142.時の輪を繋げ・後 奇跡のプレゼント
デューク・マルトに纏わる、全ての時の輪は繋がった。
大きな仕事を終え、肩を撫でおろす恵局長の体に抱きついて来たのは、彼女の大事な部下であり、親友である蛍とブランチ。デュークがバリヤーを解除するや否や、二人揃って恵の方へ駆け寄って来たのである。気付けば二人とも、今日は局長に二度も抱きついてしまっていた。だが、それでも嬉しさを表すにはこれが一番かもしれない。少々ブランチの爪が服を貫いてチクチクするのだが、それでも恵はしっかりと、仲間たちの体と心の温かみを感じ取っていた。
そしてその横で、握手を交わす二人の男がいた。
まさか、自分がずっと憎み、探し続けていた相手とこのような事をする結末になるとは、誰が予想したであろうか。それでも、今の栄司は無性にデュークの手を握りたかった。先程まで血みどろの戦いを続けた過去の彼とは異なり、今の彼の心は暖かい。疲れで火照った体を冷やすかのように少々冷たい手が、それを証明しているようだ。
「ようやくこれで確証が持てました。僕の記憶にいた、一人の女性と一人の男性が誰なのか」
「まさかな…俺が『お前』を助けたっていう事になるとは」
デュークがどのような過去を歩み今に至ったか、栄司も彼から直に聞いていた。他の彼と融合、再分裂する事で記憶を共有し合い、この情報を得ていたのである。普段はこの時に感じる不快感を嫌がる彼だが、自分の過去に関わる重大な出来事となれば別である。
ただ、それを踏まえた上でまだ彼はデュークを許す事は出来ない、と言った。そうだろう、死闘を繰り広げたあの男の未来の姿が、目の前にいる長髪の執事系男子なのだ。時が過ぎれば何でも解決するという言葉もあるが、栄司はそれを信じる事は無い。それは、デューク本人も覚悟の上だった。
「僕には、終身刑が科せられていますから」
「当然の報いだ。
俺の姉さん…『有田恵』の命を奪ったのは…」
その時であった。彼の言葉は、弱々しいもう一つの声に遮られた。
栄司の姉の名前が『有田恵』であると言う事は、デューク本人を除いて、彼が逮捕されたあの日まで誰も知らなかった。局長ですら、一切把握が出来なかったほどである。だが、それ以前よりその名を把握していたものが、この場に二人ほどいた。
過去のデュークに襲われた傷や痛みは、現代のデュークによってリセットされて無事な体を取り戻していた。だが、その航海と懺悔に満ち溢れた心は、時空改変で治して事の出来ない…いや、治しては絶対にいけないもの。特に、自分自身で深くその事について反省している…という場合は。
確かに、デューク自身が心の中で唆して「完全人間プロジェクト」を実行に移させたのは事実である。だが、それは単にきっかけだけに過ぎなかった。プロジェクトを進めたのは、間違いなく彼らの意志なのだ。過去のデュークは、その事実を盾に研究者たちの反乱を抑え、彼らを論破し追い詰めようとしていた。だがそれと同じような事態が目の前で生じているのを見た現代のデュークに、喜ばしいという気分は一切起きなかった。良い事と悪い事を学び、人のために尽くす事の嬉しさ、人を嘲り笑う事の悲しさを知った存在となった彼には。
許してほしいとは言わない。だが、済まなかったという心は知ってほしい。
二人の科学者の言葉に、一同の中に様々な思いが湧いた。確かに彼らは人間の命が犠牲になる事すら気にしなかった極悪人だが、今やそこにいるのは惨めな姿を晒す一組の男女。それを冷酷に見下すような目線を保ち続けたイワサザイとは対照的に、カラスやブランチ、蛍、そして恵はどうしても複雑な感情を抱かずには居られなかった。自分の中の意見がまとまりを見せそうにない以上、口を開く事が出来なかったのだ。
そして、沈黙が支配する中、彼らに運命を翻弄された男が、科学者の方に向かって歩きだした。何をされるか予想した二人は、頭を丸め、あまりにも情けない姿を見せていた。だが、その男…有田栄司が行ったのは…
「顔を上げろ」
