38.合法的さるかに合戦
「か、柿の木…?」
丸斗探偵局は、基本的にどんな依頼でも断らず、全力で挑む。中には厄介な要件もあるが、その時はデュークのカバーが非常に役に立つ。だが、今回のブランチが持ってきた要件は正直言って恵も目を丸くするものであった。何せ、遠くの森から伝言の形でカラスに伝えられたというものなのだ。
「でも要件ですニャ?」
「だがな…柿の木を独り占めというのは…」
お邪魔していた栄司も、少々あきれ顔であった。妖怪絡みの事も度々扱っていると聞いたが、今回はそれ以前の問題である。
ブランチが持ってきた依頼はこうらしい。彼にこの事を伝えたカラスの友人が森の中を飛んだ時、うっそうと色づく葉の中に、ひと際目立つ綺麗な柿の木があった。どうもその柿の木、不思議な事に一年中ずっと実を付け、かつそのままそれを維持し続けているという。初っ端からぶっ飛んでいるこの要件、さすがの恵や栄司も理解に苦しんでいた。だがその一方、ある程度デュークには心当たりがあった。
「ミュータントの柿!?」
「そんな馬鹿な事…」
「目の前に、それを裏付ける証拠がいますよ」
証拠…ブランチと同様、自然界には様々な要因で遺伝子に特殊な変化が起きる、いわゆるミュータントが生まれる可能性が多く含まれている。その大半は、その自然環境に適応できずに死に絶えてしまうが、中にはその状態に適応する力を併せ持つ個体が存在するという。彼曰く、恐らくその柿の木は、その遺伝子の中に何らかのタイムスリップが出来るタンパク質を合成する配列があり、それを使って無意識のうちにずっと自らをある年の秋の状態で維持し続けているのだろう、という。そうなれば、ブランチが聞いた、芽が一日であっという間に巨木になった不思議な話も納得できる。自らを成長後の姿に置き換えてしまったと言う事だ。
「…強引だが、可能性としてはあるな。というか、信じる前提なのか?」
「いや、デュークの前で嘘をつけるわけないでしょ。怖いし」
恵の言葉には、栄司も納得せざるを得なかった。最後の余計なひと言はその本人から突っ込まれたが。
ともかく、柿の木の紹介は終わったのだが問題はここからであった。
半永久的に実り続けるその柿の木は、ずっと多くの動物に利用され、落ちた実も近くの植物の肥やしとなっていた。ミュータントとなった代償からか、その実に種は無く子孫を残す事は出来ない。しかし、それは逆にどんな動物でも食べやすいと言う事、人間たちに知られることなく、近隣の生物のオアシスとなっていた。
ところが、ある日を境にそれが変わってしまったと言う。そのカラスの友達がある日柿の木を訪れた所、突然サルたちによって威嚇をされたのだ。気にせずにそのまま食べようとしたところ、実に口を付ける直前に突然サルらによって襲撃されてしまい、命からがら逃げ出さざるを得なくなったというのだ。後で聞いた話だが、どうやら柿の木の噂を聞きつけたどこかの猿の不良どもが、この木周辺を勝手に占拠し、自分たちの縄張りにしてしまったようなのだ。
「なんでも、俺たちのような強い奴が頂くのは当然だニャって言ってたみたいですニャ」
「完全に乗っ取られた格好か…」
ブランチの持ってきた依頼は、この柿の木を取り戻してほしい、というものであった。探偵の仕事ではないのだが、丸斗探偵局の姿勢上、断るわけにはいかない。それに、よく考えると今回の報酬はかなり美味な現物支給となりそうだ。
「デューク?」
「僕は、局長の判断に従います」
満場一致で可決だ。
