178.最終章 0からの脱出
空が落ちるという言い回しを、皆は何度も耳にしたり本で見たりしてきた。大概の場合、そう言うことはあり得ないという言葉とセットで掲載されている場合が多い。当然だろう、地球の空は無限の宇宙、落ちるという概念すら存在しない。だが、例えば空が巨大な建物の「天井」だったらどうだろうか。何か大きな幕で仕切られた空間の天井に描かれた無数の空。その場所が崩れると同時に、空が音を立てて落ちてくる……。
そんなあり得ない事態に、探偵局の仲間たちは混乱の真っ只中だった。
「ニャニャ!び、ビルまで壊れ始めましたニャ!」
「ド、ドウシヨウ蛍…ヒィ、マタ空ガ!!」
飛行船は今、必死に脱出ルートを見つけんと崩壊を始めた空間の中を飛び続けている。外から見えるのは、まさに1つの「宇宙」が終わる現場だ。せっかく無数のメグミから脱出することが出来たのに、崩壊に巻き込まれてしまうのか。しかし、大慌ての仲間とは裏腹に、この事態が何を示しているのか、冷静沈着な栄司は見抜いていた。落ちてくる「空」に当たって左右に揺れ動く飛行船の中、彼は三人のデュークにある指示をした。
「え、栄司さんそれってどういう……」
「考えてみろ、この空間は『犯罪組織』のものだ……あいつらがこの逃げ場を放棄する理由は、一つしかないだろう……な、蛍」
「え、え?」
突然名前を呼ばれた蛍だが、緊迫する船内の中、何とかクリス捜査官たちに支えてもらいながら答えを導くことができた。この異次元空間が消え去るという事は、すなわち『犯罪組織』が崩壊しているのと同等である。それが表す答えは、まさに一つしかない。
すぐさま、ヴィオたちは脳内でテレパシーを取り始めた。今回の戦いにおける最大の勝者であり、崩れる空間の中で未だ安否が定かでない二人と連絡をとるために。
======================================
崩れ落ちる世界の中を、恵はデュークと共に必死に逃げ続けていた。かつてデュークが一人で築き上げ、やがて無数の自分が潜伏し、様々な世界を陥れてきた不夜城が今、崩壊しているのだ。次々に倒れる柱や壁を、得意の身のこなしで避けながら逃げ続ける二人。危うく崩れ落ちた「空」に引っかかるところだった局長。抱きかかえようとした助手に、そのような事は不要だと言った彼女は、一つの疑問を口にした。自分たちはこうやって脱出できるかもしれない。しかし、他の「皆」は無事なのだろうか。
そう伝えられた直後、デュークの脳内に三つの通信が届いた。
「…局長!届きました!『皆』無事です!」
崩壊が進むこの世界を脱出すべく、巨大化を解いたブランチや変化を解いた狐夫婦、そして外の激突から戻った栄司などさまざまな面々は、現在狸の親分が変身した飛行船に飛び乗り、全速力で逃亡し続けているという。彼らの事だから…特にヴィオとスペード、メックの事だから、大丈夫。自分たちも無事であり、戦いに勝利した事を告げた後、すぐそちらへ向かう、と言い残そうとした時であった。脱出口とは正反対の方向へ局長が進もうとしていた事にデュークが気づいたのは。
先に行って。彼女ははっきりとした口調で助手に伝えた。あまりにも突然のことで、彼もただ詰まりながら理由を尋ねることしかできない。
「私、『二人』の元へ行くわ」
「『二人』……局長、あいつらを……助けるつもりですか!?」
あまりにも夢見すぎだ、あり得ない。当然、デュークの口から返ってきたのは彼女の行動に対する批判の言葉であった。しかし、一度決めたことをそう簡単に曲げるような丸斗恵ではない。そして、その中にしっかりとした信念がある場合はなおさらであった。
彼女の心の中には、コピーたちが何度も口にした言葉がしっかりと刻み込まれていた。何もかも、思い通りにはならない、と。その言葉通り、二人は自分たちを何度も騙し、罠にかけ続けてきた。そして挙句の果てに、彼らは自分の思い通りに終焉を迎えようとしている。
「犯罪者なんでしょ?デュークが嫌いな相手なんでしょ?そんな奴の、思い通りにさせていいの?」
「そ、それは…そんな事は!」
「そんな馬鹿なこと、絶対にさせない」
次第にデュークの口調が変わり始めた。これまで何度も彼女の無茶に従い続けてきた彼でも、納得いかないことは多々ある。それに今回は「彼女」自身の命にも関わる問題だ。崩れ落ちる世界に立ち止まり、脳内に返信を求める三つの声が響く中、彼は声を荒げて言った。
「ふざけないでください!この世界が崩れたら、局長はどうなるんですか!」
「だからよ!私は行く!生きて罪を償わせる!貴方のように!」
「いいえ、今回は絶対に許しません!」
「何よ、デュークの馬鹿!」
「局長の大馬鹿!」
「間抜け!」
「ドジ!」
「分からず屋!」
「頑固者!」
……やはり、恵とデュークは似たもの同士のようだ。そもそも恵の人格形成にデュークが大きく関わっている、こういった言い争いも次第に能力関係なしの同等の立場になり、そして言葉のぶつかり合いに変わる。だが、この場には能力とは別に「上下関係」が宿っている。
一息ついた後、恵は改めて助手の目を見上げながら、静かな口調で言った。
局長命令だ、と。
その一言と同時に、恵局長は後ろ姿を残しながら、崩れ落ちるビルの中へと戻っていった。一瞬呆然としながらも、次第に元の調子に戻り始めたデュークは思った。
どんな時でも、恵局長はいつも通りだ。後先考えず、自分の命も顧みず、どんな困難にも挑んでみせる。大きな障害があろうとも、それを打ち砕いてみせる根性の持ち主だ。とことん合理的、どんな事でも呆気なくこなしてしまう自分とは正反対、そして理想的な存在として、ずっとその姿勢に憧れ続けてきた。「丸斗恵」は、デューク・マルトにとって究極の目標であり、永遠に越える事が出来ない壁でもある。
脳内には返信を求める三つの必死な声が響き続けている。
……どうやらデュークには、またもや謝る必要のある存在が増えたようだ。無事を祈り続けてくれていた仲間たち、自分との通信をこなしてくれた三人の自分自身、そして……。
=========================
「……デューク?」
「……オリジナルがあんな事になった意味が、ようやく分かりました」
「え……?」
「昔の日本の作家の言葉です。
おごり高ぶる者は、やがて消えうせる。自分の力に溺れ続けていた存在は、やがて……」
「……そうかも、しれないわね……。
何でもっと早く気付けなかったんだろう……」
「…全てはもう終わりです。
オリジナルは、永遠に僕たちの手から離れました」
「全部間違っていたのね……」
「メグミさん……」
「……でも、デュークと会えて良かった」
「……僕もです、メグミさん」
「じゃ……
―――ちょっと待ったーー!
「……え……!?」
「……ど、どうして……」
やっぱり思った通りだったわね……。
「な……なんで来たんですか……!」
「私たちは負けたのよ……どうして……」
だからって、死ぬの?それで何でも解決させるつもり?
「でも、他に手段なんて……」
悪いけど、あんたたちの思い通りにはさせない。
「「…え?」」
勝者は私よ?あんたたちに勝ち逃げされる権利は無いわね。
「そんな事言われても……」
「もうオリジナルは、僕たちの元から……」
……ねえ、一ついいかしら?
貴方たちに相談したい事があるの。
「「へ……?」」
私と一緒に来ない?