161.最終章 犯罪組織殴り込み作戦
「おそいですねー…」
さっきまで元気に南の空で輝いていたと思っていた太陽も、気付けばだいぶ西側に傾いている。
住宅地の中に佇む一軒の大きめの屋敷の中で、そんな外の様子を眺める一人の女性がいた。不安そうな顔を隠さないまま、膝で眠っている猫を撫でている彼女は、この屋敷……通称「ネコ屋敷」の主人であり、丸斗探偵局の仲間である美紀さん。彼女もまたこれまで何度も探偵局に助言を与え、様々な依頼の解決へ貢献してくれた。
そんな彼女と共に過ごすのが、この町の動物たち。犬や猫、カラスやスズメなど、様々な動物たちが足や羽を休める憩いの場で、彼女は彼らから助けられつつまた食べ物などで彼らを助けながら暮らしている。だからこそ、彼女は今日集まっている動物の数が少ない事に気づかざるを得なかった。探偵局の面々と異なり、少々おとぼけな所を除けばごく普通の人間である美紀さんは当然動物たちが何を話しているか聞きとる事は出来ない。それ故、彼らが内緒で探偵局の仲間たちに協力している事など知る由も無かった。動物たち側も彼女に心配をかけないようにするため、敢えてそれと分かる仕草を見せていなかった。
「どうしちゃったのかなー」
そう言いながら、静かに彼女は傍らで寝そべっている犬の頭を撫でた。少々脂肪が多めだがふんわりとしている美紀さんの掌は、彼女同様心の中で静かに不安を抱えている犬の心を僅かだが慰めた。正直、あのブランチ「親分」がついているから大丈夫なのは大丈夫だと思っている。だからこそこうやって自分たちはのんびりと留守番が出来るのだ。だが、それでも嫌な予感はぬぐえない。もし、彼らがこのまま…。
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一方、そんな美紀さんや留守番をしている動物たちの心配を知ってか知らずか、丸斗探偵局や仲間たちは本格的な作戦会議を始めた。
「親分さんは大丈夫でしょうか……」
『心配ご無用、私はそこまで軟な体では無いからな』
「そうそう、うちの旦那にかかったらこのくらい朝飯前ですよ」
狸の奥さんの言葉には旦那への信頼の証である誇張も含まれているだろうが、それでもクリス捜査官は驚いていた。屈強な体を持つ狸の親分が化け、皆を乗せて進む土の色をした巨大な飛行船は今、ニセデュークに奪われた偽りの町を飛びだし、世界と世界の狭間に位置する「亜空間」を進んでいる。彼らのような変化技術が科学で解明されたとされ、畏怖までも失われた未来においても、ワープなどが可能となる亜空間を越える際にはそれなりの重装備や特殊な塗料などが必要になる。しかし、狸の親分は彼女たちからの無茶な進言にいともたやすく答えてしまっているのだ。
色々と思う所はあるが、取りあえず今回丸斗探偵局が立てた作戦の第一段階にして、ずっと彼らが目指していた目標である町の脱出はようやく達成できた。そして次の段階から、作戦は本格的なものへと移る。
「簡単にまとめると、これからデュークの生まれ故郷に突入して、そこで大暴れして、時間があったらデュークを見つけて連れ戻して来るっていう流れね」
「いくら何でも簡単すぎじゃろ……」
「デュークが第一目標じゃなかったのか、おい」
「うるさいわね……」
早速普段通りの流れが始まってしまったのだが、取りあえず凄まじく簡単にまとめた恵の言葉で、町の動物たちもこれから起きる事は何となく理解した模様である。逃げる場所が無い以上は、駄目元でも敵の本拠地に殴り込みをかけて心に溜まったイライラを晴らして散った方がよっぽど良い。少しやけくそな所も見受けられるが、探偵局側には依頼の成功に繋がるかもしれない物件がいくつか揃っていた。
まず、蛍がずっと大事に持っていた金属製の黒い箱「ブラックボックス」。一見すると何の変哲もない立方体だが、その中身には原子配列というレベルまで計算された超精密な回路が詰まっている。そこに刻まれているのは「時空改変」、森羅万象を操るデュークの能力を司る、彼にとってまさに中枢とも呼べるものだ。
オリジナルであるデューク・マルトは、犯罪組織を脱走した後丸斗探偵局で様々な経験や試行錯誤を積んでいった過程でより能力の強さを増している。その過程でこの時空改変の回路が何度も新たな形に書き換えられているため、現在の彼の秘密は刻まれていない。また、ヴィオやスペード、メックと言った、時空警察に投降したデュークたちは一度この回路がズタズタに焼き切られた後に復旧用ナノマシンによって力を取り戻す事が出来たのだが、同じものをそのまま再生するのではなく、この回路を基に新たなナノマシンが再構築されたというのが真相のようだ。
