133.時の輪を繋げ・前 最大の弱点
丸斗探偵局の元に、研究所から脱走した『猿』を探してほしいという依頼が舞い込んで来てから数日後。
あの時、スティーブンイワサザイが言っていた事はある意味正しかったかもしれない。探偵局や栄司それぞれの得意分野を持って探したものの、たくさんの手がかりを実践に活かし、猿の痕跡を見つける事が出来ない状態であった。こうなれば、他の仲間たちにも相談を持ちかけるほかない。連絡先を知る仲間たちに一応は聞いてみたものの、誰も知らない様子であった。それは、この男も同様である。
「…え、じゃあドンさんとこもサイカちゃんとこも…おう、分かった」
郷ノ川医師は、彼らの健闘を応援しつつ、少々古い機種の携帯電話を切った。動物のプロである彼でも、行方は分からぬままである。
ただ、「彼」はその理由を知っていた。既にこの件については、真相を含めて把握済みだったのである。ただ、敢えてその事を言わなかったのは探偵局に迷惑をかけないためと…
「どうだい、蛍ちゃんとかの様子」
「駄目だ、すげえ焦っちまってる」
彼らの未来に関して、無闇に介入しないためである。
今医師がいるのは、この町自慢の天然温泉がある銭湯と同じ敷地にある、番頭のおばちゃんの家。昔より知り合いだった彼女の元に、以前の『戦い』の傷を癒しにやって来たのである。あの時無理にエネルギーを食い過ぎてしまった代償は今も大きいらしく、下痢気味であったりお腹に不快感が残っていたりと、まだまだこの温泉にお世話になる必要があるようだ。
ただ、それ以上に今、彼にはとても心配な事があった。
「なあ、本当に大丈夫なんだろうな?」
この事件、もし彼の知った記憶通りだと、依頼の真相に辿りついた時、彼ら…特に「丸斗恵」の身に、何か大変な事が起きてしまう。それなのに、医師である彼が全力を注いではいけないという忠告があったのだ。理由を聞いてもまだ彼は納得いかなかった。自分の腕を信用していないのか、どんな病気でも直してしまう腕を…。
「いや、仁君の腕はいいんだよ。腕はね…」
その言葉に、年甲斐もなく口をすぼめて郷ノ川医師は不満を表した。だが、次の言葉で彼はある事に気がついた。
もう130話以上も続いているこの物語、丸斗恵もその中で何度も自分の持つ力を発揮して依頼を解決させてきた。自分とまったく同一の存在…別の自分を数限りなく増やす事が出来る、分身を超えた「増殖能力」である。素粒子の段階から全くと言っていいほど同じで見分けのつかない者が並べば、時空改変すら歪ませてしまうほどの威力がある。だが、それを裏返せば、彼女はとんでもなく恐ろしい爆弾を抱えている、という事にもなる…。
=====================================
その日の夕方の事。
三人と一匹、そして二羽がやって来たのは、この町の中心から少し外れた所に今も佇む廃工場であった。恵やブランチ、栄司にとっては、偽者のデュークが持ち込んだと言う未来の宇宙生物との激闘が行われ、その後この姿を模したもう一人のニセデュークを打ち倒し、そして彼らの長い付き合いが始まった思い出の地だ。ニセデュークとの戦いの時ブランチの作戦に協力し、共に勝利に貢献をした事はカラスの記憶にもまだ色濃く刻まれているようである。
あの凄まじかった激闘の爪跡は、終わった後全てデュークによって根本から「無かった事」にされた。そのために、今も放置され錆ついた機材が端にまだ残っている。どうやら何かの製造工場らしく、大型の旧式機械もいくつか存在していた。
町のあちこちを探しまわり、最後に残ったのはここであった明らかに怪しいというのは、ブランチの超感覚は勿論、新人探偵である蛍の勘もそう言っている。不吉な念は、カラスの体に一時的に憑依してもらっているイワサザイの亡霊も同様に感じ取っていた。間違いなく、ここに猿の気配がある。
「…でも、それっぽい匂いはニャかニャかしニャいですニャ…」
『相変わらずうっとおしい口調だ…お前もこの機材のように錆つけば良い』
そう言うイワサザイも、相変わらず猫への恨み節は止まない様子である。猫に手を貸した覚えは無い、あくまで彼は「探偵局」そのものに協力をしていると言い張っているようだ。とは言え、その言葉は正しかったかもしれない。この場所だと確信を突く決め手となったのは、イワサザイやカラスたちの上空からの捜査もあった。野生の気配、亡霊にとっては今まであった事のないような未知の気配をここから知る事が出来たのである。
感謝の言葉と共に早速調べようとしたのだが、恵の足は何故か重い。この冬の暗さと寒さ、そして下に転がる様々な廃物に少々怖気づいているようであった。隣にその恐怖の根源がいるにも関わらずである。
「何やってんだお前…」
「うるさいわね…」
数日の捜査の中で、少しづつだが栄司と恵のやり取りは普段の調子を取り戻し始めていた。互いに突っ込み合い、互いに文句を返す、自分の気持ちを素直に伝えあう信頼関係である。ただ、そちらの方に集中し過ぎて蛍やブランチ、そしてカラスたちが寒い中で捜索を始めた事に気づくのにワンテンポ遅れてしまったのだが。
図鑑などによるとあの猿は夜行性では無いと言う事で、今の時間は寒さもあって動きが鈍っている可能性がある。物陰に隠れて震えているのかもしれないと言う事で、各地の影を見て探す事にした。
『こういった極寒の夜は、物陰に虫が隠れている場合もあるな』
「確かに、拙者もゴキブリとかテントウムシの大群を見た事が…」
「ちょ、ちょっとその話は…」
「大丈夫ですニャ局長、そんな時はこのオレが食べニャすから」
「余計嫌よ!」
当然五月蠅い、と栄司や蛍から注意された。デュークがいなくなったとはいえ、それは大事な仲間が消えたことに他ならない。決して、「時空改変」が無くなった訳ではないのだ。そして、ついに蛍が一つの影を見つけた。あの図鑑で見た猿の尻尾が、物陰に潜んでいる。その匂いも間違いなく猿そのものだ、と睨んだ一同。そのままそっと近づき、静かに捕らえようとした…
…その時であった。
『避けろっ!!』
イワサザイの叫び声は一歩遅かった。猿とは明らかに違う何かの影が、突然こちらへ向かって来たのだ!
