137.時の輪を繋げ・前 最後の悪意
人間はとかく暴力と言う手段を避けようとする事が多い。暴力と言うのはあくまでも最終手段という考えや、そんなのは動物のような「下劣」な存在が行えばよいという考えなど、様々な理由をつけているが、それでもたった一つ、ある理由をつけてしまえば大半の暴力でも許されてしまう。それが、「正義」というものだ。人々を苦しめる「悪」を相手に様々な喧嘩を売り、そして勝てばよい。そうすればそれまでにやった様々な暴力は全て許容され、正義側は悪を倒したと称賛される。
だが、そういう言葉を使っても絶対に許されない暴力もあるというのも事実だ。例えば、その「悪」が自らの意志では無く、他人に操られるままに起こしたものだとしたらどうだろうか。そして、相手側が全くの無抵抗で、反抗する意志も残っていないのにそのまま暴力をふるい続けたとしたら、それは「正義」の行う事なのだろうか…。
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「え…じゃあこの人たち…」
「デュークのお母とお父!?」
…さすがに父や母というのはあまりにも極端なのだが、この二人が何者かを聞いたミコや恵、そして探偵局界隈の仲間たちは非常に驚いた。
まるで悪い夢から覚めたかのように、白衣を纏った科学者の男女が二人、人間や熊、猫、カラスなど様々な動物に囲まれながら暗い工場の中に座り込んでいる。どちらとも郷ノ川医師よりも少し上くらいの年齢を思わせる見た目、かなりのベテランのようにも見えた。ただ、その顔はまるで何かに怯えているようだ。
今この場にいるメンバーの中で、未来の事情についてよく知っている者はデューク・マルトを置いて他にいない。それ故未来の事情と言うのは彼の言葉を信用するほかないのだが、デューク曰く、この二人は正真正銘、「完全人間プロジェクト」に関わっていた科学者の生き残りだというのだ。
「…お前、つまり自分の生みの親を…」
「そうです、確かにこの僕は…」
あの時、デュークは研究所と共に自分を創りあげた存在の何もかもを吹き飛ばした。自分自身の出生に絶望し、存在意義を見失った彼の取った手段であり、過去に決別をする意味も込めた行い…のはずだった。しかし、過去はそれでも彼に様々な影響を与えて続けているのは説明するまでもないだろう。
…ただ、今の状況を見る限り、デュークよりも科学者二人の方が大変な事になっているというのは一目瞭然。当然だろう、いきなり平気で喋るカラスや白衣を着たクマ、突如数を増やす謎の女性、そして…
『随分立派な子供を創りあげたようだな、お主ら』
未来世界で存在が否定されたはずの妖怪まで現れたとなれば。
この状況を見ると、とてもではないが彼らから詳細を問いただす事は難しい。そこで、郷ノ川医師がポケットからお菓子を思わせる錠剤を取り出し、彼らに勧めた。最初は怪しい薬に一同が困惑していたものの、龍之介がこの物体が何かを丁寧に説明してくれた。心や脳内の緊張を解きほぐし、神経に作用して状況の判断をより的確に行う事が出来るようになる、いわば進化した気つけ薬のようなもの。その効用は、ずっと恐怖や緊張のあまり顔が強張っていた二人の科学者の顔や体から、それらの色がまるで蒸発するかのように抜けていったことからも証明済みだ。
そして、改めて詳細を尋ねようとした時であった。
「…さて、龍之介。俺たちはここでおいとまするか」「そうだべな、センセ」
「え、行っちゃうんですかニャ!?」
「今から聞くのは探偵局の事だろ?俺たちが盗み聞きなんてしちゃ、あれだしな」
そんな事は無い、と蛍は返したものの、大事な協力者が一度決めた選択肢にまで影響は及ぼしたくない。それに、気付けば夜もだいぶ更けて日付まで変わってしまった。郷ノ川医師と龍之介が、隣町で活躍する動物病院の医師である事も踏まえると、確かに帰った方が都合が良さそうである。そして、それに便乗してボロロッカ号の運転担当であるミコもこの場を離れることにした。彼女の場合、単純に緊張がほぐれて眠くなっただけのようだが…。
一方、カラスとイワサザイの二羽、そして栄司はもう少しここに残る事にした。仲間である探偵局のメンツが大いに関わり、そしてその助手の過去にまつわる重要な事態という中、上記の三人のように場を離れるというのは後ろめたい気分があったようである。
去り際、郷ノ川医師はイワサザイの亡霊と目があった。今までの状態だと全ての動物に平等に味方をする郷ノ川医師に対して亡霊が強気に出るという状況だが、今回は彼の頑張りっぷりとその実力を目の当たりにした亡霊の方が逆に自分の無礼を詫びるかのように恐縮しているようだった。しかし、それに対して医師は笑顔を向けた。
「呪いっつーのも、ほどほどによろしくお願いしますぜ」
不謹慎だが、仕事がたくさん手に入ってこっちもホクホクである、と彼は告げた。ブランチがあまり良い顔をしなかったのは当然かもしれないが、全員の緊張はこれで解きほぐれたようだ。
