146.最終章 有田邸の午後
冬の太陽は、遅寝遅起き。陽の光が部屋に差し込み、そこで寝ていた一人の少女に夜明けを告げた。桃色の長髪に寝癖が残る中、丸斗蛍の意識は徐々に覚醒した。そう、最初は少しづつだったのだ。だが…
「ん…ん?んんん!??」
今まで彼女が寝ていたのは、とある家の一室。今までのベッドと違い、大きな布団の上でぐっすりと休息を取っていた。だが、目覚めてみれば、彼女の周りにはどこを見ても男、男。確かに一緒には寝ていたが、まさか十数人もの「彼」が自分の周りを取り囲む状態になっていたとは全く気付かなかったようだ。
驚きのあまりに蛍が出した悲鳴で、その男…有田栄司は、皆一斉に目を覚ました。
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あれから一週間以上。丸斗探偵局は、未だに再建できていない。探偵局の局長および助手という、運営に非常に関わりのある存在が突如として行方をくらましてしまったからである。探偵局に関わった皆で協力して探しているものの、どちらともその姿を見つける事が出来ていない。そして、それと同時に「探偵局」という建物そのものも消え去ってしまっていた。
「朝は悪かったな…謝れお前ら」
「「いでっ」」
朝食中、この家の主は先程蛍を驚かせた犯人の頭を叩いていた。あまりにも的確な激痛の反応に相手側は怒るのだが、それも当然だろう。この部屋にいる少女と黒猫以外は、全員同一人物、有田栄司だからだ。
以前、彼は「探偵局」という物件そのものがデュークによる時空改変によって生み出されたと言う事を聞いた事がある。それ以前には何も無かったはずという記憶と、以前よりここに存在していたと言う書物の内容の食い違いも、それによって引き起こされたものであった。だが、今は彼の記憶の方が正しいと言う証明が成り立ってしまっている。しかし、それ以上に困っていたのは黒猫のブランチだったに違いない。彼のもう一つの家が、跡形もなく消え去ってしまったからである。それに、万が一の事も考え、蛍ともども探偵局の皆を一旦自分の家に引き取る決意を栄司は固めた。
朝食を終え、午前の穏やかなひと時が流れ始めた。もう仕事始めも過ぎ、増殖した有田栄司が続々と仕事に向かう中、たいてい4,5人ほどはずっとこの家にいて様々な事をしている存在がいる。留守番などを担当するある意味「警備員」的存在だと本人たちは言っていたが、今では冗談では無く、二名をこの場所にかくまい守るというのも重要な役割になっていた。先程は失態を見せてしまったものの、姉がいた彼はしっかりと女性への礼儀を覚えている事を、蛍は確信していた。
「それにしてもニャ…」
そんな中で、ブランチは少々欲求不満になっていた。この家に「避難」して以来、外に一度も出ていないのだ。家でゴロゴロするのは確かに大好きだが、元々野良猫であった彼は次第にそれに飽き始めていた。せっかく新年初の連載なのだから外で思いっきり遊びたい、と。
だが、それは不可能である事も承知していた。
「…大丈夫…ですか?」
外を見る栄司に、蛍が声をかけた。大丈夫としか言いようがない、というのが彼の本音であり、回答だった。当然、今日も外へ出る事は出来そうにない。よりによって、あの陽元ミコが自分の予言に確信を持ってしまったからである。
今、間違いなく偽者のデューク…邪悪な心を持つ凶悪な存在が、この世界をうろついている。ブランチが感じ、蛍が察した通り、恐らくデュークはそいつらに元の場所へと連れ去られたに違いない。真剣な面持ちで、予知能力者は言ったのだ。
「昨日も連絡が無かったからな」「恵の奴…」
彼女が見つからない限り、事態はどうあがいても進行しない事は、探偵局と深い繋がりを持つ皆は知っていた。栄司たちも自分と言う繋がりを活かし、ネットを駆使するミコや妖怪である狐夫婦とも協力し、調査を進めていた。だが、それでもどこに行ったのか、誰も分からなかった。
ブランチも、今日も出入りを諦めざるを得なかった。
「仕方ないですよ、ブランチ先輩…」
「でもニャ…」
