198.分身探偵・丸斗蛍 エピローグ・10 丸斗恵・リターンズ!⑤
普通、丸斗探偵局の丸斗恵局長はどんな無茶な依頼も基本的に受け入れ、真面目な調査から時空改変まであらゆる方法を駆使してほぼ100%依頼主の理想にあった結果を持ちだすという方針である。がめつい彼女は毎回報酬をそれなりに請求するものの、お金で支払ってもらう場合やその場の現物支給など、顧客や場合に応じて様々に使い分けている。
……そんな恵が、千尋からの依頼を断ったのである。
「め、恵さん……どうしてですか!?」
千尋以上に一番驚いていたのは、彼女から時空改変の指示が出るものとばかり思っていたデュークであった。自身の力を使えば、千尋が住んでいた元の世界に返す事は時間がかかっても可能なはず。それに、千尋ははっきりと「元の世界に帰る」と言う事を、自分の言葉で言っている。それなのに、何故『彼』の意志を妨害するような事を恵は言ったのだろうか。
恵さんらしくない、と言ったデュークだが、意外にも同じ言葉が恵から戻ってきた。
「デューク、何度も言ってたんじゃないの?自分の力を当てにしないで欲しいって」
「そ、そうですが……」
今回の場合は、ヴィオもスペードも手出しが出来ない、別の宇宙からの来訪者と言う問題になっている。だからこそ、自身が必要なのではないか、とデュークは彼女の言い分に反発をした。それにつられるかのように、千尋もデューク「先輩」に協力して欲しい、と言った。彼の力があれば、自分は元の世界に帰る事が出来るし、元の男性の体に戻る事だって出来る……
「……でも、本当にそうかしら?」
そう言いながら、静かに恵は微笑みを見せた。まるで、遠い昔の思い出を頭に浮かべているかのように。そして、その表情のまま彼女はデュークに視点を向けた。その瞬間、文字通り彼女の思考を読みとった彼は、恵「局長」の思いを理解し、驚きと簡単が混じったかのように静かに口を開け、納得するかのような表情を見せた。
ほんの僅かな時間の間に事態が進んだことに気付かない千尋に、恵は静かに語り始めた。
「ケイちゃん……蛍ちゃんって、ああ見えて結構弱虫で泣き虫なのよね」
「え……?」
そんな話、今まで千尋は一度も聞いた事は無かった。いつも怠けてさぼってばかりのヴィオやスペードに怒鳴り散らしたり、困っている自分やコウに優しく接したり、時にはこの世界やこの身体に慣れない自分を積極的に……少しやりすぎというくらいにサポートし続けている、しっかり者で頼りがいのあるあの蛍局長が、『弱虫』で『泣き虫』だなんて、考えた事も無かった。しかし、彼女の言葉にデュークも相槌をしっかりと打っている。
そして、恵は語り始めた。彼女とデュークが、この探偵局を後にした前日の事を。
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時空警察からの依頼を受け入れ、新たに『異次元支局』を立ち上げる。そして、恵とデュークはそちらに移転する。
当然ながら、その発案に関してはミコや栄司などから批判が多く飛び出した。ただ、この二人やクリス捜査官の説得で、何とかこの界隈の面々も一部しぶしぶながらも全員納得させる事が出来た。しかし、この二人の力でも、探偵局の今まで共に過ごしてきた仲間たちにそれを受け入れさせる、というのは難しかった。特に、自分の意志を簡単には曲げない彼女の場合は……
「……」
既に『異次元支局』という新たな部署が完成する事、そして彼女……丸斗蛍が、この場所を受け継ぐ、という事は変えられない規定事項となっていた。ヴィオやスペードも、新しい職場に慣れるためにこの探偵局にお邪魔し、デュークにちょっかいを出して遊ぶ日々を過ごしていた。ちなみに『もう一人』のメンバーであるコウの元になった犬の玩具が発見されるのはこの数か月後である。
全員とも、この事実を何らかの形で受け入れたものとばかり考えてしまった。だが、今回一番立場が大きく変わるであろう蛍の表情は、どうしてもお祝いのムードに変える事は出来なかったのである。
「ホタル、ニャに不機嫌な顔してるんだニャー?」
「……あ、ブランチ先輩」
椅子に静かに座る彼女の脚に、先輩格である黒猫のブランチがすり寄って来た。生足に直接毛並みの感触を味わう形、くすぐったいと言いつつも、蛍は大丈夫だ、とブランチ先輩に言った。普通ならここで「ふーん」で終わるはずの話だったのだが、今回だけは違った。彼は食い下がったのである。
「ホタル、今日が新入り時代の最後なんだニャー。言いたい事しっかりと……」
「い、いえ大丈夫です……そうですよね、明日から私がこの場所を……」
「そうだニャー」
……でも、そんな調子で、本当に『局長』になれるのか。
「そんな事分からないじゃないですか!!」
……突然の大声に、探偵局の空気は一瞬だけその時の刻みを止めた。一同の視線が、一斉に蛍の元へと向かう。戸惑ってしまった蛍だが、彼女は静かに言い始めた。
