36.Dの対峙・後編
ブランチと共に、別の任務へと向かう事になった彼を思い出しながら、恵たちは準備に取り掛かった。
「大丈夫ですか?」
「ええ、エルがついていますから」
「あなたったら…心配ありませんわ、思う存分戦って来て下さいな」
ありがとう、と例を言い、恵は神社の方向へと駆けて行った。その様子を確認した狐の夫婦は、おもむろに手にそれぞれ一枚の札を取りだした。そして互いの両手を繋ぎ、決死の戦いが続く神社…の跡地に札を掲げ、そして口に呪文を唱え始めた。時空改変の能力を使わない限りは聞こえる事のない、高周波数の声で。
一体何が起き始めたのか、戦う二人のニセデュークが気を取られた直後、彼らの周りの景色は一変した。見えるのは、まるで夢のような彩色のみ…周りを囲んでいたはずの男と、もう一人の女を除いて。
「め、恵…」
「ごめんね、ちょっと準備がかかっちゃったの」
「ふん、相変わらずだな」
「そっちも結構無鉄砲じゃない」
エルの家系に伝わる、巨大な結界で相手を封じ込める呪文。それを応用し、暴れ狂う怪物たちを一時異次元へ押し流したのである。恵のとった作戦は、この中で何とか二人のデュークを沈黙させるというもの。当然本物のデュークと違い、命を奪うまでにはいかない。だが、それで良い。そういう作戦なのだから。
「…身の程知らずが」
「邪魔をしてほしくないな」
共通の敵ににらみを利かす二人のニセデューク。しかし、それにひるまず二人の男女は言い放った。
「どっちが身の程知らずか…」
「教えてあげようじゃない!」
…その直後、異次元の中は一斉に無数の生命で埋め尽くされた。
==================
「くっ…!」
「お前…!」
二人のデュークを襲ったのは、予想外の事態であった。
「離せ、この!」「ゴキブリみたいに湧いてくるとはな!」
「「「「ゴキブリはな!」」」「「「生命力が高いんだよ!」」」
「「「あんたたちみたいな」」」「「「薄情者とは違うのよ」」」
振り払っても払っても、彼らの体を羽交い絞めにする影は減るどころか、ますます増え続けた。時空改変用の回路も、数万どころか億にまで達しようとする『同じ個体』を察知する事が困難となり、悲鳴を上げ始めている。かつて人々をあやめた逃亡者も、それを殺そうとやって来た追跡者も、どちらも恵と栄司にとっては同じ穴にはまったムジナのように見えた。異空間は、無数の男女が乱舞する凄まじい状態となっていた。
…その外で、ドンとエルの夫婦は必死に結界を維持し続けていた。パソコンと同様、容量が大きくなるとその分様々な障害が発生する。今、夫婦の腕には凄まじいほどの重力が込められていた。
「め、恵さんたち随分…」
「大丈夫か、エル?」
「大丈夫よあなた、なんのこれしき…!」
あの時デュークがこの作戦を認めた重要な要素が、これにあった。結界の中に形成されるのは、その場限りの使い捨ての宇宙。他の空間とは何のつながりもない場所である。それゆえ、時空改変が非常に制限されるのだ。現在の丸斗探偵局のデューク・マルトは、長年の経験でそのような場合でも自在に能力を活用する事が出来るのだが、そのような知識や経験を積み重ねていない偽者はそうはいかなかった。
そして、エルの隣で耐えていたドンの腕が限界に達しようとしていた時、彼らの後ろに待ちに待っていた来訪者が来た。
「お待たせしました!」
「ニャニャーです!」
デューク・マルトとブランチ、そしてもう一人、正装に身を包んだ眼鏡の女性がやって来ていた。そして、それと同時に結界内部の恵たちからも連絡がデュークの元に訪れた。時空改変用のチップが、双方とも機能を一時停止したと言う知らせだ。
全ては、見事に局長や丸斗探偵局の仲間たちの計画通りに進んでくれた。
そして、その中には彼らだけでは無い、新たな「仲間」、有田栄司の協力があった。
…この女性に、恵とドン・エル夫妻は見覚えがあった。
――――――
ゆっくりと結界が解かれ、増殖探偵と増殖刑事…今回は増殖警官であったが、二人の戦士が暴れ狂っていた二人の怪物を肩に背負い、この世界に舞い戻って来た。それと同時に、デューク・マルトによる時空改変でこれまでの事を、一部を除き「なかった事」にした。対象は主に人々の記憶と、神社の損壊の修復。
「お久しぶりです、恵さんと皆様」
その一方で、未来からはせ参じた女性が敬礼を交えつつ挨拶をした。
