192.増殖探偵・丸斗恵 エピローグ・4 ミコと栄司とブランチ
「だーかーらー謝ってるじゃないのよー!」
「仕方ないですよ局長、朝も昼も遅刻してばっかりじゃ信頼も無くなりますって」
「そうじゃメグはん、全然変わっとらんからに……」
「ミコ、お前も遅刻しただろうが」
「そうですニャ!」
「あんたが一番遅れたんじゃないのよ」
昼時の町は、スーツ姿の人たちやカップルでいつも賑やか。あちこちの食堂でも美味しそうな音が聞こえてくるような気がする。そんな町の大通りを、二人の男性と二人の女性、そして燕尾服の男性に抱き抱えられた一匹の黒猫が歩いていた。言葉のやり取りはまるで言い争いのようだが、その表情はどこか晴々として明るい。一年ぶりの再会を懐かしみ、そして楽しむかのように、互いに本音をぶつけ合っての会話を続けていた。
会話の中身通り、皆が集まると約束していた時間を守ったのはデュークと栄司だけ。残りの三名はそれなりの言い訳付きで堂々と遅れてやってきていた。ただ、ある程度そうなる事は長年の付き合いから察していたようで、目的地の予約は余裕を持ってつけていた。彼らが向かっているのは、ミコが栄司から勧められたという定食屋。カウンター式の和風レストランといった様相のようで、何よりも動物であるブランチも入店が可能という点で予約を決めたと言う。食欲旺盛な恵は言うまでもなく、あまりそう言う場所を知らないデュークも興味津々の様子である。
「えーと、確かこの通りを……」
「右だ、この狭い通りの中にある」
栄司の言うとおり、確かに自動車も通れないくらいに狭い道だ。誰も聞いた事がないという事から、よほどの隠れた穴場に違いない。そう恵は考えていた。ただ、そう思った時、ふと脳内に一つの違和感がよぎった。確かにこの町で生まれ育った栄司なら、そのような場所は分かるかもしれない。ペットも可能な店というのも非常に少ないし、こういった店に絞られる理由も分かる。とは言え、何故栄司はこの店をミコに強く勧めていたのだろうか……?
どこか脳裏に嫌な予感も起こり始めた彼女の考えは、ある意味「悪い」方向に的中してしまった。小さな看板と「臨時休業」の立て札が見える店の前に立ち、引き戸を乱暴に開いた栄司とそれに続く一同が目にしたものは……
「「よう、お前ら」」
……割烹着に身を包んだ、二人の栄司だった。
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「結局いつも通りの展開なのね……」
有田栄司が営む、和食専門の定食屋。そのカウンターで注文した品を待ちながら、恵はため息をついていた。せっかく町の美味しい料亭でのんびり昼食を食べながら会話すると言う機会なのに、結局は栄司の掌の上、というのが少し気にくわないようである。とは言え、ブランチもそのまま一緒に入れる料理店は彼の事をよく知るこの場所くらいしかないし、それに自分たちの「秘密」をおおっぴらに披露できるとなると、やはり選択肢は限られてしまうようである。
「ま、美味きゃええんじゃ美味きゃ」
ミコの言う通りかもしれない。味が良くて安全なら、どんな場所でも一応は言う事無し。それに相手は信頼を糧に生きている有田栄司だ、期待を裏切るような事はしないだろう。そう考えながら恵は腹を鳴らしながら頷いた。双方ともお腹が空いているようだ。彼女が得意とする「増殖能力」を駆使して何杯も食べるというのは可能なのだが、元の一人に戻った時の対処が大変という理由で、こういう食事時は基本的に恵は一人のままでいる事が多い。それは栄司の方も同じなのだが、彼の場合は元から何人にも増殖してあちこちに散らばっている。つまり……
「デューク、今どういう感じだ?」「お前の所も随分大変だろうな」「あの連中だからなー」「全くだ」
「な、何とか上手く行ってますよ……」
数人の彼に絡まれて、さすがのデュークも久しぶり過ぎて少々慣れるのに時間がかかっている様子である。
栄司は冷酷な男だ。自分の大事な身内の仇であるはずの男とも、今やこのように仲睦まじく話している。彼を動かしているのは、自分の心情よりも「信頼」「価値」である……と、栄司自身はそう信じている。ただ、その本心は案外感情に流されやすい所が多いのかもしれない。そうでなければ、悪口も平気で言い合えるような「信頼」関係は築けないものだから。
全ての真実が明かされてから、既に数年が経っている。
「ほんほ、みんなかわっははよへあぢぢぢ!」
「局長、急いで食べて話すからですよ……」
「何やっとんじゃメグはん」
何とか水を飲んで、口に広がるカツ丼のカツの熱さを恵は耐え凌いだ。幸い舌にやけどを負う事は無かったものの、食事は一時中断せざるを得なくなったようである。久々に会っても全然変わっていない恵に呆れるミコ。彼女の方も、昔と変わらず各地を愛車で周り、機密情報やプライバシーを狙う盗聴犯の野望を自慢の予知能力で食い止めていると言う。ただ、その外見の方は過去に会った頃と比べてだいぶ変わっていた。後ろで結っていた髪を下ろし、金髪に染めた髪も一部分を元の黒色にしている。丁度彼女の兄であるシンと似たような感じの格好だ。服装も以前のタンクトップでは無くワイシャツにジーンズというスタイルだ。相変わらずラフな格好なのは変わりないが。
一方の栄司はと言うと、逆にほぼ変化は見られない。童顔というのは案外何年も同じような状態を維持するようで、まるで年齢を混乱させるような様相だ。彼もまた相変わらず各地で勢力を拡大し、以前通り営利を貪ったり悪人から甘い汁を吸い上げたりしてマイペースに過ごしていると言う。
