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153.最終章 漆黒の海を越えて(中編)

ビルが立ち並ぶ街の中で、まるで雪のような冷たい静寂が流れた。

手の首に血を流す金色で髪を染めた女性を、その傷をつけた黒猫は冷静かつ怒りの目つきで睨みつけていた。あまりにも突然の行為に、コウモリ夫婦ですら唖然とした。ずっと仲睦まじく話していたはずなのに、一体これはどういう仕打ちなのか…?


『な…何するんじゃこのネコ!』「ブランチ先輩!何やってるんですか!」


当然、黒猫ブランチに向けられたのは怒りの言葉だ。ミコの罵倒にあわせるかのように蛍も彼を責め立てる言葉を投げかけた。だが彼は怯まなかった。丸斗探偵局の一員であるブランチは、静かな口調でミコと郷ノ川医師に告げた。


「それを渡すわけにはいかないニャ」


その口調から、彼特有の敬語が消えていた。


『ふ、ふざけんな!』『なんじゃ、うちらを信用せんっつーのか?』

「その通りだニャ!だいたいミコさん、このブラックなんたらの情報、どっから聞いたんだニャ?」

『そ、そりゃメグはんからに決まっとろうが』

「…そ、そうなんですか…?」


それは嘘だ。黄色と黒の瞳でブランチは彼女たちを睨み続けていた。いつもおちゃらけたり怠けてばかりの恵局長だが、他人からの重要な情報は絶対に守っている。例え些細な情報であれ、個人の尊厳を揺るがしかねないような機密情報は絶対に明かさない。そしてそれは、探偵としてあるべき姿だ。普段の様子とは異なる、まさに動物たちを纏める「大ボス」の顔で、目の前の敵を威嚇し続けるブランチだが、彼の言葉はもう一方の存在へもダメージを与えていた。いや、こちらも自業自得なのかもしれない。

確かにあれは単なる世間話で、しかも語った相手は自分の大親友。正直な所、それで大丈夫だと蛍はずっと油断していた。だが、相手が絶対に秘密を明かさないと約束したとしても、その「相手」がそのままずっと安全な場所にいるという保証は無い。そして、その情報を誰も狙っていない、誰も興味が無いという保証も…。

あの時栄司に逆切れしてしまった愚かさも含め、蛍の表情が反省や自責で青ざめ始める中、同じように動揺の色を見せ始めた「ミコ」や「郷ノ川医師」を前に、ブランチは決定的な事を口走った。一体それは、いつ恵局長から聞いた言葉なのか。普通の人ならば、その後つらつらと「ミコ」の口から出た言葉を信じるかもしれない。嘘偽りも一切感じられない、真実の言葉だからだ。ブランチも、一瞬だけその言葉を信じるそぶりを見せた。


…だが、丸斗探偵局にその手はもはや通用しない。


「オレの感覚、ニャめんなよ?」


ミュータントの黒猫ブランチの五感は、どんな時の流れも感じ取ってしまう。例え真実が歪められようとも、一度覚えた匂いの記憶は維持されるのだ。もはや、相手は自分たちの仲間では無かった。仲間の姿を模した偽者、そして自分たちを包み込もうとする恐るべき存在である事が今、公にされたのだ。

先に笑みを浮かべたのは、「ミコ」と「郷ノ川医師」だった。青ざめた表情が戻らぬまま茫然と立ちすくむ蛍を守るかのように、コウモリ夫婦とブランチが立ちはだかるが、驚愕するのはむしろ彼らの方だった。目の前にいた二つの影が、その背後にいたはずのボロロッカ号と共に姿を変え始めた…と言うのは、これまでブランチは飽きるほど経験した定型文的な流れだ。だが、今回はそれ以外が異常だった。


「ニャ…!?」「「…!!」」


悲鳴のような声を上げた時、彼らは先程までのやり取りの中で既に逃げ場を封じられてしまっていたことにようやく気付いた。確かにここはちょっと人通りの少ない町の外れの道だが、それでもしっかりと通路としての機能は維持されていた。だが、この区域から外へ出る事が出来るはずの場所には、灰色のビルが壁となってそびえ立っていたのだ。それは後ろも左右も全く同じ。空はどうか、とコウモリの旦那さんが超音波を送ろうとするも、まるで井戸の中に落とされたかのようにビルの影は恐ろしく高くなり、こちらを睨むのように見下ろしていた。


