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35.Dの対峙・前編

丸斗探偵局に、正月以来久々に見る顔がやって来ていた。


「ブランチも相変わらず可愛いですわね…大丈夫ですわ、食べたりしないから」

「じょ、冗談きついですニャ…」


正直局長も助手も、このタイミングで彼らがやってくるとは思えなかった。確かに数週に一度、報酬代わりに油揚げを差し入れに郵送してくれるのだが、こうやって顔を合わせるのは正月以来だ。

皆様は以前、探偵局がとある化け狐の結婚騒動に巻き込まれてしまった事は覚えているだろうか。少々鈍臭いがしっかり者の狐と、良家生まれの女狐。彼らの中を引き裂こうとする、ずる賢い許嫁の狐を恵とデュークが懲らしめ、恋する二人を無事に結びつけた、あの事例である。その後、正月の賽銭泥棒騒動の時も探偵局の手助けをしてくれた事も記憶に新しい。

夫の名前はドン。今は主に公共工事などに携わるバイトをしている。そんな彼を支える両妻がエル。二人とも人間であるデュークに負けず劣らずの良い髪質である。ちょうど近くの神社にお参りに行こうとしていたところ、偶然探偵局の傍を通りかかって遊びに来たと言う事である。デュークは断ろうとしたものの、どうせ依頼人は来ないと考えていた恵はそのまま受け入れてしまった。探偵としてどうかと思う方、その考えは非常に正しいと思う。


「あ、すいません忙しい時に…」

「いえいえ…ご心配なく」


ただ、ドンたちもその事をしっかりわきまえていたようでデュークも気にしない事にした。お茶をすする彼らの一方、近況報告で盛り上がる恵とエルの話題は、次第に例の増殖刑事の方へと向かっていた。ブランチはエルの膝の上ですっかり気持ち良くなり、眠ってしまっている。


「そのエイジさんが、ですか?」

「そーなんですよ!全く、私のやり方が非効率だ意地汚いわって…」

「なるほど…」

「私も言い返してやりましたよ!いっぱい増える方こそ非効率で意地汚いって。増殖能力の恥さらしも…むぅ、どうして笑うんですか?」

「あ、あらごめんなさい…。でも、今回のこの一件、私よい解決方法を見つけましたの」


どういう事だと言う恵に、エルは語り始めた。

この広い世界で、自分たちのように相手に幻影を見せる事が出来る…つまり化ける事が出来る動物は案外多いらしいが、その中でもやはり二強と言われるのが狐と狸である。これは伝承としても良く語り継がれているので、恵もよく知っている。


「でも、互いに利点と欠点があるのです」

「良いところと悪い所ですか?」

「わたくしたち狐が言ってしまうのもあれですが、狸の皆様ほど私たちは技術は高くありません」


人間の世界で語り継がれている伝承でも、狐と狸の化け合戦ではいつも狐が苦汁を呑む結果に終わってしまっている。ただ、その後争いが続いた昔と違い、自然環境が激変した現在においては互いにそれらの価値観を見直す動きが広まっていると言う。

狸が得意とするのは、主に大風呂敷を敷く豪快なやり方。大名行列を出したり、一つの国を転覆させたり、作戦からしてスケールが非常に大きいものが多い。一方で、狐はどちらかと言うと小さめなところから始める事が多く、人々の心理を突いた策略で化かす事を得意とする。ただ、それが重なる事で凄まじい悪事に発展するという事例もいくつか報告されていると言う。


「恵さんや栄司さんたちも同じではありませぬでしょうか?」

「そ、そうですか…?」

「わたくしには貴方がたのような分身は出来ませぬが、お一人から無数になれる恵さん、ずっと数が多い栄司さん。それぞれ利点と欠点がある事はおわかりでしょう」

「そ、そうですけど、でも…」

「でしたら、それを活かす形を取ればよろしいのでは?」

「…まぁ、確かにそうですけどね…むぅ…」


恵としては、どこか彼に対して意地を張ってしまう心が残っていた。それが邪魔をしてしまい、どうしても彼に対して素直に反応できない一面がある。エルはその事を見抜いていたようだ。


