111.柿の木山の攻防・7 / Dの陰謀
「貴様…っ!」
倒れ込んでいる狐や狸たちを背に、デュークは怒りの目線で目の前の存在を睨みつけていた。不敵に笑う、自分と全く同じ姿の存在を。
彼らと対峙した瞬間に、デュークは全てを悟っていた。今回の魔鏡の一件、何もかもが彼ら「デューク」の仕業であった。
「どうして怒ってるんだい、オリジナル?僕は狐や狸の戦争を止めた、功労者だよ?」
…今回の一件は、本物のデューク・マルトが知らないうちに動いていた。未来世界で彼が脱走した後の『犯罪組織』は、彼がいた頃以上に各地での暗躍を続けていたのである。未来世界に収蔵されていた門外不出の試作品を盗み出し、それを歴史という渦の中に流し込んで、遥か昔の狐と狸の一族がそれらを見つけ出すように仕向けた事も。彼らの争いの中に割って入り、都合よくそれらの宝物の交換が行われるようにした事も。あらゆる情報を溜めこむメモリーツリーから自分たちの情報を削除したのも…。
「ま、僕『たち』もこんなに都合よく双方が集まってくれるなんて思わなかったけど、ね♪」
「くっ…目的は何だ!」
それは、言わなくても分かるだろう?そう言い、偽者のデュークは親指で後ろの惨状を指した。恵、ブランチ、蛍に似せたあの存在の体内には、大量の『毒ガス』が充満していたのである。丸斗探偵局という存在に変身すれば、相手はすぐに警戒心を解いてしまう。なまじ知識がある故の油断が、変化能力を持つ動物たちの致命的な弱点となってしまったのだ。そして、怒りを抑えきれない本物の額へと、偽者の人差し指は向かった。
「オリジナルの方が分かってるんじゃないかな?未来の世界で、彼らがどんな扱いを受けているか」
…そう、以前丸斗探偵局の面々にも伝えた内容。
現代世界に、「技術的特異点」という言葉がある。これまでの人類の科学技術の歴史から、未来の科学がどうなっているかという想像はよく行われているのだが、それがある一点を境に一切分からなくなると言うものである。その要因としては、遺伝子を改造された強化型の人類や人工知能など、常識が通用しない存在が新たな科学の進歩の担い手となり、予測不能な発展を遂げる可能性がある事が挙げられる。そしてそれは、これらの人工知能や科学技術と、旧来の人類たちが共存するという「一見」理想郷に近い形で未来では実現している。
だが、その急速な発展の中で、これまで人類がずっと大事にしてきたものが失われた。自然への畏怖を具現化した存在…「妖怪」たちである。
技術的特異点を超えた発展がもたらした最大の影響は、彼らの存在が公に認められてしまったという事にある。これまで自然界にひっそりと潜み、時に人間たちを脅かしていた彼らが現実にいるということが証明されてしまったのである。最初は妖怪側も自らが認められていた事を喜んでいたが、それは一瞬の幻想であった。
未来世界に、サンタクロースを信じる者は一握りしかいない。包丁を持ったナマハゲは、悪い子によって脳天に銃を撃たれて逆襲される。どんな力を持った化け狐も、その遺伝子構造が解析されてしまった以上手も足も出ない。クリス捜査官を始めとする時空警察の面々など、一部は彼らの事を尊敬し、守ろうと努力しているものの、既に世間一般には彼らのような異物は排除され、蔑まれるものとされてしまったのだ。ユートピアは、全てにおいて同一に幸福を与えるものでは無かった。
自分と同じ端麗な顔に迫られつつも、デュークは必死に思考に冷静さを保とうとした。背後にある地獄絵図を洗い流すべく、背後に充満する『毒ガス』を両手からの時空改変で何とか排除し、これ以上の被害は抑える事が出来た。だが…
「やれやれ…どちらにしろ、彼らの力は弱まっている」
「…」
「随分彼らの怨念の排除には苦労してるみたいだよ、未来の不動産屋さん」
類は友を呼ぶ。8つ目の大罪たる時空改変能力を持ち、その大罪そのものを表す大犯罪者「デューク」の元に、宇宙を股にかけた悪徳不動産業者が寄って来るのはそう時間がかからなかった。自然が生い茂る山を潰し、そこに大きな商業施設を建設する。いくら技術的特異点を越えても、人類の思考はそう簡単には変わらないようだ…。
不敵にウインクまでしてのける偽者。余裕の顔の一方、相手に裏を読まれたかのように歯を食いしばる本物。その裏で、時空改変によって次第に毒が抜け、元の状態を取り戻し始めていた狐や狸たちは騒然としていた。全く同一の存在が対峙し合う光景の中で、一部の中には全ての黒幕は丸斗探偵局ではないかと言う疑念すら芽生え始めていた…だが。
「ふざけるな!」
その考え止めたのは、今まで見せた事が無かった、ドンの鋭く大きな声であった。体は不自由でも、脳に宿った怒りは収まらない。
「オレの友達を、馬鹿にするな!」
その一言だけでも、今の不安定なデュークの心には非常に大きな力となった。他人を蔑み、騙した挙句に散々痛めつけ、全く反省もしない目の前の存在と、ここにいる優しく頼もしい存在を、ドンは同一視など出来なかった。そして、それは彼の言葉に勇気づけられ、次第に動きだし始めた他の狐、そして狸の親分夫妻たちも同様であった。だが…。
「…貴方達が未来にとって邪魔になる。さっきの会話、聞いていたんですよね?
