158.最終章 最後の合流者・前編
――今更どこへ逃げようとするんですか?
――無駄だって分かってるのに…
人間を始めとする動物は、知性を持つと同時に「遊ぶ」という事をし始める場合が多い。自らの生存本能と関係していながらも、それとは直接関係していない行為…自分の欲望を癒すために行うという。海の恐るべきハンターであるシャチなどもその例だ。彼らは餌として捕えたアシカなどを食べずにそのまま泳がせ、子供や自分のための遊び道具として文字通り弄ぶ事がある。またその時にある程度傷をつけておき、逃げる事を防ぐという行為も行うのだ。相手に反撃されない…相手がずっと弱い立場に留まれるように。
まさに今、ニセデュークは「遊び」を行っていた。ターゲットは、逃げ場を失った逃亡者。
『くっ…!ここもか!』『ああもう!』
道の真ん中に突然ビルが文字通り生え、巨大トレーラーの行く手を阻んだ。普通のトレーラートラックではないために、運転手以外にも自動車自身にも意志がある事が幸いし、バックは軽々と行う事が出来る。ただ、問題はそれをもう何十回も行っている事だ。一体何故こうなってしまったのか、原因はもうここまで読んで下さった方ならわざわざ書かなくてもお分かりになるだろう。
あまりにも口説いほどニセデュークは何度もこちらに攻撃を繰り返してきた。皆の集合場所であった廃工場は、彼らの一斉攻撃によりまるでシュークリームが潰れるかのようにあっけなく消えてしまった。ならば他の場所は…と考える事は出来ないというのは、ここまで逃走や反撃を繰り返し続けてきた彼らは承知の上だった。ただ…
「お、落ち着くニャ…!」「うるせえぞおい!」「え、栄司さん怒らないで…」
その重圧に今にも押されそうな存在もまたいるのは事実。特に半ば巻き込まれる形でこの避難用のトレーラーに乗り込んだ街の動物はずっと恐怖で泣き叫ぶばかりであった。動物のプロである郷ノ川医師や親分であるブランチは何とか落ち着かせようとするが、一時しのぎでしかないのは覚悟していた。やがて通用しなくなるときがある、と。
「…ホタル」
そんな混乱の状態の中、サイカはその小さな指に力を入れ、隣に座る蛍の手を握った。
「…本当ごめんね、こんな大変なことに巻き込んじゃって…」
「ウウン、心配シナイデ。
…正直、コウヤッテ私モ一緒ニ冒険デキルノガ嬉シイ」
みんな必死なのに、あまり大きな声で言えなかった、と彼女だけに聞こえるようにこっそりとサイカは言った。
あの時…初めて蛍たちと出会った時のサイカとは大違いだ。ずっと家に籠り、一人病弱な父親の面倒を見続けていた悲運の女の子の面影は、緑色の髪をたなびかせる今では考えられない。よく巷だと「大学デビュー」とかいう言葉もあるようだが、彼女もまた今までの日常とは大きく違う世界や仲間に触れ、変わり始めていたようである。
そして、もう一つ彼女は蛍にある事を告げた。サイカがニセデュークによって囚われの身となるそもそものきっかけとなった、あの『ブラックボックス』である。
「コンナ小サイノニ、時空改変ノ記録ガ…」
「これはきっと先輩を助ける鍵になる。だから、絶対に守らないと…」
「ソウダヨネ…」
この中身を解読すれば、ニセデュークの決定的な秘密が分かるかもしれない。だから絶対に守り抜く必要がある…。友人の心の助けを受け、改めて蛍が決意を新たにしたその時、凄まじい爆発音と共に突然トレーラーが左右に揺れ動き、全員とも一気によろめいてしまった。幸いトレーラーに化けているジュンタが身をもって彼らを受け止めたために怪我や傷、ボロロッカ号内の機械の故障は無かったが、一体何が起きたのかと中は騒然としてしまった。しかもその直後、さらに数発同じような爆音が響き渡り、その度に内部が揺れに包まれてしまう。
『な、なんだよあれ!?』
