125.呪われたブランチ ~怒りの「言葉」~
「…!」
「どうしたんですか、デューク先輩!?」
丸斗探偵局の助手の目が見開き、口が真一文字になり、顔が少し上の方を向いた時は、何かこの世界や自分の周りに異変が起きた事を彼が察知したという合図だ。恵は勿論、探偵局に完全になじんだ蛍もその事に気づき、心配な気持ちがあふれ始めた。この状況が読み込めず慌てているのは、どうやら一緒に会議に加わっているカラスだけのようだ。
その後のデュークの話の内容もよく分からなかったものの、何かしら大変な事が起きたという事だけは理解できた。それも、彼女の恩人であり、町の動物たちを取り仕切るブランチ親分に関わる重大な何かであるというのも。さらに慌てふためきだすカラスを、デュークは落ち着かせた。取りあえず、まずはブランチが眠るネコ屋敷へと向かってから詳細な状況を説明する事とした。ただ、先程も述べた通り「カラス」のような「鳥」がネコに触れてしまうとまたあの奇病が再発してしまうと言う可能性が高い。つまり、このカラスは心配するブランチの様子を見る事の出来ないまま、外で待つと言う事になってしまうのだ。当然それではあまりに可哀想だ、と局長は言った。ではどうすればいいのか…?
「ねえ、『鳥』だったら駄目なんでしょ?だったら…」
「…え、大丈夫…なんですか?」
「まぁ、本人に聞かないといけないけどね…」
確かにカラス本人もその話を聞いて驚いた。この数十分、ずっと腰を抜かしたり慌てたりの連続であったがこの時ほど一番びっくりした事は無いだろう。突然「人間」になってみないか、と言われれば仕方ないかもしれないが。ただ、今のブランチの状態ではこのままの姿だと確実に面会拒否という事態になってしまう。
「突然の事ですいませんが、僕たちに協力してくれませんか?」
…親分を助けるため。
その一言で、カラスの心に気合のハチマキがかかった。今まで彼は自分たちのために色々な事に協力してくれた。事故を減らすために他のカラスへの啓もう活動を支援してくれたり、安全に美味しい餌が食べる事の出来る場所を教えてくれたり。今、その恩返しをする時が来たのだ。
そして、覚悟の頷きと共に、カラス…いや、「彼女」の体は青白い光に変わり始めた。その姿はやがて小さな鳥から、大きな「人間」の女性へと…。
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一方、探偵局側と連絡が取れなくなったと言う事に、ドンとエルの家の方のデュークも気づいていた。やはりあの夫婦の危機感は正しかったようだ。
今、彼らやミコ、栄司の目の前に巨大な「呪い」がその正体を露わにされていた。鋭く睨みつける目、猛禽類のように尖った嘴、そしてかぎづめを思わせるほどの鋭い羽…見た目からして「鳥」であるという事は分かるが、視点を変えれば彼らの先祖である「恐竜」、それも凶暴なティラノサウルスにも見間違えそうな風貌だ。しばらくの時間、その鳥は無言でドンとエルの夫婦との対峙を続けていた。その後、最初に言葉を発したのはドンであった。
「なぜこのような事をする?」
普段の低い声はそのままだが、その口調はまるで底に冷たい液体窒素の煙が広がるかのように鋭く尖ったものだった。そして、少しの間をおいて、同じように辺りに低く響き、そして抑揚に欠けた声が返ってきた。
ネコは皆、敵だから、と。
どういう事だ、とドンの隣にいるエルが詰め寄った。確かにネコはよく鳥を捕えて食べるようなものだが…。
『あの非道かつ残虐な生物は、この地球にいてはならない存在だ』
「何を言っているのですか、町の猫たちをあのような目に遭わせておきながら…」
『お前たちこそ何を言っているのだ。猫が悶え苦しみ、息絶えるのは当然の報いだろう』
「ふざけるな、あの猫たちに何の罪があるんだ」
『お前たちがもう少し頭を冷やせば分かるはずだ』
「その言葉、貴方にそっくり返しますわ」
…と言うより、どちらとも完全に頭に血が昇ってしまっている。「鳥」も「狐」も冷静さを失い、気付けば完全に口合戦の様相となってしまっていた。最初傍目で唖然としていたミコや栄司は、次第にその様子を見ているうちに心の中に苛立ちが募ってきた。会話が全くの平行線という事もあるが、それ以前に原因も分からないまま、巻き込まれた自分たちをカヤの外に置いて話が進んでいるのに腹が立ってきたのだ。そして、座り込んでいたミコがついに立ちあがり、大声で三者に怒鳴りつけた。
「ええ加減せえやワレら!うちら無視しおって、勝手に口論始めるったあ何事じゃ!?
なぁにが頭冷やせだ!?あんたらの脳みそ冷凍庫にぶち込んだろか、おらぁ!?」
…背中の入れ墨でも見せそうなぐらいの勢いに、あの「鳥」ですら額に冷や汗を流し、口論は中断された。ミコの故郷の方言は、確かに裏稼業の人の方言として取り上げられる機会が多いほど、怒りをよく表す事が出来るようだ。
心に溜まっていた苛立ちを一気に放出したミコも落ち着いた所で、一体この呪いの正体は何なのだろうか、栄司はデュークに尋ねた。先程までドンとエル夫妻はずっと呪いそのものを止めるという事自体に重点を置きすぎ、何故このような事をしたのかという根本を探る事を失念してしまっていたようだ。そして、彼ら自身もこの「鳥」が何者か、海外からやって来たという事以外何も分かっていない様子だった。こういう時は、オカルトに加えて科学の知識も必要となるだろう。
一言謝罪を加えた後、デュークは静かに「呪い」の方に手をかざした。大丈夫なのか、とついエルは口走ってしまうが、すぐにその考えを改めた。自分たちを凌ぐ「変化能力」を持つ彼なら、呪いの一つや二つくらい軽く崩せるだろう。ただ、彼が行っていたのは呪いそのものをぶち壊すと言う事では無く、その正体を探るというものだった。数秒後、彼の表情はどこか悲しげな、そして何か納得したかのようなものへと変わっていた。
奴の正体は何なのか、やはりあのカカポなのかと言う栄司やドンの回答に、デュークはその鳥とは別のある一つの生物の名前を口にした。
スティーブンイワサザイ。
学名「Xenicus lyalli」、スズメやカラスの仲間でニュージーランドにしかいないイワサザイ科の一種である。
大きさは僅か10cmと小さく、昆虫やエビ、カニなどを食べる肉食性の鳥。だが、一番の特徴は翼が小さく、空を飛ぶ事が出来ないという点であろう。現在スズメやカラスなどが含まれている「スズメ目」は約1万種いるが、その中でもこういった飛べない種類と言うのは非常に稀であった。
…だが、岩場を歩いたり跳ねたりしながら暮らしていたこの鳥の姿を、現在はもう見る事が出来ない。
彼らは絶滅してしまったのだ。「猫」たちに食い尽くされて…。