156.最終章 集結・丸斗探偵局 中編
誰かから厳しく怒られた時、例え親身な立場からの注意や叱咤でもその事を恐れてその人に近づく事すら出来なくなってしまう、という事例。蛍は以前、そういう人を心がけが足りないだけだと軽い考えを示した事があった。単に相手が約束を破ったのが悪いだけ、勇気を持って謝らないと解決なんて起きないのに。今までずっと「正しい事」だけをし続け、失敗を知らず、何事に対しても真っすぐな彼女の心からの意見であった。
だが、そうやって何かしらの形で見下しているような状況に自分が置かれてしまった時、その行動や心境はその立場の人たちよりも遥かに大きいものとなる。誰かに迷惑をかけたというだけではなく、自分を裏切ったことにもなるからだ。罪の意識にさいなまれた蛍は今、目の前の青髪の男たちから目を反らすかのように首を振り、そのまま無言で黙りこんでいる…。
「お、おい…」
「しっ」
彼女やヴィオたちよりも人生経験が豊富な郷ノ川医師は、そのまま目線で近くに佇む栄司に合図をした。勿論彼も何をすればよいか分かっている。
静かに桃色のツインテールの少女へ向けて歩いて来たその影が、この時の蛍にとってはニセデュークに及ぶほどの怖さだったのかもしれない。少しだけだが、ずっと無事を望んでいた存在を拒絶しかけてしまったのだ。だが、そうは栄司が卸さない。少々乱暴に彼女の右手を握り、自分の方に近づけ、そして左手を蛍の頭上に上げたのだ。一体何をしでかすのか、まさか殴るのかとヴィオやスペードは驚くが、彼らの近くにいつの間にか立っている別の栄司に邪魔するなと口を抑えつけられた。
…そして、目を瞑った蛍に、栄司の左手の感触が加えられた。しかし、それは打撃では無い。優しく彼女の頭を撫でる…局長によく似た手だった。
「分かっただろ、蛍。約束を破るとどうなるか」
「ご、ごめんなさい…」
「何言ってんだ、謝るのは俺じゃねえだろ」
…何を言ってるのか、一瞬分からなかった。だが、彼女の傍で優しい笑顔を見せるサイカ…「秘密を無闇に他人に明かさない」という約束を破ったがために危険な目に遭わせてしまった親友を目にした時、ようやく彼が何を言いたいかを理解した。
栄司は冷たい男だ。相手にどんな事が起きようとも、それは他人が動いたから生じた結果で自分は何も関係がないし、巻き込まれるなどもっての外。自業自得だと冷たく見放すのがいつもの流れである。だが、それがビジネス上重要な相手や自分が有利になる相手の場合は例外だ。持ち前の冷静さ故、そういう時には敢えて優しく接するのが得という算段が彼の脳内にあった。とは言え、実質的には仲間を大事にするという基本的な正義心を隠す照れ隠しなのかもしれないが。
彼の言葉の後、改めて蛍は皆に迷惑をかけてしまった事に頭を下げた。自分自身へのけじめをつけるため、頑固な彼女は自分の過ちを認めたのだ。勿論、皆の答えはそれを許すというものだった。ここで喧嘩を始められては、今から始まるであろう戦いに耐える事は出来ないだろう、という意見だった。そう、様々な道のりを経てここに皆が集った理由はただ一つ。
「…デューク先輩を助けに行くのかニャ」
「そうでござる、ブランチ殿」
ただ、その提案に関して全員が総意の元で挑むという状態には、未だに至っていなかった。その大きな理由として、今回立ち向かう場所があまりにも無謀な限りという点である。あの日、恵局長はデュークが消えたとしか伝えていなかったが、その「デューク」の一員であるヴィオとスペードには、既に彼がどうなっているか理解していた。彼は「本物」のメグミと、「偽者」のデュークによって遥か遠くの場所へと連れ去られてしまったのだ。時空警察すらその凄まじい能力のために未だに位置が掴めない場所…
「は、犯罪組織の本拠地…ですか!?」
「オイラもすっげー怖いよ…だってエルさんよりも強い奴がわんさかいるところなんだろ!?」
人間に変化しているアナグマのジュンタを始めとして、カラスや犬、猫、スズメの動物勢は特に怖気づいていた。先程とんでもない恐怖を味わったコウモリ夫婦はなおさらだ。あんな凄まじい所に無理に入ることなど動物の本能が許さないからだ。
ただ、それでも皆がここにやって来てくれたのは、全員とも僅かながら覚悟や勇気があるからであるのもまた事実であった。
「…ま、正直俺も命知らずすぎるとは思うんだよな」
「医者の癖に命捨てないで欲しいっすね…」
傍にいる栄司に突っ込まれながらも、この事態を解決する鍵は間違いなく彼のみである事を郷ノ川医師は静かだが力強く言った。勝てる自信はあるとは全然言えないが、だからと言ってもう逃げ場は無い。そうなれば自爆覚悟で本拠地へ突っ込むしかないんじゃないか、という半ば諦めも入った感情が彼には入り混じっていた。
彼と同様の意見を持っていたのは、科学を駆使して患者を治す医者と相反するような、呪術を用いていた亡霊のスティーブンイワサザイであった。どうせ敵わないのなら一打報いた方がスカッとするのではないか、そう考えていたのだ。正直亡霊が言うのもあれだが声には僅かながら震えが含まれていた。だが、やるしかない…。