「衝撃波…ソニックブームだ!」
様々な気象を読みとることに長けたスペードの予想通りであった。文字通り、彼らの乗ったトレーラーは波に飲み込まれそうになっていたのだ。背後から笑みを漏らしながら近づくニセデュークたちによって…。
クリス捜査官が命令するまでもなく、ヴィオもスペードも自らの意志でトレーラーの外へ瞬間移動した。完全に相手は舐めた感じでこちらに向かっている。それが二人の怒りの琴線に触れたのだ。外で何が起きているのか、慌てて変身したので窓の事を一切考慮していなかったために蛍やミコ、栄司たちはジュンタらからの伝聞を頼りにするしかない状態だったようだが、デューク・マルトと同じトーンの罵声が二つ聞こえた後、稲光やら強風やら様々な音が鳴り響いた後に静けさを取り戻したという音の様子だけで今回何がどうなったのかはある程度は理解できた。
一分もしないうちに仕事を終えた二人が再び瞬間移動でトレーラー内に戻ってきた。溜息をついたその顔からに疲れを一切隠さない。
「もう、なんであんなにいるんだよ…」「もう僕嫌だ…」
「おめーらがうじゃうじゃ増えたからじゃねーかよ!」「そうじゃそうじゃ!」「子供みたいな事言うなでござるよ!」「け、喧嘩しないで…」
どうやらヴィオもスペードも、本質的にはあのニセデュークとあまり変わらないようだ。もし今のように探偵局や仲間たちに出会わなければ、もし自分が悪い道に進む事を注意する存在がいなければ、デューク・マルトも目の前の大きな駄々っ子のような存在になっていたのかもしれない…。
だが、この時既に彼らは追い詰められていた。
何十回目の急ブレーキだろうか、トレーラーの動きが止まった。普通なら目の前にビルやら何やらが時空改変で現れて立ち往生しているためにここからバックして新たな道へ入れば良いのだが、何故かトレーラーはピクリとも動かない。それどころか、少しづつ震えだしているのが内部からも分かって来た。
「ドンさん!どーなってますニャ!?」
外の様子が分からない事に苛立ったブランチの言葉を聞いたジュンタは、ドンとエルの夫婦の目の前に見える景色を映すべく、内部に巨大な有機ELのテレビを創り出した。勿論これも狢が得意とする変化術の成せる技だ。始めからそうすれば良かったのに、というツッコミを出す者は、その風景を見た時に誰もいなかった。
「…なあ、これどうなってるんだ?」
『…無い…』「ええ…」
…道が「無い」。
闇雲に進む中で、ドンやエルは皆との会話の中で僅かながら自分たちの進む方向を決め始めた。とにかくこの危険な街を脱出し、そこから改めて恵やメックたちと交信を取る。一旦落ち着く場所を見つけないと、事態の急変についていくのに必死な仲間たちを置いてきぼりにしてしまう、というのを考慮したのだ。だが、逃亡の末にようやく一旦街を抜け出す事の出来る場所…ミコが郷ノ川医師を乗せてボロロッカ号でやって来た道路に辿りついた時、その目標は達成されない事が分かってしまったのだ。
街の外に、道は繋がっていなかった。いや、道が「存在しない」状態になってしまったのだ。まるで中世ヨーロッパで信じられていた天動説の地球世界を思わせるかのように、道の向こうには澄んだ青空しか現れず、途切れた道の下には無限に落ちる崖があったのだ。いや、道だけでは無い。左右を見ると、その崖が延々と続いている事が嫌でも分かる。この街は、ニセデュークによって文字通り切り離されてしまったのだ。
その様子に、車内の皆も、変化中の皆も、何も言葉が出なかった。しかし、敵はそんな状況になってもなお攻撃の手を緩めなかった。
「お、おい!」
気配を察知したヴィオとスペードが、クリス捜査官に許可を得る前に車外へ瞬間移動した。どういう状況なのか、短く悲鳴を上げたトレーラーのジュンタの様子から薄々皆も察知していた。栄司や蛍、そしてまだ勇気の炎が消されていない動物たちはいつでも立ち向かえるように覚悟を決めている。