そして、捕えられた「獲物」の「調理」が始まった。


「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」


無数のビルの窓と言う窓、屋上という屋上、そして壁という壁から、全く同じトーンの笑い声が流れ始めた。今までに経験した事のないほどの数だ。一つの笑い声は、蛍やブランチを勇気づける存在なのだが、それが何重にも折り重なり、こちらを責めるような邪悪な笑みに変わると彼らは恐怖のどん底に陥れさせるのだ。


「ああ…ああ…」

「ほ、蛍!落ち着くニャ!」


頭の中の混乱が抑えられない新人を、先輩は必死に落ち着かせようとする。耳を塞いでも延々と聞こえてくるその笑い声に、コウモリたちも必死に抗おうとするが、どちらとも無駄な努力であるのは残念ながら目に見えていた。いい加減にしろ、というブランチの怒鳴り声に、目の前でほくそ笑む三人のニセデューク…先程まで彼らをずっと騙し続けていた存在が、口元の不敵な笑みもそのままに、彼らに言った。


「君たちの探している存在、」「返してあげようか?」


…その言葉に、蛍はまるで蜘蛛の糸を掴んだかのように最後の気力を振り絞って言った。大事な友達であるサイカを返して、と。

必死の彼女に対し、ニセデュークは意外にもあっさりとその言葉を受け入れた。一体何を考えているのか、この時ブランチもコウモリも見当がつかなかった。だが、この時僅かながら彼ら全員の中で薄らとした「希望」に見せかけた油断が生まれてしまっていたのだ。この後に来る衝撃は、あまりにも大きかった。


「ホタル、助ケテ!」


笑い声が止み、前の方のビルの上の方から悲鳴が聞こえ始めた。間違いない、これはサイカの声だ。すぐに向かおうとした次の瞬間だった。


「ホタル、助ケテ!」


…探偵局の面々の中で、何かしらの形で自分の姿を増やす事が可能な存在は、恵、デューク、蛍、栄司くらいしかいない。狸や狐の皆さんも術か何かで出来るかもしれないが、少なくとも亡命宇宙人であるサイカはそういった能力を有していないはずだった。しかし、何故前から聞こえる助けを呼ぶ声が、同時に後ろからも聞こえ始めて来たのであろうか。いや、それだけではない…


「助ケテ!」「助ケテ!」「助ケテ!」「助ケテ!」「助ケテ!」…


四方八方から、全く同じ声が包み始めたのだ。しかも、今回はそれだけではない。窓や屋上に映る人影が鮮明に見えた時、蛍の精神は我慢の限界を迎えてしまった。


「…い…い…いやあああああああああああ!!!!」


葉緑素入りの緑色の髪をした、蛍よりも背の低い少女。それと全く同じ姿をした少女が、窓と言う窓、そして屋上と言う屋上を埋め尽くさんと現れたのだ!


「助「助「助ケテ」ケ「助「助「助「助ケテ」ケ「助ケテ」テ」ケ「助「助ケテ」ケテ」「助「助「助ケ「助ケテ」テ」ケテ」ケテ」「助ケテ」テ「助「助ケテ」ケテ」」ケテ」テ」ケ「助「助ケ「助「助「助ケテ」ケ「助ケテ」テ」ケ「助「助ケ「助ケテ」ケテ」「助「助「助ケ「助ケテ」テ」ケテ」ケテ」「助ケテ」テ「助「助ケテ」ケテ」」ケ「助ケテ」テ」ケテ」ケテ」「助ケテ」テ「助「助ケテ」ケテテ」ケテ」「助「助「助ケ「助ケテ」テ」ケテ」ケテ」「助ケテ」テ「助「助ケテ」ケテ」」テ」ケテ」「助「助「助「助「助「助ケテ」ケ「助ケテ」テ」ケ「助「助ケテ」ケテ」「助「助「助ケ「助ケテ」テ」ケテ」ケテ」「助ケテ」テ「助「助ケテ」ケテ」」ケ「助ケテ」テ」ケテ」ケテ」「助ケテ」テ「助「助ケテ」ケテ…


さあ、いくらでも返そう。その代わり、こちら側も君たちの手の中にある物を渡してもらおうか。

助けを呼ぶ声が、次第に助けを妨げる嘲り声のように響きを変えていく中、三人…いや、ビルの中から実体化した十数人のニセデュークは、探偵局を取り囲みながらわざと優しく告げた。厳しく接するよりも敢えてこういう柔らかい口調で責める方が、より相手に対してダメージを与えやすい事を、彼らは既に熟知していたのだ。