…この一言だけだった。涙でボロボロになった大の大人の顔が二つ並ぶ。欲望にかられ、人間として大事な物を失った科学者たちの末路がそこにあった。そして、栄司はそれを見て、溜息一つついた後に言った。
「俺は…これ以上怒る気も失せた」
ここでもし彼が手を上げてしまえば、それこそ一番憎むべき相手であるデューク・マルトの二の舞となる。
本当は、今すぐにでも自分自身の力で彼らを苦しめたかった。驕り高ぶる存在をとことん貶し、嘲り笑い、そして叩きのめす。一度憎しみを覚えた相手を、栄司はそうやって始末し続けてきた。だが、それはあくまで「相手」がどこまでも自分の力に過信し続け、他人を見下している時に限る。相手が強ければ強いほど、その実力が逆転した時の痛快さは増す。弱い者をただ馬鹿にし続けても、面白くもなんともない。それは単なる「苛め」に等しい。
…目の前にいる復讐の相手は、もはや強さの欠片も残していなかった。
これ以上彼らを責めた所で、全ては空虚なものと化す。
「…姉さんが帰ってくる訳でもねえからな…」
そういって、ふと上を見上げた栄司の頬に、二つの水の筋が出来始めていた。怒りとも、悲しみとも言い切れない彼の心を表すかのように、絶え間なく水が目から流れ続けている。
姉さんを消し去った相手が目の前にいると言うのに、結局自分は何もできなかった。今までずっと、彼らに復讐する事を望み続けていたのに、最後に残ったのは弱々しい連中ばかり。これまで自分がやってきた事は何だったのか。結局全ては無駄だったのか。地位も名誉も、この力も、そして「有田栄司」という存在でさえも…。
悔しさや哀しさ、様々な思いが彼の口からも溢れだしていた。やがてその声は、涙交じりになっていった。
探偵局の皆も、どうすれば良いのか全く分からなかった。彼に触れる事すら出来ない状況だったのだ。もはや絶望と言う言葉すら見えてしまいそうな、有田栄司に対して…。
その時であった。
「…あれ?」
「どうしたニャ、蛍…?」
「何か、聞こえませんか…?」
そう言われ、耳をすませたブランチも確かに聞こえてきた。こちらに向かって、何かが近づいてくる音が。次第にそれは大きくなり、デュークやイワサザイ、カラス、科学者二人、そして涙の跡をぬぐった栄司の耳にも確実に聞こえ始めたのだ。
彼ら…特に恵や栄司はこの音が何を意味するか知っていた。規則正しく鳴り響く鈴の音というのは、現代の今の時期、町のあちこちで聞く事が出来るからだ。ただ、それに対する反応は双方で異なっていた。栄司の方は、自分の耳が信じられないといった様子でその方角…工場の屋根から見える月明かりの夜空の方を見上げている。涙も引っ込むほどに驚いたようだ。一方の恵は、どこか嬉しそうな顔で同じ方角を見ていた。彼女の予感は、やがてこちらに近づいてきた一つの影で確信へと変わった。
世の中には、科学の力でも解明できない現象と言うのがある。その一つが、目の前で起きている事態だ。科学者二人も唖然としている事からも分かるように、「空を飛ぶトナカイ」など、未来どころか現代の科学でも既に否定されたはずの存在である。だが今、それが現実に現れたのだ。
そして、そのトナカイは後ろにソリを引っ張ると言うのがお約束である。何か大きなものが積んである白い袋を乗せ、四頭のトナカイたちは窓ガラスが無い場所を伝って工場の中へとやって来た。そして、彼らを操縦しているのは、赤い衣装に赤い帽子、暖かそうな赤い靴を備えた、北の国からやってくる世界の有名人…
「さ、サンタクローs
「レナちゃん!」
呆然としながら栄司が口走った言葉は、興奮した恵の大声に遮られた。その近くでは、ブランチも目を輝かせていた。一体どういう事なのか、訳が分からないような顔を維持する蛍に対し、ブランチは昔言った事を思い出すように告げた。蛍が入る前に、丸斗探偵局が解決したあの時の思い出話を…。
「…ま、まさか…!」
メリー・クリスマス。そう言いながら、声の主は空飛ぶそりに乗って地上へと舞い降りた。