「お疲れ様」「ヴィオにスペード」「よく持ちこたえたね、二人とも」
相手に逃げ場がない事を察知すると、デューク・マルトは怯えきった相手を前に言葉などを駆使して精神を痛めつけるような行為をする事が多い。オリジナルの彼も、追い詰められた悪党に対して様々な時空改変を使ってさらに逃げ場のない状況に陥れた所で止めを刺す形をこれまで何度も取ってきた。それと思考判断が全く同じ…そして、過去の彼の如く「善」の心をという物を理解していない偽者たちが、トラックを空からも陸からも取り囲むという形に出るのはある意味必然だったかもしれない。
かつての自分たち相手に、ヴィオもスペードも精神的に疲れ果て始めていた。過去に一度時空改変回路を焼き切られた彼らは、そこから新たな形での再生を遂げているために、正確にはデューク・マルトとは異なる系統の「デューク」という少々ややこしい存在となっている。だがそれ故に、精神力など様々な面で他のデュークとは違うものが現れていた。良い方向に働く事も多いが、今回のように体力に心が追いつかない、という「焦り」や「疲れ」といった厄介なものまで抱え込むようになってしまっていたのだ…。
君たちはもう終わりだ。
その言葉と同時に、ニセデュークたちが一斉にヴィオとスペードへ向けて手をかざす…
…この展開、この一日で何度繰り返された事だろうか。ヴィオもスペードも、そして蛍やブランチを始めとする探偵局の面々も。何度も何度も同じ事をされ、その度に同じように追い詰められる。
何百万ともいる敵は、皆揃って全員とも同じ存在。だから、考える事も成す事も全て一緒、全て均等。しかし、彼らはそれで構わないかもしれないが、その枠から外れ、客観視する者としては、ずっと延々と『同じ』を繰り返される事は苦痛でもあり、拷問でもある。だが、それを断ち切る方法をずっと彼らは見つける事が出来なかった。何度やっても、相手は勢力を取り戻し、また追い詰められる。
いわばマンネリと化してしまった状況を打破するには、外部からの刺激が必要だ。蛍や過去のクリス捜査官、郷ノ川医師らが追い詰められた時と同様、今回も彼らの行くべき道を照らしたのは…
「…お、お前…!」
腕がまるで金属のように固められ、身動きが取れなくなったニセデュークたちが苦い顔で見つめる先に、彼らと同じ服装をした「三人目」が手をかざしていた。服装や表情は彼らと全く同一だが、セミロングの髪から覗く額には、過去の罪を懺悔するかの如く深い傷が刻み込まれている。
そして、彼の名前…メック・デュークの名前がヴィオとスペードから叫ばれた直後、彼らは自らを覆う巨大な影に気がついた。その直後、遠くで巨大な爆発音が轟き、いくつもの黒い影がまるで火山弾のように吹き飛んだのが眼に入った。「影」からの強力な一撃が、ニセデュークの体に打撃を与えたのである。
そして、それはこの「影」にとって二度目の事だった。上空を見上げたヴィオやスペード、そして影に気付いた探偵局や仲間たちに映ったのは…
「…な、何でござるかあれは!?」
「ひ、飛行船!?」
状況を知らない者は驚きの顔を見せ、その飛行船の正体を知る者は喜びの表情を見せた。
そして、ヴィオやスペード、そしてドンたちトレーラーに化けた者たちの元に、飛行船から伝言が届けられた。いや、正確に言うと飛行船では無く…
『こちら松山の坂上玄、坂上花音。君たちの助太刀に参った!』
『みんな、急いであたしの旦那の中に来てくれないかい?』
…以前、ドンやエルの隠れ里での戦闘時に多大な協力をしてくれた、松山の化け狸の親分夫婦。その心強い一報を、ドンやエルたち化け狐が断るはずも無かった…。