そして、ミコも恵と目があった。
「うちを呼びだした分の料金よろしゅう」
「払う訳ないでしょそんな金…」
…こちらには双方とも恐縮やお詫びと言う魂胆は無いようである。
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雰囲気に少々合わなさそうな賑やかで明るい者たちが去った所で、恵や栄司たちはいよいよ本筋の事を科学者たちに問いただす事にした。デュークの言葉は本当なのか、彼らは一体何の目的で「完全人間」というものを作り上げようとしたのか、そして、栄司の「姉」が殺された件と何か関わりはあるのだろうか…いや、その前に一つ重要な事を問いただすのを全員とも忘れる所だった。本当は未来にいるはずの彼らが、どうして突然この「現在」の町に現れ、探偵局を騙し局長を死の淵へ追いやるような事をしたのだろうか。
しかし、その質問に二人の科学者は答える事が出来なかった。郷ノ川医師の薬で冷静さを取り戻したにも関わらず、彼らは研究所が襲撃されて以後の記憶が曖昧な状態だったのだ。あの薬は失われた記憶には作用しなかったようだ。悪意を持って恵局長を襲った事、探偵局に嘘の依頼をした事については断片的に覚えている様子だが、それを覚えていても何故そうしたのかが分からない限り、先程の疑問の回答にはならない。そうなると、考えられる可能性として、彼らの背後に何か黒幕がいるというものがある。
全員とも、考える事は一つだった。呆れたように溜息をつく一同にカラスとイワサザイは不思議がった。
「…『また』あいつか…」
「いくら悪い頃のデューク先輩とはいえ…」
「ほーんとしつこいニャ…」
「…ああ、あの者でござるか、ブランチ殿」
カラスがこれまで仲間たちと一緒にブランチに召集され、その存在に戦いを挑んだ回数は二回。だが、これまで探偵局が彼らの陰謀に遭遇し、戦いに発展した回数はその三倍にも及ぶ。手を変え品を変え、何度も襲いかかる相手にさすがの恵たちもうんざりした様子である。あんな連中を生み出した事を改めて栄司に突きつけられ、科学者の二人は自分の罪にさいなまれている様子であった。ただ、彼はこれ以上二人に深い傷を負わせる事はしなかった。本来なら、栄司は憎んだ相手を再起不能に陥らせるほどに襲い続ける執念深さと容赦なさを持つ男のはずである。だが時に、その手がどうしても止まってしまう事があるのだ。
取りあえず、詳細は根源である彼らに聞くよりも、直接的に予想している事態に影響を与えていると思われる、丸斗探偵局助手にして「完全人間」であるデューク・マルトに尋ねるのが一番である。恵が彼に詳細を告げるよう言おうとした時である。
長年ずっと共に過ごしている局長は、その僅かな異変にすぐ気付いた。彼がこの輪から身を一歩引こうとしていた事を。どうして逃げ出すのか、一体何があるのか。そちらに質問を変えた彼女に…
「…ごめんなさい」
…そう言ったデュークの目の中に、涙が溜まり始めていた。
「ど、どうしたのよデューク!」
『お、お主…』
「…皆様…もう…」
その後、彼が言おうとした言葉が何かは分からなかった。しかし、何に対しての謝罪だったのかは次の瞬間、嫌でも探偵局の面々が目の当たりにする事になった。工場の入り口から走った二つの閃光が、二人の科学者の胸を貫いたのだ。
数時間前の局長と同じ状況が、今度はその加害者の方を襲った。だが、それでも丸斗探偵局は困っている人を放置する事は出来ない。血を吐く暇もなく地面に倒れ込む科学者を、咄嗟に分身した蛍が支えこんだ。幸いまだ脈は続いているが、先程の一発は中年の二人にはかなりの重傷となったのは間違いない。
そして、すぐにその犯人、そして黒幕は探偵局の目の前に姿を現した。身の危険を感じ、咄嗟に科学者を守らんと陣形を取る恵、デューク、ブランチ、栄司。カラスやイワサザイも、小さな体でその影を睨みつけた。
確かに、そこにいたのは全員の予想通りであった。髪型、顔つき、服装、体型。目の前にいるデューク・マルトとあらゆるものが共通している、未来からの刺客である。だが、先程のフラッシュから次第に目が慣れ始めた全員は、その姿に違和感を感じていた。確かに体つきは同じだが、助手と比べてどこか未熟、どこか若い…そのようなオーラを何となくだが漂わせているようだった。ただ、一番の決定的な証拠はその瞳であった。何もかもを手に入れたはずなのに、自分の心は全く満たされない。無表情でこちらを見つめる目の中は、砂漠のように乾ききり、南極のように凍てついたものだった。
「…デューク先輩…これって…」
蛍の言葉に続き、恵も彼に聞いた。これまで何度もデュークは自分たちに過去を語って来た。だが、それでもなお言及していない事があるのではないか、と。例えば、この事態のように。
観念したかのようにデュークは頷き、種明かしの言葉を口にした。既にその眼に涙は無く、覚悟を決めるかのような真剣な表情になっていた。
「あれは正真正銘…過去の僕、『デューク・マルト』です」