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「紹介するわ。前にトナカイ誘拐したレナちゃんよ」
「合ってるけど、もう少しまともに紹介してくれないかな…」
「デューク…あいつ…」
「ええ、以前栄司さんにも話したあの人です」
それぞれの形で、丸斗探偵局の面々は彼女の事を改めて紹介した。
彼女の名前はレナ。不思議な存在が消え去った未来で、サンタクロースを信じ続けていた少女であった。しかしその思いは、願っても彼らが来ないことへの絶望、そして彼らへの憎悪へと変わってしまい、トナカイを誘拐すると言う暴挙に出てしまった。しかし、蛍が入る前…ブランチがやって来た直後の探偵局の面々の介入によって事件は何とか解決。本物のサンタクロースの奥さんの仲裁もあり、彼女は自分の夢を叶えたと共に、自らの行いを反省する事となったのだ。
「サンタクロースのお仕事をしてるんですね…」
「うーん、仕事って言うより『義務』かな?」
…いくら彼女が思い悩んだ末の行動とはいえ、やった事は悪い事。現在レナは、クリスマスの時期にサンタクロースとして彼らの援助をするという刑罰を受け、毎年無償でサンタクロースの手伝いをしているのだと言う。そして今や彼女はサンタさんに代わり、この空飛ぶそりを自由に操作できるまでになった。心なしか、どこか少女から「女性」へと一回り大きくなったようにも見える。
「それにしても良かった…こっちは本物の恵だな」
「本物…って言う事は、未来で私にあった訳?」
「うん、この場所を教えてくれたんだ」
そんな彼女がクリスマスより数日も早くやって来た事に、最初恵は単なるミスではないか、日にちを間違えてやってきたから踊って誤魔化す気ではないかとも一瞬考えてしまった。だが、その大きな袋の様子を見れば、ちゃんとした仕事のようだ。一体どういう目的で来たのかと尋ねられたレナは、その回答の代わりにある一人の男性の名を呼んだ。
当然、その男性は驚いた。これまで見ず知らず、彼自身も噂でしか聞いた事の無かった少女が、「有田栄司」という自分の名前を知っていたのだ。いぶかしげな表情を見せながらもしぶしぶ彼がこちらへやって来たのを見て、レナはおもむろに袋の中を覗き、何か合図をした。
「栄司さん宛てに、プレゼントの届けがあってね」
そう言った瞬間、袋の入り口から光の粒のようなものが一斉に外へ溢れだした。あまりの眩しさに、暗闇に慣れてしまった恵や蛍たちは一瞬目が眩んでしまったようで瞼が閉じてしまった。しかし、栄司はその光の中にどこか懐かしいような不思議な感じを抱き始めていた。単なる現象なのに、一体どういう事なのだろうか。
…その答えは、すぐに分かった。
光の粒は、やがて彼の傍で人間の形を作りだした。形作られた掌が、ゆっくりと栄司の頭の上に乗り、そして青い髪の毛を優しく撫で始めたのだ。
子供の頃から負けず嫌いな所のあった栄司は、小さい時はよくそれが我慢できずに大泣きする事があった。そう言う時、必ず「彼女」は頭を優しく撫で、彼を慰め、そして鼓舞してくれた。この触り心地は、彼女以外にあり得ない。しかし、信じる事が出来ない…
『相変わらず、栄ちゃんは負けず嫌いね』
…その一言で、彼は信じざるを得なくなった。
光の粒に包まれていた中から、一人の女性が現れた。髪は彼と同様の青色。体つきはさすがに栄司と比べて小柄だが、胸は豊かでスタイル抜群。顔つきはどことなく「弟」に似ており、いや、むしろ「丸斗恵」に非常…と言うより、はっきり言って「恵」そのものと言う方が良いかもしれない。デュークですら驚いている横で、カラスやブランチが首を忙しく振って双方の顔を見比べ、さらに驚いているのを見ても分かるだろう。
『奇跡』と言うのは、こういう事を言うのかもしれない。今回に限っては、デュークも一切手をつけていない。
驚く一同の前で、女性は悪戯っぽい笑みを浮かべ、そして名乗った。
『有田恵、栄司の姉です』