106.柿の木山の攻防・3B / メモリー・ツリー
秋の山中というのは、今の時期でも都会より肌寒くなっている場合が多い。狐たちの隠れ里でも、それは例外ではない。そのため、この時期から既に布団は厚く保温性の高いものとなっており、逆に少々暑さを感じてしまうほどである。しかし、そういう場所には必ずと言っていいほど人を離さず、ずっと引きずり込もうとする魔力が働いているものである。秋から冬にかけては、いつも遅刻する恵局長がさらに時間をオーバーしやすい時期なのだ。
…だが、さすがに外で色々とけたたましい物音が連続すれば、どんなねぼすけでも意識が覚醒してしまう。一緒に寝ていた蛍やデューク、ブランチらと共に布団から外に出た時、時計は朝の七時を指していた。
「あれ…?」
そして、異変に気がついた。家の中の人々がどこにもいないのである。これはどういう事なのだろうかと蛍は心配顔だが、先程の音を聞く限りでは恐らく皆は外にいるはずである。そして恵と蛍はジャージ、デュークは燕尾服、ブランチはいつも通り裸で引き戸を開けた時、四名の目に留まったのは、村の人々…いや、村の狐たちに縛られたある動物であった。
一瞬、恵たちはそれが何か分からなかった。だが、脳内の倉庫から記憶を探るにつれ、その顔が驚きに変わり始めた。
「か…カワウソ!?」
日本で絶滅したはずのニホンカワウソが、しょげた様子でこちらを見つめていたのである。これは一体どういう事なのだろうか、唖然とする一同に、化け狐のドンが事情はこれから説明する、と告げた。勿論、美味しい朝ご飯付きで。
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「え、じゃあ昨日のあれは…」
「へへ、オイラの術でして…」
「へへじゃないぞ、皆さんを巻き込むとは」
「いデッ…」
彼の見張り役を任されたドンが、一人の男を小突いた。痩せ型の茶髪、髭の剃り跡が少々生々しい彼こそ、先程までニホンカワウソの姿を取っていた存在であった。こちらもずっと山中をうろついていて非常に腹が減ったからか、局長にも負けじとたくさんご飯を平らげている。恵の方は昨日散々な事になったのにまだ懲りていないようだが…。
それにしても、何故そのカワウソまで一緒になってご飯を食べる事になったのか。それは、彼がここにやって来た理由にあった。
このニホンカワウソの名前はケイト。はるばる松山から、化け狸の命を受けて隠れ里の捜索に訪れたのである。彼の任された任務は、やはりあの「魔鏡」に関するものであった。こちら側が危惧していた通り、狸たちも動き出していたのだ。そんな中で、ケイトは偶然この探偵局の姿を目撃し、ある事に気付いたと言う。
「み、見られてたですね…僕」
「命知らずだなカワウソ、あれ以上やっていたらデュークさんに魂抜かれてたぞ」
そこまではしないと慌てて本人は否定したが、確かにデュークの時空改変を知らない者が目の当たりにしたら腰を抜かすのは間違いないだろう。既に彼の力は、狐やカワウソの変化能力を軽々と越えているのである。
ただ、相手の事情を知った今、彼はカワウソのケイトを責める意志は無い。それは、狐側も同様であった。かつての戦乱で和解した際に交わした公約を、こちら側が破ると言う事態になっては非常にまずい事になる。ご飯を食べ終えた後、ドンとケイトは外出の準備を始めていた。そういえば、ドンの妻であるエルの姿がずっと見えない。どうしたのかと尋ねた蛍に、エルの旦那は言った。彼女は既に、ある場所へ先に向かっている、と。
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山道を歩く事数十分。今回はデュークの瞬間移動を使わず、この道に詳しいドンの案内の元で一同は目的地へと向かっていた。カワウソであるケイトは、けもの道の周りに広がる秋の自然の様子にまるで目を輝かせているようだった。
「ケイトさん、なんだか嬉しそうですね」
「へへ、オイラの故郷を思い出しちまいましてねぇ」
