191.増殖探偵・丸斗恵 エピローグ・3 恵と「メグミ」
犯罪組織の大ボスであったメグミ・マルトと、彼女を基に作られた丸斗恵の最初で最後の激闘は、二人にとって予想外の結末で終わった。外部でまき散らされた、増殖能力に直撃し、その能力を持つ者を消し去る「増殖抑制因子」の伝搬を受けたメグミ・マルトの何兆何京もの分身が一斉に消滅。その際のダメージが、唯一その力を受けない場所にいた彼女に集中してしまったのだ。その時のダメージは非常に大きく、「犯罪組織」の根城が崩れ落ちる時には、誰かに肩を支えてもらえないと立ち上がれないほどの衰弱を見せてしまっていた。
その表情を見た時、恵はある事を思い出した。デュークによって創られた存在である事を知り絶望しきっていた自分を、自らの秘密を暴露すると同時に励ましてくれたおばちゃんの言葉である。
「あの時のあれ、今も覚えてるわ」
敵を完全に消滅させる事も、確かにちゃんとした勝利かもしれない。そっちの方がすっきりするし、結果も明白だからである。
しかし、それよりももっと確実で、もっとレベルの高い勝利の方法がある。それは、相手を『許す』事だ。当然、相手に塩を与えると言う意味合いでは無い。敵が屈服し、自分自身に二度と逆らえないという状況を生み出したうえで、それまでのものを帳消しにする。相手を滅ぼしたい、消し去りたいと言う気分を自ら抑え、相手の存在を認める。相手では無く、自分自身にも打ち勝つことが証明できる、それが『許す』という勝利である。
「……今更だけどさ」「あれって、絶対……」
「お察しのとおりよ?」「『私の所』の栄司から、ずっと昔に聞いた言葉よ」
目の前の腹が立つ相手、癪に障る相手を潰すのではなく、自分自身の掌に置き、いつでも潰せると言う脅しを多方面から掛けて屈服させる。自分を無限に増やし続け、社会の各地に根を張り続ける男、有田栄司の常套手段である。ただしこれを行うには、それなりの実力と権力が必要なのは言うまでもないが。
彼の場合はあくまで「潰したい」という心を静めた上での考えだったが、あの時の恵はそれとは異なっていた。目の前の、今にも枯れてしまいそうな自分自身と同じ顔……幾ら相手が極悪人でも、どうしても甘さというのものは出てしまうものだ。そして彼女は、自らの感情のままデュークを振りきり、崩れゆく根城へと駆け戻ったのである……。
「……で、その本人は?」
すなわち、この場所でメグミ・マルトと会えるのか、というおばちゃんからの質問に、周りを囲む恵たちは一旦顔を合わせた。一応出せるという回答なのだが、やはり相手は大犯罪者、それなりの制限と言うのはあるようで、あれほど部屋を囲んでいた彼女はいつの間にやら一人に戻っていた。どうやらそうしないとメグミ・マルトを分離する事は出来ないようである。
そして次の瞬間、恵は「三人」に増えた。恵局長と恵捜査官は双方とも同じ衣装……紫色のスーツにクリーム色のワイシャツ、下はぴっちりした濃い青色のジーンズという姿である。しかし、その二人の間に現れた三人目の存在は、全く違う服装だった。白のワイシャツに紫色のネクタイ、そして黒いスーツ用のズボン……「犯罪組織」の大ボスの頃から、ずっと変わらぬメグミ・マルトの衣装であり、現在の彼女にとっての囚人服である。勿論時空改変で服は清潔さを保ち続けているのだが。
「この人……が?」
「そう、噂の銭湯のおばちゃん」「本名は丸斗恵よ」
崩れ落ちる根城の中で、オリジナルの自分を助けに来た恵と彼女を助けに来たデュークが取った方法は、もう一人の自分自身と融合する事だった。元々時空改変能力を持つデューク・マルトは勿論、恵側も遺伝子の構造など様々な面で同一だったために出来た荒技だった。そしてこうすれば、増殖抑制因子が効かない自分の体の中でもう一人の自分が生き続ける事が出来る、そう考えたのである。
結果として、その判断は正しかった。ただ、二人とも時間が経った後にそのまま分離する事を考慮していたのだが、デュークが薄々予感していた通り、時空警察から舞い込んだ指令および依頼は、二人の大犯罪者をそのまま「二人」の中に封じ込める、という判断であった。裁判を行おうとも、結局彼らの思い通りになってしまう可能性が極めて高い。そうなれば、一番扱いの慣れている面々に任せた方が良い、という一種の責任放棄にも聞こえてしまう内容だった。とは言え、デュークに関しては一応拘束力もある「命令」なので、結局は従わざるを得なかった……いや、今となってはそういったネガティブな内容では無く、むしろ二人にとっては都合が良い事態が起きている。融合したと言う事は相手の能力が「自分自身」にもフィードされるという結果にも繋がったからである。
「そういえば、大丈夫なの?そんなに簡単に出しちゃって」
「大丈夫よ、一応私捜査官だし」「それに判断は、私次第だからね」
「……そういう感じ、みたいね。おばさん」
おばちゃんで大丈夫だと言いつつ、改めて彼女は目の前にいる三人目の自分の姿を見た。今のメグミ・マルトには、過去の「犯罪組織」のボスという面影は残されていない。自分自身と同じ、「丸斗恵」だ。しかし、どこかその表情に儚げなものも見え隠れしていた。口調もどこか言葉を選ぶような、悪く言ってしまうとどこか体調が弱そうな時の言い方だ。
