136.時の輪を繋げ・前 逆襲の乱舞
工場の中は、先程までの事態とは再び一変していた。
皆の顔に映っていたのは悲しみでは無く一面の笑顔。先程までずっと生死の境を彷徨っていた局長と、ずっと戻ってこないものとばかり考えていた助手が揃ってこちらへと帰還してきたからである。今回は自分たちのお株を完全に奪われた格好だが、前の柿の木山の分だ、と郷ノ川医師はデュークに笑顔と共に言った。その一方で、カラスやブランチ、蛍らは復活した恵たちと話が盛り上がっていた。先程までずっと苦しかった反動からか、寒空が見える工場の中でもこの一帯は賑やかな空気が流れている。
「それにしても、本当に大丈夫でござるか?」
「別におかしい所はないわよ…ほら、増えても全然平気だし」」」
『…相変わらずなかなか慣れぬ光景だな…』
「まあしゃーないわな、イノサザエはん」
「局長や私たちくらいしか、こういう力は持っていないですし。あとミコさん、スティーブンイワサザイさんです…」
覚える気がさらさら無さそうなミコに蛍やイワサザイ本人が突っ込む中、龍之介が彼女に対して少し気になる事を言った。何か先程の治療に関して副作用は無いか、と。自分の体内で一気に500年もの歳月が流れてしまった訳だから、今は大丈夫でも何かしらこれまでとは違った状態が起こる可能性は捨てきれない。これに関してはデューク自身も認めらが、当然直後に局長に詰め寄られてしまった。せっかく無事に直ったのにこれでは意味がない、と普段通り最強の能力を持つはずの助手に反撃の隙を与えない彼女。ただ、「副作用」というのは悪い事ばかりでは無いという栄司の言葉でこれ以上彼を責める事は思いとどまった。あれほど凄まじい時間が流れたのだとしたら、何か物凄い力が彼女に宿ったのかもしれない…。
胸には宿っていないようだ、と余計な事を言ったブランチが、恵に加え女性として馬鹿にされた気分の蛍とミコや猫を目の敵にしているイワサザイにひっかく暇もなく散々踏みつけられたのは言うまでも無いだろう。
…取りあえず、何とか局長も無事に復活できたのでこの場を後にしよう、と皆が目線を入口の方に変えた時である。
その方角を見た探偵局の面々やカラスたちの表情が一変した。白衣の男女が、こちらを怒りの形相で見つめていたのだ。実験の邪魔をするな、その猿をこちらへ寄こせ。その言葉に、一同はすぐに臨戦態勢となった。数の方では圧倒的に探偵局側の方が有利、戦力もデュークや栄司、さらには熊や亡霊までありとあらゆる存在がいるこちら側が優勢なのだが、先程の凄まじい事態を思い返すと油断はできない。しかも、相手のポケットや柔らかい革で出来た鞄の中には先程と似たような瓶が多数詰め込まれていた。自分たちの弱点を突かれた格好の栄司や蛍の脳裏に、恵が受けた悪夢が蘇ってしまう…。
だが、その空想を断ち切ったのは、他ならぬ恵自身だった。
「報酬も無しに私たちを騙す貴方達に、協力なんてする気は無いわ」
リベンジ、かますわよ。
…当然、カラスやイワサザイは急いで彼女を止めにかかった。余計な事を言って大変な事になると言うのを先程探偵局の一員が体で見せたばかりなのに、一体何を言い出すのか。しかし、彼女と関わりが深い探偵局のメンバーを始め、これまで幾度となく彼らと共闘を続けていた仲間たちは、彼女の言葉が上面だけでは無い事を理解していた。相手側もまだ油断しているのか、彼女に対して舐めた口調を崩さない。だが、ミコが告げた通り、探偵局を舐めてかかると痛い目に遭う…いや、そういう悪意はとことん痛い目に遭わせるのが探偵局の成せる技だ。絶対に大丈夫だ、と最後に郷ノ川医師や栄司が締め、今回彼女の戦いぷりを本格的にみるのは初めてである二者を引き下がらせた。