その一方で、ずっと『犯罪組織』という名のぬるま湯につかり続けているニセデュークに関しては過去のものと一切変わっていない、とメックは語った。確かにこれまで何度も探偵局を始めとする面々と戦い続け、その中で経験は得ているもののそれは単に戦いという実験の結果を得たのみであり、そこから導き出される考察には一切触れていない。進化をする必要が無い故に、進歩が止まっているのだ。このブラックボックスを大事に持っていた蛍がしつこく狙われる訳だ、と狐夫婦の奥さんであるエルが言った。
「一回危ニャかった時もあるけど、ニャんとか守り通たんですニャ。蛍は偉いニャー」
「い、いえ……ブランチ先輩たちの助けがあってこそですよ」
「だが、ここまでずっと守り続けたのは実力もあると思うぞ。ずぼらな恵ならまず有り得ないがな」
「栄司ちょっと黙ってて」
ずっと会えなかった鬱憤を発散するかのように、栄司やミコの軽口は止まらないようだ。
ともかく、無事にここまで守る事が出来た以上、ここからは「攻め」の体勢に移るべきかもしれない。デュークの時空改変の秘密が刻まれているとなると、当然利点ばかりでは無く弱点や欠陥をあるのは間違いない。形は違うがデューク・マルトも一度時空改変回路が故障した過去があるように、何かしらのものを突きとめれば、まとめて始末する事も夢ではない。
勿論、それを解析するのはコンピュータのプロフェッショナルである、盗聴を主に扱う探偵である陽元ミコ。この巨大な飛行船には、彼女の仕事道具であり移動手段である少々古ぼけたワゴン「ボロロッカ号」も収納されている。あそこに積まれているコンピュータを使えば出来るかもしれないと言う彼女だが、当然無茶だという突っ込みが飛んできた。
「というか本当に出来るんすか?僕たちの高度な技術を……」「この時代のコンピュータで解析するなんて、そんな……」
「ヴィオさんにスペードさん、ミコさんは凄い力を持っているんですよ」
蛍の言葉に、鼻高々に自信満々な表情を見せるその本人。ミコの武器はボロロッカ号だけでは無い、彼女の脳にも内蔵されている。自分が信じれば信じるほど、未来をも歪ませてしまうほどの実力を発揮する「予知能力」をフルに活用すれば、一度も見た事が無いシェイクスピアのハムレットを、目を瞑って鼻歌交じりでキーボードを打っただけで全文書けてしまうのだ。面倒臭いし興味すらないのでやった事は無いのだが。
時代は進んでも、機械の基本的な部分は変わっていない、とヴィオとスペードに釘を刺しつつクリス捜査官もミコに助言をした。今回の作戦で彼女は前線に出ず、機械班のサポートに回る事になったのだ。
「サイカさんや動物の皆さんも、無理をしない範囲で協力をしてくれれば嬉しいです。そちらの動物病院の先生は……」
特定のワードで名指しされた郷ノ川医師は、不意打ちに慌てつつも自分も救護班の名目でサポートに回る事を決めた。
……本当は彼も十分戦えるだけの力を有しているのだが、今回は必要無いし、それ以前に自分自身が戦う姿などあまり見せない方が良いだろうと睨んでいた。せっかく連れてきた治療用ヒルの相棒たちや、こっそり持ってきた『秘密武器』も、もしかしたら役に立たないかもしれない。どちらかと言えばそっちの方が良いのだが。
さて、先程「前線」という単語が出て来たのだが、いくらミコが予知能力を持っているとはいえ、未知のものに触れるとなるとどうしてもおっかなびっくりの格好となり、時間がかかってしまう。さしもの彼女もこればかりは避けられず、その間にこの飛行船を守り通す必要がある。そして同時に、犯罪組織に囚われの身となっているはずの丸斗探偵局の助手、デューク・マルトを救出する事も忘れてはいけない。そこで、『犯罪組織』の本拠地で大暴れをする役割が生じてくるという訳だ。
こちらの役職を担当する事が可能な人材はかなり多い。恵局長やもう一人の彼女である恵捜査官(アナザー恵)は勿論、同等の力を有する栄司や、分身能力を使える蛍は当然こちら側だ。特に蛍は、単に分身能力で自分の数を増やすだけではなく、ゼロコンマ秒以下の素早さで矢継ぎ早に分身を出し入れする事で途轍もない筋力を出す事が出来る。
「ドンさんやエルさんも、こっち側に回ってもらうかも……」
「むしろオイラたちは昔から大暴れが得意っすからね♪」
「ええ、今回はたっぷりお札も用意しておりますのでご安心を」
いつの間にか鉢巻きを額に見せている狐の妻のエルや狸の奥さんの花音の様子を見る限り、彼らから不満は一切ないようだ。当然ながら、飛行船に化けている狸の親分も積極的に戦いに協力してくれる事になった。
