29.Dの激突・後編
「用件を言いましょう」
「手短にね」
夕暮れの公園で、男と女が対峙していた。男の方には、一匹の黒猫が抱かれている。当然愛のこもったものではなく、「人質」としての者だと言う事は、女側―丸斗恵―には承知の事であった。
「二つありますが、まず一つから。
デューク・マルトの行方を教えて頂きたい」
名前を呼ばれた張本人と瓜二つの声で、似たような口調で喋られると、腹が立つのは恵だけではないであろう。だが、彼女はあくまで一人の探偵としてそれを抑えた。勿論答えは…
「分からない。私も今、探している所」
推理ものではここで絶対信じないぞという犯人が出てきそうな予感だが、目の前にいる男はあっさりと信用してくれた。
「分かりました。
では、もう一つ聞きましょう」
自分と一緒に、未来へ行こう。
答えは勿論、NO。丸斗探偵局局長丸斗恵は、そう簡単に男には引っかからない。はっきりと彼女は言った。確かに怖いし、人質もいる。しかし、何故か彼女はきっぱりとこの事を口に出来た。
「…残念ですね」
そう言った途端、彼の目つきは変わった。もう容赦はしない、この場で命を奪う。言わずともそう告げていた。だが、奪う相手は恵ではなく…
「先にこちらから行きましょう」
目の前にいる猫の首に、三味線の糸のようなレーザーが付きつけられた。そして、そのまま一気にその命を奪わんと動いたその手の動きが…
『一つ目の質問の答え…』
止まった。いや、止められたのだ。素手で触るなど決して出来ないはずのレーザーを、ただの黒猫が素手で抑えている。いや、「黒猫」ではない…
「教えてあげようか?」
「デューク」の体が宙に浮かび、砂地に一気に叩きつけられた。舞い上がる砂埃で汚れた燕尾服に気にも留めず、「彼」は先程まで自分が立っていた方向を睨みつけた。確かにそこに「彼」は立っている。長髪、眼鏡、燕尾服。何もかも同じ。しかし、違う所が一つだけある。彼は…
「局長、お久しぶりです」
「遅いわよ…デューク・マルト」
恵は気付いていた。
「やっぱり、知ってたんですね」
「今気付いたのよ」
口数は少ないが、阿吽の呼吸の二人は互いが何を言っているか理解できた。間に挟んだ偽者が混乱している間に、大半の用件は済ませた。あの時、『デューク』を偽者だと看破した黒猫ブランチの正体は、デューク・マルトが彼の姿を借りて変身したもの。そして、その後動物たちを一気に招集したのも彼であった。
公園で恵が偽デュークを追い詰めた時、静かに「ブランチ」は一声鳴いた。しかし、その声は恵にだけしっかりと人間の声として聞こえた。デューク・マルトは無事だ、と。声色を変えて言ったつもりだったようだが、局長には完全にばれていたようだ。
そして、この事実をより固める証拠がもう一つ。ヘトヘトになりながらやって来た本物の「ブランチ」が公園に猫たちと一緒に到着したのだ。突然町の動物たちが動き出した様子を見て混乱していた彼は、その理由が「自分」の指示だと聞いて一瞬パニックになりかけてしまった。だが、次第にその理由が頭の中に浮かび始めた。こんな事が出来る存在を、彼は一人しか知らなかったのだ。息を整え、追い詰められた偽者を鋭く睨みつける。
そのまま攻撃態勢に入ろうとした恵とブランチ、そして動物たちをデューク・マルトは止めた。
「助太刀は結構です。僕の起こした始末、僕が片付けます」
全く同一の存在が、間を取って対峙する。
「…いい覚悟だね、さすがデュークだ」
「当然だよ、君に負けるはずがない」
「そっくり返すよ、その言葉」
その瞬間だった。凄まじい衝撃音が走り、二つの影が激突した。何が起きているのか、恵は直視すら出来なかったものの、一瞬見える攻防が、それが自分たちでは到底割り込めない次元での戦いである事を理解させた。背中や腕、足、そして髪。あらゆるものがあらゆるものに変わる、奇想天外という言葉で現せるであろう戦いが起きていた。
そして、その戦いの中で恵やブランチたちの脳内にメッセージが届いた。
『すいません、場所を移動させます』
この言葉を読み取った瞬間、二つの影が闇に消えた。その直後、恵たちの横から、聞き慣れた声がした。
「お待たせしました、局長」
突然現れた三人目の男に、さすがの恵も警戒する。しかし、彼の傍に寄って来た黒猫は、そこにいる男が「デューク・マルト」本人であることを匂いで確信した。闇に消えた後、戦いに勝利した本物がタイムスリップし、戻って来たという。安心する恵の一方、彼の手の匂いを嗅ぎ、何かを言おうとしたブランチを、ウインクしながら人差し指を唇に当て、助手から言わないようにと無言の宣告をされた。当然だろう、これはさすがのブランチも言葉にしたくない事だ。闇に消えた後、どれくらいの月日が流れたか分からない勝負の勝者は、勿論本物。しかし、その結末は、「デューク」が「デューク・マルト」に脳内の回路を焼かれたというものであった。無論、「デューク」は時空改変を使う事が二度とできない。そして、そのまま彼は、自らの作った異次元の中に放置されたのである…。
脱出できる保証は、ない。
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一体あの偽者はなんだったのか。ベンチに座った恵とブランチの疑問に、彼女たちの前に立った燕尾服の男…デューク・マルトが言った。
「あれは…間違いなく僕たちを狙った刺客です」
