128.呪われたブランチ ~そして「歯車」は回りだす~
冬の町の太陽は遅寝遅起きのお寝坊さん。今日も気付けばもう西日が差しこみ始めていた。
アパートの大家さんも、そろそろ外に干してあった洗濯物の畳みどきである。ベランダに出た彼の耳に、賑やかな声が響いてきた。時々あの部屋には様々な来客が来るようで、よくにこやかな響きがこちらにも届いてくる。怪しい事では無いので大家さんとしては気にはしていないのだが、今日は少々声が大きい。いくら来客でも、これは注意をする必要がある、と彼はその部屋のドアを開いた。
「わわ、お、大家さん!」
「ど、どうも…」「お邪魔してるっす」「わわ、は、はじめまして…」
…確かに、予想通りとても賑やかな事になっていた。いつものドンとエルの夫妻以外にも、可愛らしい女の子が2人、元気そうな男の子が1人、頭の良さそうな青年が1人、スタイル抜群な美女が1人、そして…
「おお、丸斗探偵局の皆さん!」
「大家さん!」「「久しぶりです」」
…どうやら、探偵局の美形の助手は「双子」だったらしい。とてもそっくりで、大家さんが一目見ても見分けがつかないようだ。何か事件でもあったのかという彼に、皆は心配しないでほしいと笑顔で返した。その様子を見て安心した彼は、そのままあまり五月蠅くしないように告げ、下に降りる事にした。あのドンという男性、自分が探偵局に相談に来てから交友関係が一気に広がり、様々な事が上手くいくようになったらしい。ある意味、あの仲間たちは彼にとっての「救世主」でもあったのかもしれない…。
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「…ふう、ばれずに済んだニャー…」
「ここはペット禁止だったの忘れてましたわ…ごめんなさい」
ただブランチもカラスも、人間の姿を取っていたのが幸いした。確かに恵の言うとおり、動物の姿よりも人間の姿の方が都合が良い事は多い。だが、それでも双方とも自分が猫である事、カラスである事に誇りを持っていた。どこへでも入り込める柔軟な肉体や、大空高く舞う事が出来る翼は、それぞれの種に与えられた特権だ。
…しかし、それと同時に彼らも「罪」を背負って生きている事を実感していた。カラスたちはゴミを漁ったり置き石をしたりして、人間たちの衛生や生活を乱す。時には糞であちこちを汚してしまう事もある。そして、ネコもその柔軟な肉体故、衰える事無い食欲であらゆる肉を食い尽してしまう。「侵略的外来種ワースト100」として、彼らは世界的に問題とされているのだ。
その犠牲者となった存在が、今ここにいる。
『…行ったか?』
「ああ、行ったとも」
ドンの大きな掌の上に、一羽の鳥が姿を現した…いや、鳥のような姿の「妖怪」と言った方が良いかもしれない。嘴は鋭く尖り、つりあがった目と強靭な脚を持つその姿に、かつて猫の一家に食い滅ぼされたスティーブンイワサザイの面影は全くない。彼らに二度と食べられなくなるために、彼らに自らの恨みを晴らすために、怨霊としてここまで凄まじい姿に変貌したのである。そして、その体つきが全く変わっていないことからも分かる通り、今もこれは「怒り」の心を残したままである。だが、それは以前のような猛火のような物ではなくなった。
『我は信用などしておらぬ。貴様らが自滅する様子を見ておきたいだけだ』
「まあのぉ、今時の猫はだらしないから、ビワサザイはんの言う通りになる日も近いかもしれんな」
「イワサザイですよ、ミコさん…」
先程までずっと争う姿勢を崩さなかったミコも、恵の考えついた解決手段に大いに賛同していた。
今、都会に住むネコたちは相当自堕落な生活となっている。人間の餌にのみ頼り、外で暮らしているにもかかわらず彼らなしでは既に生活できない体となっている物が多いのだ。そんな彼らに、わざわざすぐに滅びの力など与えてよいのだろうか、と。栄司と同じような挑発気味の口調だったが、今回は違った。恵は、「怨霊」に敢えて譲歩する道を選んだのだ。ただ、決して全て怨霊の思い通りと言う訳ではない。猫たちに手出しをさせない、つまり「放置する」という手段を相手に選ばせたのである。干渉するのではなく、高みの見物として彼らを面白おかしく見守る。人間たちが一番楽しむ、そして一番嫌う方法だ。
「…恵さん、それにみんな」
「申し訳ありませんでした…」
