159.最終章 最後の合流者・後編
「…どうしたの?」
『犯罪組織』の拠点である異次元の中は、デューク・マルトが生まれ育った未来世界の建造物が並ぶという光景が広がっている。その中で、周りのビルを見下すかの如く最も高くそびえ立つ、デュークらの住居ともなっているタワーの最上階に、二つの人影が並び立っていた。
この場所なら、異次元空間で何が起きているかをくまなく見る事が出来る。「デューク」の傍らに寄り添い、じっと下を眺めていた「メグミ」が、彼がふと何かを納得したような表情を見せた事に気がついた。何年もずっと共に居続ける間柄、彼が何か妙なそぶりを見せると、それをすぐに感づいてしまうのだ。そして、それと同時に彼女にとってそれは不安に変わる。
「どうやら、向こうは準備が整ったようですね」
優しく返すその言葉に、メグミの顔は不安なものへと変わるが、口元にしっかりとした笑みを崩す事のない彼の態度を見て、その考えは変わった。デュークの力なら、言葉などいくらでも濁す事が出来るし、勝手に真実を創り出す事も出来る。だが、それを敢えてしないと言う事は、その事実に対して「デューク」は覚悟を決めている事、それに対して挑む意志があるのを示していた。そしてもう一つ…
「…安心して下さい、『僕』はもう、僕たちのものです」
「…そうね…そうよね」
彼女にとって、デューク・マルトがこの場所にいるのはとても大事なこと。それをかみしめるかのように二度同じ言葉を繰り返した。
デューク・マルトは絶対に渡さない。例え本人が帰還を望もうとも、それを許す事は出来ない。今まで自分たちはずっと待ち続けていたのだから。それを取り返そうとする者に対して、『犯罪組織』は総力を挙げて挑む。眼を合わせたメグミとデュークは、その意志を確認するかのように頷き合い、そして動き出した。
――みんな、出番よ。
===========================================================
それと同じ頃、デューク奪還に挑もうとする丸斗探偵局やその仲間たちに、心強い助っ人が現れていた。
現在彼らがいるのは、ニセデュークが蠢く町から遥か上空を飛ぶ、一隻の巨大な飛行船の中。先程までトレーラーや運転手に化け決死の逃亡劇を続けていたドンやエル、ジュンタの変化動物たちも、心地よい船内の個室でほっと疲れを癒していた。肉体だけでは無い、彼らの化ける力には欠かせない精神力も、あの時限界に近付いていたのだ。もしこの飛行船の救援があと一歩遅かったら…
「お疲れ様です、みなさん」
その時、個室から廊下に繋がるドアが開き、中に一人の女性が入ってきた。おかっぱ頭に葉っぱの形の髪飾り、服装は茶色の着物だ。一見すると子供のような見た目だが、彼女はこれでも一児の母であり、この飛行船の「操縦士」も務めている。ならば現在誰がこの船を操縦しているのかと言うと、飛行船自身が舵を切っているという状態である。彼女たちこそ、遠く松山の地から馳せ参じた、化け狸の夫婦なのだ。先祖に纏わる因縁を解決してくれた丸斗探偵局の恩もあり、こちらに駆け付けたのだと言う。
「貴方がたの救援、化け狐の代表として感謝いたしますわ」
「いえいえ、お互いさまですよ。あたしも恩がありますから」
こういう大ピンチの時こそ、これまで築き上げてきた人間関係や善行が活かされるというもの。かつては大犯罪者だったデューク・マルトも、心を入れ替え、自らの行いを反省した今となっては様々な人々に感謝される立場に変わっていた。動物の世界は、恩は巡り巡って自分のためにあるもの。恩を貰った者としては、それを返さないと話にならない、と化けアナグマのジュンタは言った。先程までの激戦から、ようやく彼らも心落ち着かせる余裕が生まれていたようだ。
ある程度話が盛り上がったところで、化け狸の奥さん…坂上花音が皆に大広間へ集まるように告げた。ここでずっと休んでいる事は出来ない、改めて皆の中で意志や心を一つにする必要がある。その言葉に、三匹の変化動物たちも従う事にした。
絨毯のようにふかふかの廊下は、土足で進むのが少々遠慮しがちになるほど。かつて狸世界で最強とも言われた八百八狸の子孫というのは、あながち嘘ではないようだ。個室から少し長く歩いたところに、真ん中にテーブルを囲んだ巨大な空間が広がっていた。
「おお、ドンさんにエルさんにジュンタさん!」
「ケ、怪我ハアリマセンカ?」
既にそこは、賑やかな場所になっていた。未来人から宇宙人、クローン人間にただの動物までよりどりみどりの集団が、テーブルを挟んで三名を待っていたのだ。宇宙人のサイカは先程までの逃亡劇の事を考えて心配そうな顔をしていたが、彼ら自身から疲れもたっぷり癒されたという事を聞いて少し安心したようだ。ただ、もう一方の動物たちの方は状況が全く逆だった。