そして、その予想は正しかった。ずっと椅子に座っていたメグミ・マルトは、立ち上がるや否やめまいを起こしてしまったのである。慌てて恵たちが体を支え、何とか元の体勢を取り戻す事が出来た。あの時のダメージは、郷ノ川医師やデュークの考え以上に凄まじく、今も体の弱さという形で表れてしまっている。ただ、時空改変を使ってもらうと言う手段は彼女自身が断った。今までずっとデュークたちに頼ってばかりだった彼女は、少しづつ恵たちと同じような考えを抱くようになっていたのである。と言うよりも、むしろ彼女たちへの「同化」が進んでいる……のかもしれない。はっきりとした事は、まだ分からないが。
そんな三人の若き自分自身を見ながら、おばちゃんは羨ましいな、と独り言のように呟いた。一瞬、何の事か三人は分からなかったものの、次第に以前の言葉などの手がかりから、その理由が掴めてきた。
「……そうか、おばちゃんの所だと、私は……」
メグミ・マルトは少し切なげな口調で言った。すぐにおばちゃんは気にしないで欲しい、と言ってくれたものの、一度そのような事を言われてしまうとやはりその衝撃は大きかったようであある。
あの時……おばちゃんが「丸斗探偵局局長・丸斗恵」だった時、彼女は見捨ててしまったのだ。苦しむ自分やデュークの顔を、二度と見たくないという一心で、もう一人の存在から目をそらし、助手であるデュークと共に逃げ出したのである。
「なんか、あの時のアドバイスも、結局私のわがままなのよね……」
新しい未来を見たい。自分の犯したミスを防いだ未来を……
「……でも、今の選択に、後悔はしてない。でしょ?」
暗い気分で包まれかけていた場所を解いたのは、二つの未来の鍵となった女性……メグミ・マルトであった。
失敗してもそこで止まることなく、それを解決しようと、解決せずともせめて自分自身が納得できる形で終わらせたい。その努力の先に、この三人がいるのではないか。少しゆっくりとした言葉を選ぶような口調だったが、その言葉自体はとても強かった。今、丸斗恵の未来は全て明るい方向へ動こうとしているのである。
「そうよね、おばちゃんも結局私だもん」「ウジウジ悩むなんて」
「「私らしくないよねー」」
……結局は、ここに行きつくのかもしれない。
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そんなこんなで盛り上がり続けた四人の恵の会話に終止符を打ったのは、壁掛け時計の鳴らす大きな音であった。その時間を見た時、恵局長と恵捜査官の顔がぎょっとした。
事前に連絡したおばちゃんも、当然自分自身と融合しているメグミ・マルトも、この後デュークらと合流し、昼飯を食べるという約束があるのは知っている。ミコ曰く、栄司がお勧めの安くて美味い定食屋に連れて行ってくれると言うのである。当然あの話題を持ちかけられた時は全然大丈夫だ、という返事を返したのだが、その後がまずかった。あの時皆で約束した時間よりも、時計の針はずっと「未来」の時間を指し示していたのである。
「ま、まずいわね……」
「キャンセル料、とか?」
「それもあるけど、デュークと栄司よ、あの二人……」
……自分が悪いという発想は、やはり恵には無いようである。
ともかく、急いでこの家を出発し、皆の待つ公園に向かわないといけない。おばちゃんの目の前で、三人の恵は一人に戻ったり、かと思えば時数人に増えて準備を始めたり、あっという間に部屋の中は慌ただしくなってしまった。焦りは禁物だ、と言うおばちゃんだが、正直焦らないといけない時間でもある。
「じゃ、じゃあまた遊びに来るから!」
「今度は銭湯にでも入りに来てねー」
「りょ、了解!」
こうして、1年ぶりの対話の時間はドタバタの状況で過ぎ去って行ったのである。
……やれやれ、何だかんだで無事に着いたみたいね。やっぱり皆に怒られちゃってるみたいだけど。
ま、本当は私があそこでやれ遅刻するなーとか時間管理がなってなーいって怒らなきゃならないのかもしれないけど、ぶっちゃけあれは蛍ちゃんとかデュークとか栄司の仕事だからね。私はマイペースに自分の仕事をこなすだけだもん。
でも、もっと話したかったな……まあこれからは忙しくないみたいだし、度々訪れてくれるかな、この場所。
さて、そろそろいい時間かな。
恵ちゃんたちのためにも準備はしておいたけど、本当はもう一人、今日この場所を訪れる人がいる。あの「私」には内緒の話だけどね。……あー、でもヒントは与えちゃったし、察知はしてるかもしれないわね。私がどうして、こんな『時空改変』が使えるか、って言う事とか、私がどうやってこの世界にやってきたか、とか。
あっちも一年ぶりだったけど、こっちは何年振りだっけ……えーと……
「3年ぶりだよ」
のわあああ、び、びっくりした!いきなり傍に現れないでよもう!!びっくりするじゃないのよ!!!
「い、痛い痛い!髪の毛引っ張らないで!僕が悪かった、ごめんなさいごめんなさい……」
もー、相変わらず私の心が分からない人なんだから……。
「そんな事言っても……まあさっきのは僕も悪かったけどさ……」
いやー、でもなんかこうやって貴方に文句言うとすっきりするわねー。
「もう、そういうのは全然変わってないんだから……。
でも、本当にこういうのも久しぶりだね」
……あれから元気にしてた?
「まあね、色んな所を巡り歩いてきたよ。話が長くなるから、後でじっくり話すさ。
それより、そっちの『時空改変』の方はどう?」
全然大丈夫よ。だってほら、こうやっていつでも若い私でいられるもんねー。
「ふふ、良かった」
……じゃ、改めて。
お帰り、デューク。
「ただいま、恵」