105.柿の木山の攻防・3A / 松山よいとこ巡り
森羅万象を操る力を持つデューク・マルトは、旅の準備などは全く必要ない。欲しいと思えばその物が現れ、行きたいと思えばどこでも行ける。しかし、何もせずに物事が進むつまらなさを彼は知っていた。だからこそ、狸の坂上一家からの誘いを受けての松山観光に大いに賛成したのである。
高松、高知、徳島。四国の県庁所在地はどれも魅力的な要素を併せ持つのだが、その中でも最大の人口数と規模を誇る松山市内は、探偵局周辺と比べれば小ぢんまりした感じだが、商店街や大きなホテル、美味しいご飯など楽しみがぎっしりと詰まっている。
そして、松山に来た人は真っ先に驚くであろう光景に、見事蛍も目が点になっていた。当然だろう、「蒸気機関車」が路面電車の線路を走っているのだから。
「デュ、デューク先輩…これってどういう…」
「ああ、これか。昔松山を走っていた『SL列車』を復元した観光列車さ」
「でも大丈夫なの、煙とか…」
「大丈夫ですよ、これは蒸気機関車に似せて作ったディーゼル機関車ですから」
ちょっと興ざめしてしまった恵だが、それでも路面電車の線路を機関車と客車が走る光景は今となっては非常に珍しい。何せ復活のために一時消滅していた鉄道の免許を復活させたとも言われているからだ。父親の玄さんが依頼料の一環として買ってくれたチケットを使い、早速探偵局の面々は列車に乗り込んだ。今日は平日、観光客も少々まばらな小さい車内だが、やはりデュークの格好は浮いているようで周りからの視線が集まっている。何でいつもその格好なのか、恥ずかしがるデュークに恵局長から突っ込みが飛んだのは言うまでも無い。
商店街近くの駅で、三人は降りた。昔ながらの車内の乗り心地に、ふかふかな椅子で慣れていた恵局長は少々尻が痛くなってしまったようだ。
「それにしても凄いレトロな列車ね…」
「デューク先輩、昔走ってた本物もこんな乗り心地だったんですか?」
「まあね…昔の方がもっと狭かったかな?」
「え、乗った事あるんだデューク…」
「まあ、昔に少々用がありまして」
その「用件」の詳細はさすがに口にはできない。未来で進められていたとある研究のサンプルに用いるため、明治の松山にいた有力な化け狸の命を奪わんと潜入していたという…。結果は何者かの妨害で失敗したのだが。
さて、ここ松山は多くの文豪を生み出した本の街。商店街にも、老舗の本屋が数多く立ち並んでいる。失礼ながら探偵局周辺の商店街よりも短く、人通りも少し少なめなのだがその分綺麗に整っているレイアウトがよく分かる。探偵局での暇つぶしのためにデュークが本を購入している間、恵と蛍は近くのファーストフード店で彼を待つ事にした。探偵局の近くにもこの店はあるのに、何でここを昼食の場にするのかと気になる蛍。だが、恵局長はむしろこういうのが良いと返した。
「いつでもどこでも、同じものを食べる事が出来る。それって凄い事じゃない?」
「そ、そうですが…でも…」
「ケイちゃん、『いつでもどこでも同じ』って言われて、それが一番当てはまるのが誰か忘れてない?」
「…あっ…」
場所を問わず、同じ存在が複数存在できる。恵や蛍、デューク、栄司のような存在はある意味こういった人間の理想の究極系なのかもしれない。…とは言え、本当は食費をけちるためなのは内緒だが。
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デュークが戻り、皆で昼食を食べた後はそのまま松山城の近くへ。
城の近くには図書館やホール、美術館もあり、松山市の文化の拠点ともなっている。ただ、恵にはいくら有名な芸術家の個展が開かれていると言われても、その価値は良く分からなかった。
「仕方ないですよ、価値観は皆違いますから」
「でもつまらないな…っと」
「きょ、局長…」
さすがにここで分身して逃げるわけにはいかない。何せ入場料を支払ってここにやって来てしまったのだから。
そして、城の周りを散歩した後、本日の終点であるホテルへと辿りついた。狸一家から泊まる事も誘われたのだが、キャンセル料分をけちった局長の鶴の一声で、前日彼女が文句たらたらだったビジネスホテルでの一泊に決定したのである。
「相変わらず局長は文句ばかりですね…」
「うるさいわね…むう」
例の狸の悪ガキと局長はどうやら良い勝負のようである。
そんな彼女とデュークがくつろいでいるのはホテルのロビー。ホテル…ではない蛍は先に部屋へ戻り、明日の準備をしている様子である。狸の一家ともども、依頼の品である「魔鏡」を探す事になったのである。
「それにしても、狸やカワウソたちってあなどれないわね…」