一方、ドンとデュークの方もにこやかに会話を進めていた。最近の近況や情勢などが主流だが、その中には人間の常識や狐の常識など、それなりに難しいものも含まれていた。


「怖いですなー…デュークさんのような力を持つにせもんがいっぱいいるのは」

「狐の皆さんにも迷惑をかけてしまっているようで…」

「いいんですよ、オレたちだって意地がありますし」


確かにデュークら未来人の力は凄まじいものがある。彼らから聞いた魔法の鏡も、未来人の前には手も足も出なかった。ただ、それでも狐の誇りと言うものは決して消えない、とドンは力強く語った。勿論、優しい心を持つデュークもそれには賛同した。プライドというものの大切さを、良く知っていたからだ。


…とその時。再び彼のセンサーが、昨日に引き続き何かをキャッチした。顔色が変わり、ある方角に顔を集中させる。どうしたのか、と恵が聞こうとしたその時、突然その方向から爆発音のようなものが聞こえ、砂煙が上がり始めた。


「ちょ、ど、どういう事なのよデューク!」

「ニャニャニャ!」


ブランチも急いで起き上がり、彼からの情報を待つ。こういう時、一番頼りになるのはデューク・マルトだ。


「…これは…未来人!?いや、これは『僕』だ!」

「「ええ!?」」


デュークが時空改変によって脳内に作りだしたレーダーは、未来からの良からぬ来訪者をキャッチした。一方は以前「芋虫」を操っていた存在、そしてもう一方は新たな偽デュークである。

一人でもあれだけ苦戦したのに、二人もやって来てしまった。大丈夫なのか、と焦り始める恵だが、助手はさらに衝撃的な事を察知してしまった。二人の狐も良からぬ予感として頭に浮かび始めていた事…。


「場所は…神社です!」


=======================


またあいつら絡みか。

警官、有田栄司の心の言葉である。


屋根に穴が開き、中に供えてあったものは完全に崩壊している。罰あたりもいい所だ、と思いつつ、集まり始めた野次馬を即急に退け始めた。勿論これは「上」からの命令…ただし、「上」の役職にいる自分自身の考えである。デュークから聞いた、未来から来た彼そっくりの刺客。ただの猫をあそこまで凄まじいライオンに一瞬で変える事が出来る力を持つ彼とほぼ同等の敵が現れるとなれば、普通の人々を巻き込む訳には絶対に行かない。彼の眼には、死人の顔は決してきれいに見えないのである。


そんな時、ふと崩壊した神社の中で何かが動き始めた。ざわつく住人達を抑える栄司の目の前で、突如として瓦礫が持ち上がり、中から一人の男が現れ始めた。


その男の顔は、確かに例の助手と同じである。だが、その姿はもう彼とは違っていた。


「…な…!」


目は怒りでつりあがり、顔には大きな傷。髪もすでに質を失っており、まさに落ち武者のような姿だ。そして、その『デューク』が動き出し、こちらに向かおうとしているのをみた住人たちが慌てだし始めた。急いで止めようとする栄司。まさにその時であった。


あの時、丸斗探偵局から見えた砂煙が、再び舞い上がった。空から降って来たのは巨大な黒い『槍』。鉄とも木ともつかない物体が、次々に神社に向けて落下し、まるで串刺しにするように覆い尽くしていった。大黒柱をも失った神社は、その『槍』に支えられて何とか維持している感じだ。混乱する住人に避難を指示するべく、急いで分身を行う栄司。デュークの言った通り、同じ顔がいくら存在してもそれに対する違和感は一切持たないようだ。


「急いで逃げてください!」「ここは危険です!」


必死の声が響く中、空を見た栄司が、ついにその犯人を見つけた。様々な正義と悪に関わって来た『有田栄司』という存在は、常識では考えられない形で上空に居座り続ける一人の男を悪とみなした。こちらも見た目は『デューク』そっくりであるが…。


「これで、死んだか」


そう言った彼の声は、まるで絶対零度のようであった。何より、その言葉の内容が許せない。再び手を空中に上げ、『槍』を下に落とそうとした偽者のデューク。怒りに燃える栄司は、自らの分身を彼の動きを止めるべく、はがいじめの格好で出現させた。



