175.最終章 3つの戦い
事態は、探偵局側にとって非常に危機的な状況に陥っていた。
恵とデュークが現在いるのは、『犯罪組織』を統括していた二人が創り出した、異次元の中の「異次元」。その壁に映し出されている外の世界は、一面「メグミ」で覆い尽くされていた。地面も空も、何もかもが紫色とそこから見える微笑に包まれ、ありとあらゆるものがその海に呑み込まれている。唖然とする局長の一方で、デュークもまたその能力に絶句していた。60兆個の細胞を抱えたニセデュークが数十億人。その細胞一つ一つに含まれていた遺伝子が、ほんの数秒で「彼女」に変貌してしまったという事実に。長い間犯罪組織を指揮し続けていた彼でも、その間ずっとオリジナルのメグミ・マルトの能力を見る機会を得る事はなく、恵局長に与えた能力はあくまでも自分が分かっている限りの力となっている。時空改変を持っている彼だが、事実はなんとかよりも奇なり、想像が追いつかなかったようである。
すると、次第にあたりに響くメグミの笑い声が弱まり始めた。いや、声が聞こえないように……「こちら側」からの声が聞こえるように調整が行われたのだ。大量の「紫」の生みの親、というより本人が、探偵の二人をじっと見据えた。
「数の暴力、結構効果的ね」
「恵さんやオリジナルと同じ手を、僕たちも使わせていただきました」
これ以上の言葉は、恵局長には不要だった。今の状況からして、相手側の考えはすぐに分かる。
億、兆、京、垓…あらゆる数を飛び越え、無限に現れ続ける「メグミ」。その渦を止めるには、元を断たなければならない。「犯罪組織」の中には様々な障壁があったが、どうやらこの二人が最後にして最大の『壁』となっているようだ。
「……覚悟はいい?」
「……そっちこそ」
同じ女性の声が交錯しあった瞬間、純白の異世界の光景が変わった。そして、同時に恵とメグミの傍らからそれぞれのデューク・マルトの姿が消えた。一体何が起こったのか、辺りを見回した恵の周りに広がるのは、本やボール、おもちゃのラッパなどが無造作に置かれた、灰色や白を基調にした部屋の光景である。子供部屋にしては一切明るさや楽しさが感じられない様子に戸惑う彼女の前で、メグミは落ち着いた口調で言った。
「これが私の……ううん、私と貴方の『故郷』よ」
……そういえば、デュークも昔はこのような場所で子供時代を過ごしたと言っていた。無造作な部屋で、絶え間なく実験が行われ続け、楽しいと言う感情も嬉しいと言う感情も沸かなかった。そんな中で、同じ環境下にいた『メグミ・マルト』とであった事で、全ては変わり始めた、と言った。
恐らく、これはその記憶を保持する二人からの一種の挑発だろう。過去を持たず、子供時代を知らぬままずっと過ごしてきた、恵局長や恵捜査官への。だが、過去を乗り切った彼女にとっては何の意味も無かったようである。
負けるわけにはいかない。いや、引き分けも無い、絶対に勝たなければならないのだ。
そして、二つの戦いが始まった。
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……いや、正確には現在行われている戦いは3つある。デューク対デューク、恵対恵、そして……
「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」 「ぐ、ぐぐぐっ……ふふ……」 「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」
郷ノ川医師は、見まごう事なき立派な日本男児だ。女性の海に埋もれると言う今の状況、嬉しさを微塵も感じていないという言葉を言えばそれは真っ赤な嘘になる。どこまで掻き分けてもそこに待つのは恵……いや、犯罪組織のリーダー「メグミ・マルト」。医師や探偵、警察とも別の業界ではご褒美に近い状態かもしれない。だが、今回はそんなのんきな事ばかり考えてはいられない。どこまで進んでも、という状況はすなわち「メグミ」の数が余りにも凄まじいからである。これまでも何度か恵や栄司、蛍の分身や増殖の力を見てきた仲間たちだが、今回ばかりはどうしようもない、お手上げと言う様相である事がテレパシーからでも伝わってくる。ヴィオやスペード、メックたちが空気や通信などの手段を瞬時にとってくれなければ、自分たちはとんでもない死亡原因を持つ羽目になっていたかもしれない。
無数の体につい夢中になりながらも、一旦そちらの方へ意識を向けるのを止めた。にやけ面も、一瞬で真剣なものへ変わった。