これまで様々な依頼を受け、解決に尽力していた丸斗恵であるが、やはりこれらのような伝説に語り継がれている存在と関わる事は興奮の連続であり、そして結構疲れるものである。しかも今回は遠出、さらに立てつづけの出来事である。あまりにもテンションが上がる事ばかりと言うのも大変なものだ。
「この物語は何でもありですからね。僕のような未来人から、ブランチのような喋る猫、局長のような分身能力を持つ人たちまで…」
「妖怪までいたんじゃ、ね…」
少し苦笑しながらも、恵はかねてから思っていた疑問を口にした。
「ねえ、やっぱりデュークって狐か狸の類と関係してそうよね…」
「前も言いましたね、それ。そして僕は違いますと」
「でもそう見えちゃうのよ…」
今回自分たちが襲われた時のような、まるで現実に起こっていそうなものを見せる能力。いくら彼が否定しても、蛍たちもきっと同じ疑問を抱いているに違いない。そう感じた恵の一言を、デュークは改めて否定し、今回はその理由をしっかりと語った。あくまで彼らは「今」を変える力しか持っていない。化かすというものは、幻影でしかないのである。それに比べ、自分の力を幻影だとすれば、永久的に、時に強制的に続く事になる幻影を相手に見せるという事になる。
強いて言うなら、「上位互換」だ。意味ありげに強調した彼の言葉の真意をたどろうとする恵だが、やんわりと断られてしまった。探偵なら、自分の力で推理すべきだ。都合のよい言葉であるが、助手が言うなら仕方ない、と恵はその言葉を心に留めておく事にした。
…「あの時」はもう少し。全てを話す時は、近づき始めている。デューク・マルトは、そう感じていた。
そんな中、恵に言われて彼はある事を忘れていたのに気がついた。丸斗探偵局に残してきたもう一人の自分たちとの連絡である。
万が一の事も考え、蛍、デューク、そして恵の分身能力を持つ、あるいは能力を得る事が出来ることを応用し、片割れを探偵局側に残して来たのである。ある意味栄司と同じような仕組みである。ブランチに関しては遠出を嫌がったのでそのままこちらについてきてもらったが、ここ二日の間ですっかりそれに関する連絡を取るのを忘れていた。
ただ…。
「…連絡がありませんね…」
「え?」
向こう側が寝ている可能性がある、というデューク。それもそうだろう、今は夜中、遠く松山で探索に忙しかった可能性も十分にある。羨ましいと思いつつ、恵がメールを送っておく事にした。
…実はデュークの力でも、本当に連絡が取れない状態であった。明らかに何かの干渉がある事は、彼は既にお見通しだった。しかし、敢えてそれは誰にも言わなかった。間もなく重要な歴史の局面が起きる。正か負か、どちらになるかはまだ彼にも分からないが…。
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次の日の集合場所は、松山城の近くであった。さすがに太陽がようやく顔を出す頃の時間なので、人影は自分たちしかいない。
「あちゃー…携帯充電するの忘れてた…」
「後で充電器貸してあげますよ、局長」
デュークの瞬間移動があるとはいえ、寝坊寸前の恵を叩き起こす羽目になってしまった蛍も、少々眠そうな顔である。一方の助手は、いつも通り燕尾服を着こなしてすっきりとした表情である。
ただ、肝心の狸の二人が来ていない。今回は事情が事情と言う事なので、例の悪ガキはカワウソのビロウドに預け、狸夫婦のみで同行する事になっている。彼らの先祖が関わる事件というのも理由だ。それなのに一体どうしたんだろう、と辺りを見回す恵の肩を、デュークが叩いた。そして、彼の言うとおり上空を見上げた局長の口から驚きの言葉が漏れた。
「な、何よこれ!」
…昔こういう巨大なものが世界中の空を舞っていたというのは恵も聞いた事がある。しかし、突如目の前にそんな「飛行船」が現れるとなると驚くのは当然だろう。
そして、三人の耳に聞き覚えのある声が響いた。
『三人とも待たせてすまない』
「あたしの旦那が寝坊しちゃいましてね…あんた!」
『いてて…悪かった悪かった』
女性の声はメガホンのようなものでこちらに響いているのだが、もう一方の低く響く美声の方はこの飛行船全体から響いているようだ。それを見てデュークは真っ先に確信した。この飛行船こそ、あの狸の父、玄さんが変化した巨大な乗り物なのである。
人の体の中に入る、と言われると響きは良くないが、内部のシートは座り心地も良く、再び眠りについてしまいそうなほどであった。中で操縦を担当するのは、親分の奥さんだ。舵を切り、誰にも気づかれる事無く静かに飛行船は舞い上がった。たまにはこんな時空改変もしてみたらどうか、という問いを助手にやんわりと断られて少しご機嫌斜めな恵や、外の景色に目を輝かせる蛍を乗せて…。