その4の内容を、読者の皆様は覚えているであろうか。未来からの犯罪者が、かつて自分を捕らえた時空捜査官の先祖を暗殺すべく現在に潜入した話である。ストーカーまがいの行動をした結果、丸斗探偵局に相談されて一網打尽にされたのだが、その結果として、デュークらのいる未来に一人の名時空捜査官が誕生した。
「デューク、お前よくそんな奴に会えたな…。未来で結構犯罪やってたんだろ?」
あの時栄司も、彼が未来で相当様々な悪い事をやってのけたと聞いた。失う事もない命すら平気で奪って来た事も、真摯な気持ちで聞いた。栄司は、そのような事がとても嫌いである。例えどんな極悪人に関しても、彼が今まで行ってきた様々な悪事を換算し、生きて償わせようと考えている。いわゆる「生き地獄」である。
ただ、もしデュークがずっとそのままの状態…悪人のままで居続けたのなら、栄司は自らの能力を駆使し、丸斗探偵局を生きた屍として抹殺せんと動きだしていたであろう。だが、今のデュークは違っていた。
「罪人といえども、人権は与えられます」
クリスと名乗った時空捜査官は、彼に代わって答えた。今の彼は、必死で罪を償おうとしている。誰かの命を助け、誰かの涙を止める。かつて自分がやって来た行いとは真逆の事だ。
「罰の執行を手助けするのは、警察の仕事ですからね」
「…いやいやデューク…捜査官さんの前でそれは…」
「いえ、私はそのためにやって来たのです。彼と協力するために…」
そして、語り合う仲間たちを背に、力なく座り、うなだれている二人の自分の方向にデュークは向かった。どちらとも、命を奪わんとした罪人たちだ。一方は、「芋虫」の強奪及び実験材料代わりに次々に現代の人々を襲った罪。もう一方は、それが失敗した事を受け、それを命で償わせようとした罪。
双方とも、彼…デューク・マルトに対して敵意を見せ続けていた。そうであろう、彼らにとっては裏切り者に等しい存在だからだ。そんな二つの顔を、デューク・マルトはおもむろに掴み、そして自分の方向へと無理やりにでも向けさせ、言った。
―生きろ。
―二度と僕と同じ轍は踏むな。もし再び来たら…
―その時は、命は無いと思え。
恵や栄司が懸命に伝えようとしていた事を、二人の自分…いや、自分と同等であった二人の男の脳に、刻み込ませた。それは自分が課せられ、永遠に行い続ける必要がある、死刑よりももっと辛い、「生きる」という処罰。その時の二人のデュークの顔が、どんなものであったのか、見たものは争い続けた互いしかいない。
――――――
「さ、無事に事件も解決したし!」
今回の一件も、無事解決した。時空捜査官クリスによって、二人のニセデュークは未来で裁きの対象になり、しっかりと罪を償う事になるであろう。時空改変用の回路は機能を停止しており、実質「犯罪組織」からは人畜無害の存在となるだろう、というのはかつてそこにいたデューク・マルトの重要な証言である。
一方、現代では改めて丸斗探偵局と有田栄司らに確固たる協力関係が築かれる事になった。栄司らで解決できないような依頼を秘密裏に丸斗探偵局へ連絡、報酬と引き換えにその要件に挑むと言う形である。勿論その逆もありだ。一般常識なんて彼らの前には裸足で逃げる。ある意味最強の関係が作られた事になる。
そして、そんな彼らに加えて事件解決に協力してくれた狐の夫妻と一緒に、そのまま恵たちはバイキングへ向かう事にした。
「皆で賑やかに食べる方が美味しいですものね、あなた」
「そうだな、エル」
そんなのんきなやり取りが続く様子を、列の後尾からデュークは眺めていた。彼らの刑期も、恐らく自分同様永遠に等しいものとなるであろう。しかし、それはそれでいい。それが、自分なのだから。それに、異口同音の存在として、食べる「ケーキ」の方が良い。下ばかり向いてはいられない、せっかく新しい仲間と出会えたのだから、もっと前向きに。
「行くぞ、デューク。ぼーっとしてる場合じゃないぜ」
「あ、すいません栄司さん…。局長、待って下さい!」
「待たないぞー、助手!」
「ペット禁止って…あ…あのー、みんな俺の事忘れてニャーですか?」
「貴方は一人で高級キャットフードでも食べてなさい、じゃあね」
「ちょ、そんニャ事言われても鍵持ってるの局長じゃニャいですか!ちょ、ちょっとみんなー!
もうしニャせんから許してー!」