兄ともども、住み慣れた山のダム開発から逃れ、町へと逃亡を図ったのも昔の事。路頭に迷っていた彼らは松山の狸に拾われ、彼らに忠誠を誓っている。ただ、四国最大の都会の光景よりも、やはり彼にとってはこちらの森の方が好きなようである。そんな彼の横では、都会の生活に慣れ切った恵とブランチが、山道を行く決定をしたデュークに文句を言っていた。どんな場所でも燕尾服と黒革靴の体勢を崩さない彼は、疲れの顔を一つも見せていない…が、二名の文句に呆れる顔は存分に見せているようだ。
そして、けもの道はある開けた場所が終点となっていた。ドンが言った通り、先に出発をしていたエルもここが目的地だったようだ。旦那と同様の青系の服装で身を固めているが、いつも着用しているものとは違い、どことなく和装を思わせる格好だ。そして、彼女の傍には一人の老人と、一人の若者が佇んでいた。直感で、恵はその老人の方が誰なのか気付いた。もしかしたら、この人…いや、この狐が村の長老なのかもしれない。
「左様、わしがこの村の長老じゃ」
「おおさすがこの私、今回も推理が…ってえっ?」
…今のはただ自分が考えていただけなのに、長老はそれを読みとったかのように先に言っている。恵は驚いたが、長老自身はそれは決して術でも何でもないものだと言った。長年様々な人間を驚かしたり、色々な自然と触れ合う中で、様々な人柄や心を知っていく。その中で、相手の表情と言う物は、いくら隠そうともその奥から感情が見えてしまうもの。恵やデュークも重視する、「経験」の成せる力であった。
「要するに局長はすぐに隠し事がヘタニャんですニャー」
「その言葉あんたに返すわよ」
しかし、それで得た「知識」が全て自分たちの元に留まるとは限らない。そう長老は話を続けた。頭の中という引きだしは、すぐに取ってが壊れてしまうもの。都合の悪い事はすぐに消えてしまう、という一言に探偵局のデュークと蛍の視線が向かった先は言うまでも無いだろう。
「…そ、その話と、ここまでやってきた事は何か関係があるんですか?」
「大アリでやんすよ!」
恵の疑問に答えたのは、意外にも一緒にいたカワウソのケイトであった。今、彼らの目の前には一本の巨木が生い茂っている。ただの木では無い、その葉は周りの秋の森林とは違い、まるで絵の具をかけたかのような緑を保ち続けている。そして幹も、鮮やかなほどの茶色で覆われている。まるで「造形物」のようなこれこそ、かつて狸一族から狐一族へ渡された宝だ、と彼は興奮した様子で言った。
「事情はこちらも聞いたわい、ケイト殿にも迷惑をかけたの」
「オイラは慣れてますから、そういうのは」
かつて戦乱の中にあった狸と狐が交わした友好条約は、互いに「宝物」を預かり合い、時が来た時にそれを交換するというもの。争いを起こさず、平和な関係が続けば、その宝を双方とも横取りしようとは考えず、むしろ互いに尊重し合うはずである。だが、その約束が破られようとしているのである。目の前に生えている巨木は、狸側から狐側へと渡されたもの。しかし、狐から狸への宝物はいまだに渡っていない。今回丸斗探偵局が挑む難問は、こういう背景の元にあったのである。
…ただ、一つ疑問がある。今回探している宝は「魔境」…どんなものでも見通せてしまうという不思議な力を持つ鏡なのだが、宝物とされるこの「木」というのは、一体どんな力を秘めているのだろうか。そこに、先程までの長老の話が繋がっていた。
彼は、傍に立っていた若者に目線で合図をした。それに頷いた若者が、探偵局の中で誰か一人をこちらに連れてきてほしいと言ってきた。少しだけ悩んだ後、恵は蛍にその任務を託す事にした。色々経験を積む事が大事だ、先程聞いた言葉の通り、一番の後輩である彼女に不思議な体験を任せることを決意したのである。決して面倒だからという理由では無い…はず。
「そういえばドンさんにエルさん、あの狐の方はどなたでしょうか?」
「あぁそうか、デュークさんたちはまだ会ってなかったな…次期の長老候補だ」
「今は長老様の補佐をしているのですが、会議はあの方が中心になってますのよ」
ちなみに、昨晩お世話になった金髪の老人の息子で、そもそも現在の長老とは先祖子孫の関係で血が繋がっているという。通りでどこか面影が残っている訳である。
そんな彼に先導され、蛍は巨木の前に立った。そして、その横で長老候補の若者が樹木の幹に静かに手を当てた。一瞬だけ電流が走ったかのように体が痺れた直後、その顔は少し自信に溢れたものとなった。