「きゃぁっ!」
「ケイちゃん!?ってきゃあああっ!」
栄司やブランチはかろうじて避け、カラスはイワサザイを乗せて空中へ退く事が出来たが、蛍をかばった隙を突かれて恵はその「影」に腕をくるまれてしまった。幸いその謎の影はすぐに消えたものの、彼女は手の甲に何か痛みを覚えていた。一体どういう事なのか、その場所に携帯電話の明かりを充てた一同は驚愕した。
「こ、これって…」
「な、何だこれ…!」
そこにあったのは、見慣れぬ鋭い「牙」の跡。伝説上のカマイタチの如く、彼女の肉が血も出ないうちにえぐれていたのだ。ブランチを疑うイワサザイ、その亡霊を疑う栄司、どの考えも違っていた。全員ともこのような口の形などしていない。
そして、それと同時にブランチがある異変に気がついた。先程までここに充満していたはずの異質な匂いが、跡形もなく消え去っていたのだ。
やはり今回の依頼もまともな物では無かった事に、ようやく探偵局の皆は気付いた。いや、これは「まとも」という代物では無い…。
「こらあああああ!私たちを騙したわねええええ!」
罠にはまっていた事に気付いた恵の怒りの絶叫に合わせるかのように、二つの影がこちらへ向かって現れた。彼女とは真逆であるトーンの低い笑い声と共に現れたのは、あの時の依頼人…いや、今回の真犯人であった。この丸斗探偵局にこのような事をして、一体どうするつもりだ、と尋ねる恵に、笑みを浮かべて相手は言った。実験に使う「猿」は、既に捕まえてある、と。
答えでは無かったが、この猿が何を指すかと言う事は六者とも既に気づいていた。そして、奴がニセデューク本人、もしくはそれ以外でも何かしらの未来からの刺客である事は恵、蛍、ブランチ、そして栄司にとっては一目瞭然であった。そんな胸糞悪い事実なんて、一気に打ち砕いてやる。それが丸斗探偵局の真骨頂だ。
「あんたなんか、私が捕まえてやるんだから!」
「先輩!」「恵!」
「あの傷なのに、本気でござるか!?」
「大丈夫、ここは私に任せて!」
自分たちを猿呼ばわりした挙句、あの高い報酬すら奪い取ろうとする相手に対し、恵は強い憤りを見せていた。彼女の目には、それこそ正義感に燃える心の炎が見えるほどである。
そして、彼女はまるで火が凄まじい勢いで燃え盛るかのように自らの数を何十、何百にも増やして相手に攻勢をかけ…
===========================================
…その炎が、彼女にとっての命取りとなった。
「ああ、ああああああ…!」「う、うぅ…っ!!」「ぐっ…ああ!!」
「きょ、局長…!」「あ、あああああ…!!」
ブランチと蛍が、あちこちに横たわり、苦しそうな声をあげる大量の局長に寄りそう。特に蛍は、彼女の様子に成す術もなく声を上げて泣く事しか出来なかった。あのイワサザイですら、今の様子に唖然としていた。自分が町中の猫に施したのと同じような状況が、彼の「仲間」に対して襲いかかったのである。工場は一瞬にして丸斗恵を被害者とする事件の現場へと変わっていた。
「は、早く…」
仲間たちに知らせてくれ。消えそうな声で、恵の一人が言った。
彼女が犯人を取り押さえようと、一気に分身したまさにその瞬間であった。全員とも全身に体の中央から食い破られそうなほどの激痛が走り、地面にうずくまる状況となったのだ。実験は成功した、と高らかに笑いながら消える二人の「犯罪者」を、栄司も蛍も、そして動物たちも追う事は出来なかった。
何が起こったのか、泣き叫ぶ蛍の体を優しく抑えながら栄司は悲しげな口調で言った。奴の「実験」の成果は、非常に恐ろしいものだ、と。
前述の通り、丸斗恵や有田栄司の持つ力は分身とはまた異なる「増殖能力」。蛍やニセデュークの場合、自分自身とは同じ遺伝子や同じ記憶を持っていながらも「別の次元」から呼び出された存在だったり、そもそも別の存在であるといったように正確には自分とは別個の存在。超感覚を持つブランチなら一瞬で区別が出来てしまう。だが、増殖能力では「本物」のみが無限に増え続ける事になる。その際、まさに体の全てがコピーされ、新たな本物が現れるというのだ。すなわち、その時の状態が維持されたままというわけである。それゆえに、恵は短い時間の間増えるという場合は飲食をなるべく避けていた。「百」が「一」に戻る時、その「百」がそのまま集まってしまうからだ。
そして、逆に「一」が「百」に増えた時…。
「まさか…まさか!!」
「完全に…やられちまった…」
恵の体に埋め込まれた「病気」は、自分の数が増えると同時に発動する時限爆弾に違いない。増殖能力の持つ致命的な弱点が、相手に突かれてしまったのだ。