124.呪われたブランチ ~「真実」への覚悟~
「…姉さん…」
冬の墓地に、一人の男が佇んでいた。
この場所に来るときは、彼は必ず『一人』で向かうように心がけている。突然大量に現れては、きっと姉は驚くかもしれない。既にこの世にはいない人物だが、それでも彼…有田栄司にとって大事な人であり、そして絶対に敵わない存在でもある。
そんな彼女の眠る場所に栄司がやって来たのは、彼が抱えていた悩みであった。
「俺、姉さんの最期、見届けられなかったんだよな…」
栄司の姉は、何者かに殺された。彼と同じ増殖能力を持つにも関わらず、彼が帰宅した時には既に彼女は事切れ、リビングで倒れていた。正直な所、病気か何かであると信じたい一面もあった。だが、ずっと健康体でなおかつ予備の自分が大量にいる彼女が、そのような病で倒れるはずがない。そうなれば、考えられる死亡要因はたったひとつに絞られてしまう。
何故、姉さんが殺されなければならなかったのか。その理由を探す事も、今の「有田栄司」を形作った要因であった。殺人犯を探し、同じような犠牲を繰り返させない。そのために、彼はその数を際限なく増やし、社会の隅々にその根を伸ばしている。かつて姉が同じような事をしてきたように…。
だが、いざその目的に近づく証拠が増えて来ると、逆に彼から自信が消え始めた。傍若無人という言葉が似合うほどの図々しさで、一切引き下がる事を知らない傲慢な栄司が見せるたったひとつの弱みが、この姉に関する事象だった。
「…笑っちまうよな、姉さん。この俺が、こんなに怯えるなんて」
…彼に対して向けられた様々な証言。予知能力を持つ雑誌記者からの忠告や…
『デュークさんには、気をつけた方がいいっすよ』
偽者のデュークからの挑発の言葉。
『貴方のお姉さん、随分お美しい方だったようですね』
…その一言がきっかけとなって、探偵局にも秘密裏に調査を始めた、姉が殺された時の情報。人海戦術を使っても、どれも虫食い穴のように正確さに欠け、決定的な証拠とはならない…いや、逆にその「穴」こそが、犯人を特定する決定的な証拠であると言う事に、彼は気付き始めていた。
…だが、自分の推測がもし正しかったとしたら。自分がもし『敵対』する立場になったら…。
冷静沈着な一面もある彼は、その冷静さ故、友情と言う物を非常に重要視している。自分自身が何かしらの誤った道に走ろうとする時も、何かしらの信頼関係があれば、必ず誰かがそれに気づいて忠告をしてくれる。受け取る側がそれに対して感情的に批判するような事態があってはならない…そこにクールさが必要とされる。合理的に物事を考えるが故、栄司は探偵局を始め、数多くの仲間を得る事に成功している。だが、その絆が少々大きくなりすぎていた。
巨大な山が噴火すれば、地球規模で被害が及んでしまう。大きな友情も、一度それが崩れればその余波は自分も含め、凄まじい規模になる可能性がある。
「…線香の香り、姉さんは好きなんだっけか」
十本ほど束にした線香にライターで火をともし、すぐにそれを吹き消して煙だけを残すようにした。
虫が寄り付かなくなる効果もあるこの線香、冬にはその効能を試す意味も無いが、別の栄司がこの会社にも関わっているが故、少々値段がかさむこれを毎回供えていた。それ以外は、敢えて何も墓地に置かない。食べ物も飲み物も、どうせ姉さんの事だから自分勝手にあちこちから拾って来るだろう。あまりお節介を焼き過ぎると逆に不機嫌になってしまう、そんな気分屋の気持ちを考えたうえでの行動である。
それにしても、振り返るとあの探偵局の面々は、本当に賑やかである。
寒空の中で缶コーヒーを飲みつつ、栄司はふとそんな事を考え始めていた。真面目で一途だが少々頑固な所がある蛍、お調子者な一方で意外なリーダーシップがあるブランチ、そして…
「…恵…あいつ、そういえば…!」
考える事をやめようとしても、一度頭の中に浮かんだ疑念は晴れる事は無い。