ですので、皆様はしばらく休んでいてください」
…戦いは、狐たちの苦しみの声から始まった。彼らの体から力が抜け、全身が痺れるような感触を受け、全く動けない。あの『毒ガス』でもここまでの症状は無かった。まるで、自分たちの意識が奪われるような感覚が彼らを襲っていたのだ。それを見たデュークは、瞬時に偽者の体を凄まじい力で外に放り出し、燕尾服を着こんでいたその体を地面に叩きつけた。だが、相手も自分、そう簡単に倒されるはずはない。眼鏡を光らせてすぐに起き上がり、右手を刃が粗い剣に変え本物の喉を貫いた。しかしオリジナルはすぐに自らの体を消失させ、別の場所に現れる。そして偽者の頭を蹴り上げ、一気に相手を怯ませた。そのまま相手の土手っ腹を逆に貫こうと動き出そうとした瞬間、体に鈍い痛みを感じたのはオリジナルデュークの方であった。
「オリジナル、油断大敵だよ?」」
前と後ろから、同じ笑い声が聞こえる。再び先程のダメージをリセットし、間合いを取ったオリジナルの前に佇んでいたニセデュークの数は、二人に増えていた。
「そういえば、『毒ガス』の成分」
「まだ教えてなかったね?」
毒ガスという言葉で鍵括弧で強調している以上、その成分…というより正体が異常なものであるのは言うまでも無いだろう。
オリジナルデュークが、狐や狸たちの体内からそれを除去した事もニセデュークの計算のうちで合った。普通の毒物なら消滅するのだが、相手がそれとはまったく異なる存在ならばそうはいかない。彼らとてデューク、オリジナルが行ったように自分の体を霧状に変えることや、丸斗探偵局の複数人に変化させることなど朝飯前であったのだ。
状況はまさに…
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先手を打たれた格好だった。
「あんたが全ての黒幕だったのね!!」
柿の木山でも、ニセデュークが丸斗探偵局と対峙している。怒りの声とともに、恵が目の前の男を睨みつけた。デュークもブランチも、そして蛍も同じだ。
「それが、何か?」
目の前の男は、それに対する罪悪感を全く持ち合わせていない。彼女たちの近くにいる、同じ姿を持つ存在とは大違いである。これ以上話すのは無駄、そう感じた恵達が構える。それに合わせて、舐めたような手つきで偽デュークが動いた。だが、何度もあげた通りほんの一瞬、奴らにはそれだけでも十分攻撃のチャンスとなってしまう。
「きゃ、きゃああっ!!」
「ケイちゃん!?」
新人は無理をしない方がいいですよ。本物と同じ口調で、しかし善意と言う心が全く入っていない言葉を投げかける偽者。彼の視線の先には、植物のつるでがんじがらめにされた蛍の姿がいた。森の中と言う事が災いし、少しだけ周りの環境をいじればあっという間に天然の鎖が完成してしまう。手足を縛られ、身動きが取れない彼女を見た途端、一気にデュークが動き出した。飛び上がり、一気に頬にパンチを食らわせて相手がひるんだすきに、彼の手が他の仲間に力を授けた。
「局長とブランチは蛍を!」
「うん!」「了解ですニャ!」
あっという間にブランチの姿が黒猫から巨大な猛獣へと変わった。極寒の地を支配し、どんな大きな獲物でも捕えてしまう勇猛な存在「アムールトラ」である。本来、その力はマンモスやシカのような巨大動物の肉をひきさくために使用するのだが、今回は仲間のために必死でそれを使おうとした。そして恵の方も負けてはおらず、分身した自分自身と協力して四方八方から根っこを引きちぎろうとした。だが…。
「駄目ですニャ…固すぎニャ…」
「くっ…」
もはや根っこというよりも鋼鉄の塊だ。一度間をおいてもう一度…としようとした時。突如衝撃が二名を襲い、近くの木々にその体が叩きつけられた。そして、そこにいたのは、予想していた通りの顔であり、絶対来てほしくなかった存在であった。
「邪魔はしないで欲しいですね」
その存在から漂う反応に、本物も驚きを隠せなかった。「彼」は、今戦っている「彼」とは別の存在。
この作戦に投入されたニセデュークの数は、一人や二人ではなかったのだ…。
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…だが、ここで全てにおいて先手を取られるような「オリジナル」のデューク・マルトでは無い。
あの時、狐や狸たちの場所へと急行する中で彼はこっそりともう一つの分身を町の中へと送っていた。丸斗探偵局と共に様々な事件に立ち向かってくれる心強い存在の元に。
「…なるほどな」「そりゃいきなり俺の家に現れる訳だ」
「すいません、連絡も一切無しに…」
「むしろ連絡する暇なんてねえよな」「分かった、『俺』を向かわせてくれ」「お前、プレゼンで失敗した八つ当たりだろ」「やかましい」
「ありがとうございます」
報酬の代わりに、思いっきりニセデュークをボコボコにしてストレス発散をさせてもらう。
どんな強敵でも、有田栄司は強気の姿勢を一切崩さない。デュークには、それが非常に頼もしかった。いくら凄い能力を持っていても、そのかじを握った者次第でその強さは大きく変わる。大胆不敵に自分自身を操る彼に、時空改変能力が打ち砕かれる事だってあるのだ…。