……今回の騒動に巻き込まれる前、郷ノ川医師は『彼女』から気になる内容を言われた事がある。以前同じような事態に『彼女』が遭遇した際に、突然一瞬で空が晴れ渡ったと言うのだ。そして、その原因は何だったのか、彼女自身もそれから長い間知らなかったと言う。双方とも、デュークの時空改変能力のお陰だと思っていた。ただ、その時『彼女』は真実を有耶無耶にしたまま、別の話題へと移ってしまったため、郷ノ川医師はずっと結論を知らなかったのである。
間違いなく、そのときに聞いた話はこれだ。彼は確信するのと同時に、自分の用心さに改めて感謝した。
時空改変ばかりに頼らないで欲しい、と常日頃からデュークは皆に伝えていた。こういう不測の事態への対処は、それに慣れたものが行うのが最もふさわしい、とも。ある意味能力を最大限に使いこなしている彼だからこそ言える事かもしれない。まさにそれは「今」……ヴィオやスペード、メックまでもダウン寸前の状態だからこそ生かされる。そして、同時に全員とも自分の状態を維持するだけで精一杯……郷ノ川医師の方へ注目が行っていない状態であることを示している。テレパシーは使えても、姿かたちまでは分からないだろう。
そして、彼が覚悟を決めると同時に、その姿が少しづつ変わり始めた。
「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」
今、郷ノ川医師の手足の動きは無数のメグミの体に封じられている状態である。そのため、彼の白衣のポケットへはどうあがいても届かないはずである。にも関わらず、彼の手元にワクチンが入ったカプセルが現れた。体が動かせなければ、その「内部」を移動させれば良いのだ。幸い、大量の体や手足にくすぐられたりもみくちゃにされながらも、この切り札の内部に被害は無かった。
カプセルの中に封入されているワクチンの正体は、ある特殊な遺伝子を内部に組み込んだウイルス。以前の騒動の時に得た恵局長の血液から採取した、未来の技術によって作られたもう一つの「安全装置」だ。
同じ自分自身を無限に増殖させる事ができる恵や栄司のように、全く同じ存在がずっと増え続けるという戦法を取る動物や植物は多い。しかし、中には場合によってその方法を止め、有性生殖……俗に言う「リア充」となる。それは何故かというと、一つの遺伝子に刻み込まれた弱点が、そのまま別の自分たちにも受け継がれてしまうからである。同じ遺伝子を持った存在は、すなわち自らの持つ致命的な欠陥をも受け継いでしまう…。
あの騒動が終わって少し経った後、郷ノ川医師はデュークに一つの質問を投げかけた事がある。この遺伝子を得るきっかけになった事件についてである。無数の局長を一斉に死の恐怖に苦しめた、「増殖キラー配列」とも呼べるこのDNAの由来は一体どこなのか。そう尋ねられたデューク……あの騒動の全ての引き金となった男は、当然ながらしっかりとその答えを分かっていた。無数のデュークの動きを停止させたブラックボックスと同様、最悪の事態に備えて科学者たちは人工的に創り出した「増殖能力」に対しても対応策を練っていたのだ。人工的に埋め込まれた増殖能力遺伝子に対応させ、相手が増殖したと同時に深刻なダメージを与える、という「安全装置」を。
(恵ちゃんはあの一件で体の中に抗体を覚えた……だけど……)
今この空間を埋め尽くし続ける「メグミ」は覚えていない可能性が高い。耳をふさいでも聞こえてくる無数の笑い声のほうに意識が持っていかれようとする中、彼はそれを確かめるべくある手法を取り始めた。この方法だけは、絶対に他の皆に見せてはいけない。デュークを始め、丸斗探偵局の皆でさえも。当然であろう、彼の背中から腰にかけて服ごと変化して現れた巨大な「口」……何十本もの鋭い牙を輝かせるブラックホールが、彼の体を押し潰しそうな勢いでのしかかったメグミの一人を、一瞬で飲み込んでしまったのだから。
これが、郷ノ川医師の「力」。今回も持ってきた相棒であるチスイヒルたちと自らの体を融合させる事で、あらゆるエネルギーを食い尽くす「口」を体中に生み出す事ができる、おぞましい能力だ。当然今回も使用する事は考えていなかったのだが、まさかこの時になって自ら再びヒルたちと一緒になるとは思いもしなかったようである。
そして、体内に吸い込んだメグミの体を分解する過程で、彼はその欠片の一部分を「掌」に取り出した。肌色の肉団子が出てくると同時に、彼の服の袖から一匹のチスイヒルが顔を覗かせた。ぎっしりと埋め尽くすメグミの隙間を、骨の無い彼らは難なく通る事ができるようである。
郷ノ川医師の手に握られているものを見たヒルは、その体を彼の腕の中に融合させ始め、小さな「口」だけを残して消えてしまった。そして、すぐに小さなブラックホールの中に、先程の肉団子とワクチン入りのカプセルが吸い込まれた。彼の体内で、増殖能力の基の遺伝子がワクチンの内部に刻み込まれた遺伝子と結合し……