その一方で、ある程度の希望を持つ存在もいた。
「ぶっちゃけ、俺は勝つとか負ける以前に」「デュークをぶん殴りたい」
…先程まで冷静に対応している彼が、欲望に忠実な発言をする。ただ、こういう壮大かつ無謀な目標を目指す時は敢えて身近な物やしょうもなさそうな目標を立て、それを一つ一つ潰していく方が案外上手くいく場合も多いのもまた事実である。ここまで自分たちを振り回し続けた存在や、自分の命を狙うような存在を栄司は許さない。何だかんだで彼は冷酷で乱暴なようだ。
ただ、それとは別に、純粋な「恩義」のために賛成の立場に回る者もいた。ドンとエル夫婦は、かつて何度も危機を助けてくれた彼に恩を返すために挑む覚悟を決めていた。さらに、かつても偽者のデュークに打ち勝った過去が彼らにより自信をつけていた。
「勝てる見込みが完全にあるとは言えない」
「ですが、勝てない見込みだけというのは違いますわ。ここまできた以上、奇跡を信じると言うのも…」
「…そうじゃの」
…皆の意見をずっと腕組みしながら聞いていたミコが、声を出した。
そして一言だけ告げた。絶対に大丈夫だ、と。
「言うとくけど、別にうちが予知が出来るから言っとるんじゃないけえ。あくまで願望じゃ」
いくら百発百中の予知能力を持つ家系育ちの彼女とて、今回の相手はあまりにも大きく恐ろしいもの。そんな相手の懐に侵入しようなんて、さすがのミコでも恐怖を抱かずにはいられない。だが、それはすなわち敗北と言う未来を予知してしまうという事にもなってしまう。いくら未来が明るくても、それを信じて行動しなければ予知など簡単に変わってしまうのだ。だからこそ、大丈夫だと彼女は仲間にも自分にも言い聞かせたのである。
ミコの実力を知る者は、彼女の言葉を聞いて静かに重みを感じ、知らぬ者も確信と決意に満ちた言葉を心に抱き始めた。だが、このままだとずるずると決心のつかぬまま引きずってしまう事は目に見えている。一体どう行動するのか、決定権を握る存在は誰なのか…工場を覆うように存在していた栄司たちが、互いに顔を見合わせて頷いた途端、一気に消えた。いや、一人に絞ったのだ。そして、そのまま刑事の衣装に身を包んだ彼は、今回の事件の渦中にある少女の方を再び向いた。
「…お前は、どうしたい?」
「…え?」
「そういえば、蛍殿の意見をまだ聞いてないでござったな」
『お主が敬う者が消えたのだろう?ならば…』
「お待ちください、イワサザイさん。考えを誘導させてはなりませぬ」
エルに注意されて一旦彼が黙りこんだ直後、彼女は勇気を出して自分の考えを皆に伝えた。
怖いのは、自分だけでは無かった。ここに辿りつくまで、ずっと恵局長やデューク先輩が消えたと言う事実、ニセデュークという恐怖、そして解決策が見えない中での葛藤を彼女は感じ続けていた。ブランチ先輩や栄司さんという心の支えがあっても、どうしても「自分」だけというネガティブな心をぬぐう事は出来なかった。でも、今こうやって皆が集う事が出来た事で、そういった恐怖が薄れ始めた…。
「…やっぱり、仲間って大事だと思うんです。みんな考える事も見る物も違う、でもだからこそ集まった時の力って凄いんじゃないかって…」
無理にとは言わない。むしろ巻き込んでしまった事を謝りたい気分だ。でも、もしよかったら自分たちに協力してくれないだろうか。
最後に、お願いしますという言葉と共に蛍は皆に頭を下げた。
再びの沈黙の後…
「…ニャんかどっかのテレビで聞いたセリフだニャー」
…それを破ったのはまた余計な事を言うブランチ先輩だった。全員から総スカンを食らいつつも、その様子に逆に勇気づけられた存在も現れた。こんな奴が余裕ぶってるのに自分が怖気づくなど恥だとブランチの尻尾に噛みつきつつ言ったのはイワサザイの亡霊。そして彼の頭をグリグリしつつ、郷ノ川医師も心が落ち着いてきたようだ。やはりこのノリが丸斗探偵局だ。どんな困難な事態でも、余裕と明るさ、少々のズッコケ、そして勇気を忘れない。なんだか、彼らと一緒ならどんな困難でも全然大丈夫な予感がしてきた。
そして、その横で複雑な表情を見せる蛍の様子が目に入った化けアナグマのジュンタが、彼女の元に歩いて来た。
「…へへ、オイラもよく考えたら山の中で崖から落ちたり川に流されたり色々あったの思い出したよ」
「じゅ、ジュンタさん…なんだかごめんなさい…」
「いやいや、こういう時にこそオイラの力使わないと、ね?」
さっきまで怖がってたのに、と横からサイカが突っ込みを入れた。彼女も決心がついたようで、親友の力になればと考えているようである。
次第に先程までの緊張感が薄れ始め、場が和み始めた。そして、そのまま一気に救出への決起へと持ちこもうとした、まさにその時であった。
「…あっ!!!!」
全員が一斉に、大声の方向に注目した。
「か、肝心な事忘れとった!
なあ、誰かメグはん見んかった!?」
…あ。