そんな怨霊たちも含め、探偵局やミコ、栄司にドンとエルは土手座で謝った。かつて狸一族と平和的に和解したはずの先祖のような事が出来なかった事に対して、自分たちへの謝罪の念も込めてである。
恨みの念が解け始めたイワサザイを、この夫婦は封印する事はしなかった。相手を排除する、相手に排除されるのではなく、「共存」するというもう一つの道を選ぶ事にしたからである。それに、怨霊の顔から次第に頑なな怒りが落ち着いてきた時、敢えて外部からの電波を受信する状態に保っていたデュークのスマートフォンに、郷ノ川医師からネコたちの奇病が回復し始めたと言う情報も入って来た。怨霊…いや、「霊」が彼らを嘲り笑いつつ静かに見守るという手段を取った証である。既に、イワサザイは元の無害な存在へと戻っていた。そして、先程の手のひらサイズまでこの霊の大きさを縮めたのである。
「んにゃ、今回の一件は全員ともそれなりに責任はあるようじゃの」
喧嘩をした事や戦いの道を選んだ事などの直接的な要因から、イワサザイを絶滅させてしまったなどの間接的な要因。地球のどの生物にも、それなりに反省する点は多い。だが、それは忘れてそのまま放置するような物では無く、これをばねにして新たなステップへと踏むための重要な礎。過去の罪もまた、自分自身の一部である。
そして、先程の無礼を栄司に謝ろうとした時であった。急に彼は立ちあがったのだ。
「栄司さん…帰っちゃうんですか?」
「悪いな、蛍にミコ。ドンさんにエルさん、例の件は明日お願いします。それと…」
…栄司と二人のデュークは、無言で互いを見つめあった。言葉は一切発する事は無かったが、まるで何か決意を固めたかのようなやり取りのように恵や蛍は見えた。そして、そのまま栄司は玄関へ向かい、別れの言葉を告げてドン・エル夫婦の部屋を後にした。
残されたのは、人間とネコ、狐、カラス、そしてスティーブンミソサザイの幽霊。あのやり取りに何の意味合いがあったのか、デューク本人以外はこの時点で誰も知らなかった。一体何だったのだろうか、早速カラスとブランチが慌てたかのように語りだした。これに便乗して碌でもない事を恵やミコが言いだしそうになった時だった。
『その者…一体何をしておった?』
意外にもこの事態に興味を持ったのは、自ら不干渉を貫き通そうとしたイワサザイだった。当然全員の驚きの視線が彼に向いたのは言うまでもない。ただ、この中で一番、事の真相に近づいてたのも彼であった。
『あの者…「栄司」とかいう男、我に近いものを感じた。
そして、我と同じ視線を、「デューク」お主に投げかけた』
…お前は一体、何者だ。
すぐに「丸斗探偵局・助手」だと返そうとする恵だが、それを助手本人が制止した。そして、二人のデュークは互いに頷きで合図をし合い、元の一人へと戻った。例によって驚き慌てるカラスを尻目に、彼は静かに言った。いつか、話す機会が来る事は覚悟していた、と。
「今までずっと、決心が降りませんでした。でも…」
過去を受け入れてこそ、自分自身だ。蛍やブランチ、そして恵の言葉が、彼の決意を固めたのだ。
以前、デュークは局長に「完全人間プロジェクト」という話をした事がある。地球のあらゆる者は、人間よりも劣る存在。人間こそが万物の支配者だ、とうぬぼれていた者たちが集まり、その絶対性をより高めるため、様々な遺伝子改造や外部干渉を加え、究極の人間を作ろうとした、春香未来の計画である。だが、それは「デューク・マルト」、彼の手によって消滅した。その時に生まれた実験体も、その時を境に消え去った。
残念ながら、この話を恵はあまり覚えていなかったようだ。こんな衝撃的な話、カラスでもずっと覚えるとミコからツッコミを受けたり、自分は物覚えは良い方だと当のカラスが良く分からないボケを入れたりといつも通り話が脱線し始めるが、それを止めたのは蛍だった。何故急にその話をデュークが持ちだしたのか。単に「破壊」するという事は、今まで彼は何度も何度も繰り返してきたというのは彼女も知っているのに…
「…!まさか…デューク先輩…!」
…同時に、恵もミコも、デュークが今から告げようとする事に気付き始めた。ブランチとカラスはきょとんとした表情となり、ドンとエル、そしてイワサザイは静かに、そして真剣なまなざしで彼を見つめていた。
「…僕の過去を、皆様に話します」




