140.増殖探偵昔ばなし・3
「犯罪組織」のメンバーが三人になってから、またいくつかの月日が過ぎました。
「…デューク、最近疲れてるんじゃない?」
「いえ、ご心配なく」
「オリジナル、無茶しない方が…」
「大丈夫だ」
…しかし、デューク・マルトの様子が以前とどこか違うのは、他の二人のメンバーには一目瞭然でした。彼がどこか焦っているように見えたのです。まるで何かの問題が分からず、葛藤しているかのように。
結論から言いますと、その推測は見事に正解でした。本人はずっと隠しているつもりでしたが、デュークは満たされぬ気持ちでいっぱいでした。あらゆる様々な事を成し遂げてきたにも関わらず、何をやっても満足する事が出来なくなってきたのです。惑星を滅ぼし、ロボットを狂わせ、輝く星の動きにまで介入したのに、一体何故なのか。ただ、彼はそれを仲間に尋ねる事はありませんでした。もしこのような事を言ってしまえば、それこそ相手を動揺させてしまう事になる。自分のコピーがそのような些細な事情で慌てふためく情景など見たくもないし、何より「彼女」の不安げな顔などデュークにとっては目を反らしたくなる事だったのです。
そんなある日、コピーからオリジナルのデュークの元に、ある誘いが届きました。
デュークと別行動を取っていたコピーが、過去の時代に面白い物件を見つけたのです。当時の各地の大富豪や企業などが結託し、ある一つの完成点を目指しているという長期プロジェクト。これに関わっている者たちに共通するのは、全員とも何かしらの形で地球の自然破壊に大いに加担しているというものでした。
妖怪や精霊などの「非科学的」なものが消え去ったと言う事は、同時に自然に対する畏怖の精神も崩れ始めたことを意味します。自然環境が行ってきた様々な事柄も、人間の科学技術で生み出された生物たちがその代替として行えるほどに文化は進歩してしまったのです。ただ、そういう「良くない」考えをしているものに限って、辺りはまるで隙だらけ。本人たちは強がっていても、そこかしこに矛盾点という穴が空いており、それを突けばあっけなく他人の考えに従ってしまう連中なのです。
「…長期プロジェクトですので、いくらでも僕たちが関与できます」
「面白そうじゃない、デューク?…ああ、右側の方よ」
「…そうですか…ところで、一つ聞きたいんだが」
尋ねられたコピーは、あっさりとそのプロジェクトの名前を告げました。
『完全人間プロジェクト』。それを聞いた後、「彼女」とオリジナルのデュークの考えが初めて分かれました。一瞬だけたじろぎ、少し考えさせてほしいとデュークが頼んだ一方、「彼女」の方は正反対にやる気に満ち溢れていました。自分を生み出したのが自分自身であり、やがてそれを崩壊させるのも自分自身。デュークの悩みの種はその複雑な時の輪の繋がりでしたが、彼女にとってはそんな心配など些細な事に過ぎなかったようです。今自分たちがいるのが「自分」の働きだとしたら、それはそれで誰も経験した事のない事ではないか。
「…でしょ、デューク?」
この言葉を聞き、先程通りに数十秒だけ顎に指を当てて考えた後、彼は他のメンバーの選択、そしてこの提案の実行に賛成する事にしました。
…そして、これがこの三名で行った最大にして最後の『悪事』となりました。
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本来、『完全人間プロジェクト』というのは紙の上でしか実現できないような話でした。あらゆる自然現象を凌駕した、「神様」のような存在を作りだす事など、例え技術があれども昔の世界だと絶対に否定されたでしょう。ですが、そういった倫理すら消え失せようとしている「未来」の科学者たちの腕には、そのような恐るべき存在を生み出す力が宿っていました…いや、正確には「宿された」と言った方が正しいかもしれません。
誰かの考えに介入し、あたかも自分が決めたかのように錯覚させて操る。プログラミングで動くロボットのように人間を操作することなど、デュークにとってはもはや朝飯前。とは言え、ただ単に操るだけでは面白くありません。江戸時代の人間がからくり人形を喜んだように、彼らは時空改変できっかけだけを与える事を重点的に行っていました。一つの発想や転換点が浮かべば、そこから先は研究が飛躍的に進むもの。その様子を、二人のデュークは誰にも気づかれない所で眺めていたのです。ただ、コピーの方は自分たちの思い通りに事が進む事を喜ぶ笑顔なのに対し、オリジナルの方は無表情でずっと見ているだけでした…。
そんな中、この二人のデュークが久しぶりに体を動かす時が訪れました。
完全なる人間を作る過程で、普通の人間に備わっていたある条件を解きはなつ必要が生じたのです。それは「数」。古来から人間は、自分がもう一人、あるいはそれ以上いたらという仮定に基づいた話を多く作りだしていました。中にはそれらに恐怖を感じる者もいますが、同じ存在の「数」が多ければそれだけ仕事の分担も可能となり、非常に効率が良くなります。さらに同じ力を持つ存在を一気に大量に作り出す事が出来れば、凄まじい戦力になる事は間違いありません。そして、自分自身を増やせば、生物学的にも非常に有利な条件が生まれます。数が勝負の生物界で、圧倒的な地位に立つ事が出来るのです。…まあ人間の社会ではあまり関係ないかもしれないですが。
しかし、そのサンプルとなる材料が、どこを探しても見つからない状況だったのでした。これよりも遥かに難しいはずの森羅万象を操る『時空改変』が、化け狐や化け狸など食肉目の哺乳類に固有に存在する遺伝子配列、そしてそこから生み出される特殊なたんぱく質の構造を解析する事でだいぶ研究が進み始めたにも関わらずです。こればかりは、いくらきっかけを与えても生み出せそうもありません。