確かに、あの時は自分の意志で新たな『探偵局長』になる、と言った。恵局長もデューク先輩もこの場所を去り、ブランチ先輩もいつかは動物たちの元へ帰る事になる。だから、だれにも頼る事が出来なくなる前に、自分の力でこの場所を守って行こう、そう思った……はずなのに、何故頭の中には後悔ばかりが渦巻いているのだろうか。
「どうして、なんですかね……。私、しっかりと皆さんに言ったはずなのに……」
一度言った事は、最後までやり遂げる。それが自分のはず。ここで立ち止まる訳にはいかないのに、どうしてそんな事を思ってしまうのだろうか。次第に蛍の顔はうつむき始め、その瞳の周辺の肌は赤色を帯び始めていた。そして鼻をすする音も、彼女の方から聞こえ始めていた。
蛍が何を考えているか、きょとんとした顔のヴィオとスペードとは対照的に、残りの三名……探偵局の先輩たちには察する事が出来た。真面目で真実一途、自分の考えは曲げない、そういう意志の元に行動し続けている彼女が、自分の口から弱音を吐くなんて言う事は有り得ないだろう。ただ、それが「弱音」に値するかどうかは、彼女の基準よりも第三者が見定めた方が、今後に生かした展開を創る事が出来るものである。自分の殻に自身で閉じこもるよりも、その硬い殻を打ち破る進化のきっかけを与える方が、これから待ち受けるであろう試練に立ち向かうには良いのだから。
静かにうつむく彼女の両肩に、恵は静かに自分の手を置いた。そして、少し背の低い彼女の目線へと自分の頭を下げた。蛍にとっては、丸斗恵は局長であり、先輩であり、そして戸籍上では『姉』という存在。彼女にとっては、『外』の世界で初めて出会った、自分自身以外の人物である。普段は怠け者の彼女に怒ったり注意したりしてばかりの蛍だが、どうしても恵には勝てない、そう思っていた。そして、今回も……
「ケイちゃん、はっきり言った方がすっきりするわよ」
今日が、『最後』の日なのだから。
その言葉を聞いた瞬間、蛍は自分の心の鍵を解いた。あっという間に、彼女の顔は涙や悲しみで溢れ出した。本当は怖かった、局長になんてなりたくない、ずっと仲間たちと一緒にいたい。自分に探偵局なんて背負っていけない。無理だ、絶対に無理。局長なんてやめないで、一緒にいて……。
目からあふれ出る水流と共に、今までずっと我慢し続けた言葉が一斉に出てきた。もうこれからの未来を変えることなんて出来ない。恵局長やデューク先輩の新たな出発を祝う、その『建前』の裏で、ずっと彼女は耐え続けてきた。ブランチたちのような他人から見ると何でもない事かもしれないが、蛍にとってはまさに自分の命を左右する出来事のようなものだったのである……。
恵の胸元で、蛍は大声をあげて泣き続けた。その様子に、彼女の「部下」となるヴィオとスペードは近づこうとしたが、二人の手は、傍らに現れた二人の恵局長によって止められた。
「二人には悪いけど……」「『今日』だけは、新入りで居させてあげて」
デューク・マルトは、恐らくこれからしばらく見ない事になるであろう丸斗探偵局の『本部』を、まるで見納めするかのように優しい目線でじっくりと眺めている。泣きじゃくる蛍の頭を優しく撫でている恵局長と同じ、どこか哀愁を漂わせる、懐かしいものを見続けているような瞳だ。その彼の目線の下には、探偵局を流れる空気についもらい泣きしているブランチの姿があった。しばらくは彼が蛍『局長』のサポートをする事になっており、彼自身も動物の親分である経験を活かすというやる気に満ち溢れていた。とは言え、やはりお調子者で楽天家の彼も「別れ」のムードには弱いようだ。
その様子を見て、ヴィオとスペードは納得した。
「了解です、恵さん」「じゃ、僕たちも『今日』だけはお客さんでいるっすよ」
いくら態度がでかい彼らでも、やはり元の記憶に眠る自分たちの『ボス』と同等の存在である恵相手には敬語がつい出てしまうようである。
そして、泣き疲れて静かに眠りに就いた蛍を見ながら、恵は彼女を起こさないよう、少し小さめの声で「蛍局長」の部下二人に言った。蛍をこうやって受け止める事が出来るのは、自分にとってこれが最後である、と。
「明日から、ここは貴方達の場所になる。だから、ケイちゃん……ううん、蛍『局長』を……」
一瞬だけ、彼女にも寂しい、悲しい気分が込み上げてきた。でも……
「大丈夫っすよ!」「僕たちに任せてください!」
頼もしい、そして少々大きい声に、そう言うネガティブな気分は吹き飛んだ。慌てて目頭を拭きとり、目覚めた蛍たちに、皆は改めて明るく優しい笑顔を送った。
丸斗探偵局……局長:丸斗恵、助手:デューク・マルト、探偵兼ペット(名義上):ブランチ、新入り探偵:丸斗蛍……
探偵局の最後の夜は、明るい思い出話と、これからの抱負に包まれた。そして、次の日……
「なんで最後の最後まで遅刻するんですか!」「そうですよ恵さん!」
「逆に私が聞きたいわよ!なんでケイちゃんそんなに朝早く起きれるのよ!」
……集合時間を大幅に過ぎた朝10時の、恒例のやり取りと共に。