166.最終章 巨獣大進撃・前編
異次元での戦いは、新たな局面を迎えていた。
「ったく、何やってるんすか」「お札をしまった場所を忘れるとか……」
苦笑しながらも栄司は新たな戦力の参加を大いに歓迎していた。彼の横から聞こえてきた謝罪の言葉は、黒で覆われたこの世界に染み渡るような深く大きな声であった。そして、周りを飛ぶ数十人の栄司たちの中心には、彼らとは全く異なる姿の巨体がそびえ立っていた。その姿は、一言で表すと「黄金の怪獣」。全身を光り輝く黄金の毛並みで包みこまれたその巨体には、尖った大きな耳と、ビルをもなぎ倒す力を有する長い尻尾が付いている。
前も栄司は、この存在を見た事があった。あの時も相手は今回と同様、ニセデュークの変貌したモンスター。一度倒した事のある相手、例え相手が強くなろうとも、ここで負ければ狐の名が廃る。巨大な怪獣態に化けたドンは大きな声で吠えるや否や、近くに舞い降りた漆黒の龍に飛びかかり、その土手っ腹にカンガルーキックを食らわせた。バランスを崩した龍はそのまま近くのビルを数軒巻き添えにしながら倒れるも、すぐにその影は分離し、元の数百人のコピーのデュークに変貌してドンの体をなぎ倒そうと飛びかかろうとした。しかし、数の暴力なら負けてはいない。あっという間に人間の壁を作り上げた数千人の栄司が、デュークに容赦なく攻撃を食らわせ始めたのである。
今回の任務に対し、化け狐のドンとエル、化け狢のジュンタは、それぞれ一族から受け継がれてきたと言う変化用のアイテムを持って来ていた。葉っぱ一枚からでも十分にそういった術は可能なのだが、人間の文明の利器の一つである「紙」と「文字」は、複雑な術の仕組みを書きしるす上で非常に効果的なのだと言う。彼らにとっては一種のICチップのような役割を果たすようだ。その能力がいかなるものか、彼らはこの戦いの場で思う存分に見せつける事になった。
「ニャアアアアッ!」
飛行船の航路を切り開くかのように、次々に未来都市をなぎ倒しながら突き進む巨大な黒い影。たてがみを胸元まで生やすその勇猛な体を、人は真の百獣の王、バーバリライオンと呼ぶ。ただし、このバーバリライオンの大きさは、足の長さだけでも数百メートル。動きを封じんとタケノコのように生えてくるビルを踏みつぶし、鎖のように現れる高架道路も鋭い牙で噛み砕いてしまう。体には傷が少しづつ見え始めているが、それでもライオンは進撃を続けていた。
こういった猛獣の姿になる時、黒猫のブランチはいつもデューク・マルトの時空改変の力を受けていた。しかし、その時空改変のルーツを辿れば行き着く先の一つにネコ目の動物たちが持つ変化能力の力があると言う。先程まで三人の変化動物が出撃出来なかった理由は、その力をつかさどる遺伝子のパワーを高めるお札をどこにしまったのか分からなくなってしまったからであった。しかし、一度その力を解放すれば、あっという間にブランチもニセデューク相手の途轍もない戦力に早変わりするのである。
「ブランチ先輩!」
大暴れする彼の活躍に、後輩である蛍は目を輝かせていた。
「かっこいいです!」「凄い!」
『見たかニャ蛍、これがオレ様の実力だニャ!ニャーハッハッハッハ、ハッハッハ……
「ブランチ、危ない!」
『ハ……へ!?』
恵の声が届いた時間は、ブランチが反応する時間としてはわずかに遅かった。彼が振り向いた瞬間、目の前に待っていたのは漆黒の「虎」……過去にブランチが時空改変で変身していたものと非常に似ているが、その眼は黄色ですら無く、白一色。ニセデュークが姿を変えた猛獣が、油断していた百獣の王の体を切り裂こうとした……
……が、その虎もまた、既にこの時点で裏をかかれていた。
突如起きた凄まじい爆音とそれに続く爆風。危うく吹き飛ばされそうになった数十人の恵や蛍の体を守り通すブランチの目に映ったのは、自分の身体とは正反対、眩いくらいの白さを誇る数百メートル級の巨体と、それを軽々と空に浮かべる大きな翼を持つ一頭のドラゴンであった。口元には、先程放った衝撃波の跡が空気の歪みとして見えている。一瞬だけ皆は何が起こったのか分からなかったが、その後ドラゴンから聞こえてきた声で全てを確信する事が出来た。
『ブランチさん、皆さん、お怪我はありませんか!』
普段はお淑やかな良妻であるエルだが、一旦怒らせるとそれこそ時空改変能力にも負けないほどの凄まじい力を露わにする。何せ彼女は良家の狐のお譲様、実力はお墨付きである。大丈夫だと返すブランチだが、四方八方から先程の油断を恵や蛍から責められてしまった。しかし、今は喧嘩をしている場合では無いのは全員承知の上。すぐに目の前に現れ続ける恐るべき漆黒の敵へと怒りの矛先は変わった……。
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「あーうちも外の様子見てみたいわチキショー!」
