127.呪われたブランチ ~「怒り」よりも強い心~
救世主、というのはこういう状態を表す言葉かもしれない。
「メグはあああん!!」
「ミコ、大丈夫だった!?」
「栄司はんが…栄司はんとデュークはんが!!うわあああああん!!」
…例えば、いつもお調子者で強がっている女性が、その人が来た途端に緊張の糸が一気に解けてしまう。
「栄司さん…それに、『僕』…」
「…俺、かなりやばい事をやっちまったみたいだな…すまん」
「…ごめん…ごめんっ…!」
…先程までずっと喧嘩を続け、改善不可能とまで見えた絆が、少しだけでも取り戻せそうな兆しを見せ始める。
「大丈夫ですか、皆さん!」
「あ、ありがとうございます…」「助かったよ、蛍ちゃん…」
…ついさっきまで凄まじい傷を負っていた体が、あっというまに一つの薬で元通りの健康体になってしまう。そして…
『…!』
「落ち着いて、話を聞いてほしいニャ」
肉体の戦いでは無く、しっかりとした「言葉」という武器を用いて、相手に真っ向から勝負を挑む事が出来る。
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もう一方の丸斗探偵局の到着が遅くなった理由は、デュークがこのイワサザイの怨霊が造り出した空間を突破するのに時間がかかったもの以外に理由があった。それは、恵が手に持っている一冊の本にある。少々分厚く、表紙には一羽のオウムの写真が大きく掲載されている。蛍が以前図書館から借りてきた、世界中の鳥が記載されている図鑑である。そして、勿論この本にはカカポの事も、スティーブンイワサザイの事もしっかりと記載されていた。その中で、恵たちはカカポを始めとするニュージーランドに住む鳥たちの多くが、現在絶滅の危機にひんしているという事を知る事が出来た。その多くの原因が、「別の種類の生物」の介入…つまり、外来種によるものが大きいというのだ。
「そういえば…思い出した…」
何とか落ち着いてきた栄司が、昔見たテレビの自然番組の事を思い出していた。
カカポもスティーブンイワサザイと同様に、ある程度の足の速さはあるものの身を守る手段は無きに等しい状態だった。イヌやフェレットに食べられ、シカやウサギに餌を奪われ、さらに人間の開拓事業がそれに追い打ちをかけたと言う。その結果、1970年代にはもはやカカポは全滅したと考えられるまでに至ってしまった…。
「…やっぱり、一番の原因は私たち人間でした」
蛍は静かに、栄司らだけではなく怨霊にも語りかけるように言った。
自分自身の生きるため、自分自身の欲望のため、人間は数多くの生物を絶滅においやってきている。目の前にいるイワサザイだけでは無い、世界で最も数の多い鳥だと言われていたリョコウバトも、あっという間に人間に狩り尽くされ、北アメリカの空から永遠に消えてしまったと言う。そして今もなお、熱帯雨林の破壊や様々な環境汚染などで、人間は鳥たちを苦しめ続けている一面がある。
『…!!』
猫のみならず人間に対しても敵意を向けるかの如く、首輪や手錠が繋がれたイワサザイの怨霊が唸り声を上げた。自分の怒りの矛先を、どこへ向ければよいのか分からないといった表情である。だが、蛍はそれでも動じることなく、しっかりと怨霊に告げた。
「でも、私たちはその過去を捨てません」
自らが抱えた罪を、人間は今必死になって償おうとしている。
外来種によって完全に絶滅したと思われていたカカポに明るい兆しが見えたのは、1970年代後半のこと。とある島の中に、メスを含めて多数のカカポが奇跡的に生き残っていたのである。相変わらず各地で捕食者は根付き、その後何度もカカポは脅かされ続けたものの、次第にその数は下げ止まり、やがて上昇に転じ始めている。彼らを保護するための本格的な動きが、始動したのだ。外来種を追い出し、手厚い保護を受け、その中で次第にカカポは本当に少しづつだが、元通りの勢力を取り戻し始めているという。
「ケイちゃん…立派な事言うようになったのぉ…」
「いえ…やっぱりこれは、『真実』ですから」
今回の探偵局の依頼は、仲間である「ブランチ」や、町中の猫を呪いから解く事。そのためには、絶対嘘があってはならない、と蛍は考えていた。特に、カカポの事をより詳細に知った後はその思いが強くなった。相手がイワサザイである、という事はここにきて知る事が出来たが、彼らを始めとする孤島の鳥たちが辿った運命を見て、彼女は自分の考えを伝えようと考えるようになったのである。
「…貴方に今まで与えてきてしまった苦しみは、もっと酷いものだったかもしれません」
でも、どうか信じてほしい。今、人間は自らの罪を償うべく、「永遠の善行」に励むという罰を続けている。