そして、その一言に頷きで同意の意志を返した後、一気に恵は二人の科学者風の男女の元へ向けて走り出した。その体は一つから二つ、四つ、八つと次々に増え始める。恵得意の「増殖能力」だ。数で一気に押す戦法に出た事を察知し、すぐに助手も仲間たちを特殊な空間で覆った。彼女の邪魔をしないように、自分たちをいわば立体映像や幽霊のように変えたのである。
だが、そんな彼女の様子を見て先程の二者は慌てだした。ついさっきも同じように数で押そうとしてあのような最悪の事態を迎えてしまった。それなのにまだ懲りていないのか、と。その言葉通り、相手側も様々な手を残していた。
女性が手に持った瓶の中身が、大量の恵たち目掛けて一斉にばら撒かれた。その直後、辺り一面に広がったのは…
「ひ、ひいいいいいいっ!!!」
「な、何だべか!?」
一瞬それが何かは分からなかったが、自分たちの体をすり抜けてその物体がこの空間の中にも飛び散ったのを見て、ようやく彼らは現実に気がついた。赤い鮮血と、肌色の肉体が、この工場一帯を覆い尽くしたのだ。凄惨どころか、むしろ滑稽な形にもなってしまいそうなほど、周りには大量の局長だったものが散らばっていた…。
勝ち誇る男女を目の前にして、彼女の敵打ちと言わんばかりにカラスや蛍たちが前に一歩踏み出そうとした…
…が、それを止める感触が、彼らの体や肩に止まった。その肌触りは暖かく、どこか柔らかい。そしてこの「手」の大きさ、当てはまるのは…
「かたき討ちってさ」「その人がボロボロになった時に」「やるんじゃないの?」
後ろを振り向いた時、そこには三つの同じ顔が、同じ笑いを浮かべ…
「「「ブイっ☆」」」
三つのVサインで、自分たちの健在っぷりをアピールしていた。
先程体が粉砕したのに、消えるどころか数を増やして復活した恵にイワサザイたちが驚いている一方、唖然としていた蛍はその様子にかつて少しだけ目撃した出来事を思い出した。確か前も、ニセデュークとの戦いの時に恵局長は凄まじい圧力で自らの体が完全に崩壊した事がある。だが、次の瞬間その圧力をも吹き飛ばすほど彼女の数は怒涛の如く増え、逆転の切り札を掴んだのだ。気付けば既にバリヤーの中には五人の恵が現れていた。彼女と交友関係を持つミコや龍之介、そしてカラスも話でしか聞いた事が無かったりで、少々驚いている。
そして、それはバリヤーの外でも同じであった。工場中に飛び散った恵の血や肉片が、まるで粘土のように形を変えて次々に元通りの体に戻り始めたのだ。全員とも先程まで受けた傷が全く無いという状況だが、何故かその顔は少々不思議がる感じであった。こういった状態の場合、今までもこのように自分の体が次々に再生されたものの、自分が増殖を止めようと考えても歯止めがかからなくなり、無限に恵自身が増え続けてしまっていた。自分自身の体の制御が不可能だったのだ。それが今、何千人もの恵はそれぞれ自らの意志をもって自らの増殖を制御する事が可能となっている。一つの血だまりからこれまでは一体しか復活できなかったものが、まるで彼女が湧きたつ泉の如く何十人も恵がそこから現れたり、逆にタイミングを見計らうかのようにゆっくりと体の再生が進み始めたり…。
相手側も驚きおののいていた事が幸いし、難しい事を考えるのが嫌いな恵でもこれが何なのかを考察する時間はたっぷりあった。そして、その答えは予想よりも早く導かれた。
「郷ノ川先生!」「「随分良い感じの、」」「「「「「副作用ね!」」」」」
…その一言と同時に、工場は瞬時に恵の大反撃のステージへと様変わりした。
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「いいのか恵どん、ここにいて…他のおめえが戦ってるのに」