『だらしない連中だ…』
「仕方ないでござるよ…拙者もこういった経験は…」
足輪が光るカラスの文句も当然だろう。ただの野良犬や野良猫、カラスやスズメたちがいきなりこういった急展開について行けるはずがない。コウモリ夫婦も物体にしがみ付く元気も無く、ふかふかの床にへばり込んでいた。既に気力も失いかけている彼ら相手に、郷ノ川医師は頭を悩ませ、親分格であるブランチも頭を抱えていた。彼や足輪のカラスは以前からこういう事を経験して慣れているのだが、疲れ切った動物たちにそれを説明するのは容易なことではないからだ。
遥か下に見える彼らの故郷に戻る事は出来ないのか、とついブランチは口に出してしまったが、即座にそれは近くに座る燕尾服の男たちに否定されてしまった。
「あの町は完全に『昔の僕』に乗っ取られてる…じゃない、すり替えられているからねー…」
「へ、すり替え…かニャ?」
「そ、要するに犯罪組織の世界に取りこまれたっていう感じ。まぁややこしい原理だから詳しい説明は省くけど」
「今の状態で帰るのは、自殺行為と言っても良いでしょう」
こちら側の陣営に加わってくれた二人のデューク…ヴィオとスペードからの言葉を〆たのは、その近くに立つもう一人のデューク…メック・デュークだった。二人とは別のルートでこの世界にやってきた彼は、そのまま近くを通りかかったこの飛行船と合流し、共に探偵局の面々のピンチに馳せ参じたのである。ただ、彼もまた町で何が起きているのかを把握し、それを皆に伝えなければならなかった。
この状態を何とかしない限り、町に戻る事は出来ない。その事実を受け入れるしかないのを知った動物たちからため息が漏れ始めた。諦めに近いムードが漂い始めてしまった状況の中、ふと蛍にある疑問が湧いた。
「…確か、今あの町は乗っ取られているんですよね…」
…局長は、どうなったのか?
新人探偵からの言葉に皆がはっとするのと同時に、もう一人の探偵…陽元ミコも、もう一つ別の疑問に気がついた。あの時、まるで自分たちの状況を知っているかのように、この飛行船はピンチを救ってくれた。だが、狐たちがここに来る前に聞いたメックの話が正しければ、自分たちの位置をメック自身は把握せず、狸たちの夫婦から聞いた上でここに訪れたと言う。にわかに騒然となる現場に、へばっていた動物たちもその雰囲気に混じり、困惑の表情を見せている。
「一体どういう事なんすか?」
まさか、またまた偽者なんじゃないのか。最悪の可能性を惜しげも無く栄司が口に出してしまった時。
――なに変な事言ってるのよ。
…!
――この親分さんも奥さんも、みんな本物よ。
彼の疑問に言葉を返したのは、その狸の親分でも奥さんでもなかった。
一瞬、蛍やブランチの耳は、聞き取った声を解析する事が出来なかった。信じられないような気持ちと、あまりにも突然過ぎる現れ方に、処理が遅くなってしまったからだ。
――私が偶然みんなを見ちゃったのよ。だから案内したってわけ。
本当に、この声を聞くのは久しぶりだった。
次第にブランチの眼は嬉しさで見開き始め、蛍の瞳からは少しづつ水が流れ始めていた。永遠のように思える時間の中、この場にいる面々の中で誰よりも、二人はこの声の主を待ち望んでいたのだ。
「それでさ、みんなの所に向かおうとしたら…」
声の主が現れたのは、化け狐や化けアナグマの面々が現れた場所とは反対側の廊下…ちょうど蛍たちからは背中の位置にあたる場所だった。
「…ん、どうしたのケイちゃんにブランチ?」
…その言葉に、二人は確信した。これは夢でも幻でも、そして偽者では無い。どんな状況でも自分を飾ることなく、素のまま自分のペースを崩さない口調、間違いなくこれは「本物」だ。
その直後だった。紫色のパーカーの中央部に見えるふくよかな胸のふくらみに、大粒の涙を流しながらツインテールの少女が抱きついて来たのは。そして、それと同時に青色のジーンズに、一匹の黒猫が負けずに大泣きしながら寄りそってきたのは。
本当は、ミコも同じような事をして嬉しさを表したかった所だが、今回は蛍とブランチに譲った。むしろ、こうやって遠目で笑顔を見せた方が、意外に意地っ張りな「彼女」にはふさわしいだろう。それはその近くに立つ栄司や郷ノ川医師も同じ意見だった。
そして、「彼女」は蛍の頭を撫でながら全員を見渡した。驚きの顔を見せる者、安堵の表情を見せる者…ヴィオとスペードは前者、サイカや変化動物たちは後者のようだが、全員ともその帰還を心待ちにしていた事は間違いない。
彼らに対して、一番ふさわしい言葉は間違いなくこれだろう。
―――ただいま。
…丸斗探偵局局長、丸斗恵、帰還。