179.最終章 帰還
「お、おい……」『どうなのだ……』
「駄目っす……」「異世界の反応が……」「途絶えようとしています」
数年前まで様々な物が作られ続け、現在もなおその痕跡を残し続ける町の廃工場。放棄され、未だに解体の話も出ていない建物中に、数十もの影が映っていた。しかし、その全員を包み込むのは、悲しみにも苦しみにも、そしてその中でも必死に希望を見つけようとする気持ちであった。
松山から駆けつけた化け狸の親分さんが化けた飛行船が探偵局や仲間たちを乗せ、長い亜空間を抜けてこの場所に現れたのは、皆にとっては半日にも及ぶ長い時間。しかし、この場所においては出発してからそんなに時間は経過していなかった。その理由は全員ともある程度は承知していた。偽者のデューク・マルトの大群に襲撃を受け、逃亡を続けていたあの「町」は跡形も無く消え去り、外は外は平穏を取り戻している。ヴィオたち三人やクリス捜査官が指摘したとおり、やはりあれも『犯罪組織』が創り出した広大な異次元空間の内部だったのだろう。長い戦いに勝利した今、もはやその空間は必要が無くなり、何もかもが元通りになったという事だ。
しかし、一行の気分が明るくなる事は一切無かった。無事この場所にたどり着いてから十数分経つにもかかわらず、今回の勝利に関して最も関わったであろう「二人」との連絡が全く出来ない状態にいるのである。
「デュークさん……」
「恵殿……」
あの時、数分間の沈黙の後、はっきりとした少し明るめの口調でデューク・マルトは言った。別のルートを使って、恵局長と一緒に、この場所に戻ってくる。だから心配はいらない、先に脱出して欲しい、と。どんなことが有ろうと必ず成功させてしまう彼らの事であるから、きっと先回りして待ち構えている事だろう。あの時は彼らはそう思っていた。そうあって欲しい、とも思っていたのだ。
だが、あれからいくら待っても二人は戻ってこない。それどころか、先程までいた犯罪組織の『本拠地』の反応すら消えようとしていたのだ。いや、既に……
「……くっ……!」
三人の「デューク」の顔が、苦悩の表情に変わった。彼らの脳裏には、遥か彼方にある一つの異次元、一つの宇宙の様子が映し出されていた。物体どころか物理法則すら消え、浮かぶのは形を成さない微小な粒子だけ。一切のルールも崩壊した、ただそこに存在するのみの、まさに「無」とも言っても良い空間がそこにはあった。どことも繋がりが無くなり、浮かび続けるだけの小さなシャボン玉のような場所。
何が見えたのか、言う必要は無かった。全員とも、心の中に一つの同じ未来像を創り出し、それを必死に否定しようとしていた。だが、その未来が真実であるという証拠が、無慈悲にも露になってしまったのだ。
「嘘だニャ!!」
「ソ、ソウダヨ!嘘ダヨ!」
ブランチとサイカの大声が、絶対それを信じないという必死な心を十分すぎるほど示していた。あの二人……完全無敵のデューク・マルトと、ど根性の丸斗恵がこのような事で……。
だが、三人の「デューク」の計測結果に誤りはなかった。何度やっても、結果は同じであった。
「……本当なのか……?」
女性陣の目に薄らと涙が見え始めている一方で、静かな口調ながらも手を強く握り、やり場のない怒りを必死に栄司は抑えていた。
自分も確かに無茶をよく行ってきた。しかし、その裏には必ずいざという時のための命綱をつけていた。彼の場合、それは法律や憲法と言った威厳、自分が無数にいると言う能力にあたる。しかし今回、恵もデュークも自らそれを切ったのだ。頭に浮かぶ言葉は彼らに対する悪口ばかり。だが、その心は少しづつだが悲しみに包まれ始めていた。
絶対に生きている。信じろ。次第に皆が一つの未来に確信を持ってしまいそうな中でも、予知能力者であり、「勝利の女神」ともなったミコは必死に祈り、大声で訴え続けていた。あの恵が、あのデュークが、そんな事で……。だが、それでも表情は明るくなる事はなかった。蛍やサイカに至っては、既に涙を流し、小声で泣き始めている。
――やはり、もう駄目なのか。
……ミコが一瞬、絶望に心を奪われかけた、まさにその時であった。外でけたたましい物音が聞こえたのは。
確かそちらには、この工場で使われていた廃材が置かれていた場所のはず。皆の心の中から絶望は一気に薄れ、その代わりもう一つの未来に賭ける気持ちが凄まじい速さで高まり始めた。
そして、外に現れたのは……
「…っっっデューク!!着地場所くらい考えなさいよ!」
「す、すいません…って痛い痛い!ゲンコツで叩かないでください!」
「うるさいわね!私はこれ以上に痛いのよ全く!」
「だ、だって……
あれ、皆さん……?」
「ど、どうもこんにちは……」
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狸の親分は、仲間たちの様子を見ながら奥さんの肩をしっかりと抱き、健闘をたたえた。
それに応え、奥さんも。留守番していた息子やカワウソ兄弟にはどうこの状況を説明しようか、ちょっと嬉しい悩みも持ちながら。
そんな狸の夫婦に、改めてエルはお礼を言った。まだその顔には、涙の跡が残っていた。
彼女の傍らには、大柄な体の夫が静かに肩を寄せている。ドンもまた、今回の騒動で活躍した仲間の一人だ。
勿論、化けアナグマであるジュンタも忘れてはいけない。握手を求められた狸の親分の握力に驚いた様子だったが。
スペードは、笑いながら自分の生みの親の背中に抱きかかった。
バランスを崩す彼に追い打ちをかけるかのように、今度はヴィオも。
そしてその横からそっとメックも歩み寄り、彼らのオリジナルはまさに文字通りもみくちゃという状態だ。
それをまあまあと抑えつけようとしたのはカラス。
しかし、イワサザイはそれを止めた。自分たちが毛づくろいをするように、彼らなりの愛情表現なのだ、と。
コウモリ夫婦や老犬と言った町の動物たちも納得した。彼らも彼らなりに、遠吠えやハグで喜びを表現しあっていた。
親友のそばで、サイカも声を挙げて大泣きしていた。慣れない状態の中、彼女もまた必死に戦い続けてきた。
その近くでは、ミコが喜びを体で示していた。危うくやりすぎて大事な友人のバランスを崩させるところだったようだが。
一行から少し離れた所で郷ノ川医師はやり取りをにこやかに眺めていた。龍之介に話す種がたくさん増えてしまったようだ。
そんな彼に、栄司が近づいてきた。今回勝負の決着をつけるきっかけを作った存在に、礼を言うためである。
二人の横でクリス捜査官は、一息つきながら満面の笑みを見せた。歴史が変わる瞬間を目撃した喜びも含めて。
蛍は先程からずっと泣きやまない。それもそうだろう、仲間が生きていたからである。
こっそりブランチも、下から仲間に抱きつき、体を擦りよらせながら大泣きしている。
…そんな仲間たちに囲まれながら、丸斗探偵局局長丸斗恵と、丸斗探偵局助手デューク・マルトは互いを見つめ合い、そして笑った。