「…俺聞かれてないぞ」
「あんたはただの客でしょうが」
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ブランチがその旨をカラスたちに伝えた所で、作戦会議が始まった。
今回の一件は、確実に犯人が分かっている。例の不良の猿たちをとっちめて、ひと泡吹かせてやろう、森の動物たちの仇打ちだ、と意気込むブランチだが、栄司によってそれは否定されてしまった。
「仇打ちなど所詮別の仇を作るだけ、全く解決にならん。それに、法律的にも重罪になってしまう。動物の世界では知らんが、なまじっか知識を持ちすぎると正義の行いも悪に変わる」
「じゃあ、どうするの?」
「…丁度、法律事務所やってる奴がいて良かっただろ?」
…栄司の言葉の意味が、最初デューク以外理解できなかった。きょとんとする恵とブランチに、自分を指さしながら彼は言った。
「合法的に、猿の奴を反省させるいい方法がある」
今回のターゲットはミュータントの猿であり、単純な攻撃方法は通用しない相手。しかし、その頭の良さを逆に突けば、相当なダメージを与える事が出来る。そう彼は言った。
法律相談を業務にしている人にしてはあまりにも悪どい発想だ、と苦笑しながら突っ込む恵。しかし、栄司は対して気にしていなかった。
「ルールは破るためにある。それが俺のモットーだ」
「はは、随分酷い考えですね」
「ふ、ルール自体を変えるお前よりはましだろうがな。それに…」
「精神的なダメージの方が、より相手を傷つけやすい、ですよね」
「さすがは大悪党だな」
「怖い…この二人時々怖いよ…」
「同感ですニャ…」
言葉は悪いが、皆の志は一つ。優しい心を持った者を抑えつける悪を成敗する。
そして、作戦会議は始まった。栄司の考えを軸に、恵が素案を決め、デュークやブランチがより自分たちに合った方法を提案する。様々な考えが出るがコンセプトはただ一つ。猿の考えは、強い奴は弱い奴より偉いのは当然、権利を呑むべき。と言う事は…
「もっと強い奴が出た時、どうするのか見物ってわけね、ブランチ?」
「まっかせてくださいニャ!」
動物相手には、ホモ・サピエンスよりは「猫」の方がぴったりだ。日が暮れる頃、作戦はまとまった。
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今日もサルたちが、山のふもとに集まって来た。目的はただ一つ、例の柿の木だ。毎日美味が食べられるという場所は、どんな生物も病みつきになるものだ。しかし、今この山で一番強いのは自分たちである、という自負が彼らにはあった。シカの一群も、自分たちが青い実を投げつけてから自分たちを恐れるようになった。もう止める者はいない、そんなおごりが心の中に芽生え始めていた。
…と、その時である。
突然、森の中がざわつき始めた。同時に漂ってくる、余り嗅いだ事のない匂い。これが何であるか、ずる賢いサルの連中はよく分かっていた。人間の、それも「女性」だ。彼らの中には、人間の女性は一切反抗をしない弱い存在であると言う常識があった。柿の木で腹を癒したついでに、一度脅かしてやろう、と不敵な笑みをこぼす猿たち。
ところが、その方向へサルの連中たちが意識を向けた瞬間、それと良く似た匂いが突然間近から漂い出した。ちょうど自分たちの真上、今から登ろうとしている柿の木だ。そこには服を着込んだ裸の猿が一人、木の枝に座って美味そうに柿の実を食べているではないか!