思い返せば、姉と恵は非常によく似ている。相手を手玉に取るしたたかさや子供っぽい部分、悪戯が大好きで自分の能力をつまらない事にも全力で使い、そして仲間をしっかりと思いやる部分を持つ。そう、姉と恵はまるで…。
「忘れた」かのようにずっと脳裏からその情報が消し去られていた情報が、まるで鍵が開いたかのように次々と彼の脳内に流れ込み始めた。そして、それと同時に彼は覚悟を決めた。今までずっと自らが見るのを避けていた、そして見るのを避けさせられていた、あの瞬間に触れる事を。
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「ご神木に会いたい、と申されるのですか?」
「嫌ならいいっす。ただ、どうしても俺は知りたい事があるので」
栄司が訪れたのは、狐の夫婦であるドン・エル夫妻の住むアパートだった。
以前の柿の木山での戦いの際、彼ら夫婦と共に栄司はニセデュークに立ち向かい、未来で彼らの故郷が消滅する危機を防ぐ事に成功した。その元凶になったのが、ニセデュークが未来から持ち込んだ二つの宝、「魔鏡」と「神木」…またの名を「メモリーツリー」であった。当然ながら本来はこの秘密を人間が知る機会は絶対に訪れない。もし栄司が丸斗探偵局との強い関係を持たなければ、一生あの場所へ向かう事は無かっただろう。そして、「姉が殺された日」…自分が外出先から戻って来るまでの数十分の間、何が起きたのかという事も。
疑わしきは罰せず、という言葉がある。物的証拠がない限りは、いくら怪しくてもその人は「犯人」では無く、ただの「一般人」のままである。警察が真に動く事が出来るのは、どうあがいても相手がアリバイを作る事が出来ない、そんな状況の時。ただ、日本ではほとんど守られている様子がなさそうな言葉、栄司もまた例外では無く、感情に任せて動きがちな所はやはり多い。いくら冷静になろうとも、自分自身の考えが正しいかどうかを判断する機会がなければ誰もが暴走してしまうものだ。
…ただ、自分に関する事となると、絶対にそういう事はあってはならない。そこで、彼は狐たちの元へと相談に訪れたのである。
しかし、夫婦はそれを断った。
「申し訳ありませぬが、理由も聞かずに送る訳には参りません」
あの森の長老たちに並び、かつて四国にいた先祖の血が色濃く流れているエルの言葉は穏やかだが、凛としたものであった。当然だろう、いくら村の恩人だからと言ってそう簡単にあの宝を使わせるわけにはいかない。ただ、栄司側も引き下がらなかった。
「それは俺も理解してるっす。でも、もしその理由を言って、二人がショックを受けたら?」
「…それは、確かにわたくしたちとしては…」
「だが、言わない事には始まらないぞ、栄司さん」
ドンも助け船を出した。どんな理由であれ、しっかりと言って欲しい。ニセデュークたちのように、真の理由も告げないまま暗躍されては非常に危険な状態になる。ただ、それでも栄司は重い口を開かなかった。こう着状態がこのまま続くと思われた、その時であった。
「どわああああっ!!!」
「のああああっ!!??」
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「つーかまだ痛ぇよ…重かったぞおい」
「す、すまん栄司はん…でもその『重い』っつーのは取り消さんかいワレ」
「やかましい」「どっちがじゃ」
「お、お二人とも落ち着いて…」
互いに気の強いミコと栄司は、顔を合わす度に何かしらの因縁が生まれてしまい、喧嘩に発展してしまうジンクスがあるようだ。
ただ、そういう事態では無い、というのは話を聞いた栄司も理解した。今朝感じていたあの違和感が、まさか町全体に及んでいるなど誰が予想できただろうか。
「で、その様子を聞きに相談しに来た訳か…」
「…ええ」