だが、いくら彼らに精神を崩されようとも、蛍の強固な意志だけはねじ曲がる事は無かった。


「ぜ、絶対に!絶対!渡さない!渡さないんだから!」


涙を流しながらうずくまりながらも、手に握る黒い箱を守り続ける彼女は、鉄筋コンクリートよりも硬いその頑固さを貫き続けていたのだ。むしろ、我慢の限界に達した事でより感情が露わになったのかもしれない。そして、ブランチやコウモリ夫婦も無駄だと分かっていながらも最後まで抵抗を続ける構えを示した。


それを見たニセデュークと、取り囲むように佇んでいた無数のニセサイカの表情が一変した。当然だろう、ここまで脅しても駄目と分かれば実力行使しかない。小物っぽさもあるが、実質彼らは時空改変能力…すなわち万能の力を有する者。彼らが一度怒れば、どのような事になるかは目に見えている。

ビルの壁と言う壁が黒ずみ始め、その中から全く同じ黒髪の青年が次々に姿を現し始めた。最終宣告を受け入れなかったと見た彼らが動き出した印だ。次々に蛍やブランチの上の空が黒に覆われ始める。何百、いや何千ものデュークが、四名の標的を見下ろしていた。


「ひ、ひいいいいい…」


涙でしわくちゃになる蛍に、ブランチもコウモリ夫婦もしがみ付いていた。今までに経験した事のない恐怖…というものかもしれない。



「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「タスケテ♪「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「「「「「「「「「「タスケテ♪「「「「タスケテ♪「「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「タスケテ♪「「「「「「「「「「もう反撃は出来ないようだね…」」」」」」」」」」」」」」」」タスケテ♪」」」」」」」」タスケテ♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」タスケテ♪」」」」」」」」」」」」」」」」」タスケテ♪」」」」」」」タスケテ♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」タスケテ♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」タスケテ♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」タスケテ♪


嘲り笑う少女の声と、目の前の存在を見下す青年の声。無数の響きが重なり合いながら、最後のとどめに走り始めた。彼らが指を一回鳴らせば、オリジナルにつき従う存在は一瞬で消えうせる。

そして、中指が親指の抑えを離れ、軽快な音を響かせようとした…



その直前であった。



…目を瞑る蛍とブランチ、そしての耳をつんざく音は、明らかに「指パッチン」とは違う。それよりも遥かに大きく、まるで何かが落ちたような凄まじい音だ。そう、「雷」である。一体何が起きたのか、また新手か、だとしたらもう自分たちはもう完全に助かる見込みはないのか。そう思い、より目を強く握りしめてしまった蛍の肩を、そっと優しく叩く人がいた。

一瞬、またニセデュークかと考えてしまった彼女だが、すぐにそれは謝りである事に気がついた。その触り心地は、明らかに女性のもの。そして、優しくも凛々しい心の持ち主。ふと見上げたその姿に、蛍も、そしてブランチも釘づけになった。突如現れた人影が誰だか知らず、困惑の色のまま固まるコウモリ夫婦を除いて。


そして、その背後にもう一人、別の影が現れていた。


先程の落雷の影響は、見事に「彼」の思い通りの形で現れていた。脳の時空改変回路に直撃した雷は、まだ何も経験して無い未熟な自分自身を失神させるには充分すぎるエネルギーが込められている。一瞬で体を貫いたそのダメージは、地面に黒い山を創り出すほどだった。

そして、それを退けた長髪の男たちは、怒りの形相で「彼」を見つめていた。だが、そのターゲットの方は余裕の顔…まさについさっきまでニセデュークたちが見せていたあの顔そのものだ。


「…やれやれ、随分派手にやってくれたねー」

「よくもやったな…」「僕たちの邪魔を…!」




それが、ひねくれ者のやり方。


「彼」もかつて、均一な姿のまま増え続けるニセデュークの一員だった。自分の行動に何も罪悪感も面倒臭さも示さず、一つの世界でのみ生き続けていた。だが、別の世界を知り、今までの自分の行いを振り返る機会を得た時、彼の心は明らかに変わった。悪事という罠とその面倒さに気づくと同時に、次第に彼の中に独特の力が芽生え始めていたのだ。「彼」はデュークであるのは間違いなが、もはや目の前の連中とは別格の存在。

その名を、スペード・デュークと言う。

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