以前、古代の鏡をも巻き込んだ大捕物を田舎で演じた事があるのは皆様も覚えている事だろう。その時、探偵局の面々を襲ったのは時空警察の男であった。ただ、デュークの掴んでいた裏情報によると彼は様々な組織、特に例の「犯罪組織」と非常に深い関わりがあったとされる。恐らく彼の失敗を受け、直接的に攻撃に出たのであろう、という。自分によく似た姿であった事に関しては、恵局長やブランチなどを罠にはめ、自分を陥れようとした作戦であろう、と話した。ただ、恵はどうも何か別の事を知っているような気がした。一応聞いてみようとしたのだが、それはいずれ分かる、と今回は保留にしておいた。彼の言うとおり、もうこの時代にデューク・マルトが潜伏しているという情報は敵に渡ってしまった。今後さらに強力な刺客が直接攻撃を狙うことは間違いない。今回のようなデュークと同等の力を持つ偽者が何度もやって来る事も有り得るのだ。
彼が姿をくらましたのも、そのためであった。これ以上恵たちの傍にいては、彼女たちも危険にさらしてしまう。その事を恐れていたのだ。自分のせいで恐るべき事態に巻き込んでしまう、被害者として…。
そのまま後ろを振り向いたデュークの名を、恵は一言厳しい口調で呼んだ。そして、振り向いた長髪の助手の頬に、局長のビンタが飛んだ。
「被害者の眼で、見ないでくれる?」
前に言った事を忘れたのか、そう彼女は言った。どんな危険な目に遭っても、自分は局長として見届けてやる。デューク・マルトと初めて出会った夜の街で、彼女が言った言葉だ。この街に探偵局を開き、自分の能力をフルに活用する。そのためなら、どんな事態も二人で乗り切ってやる、と。それに、今彼の身を預かっているのは一人だけでは無い。
ふと辺りを見回すと、そこにいたのはたくさんの命であった。もう「一人」の仲間、ブランチの頼もしい情報網だ。猫のみならず、カラスやスズメ、ハト、犬、さらにはトンビまで。眠い目をこすりながら、協力してくれたのである。
もう、彼は一人では無い。自分たちも、そして仲間たちもずっと彼の味方だ。例え姿は同じでも、デューク・マルトはただ一人である事を知っている者たちが、こんなに大勢いる。これほど頼もしい事は無いのではないか、と恵は言った。
「大丈夫、私たちは絶対に負けない」
どんな小さな用件でも絶対に本気で挑む、それが丸斗探偵局だ。
そう言った彼女は、ふと彼の目線が上の方を向いていた事に気がついた。礼を言う彼が、何故自分の方を振り向かないのか。その理由を恵は知っていた。彼は「神」ではなく一人の「人間」、仲間の前では見せられないものだってある。
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「え、あれ辞表だったの!?」
確かに辞表をいったん置いていた、とデュークは言った。しかし、そんなものは恵は一度も見ていない。ただ、何に入れたかと聞かれて彼が返した答えにようやく事態に気がついた。あの時の封筒の中身は、金一封では無かったのだ。
もっと分かりやすく書くべきだとちょっと怒る恵。誤解を招いてしまった事を謝りながら、デュークはふと思った。今回は確かに皆に迷惑をかけてしまった。何かお詫びは出来ないか、と。
彼の考えは、見事的中した。封筒の中身を、辞表から「お札の束」へと変えたのである。早速束を机の上に並べ、彼に感謝の言葉を言う恵。今まで探偵業をやって来た中で、これだけの大金は数回しか見た事が無い。さすがは未来人だ、と喜びを隠せない様子。
そんな中、机から落ちたお札の一枚を見て、ブランチが言った。
「へー、このお札って面白いですニャー。こども銀行ってとこで作ってるニャんて」
…次の日。ネコ屋敷に遊びに来た恵は、ブランチ「親分」とその仲間たち、そして屋敷の管理人である美紀さんと一緒に豪勢な食事を味わっていた。高級ステーキに高級お刺身、ブランド米に珍味のフルーツ。さらには最高級のマタタビまで。
勿論全部、デューク・マルトが財布の中身を犠牲に時空改変で出し、何人にも分身して必死に調理し、並べているというのは言うまでもない。しかも局長はまだしも、ブランチが猫のみならず、街の犬や鳥たちまでも口コミで広げてしまったからたまらない。ただ勘弁してくれと言っても、あのぬか喜びの怒りが収まらない局長が許してくれるのはもう少し時間がかかりそうだ。確かに時空改変でお金を出すなど言語道断だが、だからって…。
「おーいデュークさんまだですかニャー」
「こども銀行のデューク君、フルーツはまだかねー」
「ちょ、ちょっと待って下さい…もうそろそろ皆さん許して…というか皆さん僕の髪いじらないで下さい…」
「お金は重要だっての分かるまで許さないし流行らせない」「絶対ですニャ」
…涙目のデュークだが、やっぱりこのノリが彼をいつでも元気づけてくれると言う事を改めて感じた。この仲間たちとの関係は、ずっと維持していきたい、とも。
まぁさすがに今回のような事態はもうやらないと心に誓ったのだが。
――通信が途絶えた。どうやら…
――やられたか…やっぱりあそこの世界にいるのか…?
――だとしたら、どうして今まで…もしかして…!
――多分間違いないだろうね、「デューク」の事だ、やる事は決まっている。
――しばらくはあの時間を重点的に置こう。ただし、落ち着いていけ。相手が相手だからね…
「「「「「「「「「「「「「「「「大丈夫、分かってるよ」」」」」」」」」」」」」」」」
…ゴキブリは、1匹現れれば30匹はいる。