あの事実は、皆に影を落としていた。
ブランチも、蛍も、栄司も、そして局長も。皆、その人生の転機には必ずデューク・マルトが関わっていた。良くも悪くも、彼が全ての元凶であった。だからこそ、デュークにもう一度会って、自分の意見を伝えたかった。しかし、その彼もいない。
今日も無気力のまま、一日が過ぎようとしていた。
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…その当の本人は、既に噂話にくしゃみする体力も残されていなかった。
「…」
今の彼の状態は、恐らく栄司に逮捕され、一日中牢獄に閉じ込められていた頃よりも酷い状況かもしれない。今の彼の周りには、猛獣を囲むような柵が覆っていた。この未来世界にしては、かなり前時代的な物件である。そして、その周りにはたくさんの人影が彼を見つめている。まるで楽しそうな、嬉しそうな顔で…。
前にデューク・マルトは、ブランチを伝って動物園にいる動物たちの気持ちや噂話を聞いた事がある。人間の考えているほど、あの動物たちは環境を嫌がっていない。ただ、ちょっとだけ恥ずかしい時がある。だから、つい隠れてしまうのだ。そんな百獣の王たちの証言が、今となっては嫌となるほど見に染みてくる。今、彼がいる場所は隠れるところもなく、壁以外は床のみが存在する状況、無数に入る視線から逃げる事は出来ない。そして、一番彼が嫌がっていたのは、その「目線」の主は、全員とも「自分」という事である。
「ふふふ…♪」「はは…」「ふふふ…」「ふふふ…」「はは…」「ふふふ…♪」「ふふふ…」「ふふふ…」「あはは…」「ふふふ…」「はは…♪」「ふふふ…」「ふふふ…♪」「はは…」「ふふふ…」「ふふふ…」「はは…」「ふふふ…♪」「ふふふ…」「ふふふ…」「あはは…」「ふふふ…」「はは…♪」「ふふふ…」「ふふふ…♪」「はは…」「ふふふ…」「ふふふ…」「はは…」「ふふふ…♪」「ふふふ…」「ふふふ…」「あはは…」「ふふふ…」「はは…♪」「ふふふ…」
耳をふさいでも、否応なしに自分の笑い声が聞こえてくる。自分から生まれた分け枝達が、「幹」の帰還を喜んでいる印であろう。目が合う度、眼鏡の奥には笑顔が映る。嫌となるほど映りつづける。何十何百、延々と。正直、恵局長や蛍、栄司らで慣れていなければ確実に気が触れてしまう事だろう。
…そんな時、柵の一部が開き、一人の人物が入って来た。彼もまた、デューク・マルトと全く同じ外見であった。
「…!」
「おっと、睨みつけても無駄だよ、オリジナル」
ただし、目の前の自分は他の「デューク」とは違う存在である事を、デューク・マルトは知っていた。あの時…自分がまだ悪の心に満ちていた時、自分を理解してくれるもう一人の存在として創りあげた、もう一人の自分だ。そして、この大量の犯罪者たちを作り上げた、本当の「幹」が彼である事も…。
「なかなか君の大事な存在は見つからないようだね?」「さすが恵さんだ」「僕たちの常識が通用しないようだね」「仕方ないか」「まあね」
そのやり取りが何を表すか、デュークにも分かった。丸斗恵…探偵局の局長の行方を、まだどの「デューク」も掴めていない事を。そして、その捜索に巻き込まれた者が現れ始めた事を。
「それにしても、あの女の子随分可愛かったよね」
…緑色の髪。それだけで、デューク・マルトはその犠牲者が誰なのかを悟った。そして、そのまま怒りと共に立ち上がり、もう一人の自分へと詰め寄った。
「貴様…あの子を…サイカをどうした!」
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「ニャんか巻き添えにしたみたいでごめんだニャ…」
『ウウン、私ハ大丈夫ダヨ。ソレヨリモ蛍チャンヤぶらんちノ方ガ』
「…ったく、恵にデュークの奴、会ったらとっちめてやる」
「栄司さん、それはさすがに…」
