134.時の輪を繋げ・前 過去の世界
…恵局長が生死の危機を彷徨っている時間から幾多もの月日が離れた先にある、未来の世界。
「…!」
「どうしましたか、恵さん」
「…ううん、何でもない。ごめんね」
そこにも、もう一人の丸斗恵『アナザー恵』がいた。彼女の方も、過去の世界での異変は嫌な予感として察知したようである。ただ、今調べている事も過去の異変にまつわる事柄である。
時空警察の特別局にスカウトされ、丸斗探偵局局長改め「時空警察特別捜査官」となってから、こうやってクリス捜査官と会うのは久しぶりの事である。向こうでどんな事をしているのか、という質問は当然こちらに舞い込んできたが、それに関しては黙秘権を行使した。それが特別局に勤め、こちらと交流する事が出来る唯一の存在としての権利であり、義務である…というより、正確には彼女がそうする事を決めただけなのが真相なのは秘密である。ただ、その理由とは関係なくクリス捜査官側はその件についてはこれ以上聞く事はしなかった。それよりも、彼女が持ち込んだ話の方に興味が湧いたからである。
完全人間プロジェクトに、一つだけ謎が残されている。
かつて大犯罪者デュークの介入によって文字通り消し飛んだとされるこのプロジェクト。自然を制し、妖怪を制し、神様をも制しようとした人類がその象徴として作りだそうとしていた存在が完全人間であった。まるで爆弾がさく裂したかのような跡にはこのプロジェクトに携わったであろう科学者の体が命を奪われて横たわり、その近くには生命を宿すことなく終わった実験体が転がっていたと言う。クリス捜査官も、何度この写真を見ても良い気分には絶対になれない。
だが、この中で何故か二名ほど、未だに遺体が見つかっていない科学者がいると言うのだ。
「ありました、これですね」
「ありがとう!どれどれ…」
たくさんのデータが収納されている、恵の住み慣れた世界で言う「図書館」のような場所で、二人はある情報を眺めていた。
遥かな時間が流れても、やはり科学に必要なのは論文。そして、その科学者がどういった経歴を上げてきたかの情報である。消息不明となっているこの男女の科学者は、完全人間プロジェクトに関わる前は様々な製薬企業と手を結び、遺伝子界隈で業績を上げてきたという事が分かった。その中には、ある特定の遺伝子を打ち消し、特定のタイミングで発動するような形の「爆弾」を思わせるようなものも含まれている。少々物騒な薬だと言う恵だが、クリス捜査官はこれは「薬」という物では無いと語った。
「この方に関する資料がもう一つありますが…ご覧ください」
「…え、何これ…えっ!?」
「やり方に非常に問題があったのです。我々時空警察からも、いくつかマークされています」
時空を越え、容赦なく各地から実験動物を収集するという、典型的なマッドサイエンティストの様子が三次元状に浮かんだ画面に容赦なく書かれていた。恵局長と違う道を歩み始めた恵捜査官は、こういった長い文章を見ても疲れることなくしっかりと中身を読みとっている。例によって、時空界隈の悪事と言う事で「デューク」の名前が容赦なく掲載されていた事も見なくてはならないのは不快な気分であったが。
「…でも、何をしたかが分かっても、今何をしてるかがほとんど読みとれないですね…」
「そうよね…」
いきなりこのような話を持ちだしてしまって申し訳ない、と恵捜査官が謝った時である。この空間にもう一人…いやもう一体来訪者が現れた。クリス捜査官の補佐を勤めているロボットのロボットさん…ネーミングセンスが欠点の捜査官直々に任命された相棒である。彼ら時空警察に、一人の少女が用件があると言うのだ。外に出た恵とクリスの前にいたのは、赤い靴と赤い上下の服装、そして赤い帽子に身を包んだ少女。その姿は、まるで遥か昔…恵にとっては現在なのだが、冬になると必ず話題に上がる、世界規模の有名人を思わせるものだ。いや、今の彼女はまさにその有名人である。
「クリス捜査官!久しぶりです!」
「お久しぶりです、レナさん…いえ、サンタさん」
