147.最終章 悪夢の招待状
デューク・マルトがデューク・マルトたる所以の一つである「時空改変能力」。それを司るのは、受精卵の段階で組み込まれ、やがて彼の脳細胞に集中して存在するようになった、有機物で校正されたナノマシンである。今、その機密は過去の世界に存在する一人の少女に託されている。あらゆる世界を揺るがしかねない発明を、欲望に流される事無く保つ事が出来る存在として、彼女が開発者に認められた証だ。
だが、一番知ってはならない者たちには、既にこの事実は筒抜けとなってしまっていたのだ。
「ふふ、今頃苦労してるんだろうな」「全くだよね」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」「ふふふ♪」
自分やリーダー以外の仲間を知らない存在が、自分たちの作戦が成功している事を祝うかのように微笑み始めた。その声は何重にも響き合い、数百数千もの同じ顔が笑い続ける。
常人では耐え難い光景、時空改変の力を持つデュークでも、自分と同じ顔の存在がここまで並ばれると気が狂いそうにもなってしまう。だが、それでも彼は耐え続けていた。
「…笑っていられるのもそこまでだ」
どんな状況でも絶対に自分の優位性を保ち続ける事を努力し、相手に対して弱みを見せる事が無い彼の仲間と同じような行動をデュークは取った。
今まで何度も自分たちは彼ら…自分の欲望優先のコピーデュークたちの野望を打ち砕き続けていた。相変わらず仲間であるサイカを利用するという卑怯な手を取っているようだが、今回もまた、自分たちは野望を打ち砕いてみせる。目は虚ろながらも、デュークの言葉は静かに重く、芯は太かった。
だが、その言葉を聞いた途端、オリジナルを幾重にも取り囲むコピーたちの目の色が変わり始めた。怒りや悲しみというよりも、呆れや戸惑いの目だ。
「…まぁ仕方ないか」「うん、オリジナルだし…ね」「…」「…」「…」「…」「…」「…」「…」「…」「…」
「どういう…事だ…?」
「あの人たちはオリジナルの仲間だろ?」「手荒な真似はしないさ」「うん♪」「うん♪」「うん♪」「うん♪」「うん♪」「うん♪」「うん♪」「うん♪」
…むしろ、歓迎しないと。
コピーの言葉に続き、もう一人のコピーが言った。既に彼らへ招待状は送りつけてある、と。
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既にそれは、恐るべき形で贈られていた。
先程まで緑の髪と緑の服で包まれていた少女は、その形を歪ませ、黒い正体を露にしている。確かにその姿形を見れば、蛍やブランチ、栄司は喜ぶべきなのかもしれないが、彼らは既に目の前の存在が何者かを把握している…。
「てめぇ、サイカをどこへやりやがった!」
怒りをぶつける栄司を嘲笑うかのように、偽者のデューク・マルトは口元に偽りの笑みを見せ続けていた。
「教える必要、ありますか?」
ふざけるな、という言葉とともに、栄司はニセデュークの頬を拳で殴り飛ばした。後ろで蛍が唖然とした顔で見ているが、今は他人の目線など気にしていられない緊急事態だ。当然ながら、彼による打撃の跡は瞬時に消えていた。相変わらず余裕の笑みを崩さないニセデュークを前に、栄司は相手が何を狙っているかをすぐ察知し、別の栄司が蛍やブランチを守り通そうとしていた。奴らの狙いは、たった一つ…
「ブラックボックス、ですよね?」
…誰もがその言葉を発した主に驚愕した。特に、あらゆる気配を区別することが出来るブランチは恐怖と戦慄で一番驚きの顔を見せていた。
ニセデュークは、一体だけでも撃退に様々な手を尽くさないといけない強敵だ。しかも、倒しても倒しても次から次に新たな個体が襲い掛かる。だからこそ、今のように一気に複数の個体が同時に現れるというのは、蛍たちにとって非常にまずい事態である。しかも、よりによって栄司の家の中に…。
「お前ら、今すぐ逃げろ!」
栄司は最終手段を勧告した。機密情報などこの状態なら意味を成さない、こういう場合はスピードのみが勝敗を決する。
言葉の意味をそのままに受け取り、慌てて逃げ出そうとしたブランチとは真反対の方向に蛍は走り出した。すぐに彼もその理由を察知し、栄司の家のタンスへむけて駆け出す。今はとにかくブラックボックスの事だけで精一杯、何故ニセデュークは彼女たちを妨害せずに見送るのみなのかというところには全く頭が回らなかった…。