三つ目の勢力は、ヴィオやスペード、メックらの時空改変能力者。オリジナルのデュークには及ばないがこちらもかなりの強さを誇る存在である。ただ、恵局長と恵捜査官は彼らはどちらかと言えば防御やサポートに回ってもらった方が今回は良さそうだと考えていた。
「怪我の治療とか、バリヤーとか……あ、あと私に栄司にケイちゃんが空を飛べるようにしてくれたら……」
「そうっすね、相手側は空も自由に飛べますし」
そしてもう一つ、前線に立つ事を何よりも望んでいる血気盛んな動物たちもいる。丸斗探偵局の一員であり、デュークに多大な恩を受けているブランチは、特に熱く燃えているようだ。以前より彼もサーベルタイガーやトラ、ライオンなど様々な動物たちに変化し、犯罪組織から数限りなくやって来る刺客に挑んだ実績があるのだ。そしてイワサザイの亡霊もまた、可能ならば前線に立つ事を願っていた。
『元々我は悪霊だ。その力を活かすと言う手は無いと思うがな?』
「それは拙者も同感でござる。デューク殿もそうやって、悪い事に使っていた力を良い事に使っていたそうでござるな」
恵局長、恵捜査官、ブランチ、蛍、栄司、ドン、エル、ジュンタ、玄、花音、イワサザイの亡霊、ヴィオ、スペード、メック。種族も時代も超えた錚々たるメンツが集い、敵に立ち向かうという算段がまとまってきた。これだけのメンバーが揃えば、敵側の防衛ラインを突破する事も、そこからデューク・マルトを救い出す事も可能かもしれない。皆の顔に希望が見え始め、ブランチらにおだてられて恵局長が調子に乗り始めた、その時だった。
「……おい待て」
「何よ栄司、水差すような目つきして……」
「差したくもなるぞ、お前。肝心な事忘れやがって」
「え?」
隣の恵捜査官と顔を見合わせ、きょとんとした顔の恵局長に、栄司は頭を抱えつつ苛立ちを隠さずに言った。例え味方側が万全でも、敵がどういう感じなのか分からなければ全く意味が無いのではないか、と。
先程も述べた通り、『犯罪組織』側の戦力はニセデュークか、もしくは恵のオリジナルであるメグミ・マルトだけ。後者に関しては、ヴィオたちこちら側のデューク陣営の三人もその実力を見た事が無いために、恵たちと同様に増殖能力を持つ事以外未知数という結論が出た。しかし、それでも恵は楽観的な姿勢を崩さない。どうせ自分と同じような感じだろうし、ニセデュークも結局はデュークだ、と。たださすがにそこまで断言されてしまうと、他の面々は逆に不安が広がってくる。確かに最後はいつもこちら側の勝利だが、それでも何度も何度も苦戦を強いられてきた経験があるためだ。
そして、その不安な心をさらに助長させてしまいそうな言葉が、蛍の口から出された。
「偽者のデューク先輩って……何人いるんですか?」
今までずっと彼女が抱えてきた疑問だ。ヴィオやスペードなど蛍が対峙する事が無かった者も含めると、これまで丸斗探偵局やその仲間たちと戦闘状態に陥った偽者のデュークの数は、「昨日」までの時点で合計10人。探偵局に直接侵攻してきた1人から始まり、エルの故郷を襲った5人までとなる。数字で表すと感じていたより遥かに少ない感じを受けるが、その変幻自在さは数値を凌ぐ恐ろしさと強烈な印象を与えたようである。
ただ、それはあくまでも『犯罪組織』の本部からの刺客に過ぎない。町が彼らの掌の中に入ってしまった「今日」彼女たちが遭遇した数は、間違いなくその何千何万倍にも及ぶものだ。
「怖カッタヨ、蛍……アノ時ダケデモ数千人ハイタヨ…?」
本部もああいう感じなのか、と少し声が震えながらも尋ねたサイカに、ヴィオは非常に素っ気ない返事を送った。あれくらい序の口だ、と。
途端に船内に衝撃が走った。動物たちは騒ぎ始め、ジュンタを始めとする変化動物たちも不安そうな顔を見せ始めた。飛行船に化けている狸の親分も、心なしか冷や汗をかいているのが何となく湿っぽくなった「絨毯」から分かった。
では、一体何人いるのか。決定的な質問が、三人のデュークに飛んだ。少し考えた後、三人は全く同じ顔を見合わせ、内緒話のように小声で考えをまとめ始めた。
「確か、あの部屋が万単位だし……」
「下の工場、私が生まれた時に増築されて……」
「え、確かあそこ前も……」
彼らの口から出るのは、皆を不安にさせる言葉ばかり。「増える」「増す」「増やす」という単語ばかりで、一言も「減る」というのは出てこない。
そして、皆の方を向いたスペードが、ミニ会議の結論を伝えた。
「少なく見積もっても…
数 億 は い る ん じ ゃ な い か な 」
…亜空間の中に、絶叫が響き渡った。