「おいしー!さすが柿の木ね♪」
などとのんきにほざいている。早速怒りの声を上げ、木を揺らしたりして対抗しようとする猿たち。しかし、その匂いが漂ってくる方向は一つだけでは無かった。
「ハーイ、お猿さん♪」
その声に振り向くと、先程の女性と全く同じ人間が、別の木の枝にのんびり座っている。
全く同じ匂いなど、この自然界では有り得ない現象だ。人間よりもそれを嗅ぐ機能が発達しているのが、今回は運のつきとなった。
「随分いい所じゃない、ここ?」「見晴らしもいいし、」「自然もいっぱいだし」「それに」「この柿って」「毎日」「実るのよねー」
少しづつ何かがおかしい事に気付き始めていた。今猿たちがいるのは落ち葉が積もっている地面の上なのだが、上を見上げればどの方角にもその人間の女性がいる。そう、どの巨木にも。
そして、柿の木に一匹の猿の目線が合った時…。
「「「「「「「「「「「「「あははははは!」」」」」」」」」」」」
周りの全ての枝という枝から、全く同じ存在の匂いが猿の鼻をつんざき、同じ響きが不良どもの耳を貫いた。どこを見ても全く同じ人間だらけだ。この異常事態に、ようやく身の危険を感じた彼らは逃げ出そうとした…が、そうはいかなかった。
『逃げる気かな?』
猿たちの脳内に、彼らの言語ではっきりと声がした。威嚇の声を上げ、先程とは違う声の主を探そうとするが、今回はそこまでする必要は無かった。
『お前たちを、不法占拠の罪で逮捕する』
逮捕と言う言葉は知らなかったが、イメージは鮮明に脳内に現れた。自由に身動きが取れない空間に閉じ込められ、餌すら満足にとれない、そんな地獄のような…。
勿論猿たちは納得いかない。ふざけるな、ここは俺たちの土地だ、と反論し始めた。だが…。
『知らなかったのか?』
『この土地は…』
『『ブランチ様のものだとな』』
聞き慣れない言葉が出た。
一体何の事だ、とざわつく猿たち。だが、既にここで彼らの命運は決まっていた。
最後に聞こえた轟音の主は、もうこの山からは姿を消しているはずであった。しかし、それが危険信号であると言う事は猿たちの記録にはしっかりと刻まれている。次第にそれが近づいている事を知り、いそいで逃げ出そうとする彼ら。安全な場所であるはずの木の上に逃げ出そう、と考えたのだがそれはもう無理であった。枝と言う枝が、人間によって占拠され、猿たちのいる場所が全くなかったのである。
どうすればいいか分からず、混乱する不良たちの前に、ついにその主は現れた。
…強い奴は弱い奴より偉いのは当然。その理屈を当てはめると、目の前に現れた巨大な黒い虎は、腰を抜かしている猿たちよりも確実に偉い、という事になる…。
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「…そんな事があったのか…」
丸斗探偵局のテーブルの上を、秋の美味が占拠していた。以前お世話になった、刑事の方の有田栄司が興味深そうにその話を聞く。まるでおとぎ話のようだが、時空改変という武器を持つデュークが楽しげに語るのを見る限り、信じざるを得ないようだ。
彼が森の中の木の強度を一時的に全て上げ、分身した恵局長が一気に乗っても大丈夫なくらいにする。元々運動神経抜群な彼女には、木のぼりなど朝飯前だったようだ。そのまま位相を変えて待機してもらい、猿たちに恐怖感を味あわせるために少しづつ姿を現すようにする。それに関しては恵たちのぶっつけ本番でお願いしてもらった。
「それであのエテ公どもがビビり始めた頃に、俺が声を吹き込んだ訳だ」
結局法律とはあまり関係なくなってしまったのだが、こっそり近くに来たデュークと栄司は、猿の脳内に直接語りかけた。彼らにとってはある意味初めての生アフレコ経験である。そして、クライマックスは巨大な黒いアムールトラに変身したブランチの出現である。
「ニャハハ、あの後完全に猿はひれ伏したんですニャ、さすがこの俺、ブランチ様の威厳には…」
「「調子に乗んなおい」」
「イテっ」
助手の事前調査で、あの山には確かにかつて巨大なトラが生息している事が判明した。「かつて」と言っても1万年以上昔、人間の場合ならとても誰も覚えていなさそうなほどの昔なのだが、動物の本能は別だ。その地響きのような轟音は、「遺伝子」の中にしっかりと刻み込まれていた。心底恐れた猿たちはそのまま這う這うの体で逃げ出していった。念のために確認を取った所、その後も度々山に登り、柿の実を食べた事があるようだが、もう以前のような威勢は無く、他の動物たちと謙遜しながら味わっていたという。
「結局法律と全然関係なかったじゃねえか、それに猿相手に大人げない…」
「やかましい、それ言ったら今回の展開の意味がないぞ」
「でも、無事に解決したわけだしいいんじゃないの?」
「そうですね、こういう珍味や美味と言うのは、独り占めすると碌な事が起きないものです」
そう言いながら、デュークは美味しい柿を仲間たちと共に口の中に入れた。
勿論、探偵局の皆や栄司らも独り占めする事はしない。当然だろう、あれは森の中の奇跡。一人だけで味わうより、喜びは皆で味わった方がより大きくなるものだ。