慌てていた彼女だが、「デュークと違って」彼女はれっきとしたホモ・サピエンス、願いをこっそり持っていた…。
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目の前に広がっていたのは、確かに「デパート」であった。だが、彼らが入ったものとは訳が違う。蛍の前に有るのは巨大な噴水、横に広がるのは巨大な店の数々、そして奥には巨大なプールまで。
以前蛍がテレビで見た海外に有る超巨大なショッピングモールの光景が、そこにはあった。
「すいません、無茶な注文を出してしまって…」
つい平謝りになってしまう蛍とデュークだが、神様はにこやかに笑って許してくれた。この異次元は助手のような凄まじい力が来ない限り、神様の思いのままに操る事が出来る。空間をちょっと捻じ曲げれば、ホテルもプールも、遊園地まで備えてある世界一のショッピングモールもあっという間に出来てしまうのだ。ここで思いっきり遊んでから帰りなさい、と言い残し、二人のお礼を聞いてから神様は姿を消した。
…それにしてもかなり広い。一日では当然のこと、一週間あっても「一人」で回れるかどうか…。
「大丈夫さ」
彼女の後ろで声を出した主は、振り向いた時にはその数を数千にまで増やしていた。いや、元に戻ったと言った方がいいだろうか。このショッピングモールを出たら、そこは自分たちが元いた世界、そして元通りの時間。たまには好意に甘えて、思いっきり遊ぶと言うのもありではないか、というのがデュークたちの総意であった。
「それに…ね?」
何が言いたいかは、同じように数千に戻った蛍も納得していた。
このような大スペクタクルを味わえない、サボリの二人の分までたっぷり楽しもうではないか。
…その後、数日間の間「二人」はこの巨大なショッピングモールを遊びつくした。店員も自分、遊ぶ方も自分たち。
只の事件解決がこのようなパラダイスをもたらすとは、誰が予想したであろうか。
…そして、しっかりお堂へ手を合わせてお礼を言って帰った助手と蛍の話を聞いた局長とブランチが相当悔しがっていたのは言うまでもない。そしてそれを鼻であざ笑う栄司であった…。