「そういえば栄司の知り合いの……」
「ああ、あいつも元気だ」「あちこち飛び回って宇宙関連の芸術品を集めてるぞ」
そして仕事柄、栄司の周りには探偵局以外にも信頼関係を持つ仲間が多くなっている。富豪から会社の後輩まで、様々な人材を自分の手中に収めているようだ。
「栄司さんもミコさんも、お元気そうでなによりです」
「まあの、うちみたいな貴重な人材がくたばっちゃたまらんけぇね」
「お前が風邪引かないのは」「「単にアレなだけだろ」」
「言葉隠されると逆に腹立つわ!つーかユニゾン鬱陶しい!」
またもや始まってしまいそうな口喧嘩を、まあまあとブランチが止めた。彼の目の前にはにぼしやご飯、そしてヒレカツをふんだんに使った豪華なネコマンマが入った皿が、既に半分ほどその底を覗かせている。
丸斗探偵局が、本部と異次元の二つに分かれる事を知った当初、ブランチはそのまま本部に残留する事を決めた。恵やデュークも、新たな局長である蛍を支援するには彼の存在が不可欠である事をよく知っていた。動物の親分として、慣れない局長生活を助ける決意を固めていたのである。しかし、その考えを揺らぐような事件が起きた。町の動物たちの意見を集約し、最適な選択の導きをするというのが「親分」の役割なのだが、それを巡って動物たちが紛糾してしまったのである。全員ともブランチは既に探偵局の一員であると考えていた事もあり、彼なしでもやっていけると想定していたのだが、そう甘くは無かったようだ。
数羽のカラスがイヌやネコと白昼の道路で喧嘩するという事態にまで発展し、栄司からその話題を聞いたブランチは、ある決意を固めた。
「『名誉顧問』って言う立場、よく思いついたわね」
「コウが見せてくれたインターネットに書いてあったんですニャ」
蛍たち探偵局の面々を後方から支援するという肩書きはそのままに、現在の彼はかつての住居である美紀さんの家に戻り、動物たちの「親分」として再び君臨している。とは言え以前のように差別などはせず、全員の意見をしっかりと聞いたうえで判断を下している。時には自分の方から蛍たちに相談をしたり、栄司に助言を求める事もあるようだ。ただ……
「……ねえデューク、今思ったんだけど……」
「ええ、僕も同意見です。
ブランチ、どこか太ったか?」
「にゃ、ニャハハハハ、ただの見間違いですニャ……」
だが、栄司とミコに呆気なく彼の嘘はばらされた。探偵局でいつもゴロゴロ、本拠地でもいつもゴロゴロ。美味しい餌がどこでも食べられる状況で運動不足気味になってしまい、体重が少し増えてしまったのである。改めて先輩格であるデュークに指摘されて落ち込む彼。時空改変で何とかしてくれと頼んだブランチに、意外にもデュークは快く応じてくれた。あの真面目な助手が、と驚く一同だが、その理由はすぐに分かった。
「ニャニャ!?オレのネコマンマがニャい!」
「なるほど、腹八分目だな」
「やっぱりデュークの事だから裏があると思ったわ……」
「う、裏というか何と言うか……」
「ガックシですニャ……」
……時空改変は、あらゆるものを思い通りに操作できる。食べかけの豪華なネコマンマを一瞬で空にしてしまう事も。
どうやらしばらくブランチは食事制限と運動が必要になったようだ。とは言えまだ「よく見ると」太った、という程なので真剣に取り組めばすぐに元の体に戻るだろう、と告げたデュークの言葉に、首輪を輝かせながらブランチはやる気を取り戻したようである。
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さて、そんな感じで一同が盛り上がる中で、栄司が予約表に目を向け、ある事に気がついた。
今回店の中にいるのは、自分を除いて4人。恵にデューク、ミコ、そして黒猫のブランチ。恵本人はこの店では増殖能力を使わないと事前に連絡しているため、数に変動はないはずである。それなのに、彼らから連絡があった人数は『六人』である。ちょうどデュークの両端に、誰も座っていない空席があるのだ。先程まで恵が落ち着きなく座って彼に注意されていたのだが。
「誰か遅れて来るのか?」
そう彼に言われて、気付いたかのようにデュークは燕尾服のポケットから何かを取り出した。まるでトランプのカードのような黒く薄い『紙』のようなものが、透明なプラスチックのケースに何十枚も敷き詰められている。一体何を始めるつもりなのか、想像もつかない様子のミコや栄司、ブランチの一方で、デュークは何か恵に目線で合図を送っていた。彼曰く、「局長」の許可がないとこのケースの蓋を開ける事すら出来ないと言うのだ。このカードがそこまで厳重に保護されている意味は、その後すぐに分かった。
表面の二枚のを取り出し、デュークはそれを宙に浮かべた。空を舞いながら黒のカードはそれぞれ予約していた席の上に落ち、そして次の瞬間その場所にまるでテレポートされるかのように、二つの人影が姿を現した。双方とも全く同じ姿……黒の燕尾服に黒い長髪、そして黒縁眼鏡の美青年だ。そしてその外見は、まさに中央に座るデューク・マルトそのものである。
「め、メグはん、まさかこいつら……」
予知能力を働かせたミコが驚くのも無理は無い。何せ彼女たちは過去に、彼らに散々な目に遭わされた過去があるのである。
「「お久しぶりです、皆さん」」
美声を揃えて挨拶をする二人のデューク。彼らは過去に、何度も探偵局や仲間たちと敵対し、苦戦させてきた相手なのだから。