…一瞬、ミコは栄司とデュークの間にとてつもなく大きな隙間が現れたかのように見えた。言葉のやりとりの空白の中に、まるで鉛で出来たような壁が挿入されたようにも。しかし、そのようなものを作っている場合では無い、という事も互いに承知していたようである。何か裏がある、という事実を残し、再び彼らは狐の夫婦との会議に移る。
「そういえば、エルも妙な違和感があったって言ってたな」
「ええ、そうですわ貴方…」
さすがは妖怪、彼らも何かしらの嫌な空気を察知していたようだ。そして、その事に気付いたのはやはりあの「カカポ」が現れた日である。やはり、原因はあの飛べないオウム自体にあるのかもしれない。だが、そう言った栄司に早計だとドンは告げた。もしそのカカポ自体に呪いをかけるような特殊能力が備わっているとすれば、デューク自身が気づくほどその能力を活かしているだろう。あの隠れ里にある柿の木や、動物たちを纏めていたブランチ、そして目の前の栄司。
「なるほど…つまり、別の何かが例のオウムを操っていたっつーことっすか」
と言うよりも、ちょうど寄生虫のようにオウムの体に乗り移り、この町への侵入を果たしたというのが一番有り得る形だ、とエルが付け加えた。どちらかと言うと科学側の知識が豊富なミコにとっては、少々目眩のするような内容だ。むしろオカルト系は彼女の兄の方が得意そうだが、残念ながら彼は遠く離れた西日本の百万都市にいるので会えないのは余談である。
このままこの「呪い」とやらを放置しておくと、より多くのネコの命が危機にさらされてしまう。それどころか、彼ら以外の動物にも危機が及ぶ可能性は高い。善は急げ、早速ミコや栄司、そしてデュークに了承を取った上で狐夫婦は呪いの根本を探るべく行動を起こした。普段は絶対人に見せる事は無いのだが、彼らは隠れ里の恩人であり、大事な仲間。その絆を信じ、ドンはクローゼットの中身を開けた。そこに入っていたのは、大量のお札や木の葉、狐たちが自らの術を使う時に用いる様々なアイテムである。目を見開く三人の人間を尻目に、お札のうち何枚かをドンは少々乱暴に取り、部屋の隅に貼り付けた。
「そうですわ、デュークさんにお願いしたい事があるのですが…」
「何でしょうか?」
今から行う儀式は、呪いの根源を探らんとするいわば召喚の術。その際に、周りにとてつもなく大きな音がする可能性も否定できない事と、危険な相手であると言う事を考慮し、エルは探偵局の助手に周りの音を一時遮断する時空改変を起こしてもらうように頼んだ。大家さんを始めとする他の住人に迷惑をかけないためと、こうやって時空改変を起こしたと言う目印を残しておくという理由である。
彼が頷いた瞬間、すぐに辺りから一切の音が消えた。聞こえるのは、様々な道具を用意しているドンとエル、そして唾を飲み込んで自らの緊張を表しているミコの音だけだった。そして、神棚のように重ねられた段ボールに、模様のようにしか見えないお札が貼り付けられ、最後にそれぞれの段ボールの上に木の葉を一枚置いて、呪いの正体を召喚する儀式は形作られた。
少し下がって欲しいという言葉の後、ドンとエルの夫婦は正座で座り、言葉のようなもの…いや、狐の鳴き声のような声をあげはじめた。何かの言葉を言っているようだが、それが何なのかはさっぱり分からない。目の前で起きている事が少々信じられないミコと栄司がきょとんとした次の瞬間、突然辺りに地震のような揺れが襲った。いや、地震でもここまで揺れる事は無いだろう。まるでジェットコースターのジグザグコースのようなものだ。姿勢を急いで安定させたデュークが二人を支え、何とか耐えている。その間も、二匹の「狐」は懸命に儀式を続けていた。揺れの中、次第に彼らの周りを雲のようなものが包み込み始めたことに三人の人間は気付いた。そして、それは時間を経るごとに次第に一つの大きな形を取り始めた。そう、これが例の呪いの正体…
「…と、鳥…か?」
一羽の、巨大な鳥であった。