タンスの棚の中に、ずしりと重いブラックボックスが入っている。一体どの棚に入っているのか…
「上から二段目ですよ、蛍さん」
…そこから先、蛍の記憶はしばらく曖昧になる。
ブラックボックスの隠してある場所まで把握されていた事に対する驚愕か、二人どころか三人目まで現れた事への戦慄か、それは分からない。ただ、確かな事はいくつかある。良い知らせは、ブラックボックスが幸いにも蛍の掌に握られている事。ブランチも無事な事。
悪い知らせは、彼女たちが脱出した直後、栄司の家が木っ端みじんに吹き飛び、ニセデュークもろとも栄司が行方不明になった事。そして…
「ふふふ…」「ふふふ…」「ふふふ…」
ニセデュークの数が、3人以上だったという事。
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…いや、正確に言えばニセデュークの数は、3人以上どころでは無かった。
「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」「「「「「やあ、オリジナル♪」」」」」
…幾重にもコピーたちに囲まれている、オリジナルのデューク・マルトが囚われている牢獄の周りに、大スクリーンの如くこの場所…『犯罪組織』の地下の様子が映し出された。
そこに映されたのは、地下に存在するあらゆる構造物を、長髪の美男子「デューク・マルト」が埋め尽くすという光景だった。
映像の中央に大きく見える、ちょっとした競技場よりも広い大きな床も、彼の服や髪の色が隙間無く存在し、黒い海の中に埋もれている。だが、恐るべきは黒い海が形成されているのはこの床だけではないという事だ。
スクリーン状の映像の中には、まるで立方体を縦横に重ね合わせ続けたかのように、何百何千もの床が存在している。その全てが、一人の男性によって覆われていたのだ。
全員とも長い黒髪を持ち、黒い燕尾服で身を包み、黒縁の眼鏡をかけ、そして映像を見ているであろうオリジナルのほうを向けて笑顔を送っている…。
…こんな恐るべき事態になっていることなど、本物のデュークには全く予想だにしない出来事であった。あごが外れたかのように開いた口が全く塞がらない。
だが、そんな彼をさらに驚愕させる事態が起きた。中央に見える彼らの姿が、突如ぶれはじめたのだ。
「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」「じゃあね、オリジナル♪」「行ってくるよ、オリジナル♪」
その言葉と同時に、数万もの影が一気に消え、中央の灰色の床が一面に見え始めた。だが、それも一瞬、すぐさま中央に新たなニセデュークが一人、十人、百人と現れ始め、ねずみ算の如くあっという間に先程と同じ光景が戻ってきた。
「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」「やあ♪」
…笑顔で画面の向こうへ挨拶をする、新たに生産されたコピーたちの一方、オリジナルは何も言葉が出なかった。その横に、全く同じ端麗な顔が耳打ちをするように左側から近づいて言った。「招待状」は、楽しんでくれたか、と。
「…これで、ざっと100万人かな?」
「ふふ、そうだね」
「もっとたくさん過去へ送り込んでもいいんだよ、オリジナル?」
彼らはきっと、「デューク」に会いたいだろうから。
その言葉に、本物のデュークは怒りを表すかのように、この場を離れようとした偽者の服の裾をつかんだ。このようなことは、絶対にさせないと言わんばかりに。
だが、すぐにその手は離された。彼の掌に電撃が走り、力が入らなくなったのだ。何故そうなったのかは、彼を悲しそうな目で見つめるニセデュークの言葉で分かった。
「…僕も昔、君にそうやった事がある。
その優しさを、どうして僕達に分けてくれなかったんだろうね…」
再び牢獄のドアが閉まり、彼の周りに大量の同じ顔が見つめる時間が流れ始めた。良心に目覚めたが故に罪の意識にさいなまれたデュークの精神は限界に近付いていた。
全てを裏切り続けた男の、哀れな姿であった。