彼女の名前はレナ。かつて、サンタのトナカイを誘拐して業務を妨害した罪と、違法な時空移動用のデータを脳内チップにダウンロードをした罪で、社会労働の刑を処せられている罪人であり、その罪を償うために「北極」で働く新入りのサンタクロースである。一度会ったはずの恵が何故不思議な顔をしているのか、最初レナは気付かなかったが、クリス捜査官からの説明で、ここにいる恵はあの時会った「恵」とは別人である事を何となくだが理解できた。
一体どういう用件でここに来たのか、というその恵…「アナザー恵」からの質問に、サンタクロースやその奥さんからある大きな「プレゼント」を託された少女ははっきりとその内容を告げた。
「道を、教えてほしいんです」
この世界にはどうやって向かえば良いのか。そう言って彼女は、空間に映し出された時間の地図の特定の座標を指さした…。
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その「時間」は、既に太陽は地平の向こうへと沈み、夜の帳が包んでいた。
工場は今、戦場と化していた。分身して数を増やした蛍が持つ携帯電話の明かりを頼りに、郷ノ川医師の決死の治療が続いているのだ。
「く、くそう…!」
彼の口は、悔しさのあまり歯ぎしりの音が出るほどだった。
どんな薬でも持っているはずの彼でも、このような病気は初めて遭遇するものだった。泣きながら蛍が言った症状だけ聞いても、「増殖した途端に発動する病気」などこれまで遭遇した事がない。増殖能力を持つ者など栄司や恵くらいしかいないという点からして当然かもしれないが。だが、それでも彼は決死の覚悟で緊急治療を続けていた。
「め、メグはん…」
「だ、大丈夫…」「痛くは無くなったわ、ミコ…」
しかし、その言葉からは今までの元気は完全に抜け落ちている。
工場には今、何十何百もの丸斗恵が横たわっていた。蛍が急いで探し、ミコがオンボロの愛車「ボロロッカ号」に積んで持ってきた毛布のおかげで暖は得る事が出来たものの、それでも余りの痛みから来る衰弱は彼女の体をむしばみ続けているようだ。郷ノ川医師の頼もしい助手である龍之介も緊急事態に駆け付けたものの、病原体相手にはほんの気休めくらいにしかならない援軍となってしまっていた。病院へ持って行こうにも、これだけたくさんの体を入れるスペースなど無きに等しい。
郷ノ川医師が飲ませた薬から、何とかこの病気の正体が何かしらの「原生生物」による体の破壊である事は分かった。マラリアが体内で赤色の血を作る赤血球をぶち壊して酸素の供給を妨げるかのように、この新種の生物はまるで爆弾のように彼女の体を食いつくそうとしているのである。それも、ただの生物では無い。凄まじいスピード…まるで恵や栄司の「増殖能力」のように、郷ノ川医師や龍之介をあざ笑いながら侵攻を止める気配を見せないのだ。
…自分の「腕」だけでは、どうにもできない。
あの時突きつけられた言葉の意味が、郷ノ川医師には痛いほど分かった。正体が分かろうにも、抗生物質を作る時間は無い。それに、あまりにも患者の数が多すぎる。ここに医療の知識を持つ者も僅かしかおらず、特にこの手の相手に挑めるのは、それこそこの二人を置いていない。
「…畜生…チクショウ!!」
絶対にさじを投げるような真似だけはしない。そんな事をすれば、医者として自分は失格だ。
だが、彼の目の前にあるのは、暗がりと寸分違わない絶望のみ…。
…いや、この状況を直せる力を持つ者が、まだこの時空にいた。
彼は、独房の中で一人、上空にある月を眺めていた。何を思っているのかは、彼以外は誰も分からないだろう。無表情で、まるで自分の存在が消えかけるかのように、デューク・マルトは力なく暗い部屋の中に佇んでいた。
だが、その時間は長くは続かなかった。留置場の鍵が、突然開いたのだ。まるで意識を取り戻したかのようにそちらの方を向いたデュークの前にいたのは…
「局長がやられた」
…一報を伝えに来た、有田栄司であった。