そして、彼は言った。一週間前、丸斗蛍が探偵局の皆と一緒に食べた夕食は、近くのファーストフード店のダブルチーズバーガーである、と。
…その言葉に驚いたのは、彼女では無くデュークであった。蛍自身もすっかり忘れていたが、確かにあの時はもう一方の自分たちがいない間にと恵局長が外食に誘ってくれたのである。彼の言葉に、蛍は勿論恵も思い出し、あの時連れて行ってもらえなかった代わりに彼女たちが持ってきたハンバーガーの味をブランチも思い出していた。
「ど、どうして分かったんですか!?」
「それが、この木の力なのデス」
少々語尾が独特な長老候補の彼が、長老に代わって木の事を説明した。この樹木の根はあちこちから「知識」を集め、内部でそれらを蓄積し、そしてそれを呼吸のように自由に吐きだす事が出来る、と。
信じられニャい、まぐれだニャ。早速ブランチはそう言って木の元へと飛び込み、そして一発ひっかこうとした。だが、逆にダメージを受けたのは彼の方だった。恵やデュークに返り討ちに遭った、あの苦い記憶が突然放出されたのである。痺れたかのように、黒猫が森の中でへたばっている。
「な、何があったんですか…?」
「あの木にどうすれば被害を与える事が出来るかを考えたんだろう…ですね、長老」
「うむ、ドンの言う通りじゃ。大樹は的確に、お主が一番被害を与えるであろう知識を与えたんじゃな」
「こんな知識いらニャいですニャ…」
…ともかく、この木は本当に知識と情報を他人に与える事が出来る凄い宝物である事は間違いない。恵局長は早速木の所へ向かい、復活したブランチと一緒に使い方を教えてもらっていた。もう完全に遊びに使う気満々な彼女たちの一方、エルは先程からデュークが何かを悩んでいる事に気付いた。恵には隠しているようだったが、彼女が遠くなった事を受けて気が緩んだかのように。どうしたのか、と尋ねられた直後、デュークは口から声が出るほど驚きの顔を見せた。
「きょ、局長!ブランチ!蛍!」
「どうしたんですか、デューク先輩?」
「え、いやらしい記録が木の中にあるから今すぐ消去したいって?」
「そんな事、一言もいってないですよ…」
「きっと局長はデューク先輩の顔を見て経験で言ったんですニャ!」
「そんな経験はいらない…じゃなくて、違います!思い出したんです!」
いつも通りのノリツッコミを経て、ようやく本題に入れた。
その内容は、皆の顔も驚きに変えるのにふさわしいものであった。以前、山登りに向かっている最中に彼は魔鏡について気になる点があると告げていた。全く関係の無いはずの未来世界に、似たような品があったのだ。裁判所などが用いるという、特定の分野に対しての過去を表示できると言う限定的なタイムマシンのような機材である。それと同じように、これと似たようなものが未来世界にあるという事を、彼は思い出したのである。その名もずばり「メモリーツリー」、機械という壊れやすく硬い記憶媒体から抜け出し、遺伝子や分子配列をそのまま「情報」として蓄えるという未来の新たな生命体である。だが、成長と言う過程からまだ安定化はなされておらず、未来世界ではまだまだ機械や紙を用いる場合が多いらしい。
しかし、何故そのような品がここにあるのだろうか。偶然ではないかとも考えたものの、デュークが自らの時空改変を用いて木の遺伝子を調べたところ、間違いなくこれが「メモリーツリー」の巨木である事が確認された。蛍と同様、この品種の木々は全個体が同じ遺伝子構造を持っているためである。
「うむ…それは厄介な事じゃのぉ…」
「長老さんは、どうしてこの木を使っているんですか?」
「わしとて記憶には限界がある、何百年も生きとると忘れる事も多くてのぉ…」
そして、彼は「魔鏡」の場所の記憶はこの木の中にある、と告げた。
善は急げ、すぐに恵が木の幹に手を当て、内部にある記憶を引き出そうとした。一瞬のしびれの後、彼女もまたなにかすっきりしたような顔つきとなっていた。
「それで、場所は分かったんですニャ?」
「うん…それがね、あそこなのよ」
…と言われても、ピンと来るはずが無い。改めて場所を説明した時、蛍は少し悩むような顔をした。そこまで皆が驚く理由が、いまいち掴めなかったのだ。ただ仕方ないかもしれない、あの時…『一年中柿の実が生える柿の木』を巡る事件を解決した時、彼女はまだ探偵局の一員では無かったのだから。