「まぁまぁミコさん……」
先程まではニセデュークたちからの猛攻の前に作業どころではなくなってしまった飛行船の船内だが、狐夫婦や狢たちの参戦によって再び戦況はある程度こちら側が有利と言う元の状況に戻り、ミコは解析作業に集中し、動物たちも電力供給のための運動に徹する事が出来るようになった。そして、外で何が起こっているのかを彼らはこの飛行船そのものである狸の親分や、その操縦の補助を任されている奥さんから聞いたのである。恵と同様にどこか野次馬根性と少年のような心を併せ持つミコが、その様子を聞いて羨ましがったのも無理は無いだろう。本人たちは必死なのは承知の上だが、それでも興奮状態の彼女にとっては好奇心の方が上回っていたようである。
しかし、だからと言って危機が去った訳ではない。今は優勢でも、ここで手を抜いてしまうと彼らはすぐに適応し、より強くなってしまう可能性があるからだ。奥さんが操縦席をいったん離れ、作業現場に駆け付けたのはそういう事もあった。
「エ、私ガ……大丈夫カナ……」
「大丈夫さ、細かい事は父ちゃんが手伝ってくれる。
それに、大事な友達の助けが出来るんだよ?」
以前の戦いでも、この飛行船はその変幻自在っぷりを披露していた。昔より狸は狐以上の変化能力を持つと言うが、人間サイズのドングリミサイルを次々に発射したり、追撃ミサイルとしてこれまた超巨大なコナラを発射したりとやりたい放題であった。そして今回も、いざという時を踏まえて森の様々な産物を改良した新装備を搭載して来たのだと言う。そして、その補助要員として奥さんが目を付けたのが、手持無沙汰気味であった緑色の髪の少女、古屋サイカであった。
最初は躊躇した彼女であったが、親友の力になれるという言葉を聞けば協力以外の選択肢は彼女の頭の中には無かった。外から聞こえ続ける爆撃音に急かされるかのように、言葉少なめにクリス捜査官らにこの場を託し、サイカと奥さんはこの部屋を抜けて操縦室へと向かっていった。
随分みんなやる気だ、と言いながら、再びパソコンの画面に向かうミコ。一度どん底にまで行った後はそのまま上がり続けるだけ、一度アクセルがかかった彼女は、自らの能力もあって『ブラックボックス』解析を順調に進めていた。今仲間たちが危険な場所に立っているのは、自分自身を守ってくれるため。その期待に応えるだけの力がある、と彼女は自信満々であった。
そう、確かに予知能力を持つ彼女がやる気を起こせば、未来はこちら側に有利な展開になりうるだろう。しかし、クリス捜査官の心にはいくつかの不安が宿り始めた。ミコや動物たちの前ではさすがにそういう事は言えないが、この場に一人、そういった話を聞いてくれる大らかさと逞しさを持つ存在がいる。
「郷ノ川さん……」
「ん、どうしたんですかい、捜査官?」
念のために捜査官はこれから話す事で気を落とさないで欲しいと口に出したが、そんな事は何度も乗り越えてきたから平気だ、というのが郷ノ川医師からの回答であった。その言葉を聞いて安心と覚悟という二つの気持ちを抱いたクリス捜査官は、皆に聞こえないように気をつけつつ、彼に向けて言った。
「……え、有利なのはいいことじゃないですかね?」
「ええ、確かに良い事です。ですが、あまりにもこちら側の思い通りに行き過ぎているような……」
逆転に次ぐ逆転、というのはこれまで捜査官は何度も目にしてきた事。ニセデューク相手は一筋縄ではいかず、一つの困難を乗り越えて有利になったとしても、奥の手を毎回出されて再び劣勢に追い込まれる。幸い今までは恵やデューク、ブランチ、そして蛍と言った探偵局の面々がその有能さと少々の強引さで乗り切り続けていたのだが、それにしても今回は変だ、と捜査官は語った。確かに今は形勢逆転といった状況なのだが、基本的にこちら側に余裕があるという状況のままである。
「もし私たちに余裕があるなら、何らかの形で新たな局面へ向かっても良いはずです。
ですが、終始デューク・マルトのコピー相手の戦いに没頭し続けているだけ……」
「うーん……相手の数が予想以上だった、数億とかいうレベルじゃない、って事もありえますなぁ」
相手が物量戦に回れば、それも十分に考えられる。しかし、それが正しいなら自分たちは完全に相手側の思い通りに操られているという事にもなってしまう。今の恵や蛍、栄司みたいな戦法をニセデュークが取らないという保証はどこにも無いからである。
そして、それを踏まえてもう一つ。クリス捜査官は、皆が大事な事を忘れてかけていると告げた。もしかしたら、そこから矛先を変えるためにニセデュークは今のような戦法を取っているのかもしれない、と付け加えて。
「……本物のデュークさんの『正確な位置』を、今誰が把握していますか?」
「あ……」