「なんだ、お前は…」

「貴様!」「これ以上好きにはさせねぇ!」


二人の栄司が、彼の燕尾服の背中に貼りつき、その腕を抑えようとしていた。上空数十メートルという高さだが、一切恐れは無い。


だが、恐れが無いだけでは、この強敵を打ち破る事は出来なかった。

邪魔だ。その一言で、二人の栄司は消滅してしまった。あっけない、その一言が似合うほどに。


しかし、その一瞬の隙が戦況を再び変化させようとしていた。腕を上げたニセデュークの体に、突如大穴が開いた。苦痛を隠さない顔で下を見下ろした彼は、神社の鳥居の上に立つ自分そっくりの存在に気がついた。


「生きていたか…」

「当然だ、お前だから」


短髪のニセデュークが、長髪の自分に攻撃の隙を与えず、次々に彼の体に大穴を開ける。まるで虫食い穴に食われるかの如く、長髪の体は消滅していった…かに思えた。その直後、神社にいた短髪の後ろから再び攻撃が始まった。


「「なんて奴らだ…」」


住人の避難が終わり、再び戻ろうとした有田栄司も、その様子をしっかりと見ていた。消えたかと思った長髪のデュークが再び現れ、もう一人の自分に攻撃を仕掛ける。…いや、長髪では無い。この攻撃の影響であろうか、後ろの髪が切れていた。この時彼は知らず、後でデューク・マルト本人から聞いた話であるが、この際長髪のデュークは別の時空からもう一人の自分を生み出し、バトンタッチを行っていたようだ。

一瞬、栄司の心に諦めの言葉が浮かんだ。彼の脳内の辞書の中では「次元が違う」というということばがぴったりかもしれない。それだけ、目の前で起こっている事態は信じられないものがあった。だが、すぐにそれを否定した。そもそもここで逃げてしまったら、あの探偵局の局長に鼻から笑われてしまう。そして、あの時彼女に投げた自分の言葉も、そっくりそのまま戻って来てしまう。


「…行くぜ」「おう」


その言葉の直後、二人のデュークの体は、大量の栄司によって自由を奪われた。


――――――――――――――


「え…栄司!!」


その姿を見た時、恵の口から絶叫が飛び出した。


二人の偽者の戦いを必死で食い止めようとする無数の体が、次々にまるで蒸発するように消えて行く。しかし、それでも栄司の分身たちは瞬時に現れ続け、必死に二対の超的存在を食い止めようとしていた。


「あなた、神社が…」

「な、何と言う事に…」


彼女と共にここへ向かった狐の夫婦も、この惨状は目を覆いたくなるものがあった。この一帯に住む化け狐の憩いの場ともなっているこの神社が、見るも無残な姿となっている。しかし、彼らの中にはある約束が残っていた。


…時空警察へ連絡。それが、恵がデュークに与えた使命であった。助けは不要、というのだ。余りにも無茶すぎる、危険だ、勿論万能の未来人はそう反論した。しかし、これは恵だけではなく、狐の夫婦…ドンとエルの思いでもあった。


「私たちの神社が、もしも…もしも破壊されていたとしたら、それは私たちにも責任がありますの」

「そ、そんな事ありません!これは、僕の…」

「いえ、責任…と言う言葉よりも、誇りです。オレたち狐の…」


そして、恵の一言が、彼を揺れ動かした。


「あいつらに味あわせてやって。命の重みを…」


確かに、助手の言うとおり自分たちの考えは無茶であり、危険であり、命知らずかもしれない。しかし、いつまでも彼に頼ってばかりはいられない。時空改変は決して便利屋ではなく、時には脅威ともなる。だからこそ、一度それなしで戦う事で、その意味をもう一度知ってみたかったのだ。

…その言葉の意味を、静かにデュークは噛みしめていた。あの時、偽者の自らとの戦いでほぼ「殺した」事に近い形で決着をつけた自分の事を。あの事を知っているのは、口止めをさせたブランチだけ。彼も今まで誰にもその事を言った事が無い。しかし、この恵の言葉は、その事をまるで知っていたかのような響きを伴っていた。

殺す以外にも、選択肢はある。

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