そう彼女は、目の前の凶暴な怨霊へと言った。
…しかし、それでもイワサザイの怨霊の怒りが鎮まる事は無かった。当然だろう、間接的な原因を作り上げてしまった根源の「人間」が反省したとしても、その下っ端である「猫」には一切の反省の色は無いからだ。
『お前たちも知っているだろう?「猫被り」共が、反省と言う言葉すら知らないと言う事実を』
…確かに、そうだ。自分は反省と言う事が出来ない。
その言葉が出た相手に、栄司やミコ、こちら側にいたデュークは勿論、怨霊自身も驚いた。彼がずっと「汚物」「汚らわしき存在」「この世にいてはならない者」と散々非難し続けてきた「猫」本人が、堂々とその事実を認めたからである。
「オレ、いっつも寝坊して、お菓子食べ過ぎて…蛍に怒られるニャ」
語尾は猫の鳴き声のような特徴的なものだが、今の彼の姿は、誰が見ても人間の少年そのものである。彼…ブランチは、確かに猫の姿のままではこの結界に入るどころか、近寄る事すら不可能な状態であった。だが、これは「猫」を専門に退けるためのものであるのに外のデュークが気付いた事で事態は変わったのだ。
「動物」が駄目なら、「人間」になればよいのではないか。他の動物でも良かったのだが、今回は敢えてイワサザイやカカポを苦しめる事になった存在の姿を取る決意をブランチは固めた。
『やはり貴様はそれでも懲りずに繰り返すんだな?』
「そうニャ!」
『なんという汚らわしい…やはり貴様ら猫は…』
「それが、ブランチ殿でござるよ」
彼の隣にいた少女が、その口を開いた。ゴスロリ風の衣装に全く合わない口調に一同は驚いたのだが、彼女…いや、カラスの信念は固いものだった。命の恩人であるブランチは、いつも反省しようとしてはすぐにそれを忘れ、ドジを繰り返してしまう。そんなお調子者な親分だ。しかし、それは「過去」を決して捨てたりするものではない、とはきはきとした言葉をカラスは投げかけた。
「ブランチ殿は、いつも失敗ばかりでござる。でも、その時何が悪かったのか、しっかりと考える心を持っているのでござるよ」
そうでなければ、あれほど自分のためにずっと心配してくれたり、他のカラスたちに交通事故に気をつけるようにと必死に訴えたりはしないだろう。ブランチは、奇跡の存在「ミュータント」、その力をまさに他の動物のためにしっかりと発揮し続けている。その事を、カラスはしっかりと見届けていたのだ。
『すると…貴様は…味方をするつもりか?』
…少しづつ、頑なだった怨霊の気持ちが揺らぎ始めていた。自分たちと同類であるはずの鳥が、猫の味方をするなど全く予想もしていなかったからだ。彼らに対する感情は、「怒り」よりもむしろ「困惑」へと変わり始めた。何故、彼らはそこまでしてブランチを信頼しているのか。何故、彼はそこまで信頼を勝ち得る事が出来たのか。
『何故…お前は…猫は…!』
「決まってるニャ」
――俺は、この町の動物の親分、ブランチ様だからニャ。
…そして、その一言を告げた後、町の親分は口調を静かなものに変え、イワサザイの怨霊に伝えた。
世界中のネコを代表して、彼へ伝えたのは謝罪の言葉であった。
怨霊相手に慣れているはずのドンやエル、憎んでいるはずの栄司も、そのやり取りを静かに見守っているのみしか出来なかった。「ごめんなさい」の一言の後、結界の中には静かな時間が流れ始めた。だが、そこに流れていたのは緊張の時間では無い。互いにどうやって先を進める、まるで譲り合うようなぎこちない時間である。そして、次第にイワサザイの怨霊の形が変わり始めた…いや、先程まで体中に張り巡らされていた怒りの力が、解かれ始めたのである。
そして、その巨体はうなだれるかのように地面に崩れ落ちた。怒りが消えたのか、と言うミコだがそれは違うという言葉がすぐに本人から返って来た。
『信じる事が出来ぬからだ。
お前たちの言葉に、嘘偽りは毛頭感じられぬ。だが、我の心は決してその罪を許す事は出来ない…』
一体、どうすればよいのか。1世紀以上、怒りの感情のみを表し続けた怨霊がその心を変える時、どのようにすればよいのか分からなくなってしまったのである。突然の問いかけに、辺りは先程の緊張からうってかわったかのように困惑へと変わり始めた。特に、「栄司」と「デューク」は、まるで自分の事のように深刻な表情を見せ始める。またもやこの場所が、先程のような最悪の状況へと様変わりしてしまうのだろうか?
「…ねえ」
…いや、違った。今回の一件で、最後まで怨霊に語りかける事が無かった一人の女性…
「どうしても、信じられないって言うのならさ」
丸斗探偵局長、丸斗恵が…
「貴方の目で、それを見てみたら?」
一つの解決手段を思いついたのだ。