…そんな会話が続く、有田邸の午後。この家にお邪魔しているのは、蛍よりも少し背丈が小さい緑色の髪の少女だった。彼女の名前は「古屋サイカ」。以前に丸斗探偵局や仲間たちの介入によって命を救われた、宇宙人親子の娘の方である。あの事件以後、サイカと蛍はメールなどのやり取りを通じ、親密な仲になっていた。どちらとも同じくらいの年代の女性友達が今までいなかった事も大きいかもしれない。今回の恵局長行方不明の一軒に関しても、サイカは積極的に捜索に協力してくれていた。ただ、手がかりは全く得る事は出来なかったが…。
ただ、栄司がそれ以上に心配しているのは、彼女が自分たちと何かしらの関わり合いを持っている事だった。
「ミコさんの予言ですか…?」
「そこら中をうろついてる、とか言われるとな…」
そんなにその『存在』は怖いのか、とサイカは蛍に聞いてきた。以前も彼女は同じ質問をしてきたが、その時も半信半疑のようであった。やはり、あの優しい「デューク先輩」を見てしまうと、どうしても信じられなくなってしまうのは皆同じのようである。だからこそ怖い、と蛍は彼女に返した。悪い事を悪い事だと自覚し、完全に開き直る者ほど恐ろしい存在はいない。そして、その悪意を全く他人に悟られない程、他人を操る事が出来る力が備われば…。
そんな中、栄司の家の方から音がした。呼び鈴も無しに乱暴にドアを開いた男もまた有田栄司。ただ、その服装は家にいるジャージ姿の彼とは違い、黄色のネクタイをしっかりと締めた正装であった。スケジュールの都合が空き、早めに仕事を切り上げる事が出来た彼のようである。ここ数日間、蛍やブランチの身の安全を守る事も兼ねて栄司たちは家に早めの時間に帰る事が出来るように調整をし続けていたようだが、人々を動かす役職に就いている彼も多く、そろそろ難しくなってきたようだ。そんな愚痴を正直に漏らしつつ、家が賑わって来る中、ふとサイカがあるものを見てみたいと尋ねてきた。
「ちょっと待て、お前らあの事喋ったのかよ」
「すいません…情報共有は大事かと…」
完全人間プロジェクトに関わった科学者から託された、名前もそのままの外見をした「ブラックボックス」。デューク・マルトの誕生に関わるような重要な物件を持ち歩いている事自体も不安なのに、それを探偵局とは関係ない奴に堂々と言ってしまった彼女には、さすがの栄司も厳しく当たらざるを得ない。ただ、そういう彼もまた探偵局から見れば「部外者」のはずだ、とすぐに蛍本人から突っ込みが返ってきた。
「確かに栄司さんがデューク先輩に関係しているのは知っています…でも…」
「…ちっ、知らんぞ俺は…」
体力は抜群、容姿も端麗、そして頭脳明晰。完全無欠のように見える蛍の欠点は、その真面目すぎる性格が引き起こす頑固さにあった。一度自分の考えに確信を持つと、なかなかその思いを改める事が出来ない。柔軟な発想が得意なように見えて、その裏には自らが築いた土台がある。それを揺るがされる事を、蛍は苦手としているようだ。だからこそ、栄司はどうしても彼女を放置する事が出来ない。恵とはまた別のベクトルで、彼女を抑える存在が必要なのだ、と言葉とは裏腹に非常に心配していた。
そして、その時に研ぎ澄まされた彼の神経が、脳裏に「危険信号」を送信していた。どこに保管しておいたのかを度忘れしてしまったブランチと蛍があちこちを探している間、どことなく『サイカ』の様子が妙な気がしてきたのだ。まるでオブラートに包んでいた苦い薬が口の中で溶け、広がっていくかのような胸糞悪い感覚が、彼女を見る度に伝わり始めた。そう、前もこういう感覚を味わった事がある…それも、何度も。
ようやくブランチが、どこに閉まったのかを思い出した。今いるリビングから出て廊下を歩いた先にある部屋の、戸棚の上から二段目である。しかし、向かったのはいいが滑らかな外装からなかなかよじ登る事が出来ない。蛍に知らせようと動き出した…その時であった。
「栄司さん!!!!!何してるんですか!!!!」
何かを「蹴る」ような音と共に、蛍の罵声が飛びこんできた。だが、すぐにその怒りの声は止み、そして驚愕へと変わっていた。
そして、駆け付けたブランチが見たものは、栄司に胸ぐらを掴まれ、壁に押しつけている『サイカ』…いや。
『モウ少し長居シたかッたんですけどね…』
サイカの姿と記憶を奪った、デュークであった!