「まああれくらいいりゃ十分かなって」「「「「ねー」」」」
あれから数分後、バリヤーの中の面々は先程までの臨戦態勢とはうって変わって完全に傍観ムードへと突入していた。無理もないだろう、先程から視界に映るのは紫色のパーカーと青色のジーンズ、紫色のショートヘアの女性しかないからだ。科学者側も色々と薬品を使って反撃しようとしているが、どれも体に凄まじい免疫機能を有した彼女を殲滅するどころかむしろその数を増やすばかり。辺りに飛び散った血や肉片、さらにはその欠片が付いた服や髪の毛からも瞬時に恵が蘇り、文字通り、消せば消すほどますます増える状態に陥っていたのだ。確かに、わざわざバリヤーの中で復活した5人の彼女が向かう必要は無さそうである。
探偵局の助手が郷ノ川医師のデータを基に、局長の体内の機能を500年後のものにアップグレードした結果がこれだった。元からあった自分の肉体の破片からの復活をコントロールする事が出来るようになった事に加え、その増える事が出来る範囲も格段に広がってしまったようである。
「今の局長でしたら、細胞一つからでも復活する事が可能ですね」
「おう、そうだな」
当事者であるデュークや郷ノ川医師がさらりと言った事実に、他の一同は唖然とする他無かった。
「きょ、局長殿…」
「なんつームチャクチャ生物じゃ…」
『お主、もはや怪物だな…』
「亡霊のイワサザイさんがそれ言ってどうするのよ…」「それに何よムチャクチャ生物って」
「まあまあ…それにしても、もう工場見えなくなりましたね…」
「ニャ…ニャあ…」
前にデュークは、自分の作った異世界の中で何万何億、最悪何兆もの恵の肉の海に覆われるという「悪夢」に見まわれた事があると言う。恐らくそれは、今自分たちがバリヤーの中で見ている光景と一緒だろう。辺りはもはや何万人もの局長で埋め尽くされ、彼女の声で満たされると言う事態になっていた。
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…自分の体に関する怒りよりも、嘘の依頼に対する怒りの方が大きい様子を見ると、恵の体はもう完全に回復したようである。
その様子に、バリヤーの中で一際呆れとちょっと馬鹿にしたような溜息をついたのは、栄司だった。ただ、それはこの局長の姿勢だけでは無い。おもむろに彼は自分の髪の毛を嫌そうに三本引き抜き、地面に置いた。次の瞬間、その場所には…
「「「「あれくらい、俺でもできるぞ」」」」
…恵と全く同じ状態が、彼にも当てはまっていた。有田栄司もまた、細胞一つからでも自分自身を自在に増やし、それを自在にコントロールする事が可能なのである。しかも、こちらは時間を早めることなく、生まれながらにしてそのまま持ち合わせていた「天然」の能力。髪の毛から変貌したものも含めて四人の栄司が立つ様子に、もう他の仲間は言う言葉も無かった。とても複雑な、どちらかと言うと何か悪い事を言われたような表情を一瞬だけ見せたデュークを除いて。
その直後、目の前を埋め尽くしていた紫色の海が一瞬にして消え去った。バリヤーを解いても良い頃だと見計らい、デュークも自分の時空改変を解く。内部にいた局長たちもいつの間にか消え、腰が抜けていた例の科学者風の男女を前に恵は仁王立ちしていた。このまま一気に胸ぐらをつかみ、止めを刺そうとした所を…
「待ってください!」
デュークが止めた。その一言に彼らの様子を見たミコはある事に気がついた。
「あれ…なんかさっきと…」
「ニャンか…凄いか弱くニャってません?」
確かに彼女の凄まじい乱舞を見れば誰だって腰が引け、恐れ慄いてしまうもの。しかし、それにしてもここまで怖がるのは、先程の威勢が消失したと考えても、これは異常である。これは一体、どういう事なのだろうか…?