…この世界に無いとしたら、別の世界を探せばいい。デュークたちは過去へ「サンプル」を採取すべく動き出したのです。
それから二人はあちこちで目ぼしいサンプルを見つけ、それを捕えました。ある時は再生能力の強い超巨大なオオサンショウウウオ、またある時はそういう術を持つとされる妖怪。各地で見つけたそれらは、「サンプルを探すように任命された研究員」に成り済ました彼がこの完全人間プロジェクトの研究室へ持っていき、調査を依頼しました。ですが、どれも結果は芳しくありませんでした。確かにそういった「増殖」するたんぱく質を合成する遺伝子配列は存在するようでしたが、その反応は薄く、実験に使えるような物では無かったのです。先程のオオサンショウウオはいい所まで持っていく事が出来たのですが、最後の一歩が足りませんでした。確かに「増殖」する事は可能でしたが、その時間は短く、少し経てばタンパク質は形を変えてしまったのです。一度変性したたんぱく質と言うのは、元の構造を完全に失ったも同然、使い物になりませんでした…。
そんな中、オリジナルのデュークは、ある一つの過去へと訪れました。自分の生まれた時間から遥かな時を遡ったところにあったとある場所。そこに、「複数」の同一の反応を見つけたのです。しかもその時間は長く、一日や数日もずっとそのままで居続ける時もありました。間違いありません、ここなら最良のサンプルが手に入ります。
「ただいまー…ってそうか、栄ちゃんいないか」
その反応は、一人の女性から検出されました。
部屋へ戻った彼女に気付かれぬよう、デュークは密かに部屋の中に身を隠しました。必要なのは、躍動するその肉片と、それに従って化学合成をし続ける遺伝子のサンプル。双方とも欠けてしまえば、決して良質のデータを得る事は出来ません。そのためには、あの女性の命を犠牲にしても手に入れるという手段しか無い…。
デュークはこの時、科学者たちから既に今から行わんとする行為の了承を得ていました。と言うより、それに近い証言を聞いたと言った方が正しいでしょう。この研究のためなら、少しの命ぐらい大丈夫だろう。科学の発展のための尊い犠牲ほど、世の中で美しい「死」など無い。やはり、彼らはおごり高ぶる未来の愚かな人間そのものだったのです。
その尊い犠牲を手に入れようとした、その時でした。
「…誰?」
物音一切立てず、位相を変えてこの世界からも消え去っていたはずなのに、彼女が自らの気配を感じ取っていた事に、デュークは驚きました。ただ見つかっただけなのに、心臓がここまで鼓動を立てるという経験は今まで一度もした事がありません。「動揺」という気持ちに彼は囚われ、やがてそれは「混乱」へと変わり…
そして、「憎悪」になりました。
一瞬のうちに、彼は任務を終えました。
先程までずっと佇んでいた一つの命から、デュークは静かに「サンプル」を取りだしました。手に触った感触も、今までとは全く異なります。今にも再び蘇りそうなほど、その力は大きなものだったのです。
そして、横たわる女性の体を見下ろしつつ、彼はその世界を後にしました。
あのサンプルを届けてから、完全人間誕生に向けての研究は一気に進み始めました。気付けば最後の壁となっていた「増殖」能力の秘密を、ついに科学の力で解き明かすまでになっていたのです。そこに眠っていたのは、一組の遺伝子配列でした。たった四種類の物質が並んだだけのらせん状の構造が、凄まじい能力を秘めているとは誰が想像できるでしょうか。ですが、事実この配列から、自分自身の数を増やしてしまう事に特化した『時空改変』に近い事を可能とする特殊なタンパク質が生成されるのです。これを組み込む事が出来れば、「個」という存在をも超越した、まさに究極の「人間」が生まれる…。
その遺伝子が埋め込まれた卵子が、やがて一人の女の子となるまでにそう時間はかかりませんでした。そして、それに続いてもう一人、生体ナノマシンとして卵の状態から「時空改変」の因子が組み込まれた完全人間が生まれるのも…。
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「…マルト遺伝子?」
「ええ、素敵な名前でしょう。僕と『貴方』、二つの名前からつけたんです」
「やるじゃん、デューク」
「ありがとうございます」
未来世界の異次元。「犯罪組織」の本拠地は、大仕事を終えた仲間たちが戻り、賑やかになっていました。
最後にデュークが起こした介入は、例の遺伝子構造の名称特定について。様々な意見が出る中で、やがて過去の自分自身へと繋がるこの名前にするように彼らの思考を少しだけ操作したのです。これで、全ての過去は自分たちへつながる大きな流れとなりました。コピーデュークにねぎらいの言葉をかける「彼女」の目線に、どこか悩んでいる表情を隠せないもう一人のデューク…オリジナルの「デューク・マルト」がいました。
「デューク、やっぱり疲れてない?」
「…ええ、帰って来てからずっとあの調子…」
「…逃げた…」
その一言の意味は、最初二人とも分かりませんでした。どういう事なのか説明してもらい、ようやく事の重大さが分かりました。
最後の介入からおよそ数年後、完全人間プロジェクトは大詰めとなった段階で大犯罪者「デューク・マルト」によって壊滅し、ここにいる二人を除いて全てが塵と化したはずでした。それなのに、彼の脳に送られてきたのは、既にこの世にいないとされていた二人の科学者だったのです。
自分たちを作りだした存在がまだ生きている、というのは言い方を変えれば自分たちの弱点を握っている事にもなります。このまま放置しておけば、自分たちの命に関わりかねません。
「…ちょっと、行ってきます」
「早めに済ませなよ、オリジナル」
「頑張ってね、デューク」
…オリジナルのデューク・マルト、コピーのデューク・マルト、そして『彼女』。
彼らが最後に交わした言葉は、ごく自然な挨拶でした…。