104.柿の木山の攻防・2B / 隠れ里の一夜
エルの家系は昔、四国松山でも最強の実力者として名高いものであったと言われている。ある不祥事がきっかけで全狐が四国を追放されると言う事態になった時も、彼らはこの狐の延命を殿さまに懇願し、その願いは叶った。ただ、その後白い目で見続けられると言う事実は避けられず、歴史の表舞台から姿を消した彼女の先祖は、やがてこの森の中でコミュニティを作って生活を続けているという。
当然ながら、うっそうと広葉樹林が繁る山奥には登山客くらいしか人間が訪れる事は無い。しかも基本的に幻術によってこの隠れ里はカモフラージュされているので気付く事も入る事も無い。そんな中に、突然見知らぬ人間が三人、猫も連れてやってくるとなると怖がって狐たちが家から出ないのは当然であろう。
「ニャー、酷いニャ!オレたちを追い出そうとしてるニャ!」
「ブランチ、落ち着いてくれ…君だって昔は栄司さんを怖がってたじゃないか」
「あ…」
彼らの正体が決して怪しい者ではない事を証明してもらえば、案外交渉はすんなりいくものである。今回はこの隠れ里のお譲様であるエルや、彼女の婿であるドンがついていた事が幸いした。
ただし、その際に言った「ただの人間では無い」ことを証明するために各自で能力を狐たちの前で見せると言う事態になったのはエル自身にも少々予想外だったようだ。そして、かつてこの土地が海だった頃、空を待っていた巨大な翼竜を呼びだすと言う事をやってのけたデュークに、普段人間を化かして驚かす立場の狐たちの方が驚いて腰を抜かしていたのは言うまでも無いかもしれない。
さて、先程から狐と連呼しているが、いざ人間の姿になればごく普通の田舎の街。エルの実家も良家とはいえ、そこまでの豪邸では無く料理もみそ汁や菜っ葉の漬物、山で採れた山菜サラダ、塩鮭などありふれた形である。しかし、蛍とブランチは初めてたしなむ味に興奮していた。エルの親戚たちも、これには喜びを隠しきれなかった様子である。昔はあくどい心を持つ人間たちを弄ぶために碌でもない食べ物を与えたりしていたのだが、彼らが危害を加えない存在と分かり、さらにはエルの恩人でもある事も知れば料理にも気合も入るかもしれない。
蛍は3杯、デュークも4杯、恵局長は10杯もお代わりが終わり、無茶をした局長が動けなくなるなどトラブルもあったものの、何とかそれらが落ち着いた所でようやく本題に入った。冬にはこたつにもなるきりかぶに似た大きな机を中心に、探偵局の一同とドンとエル、そしてこの里に暮らす狐たちが何名か集まる。
「魔鏡についてですか…」
正直なところ、これは狐だけの問題にしておきたかった、というのが隠れ里側の本音であった。確かにエルの判断は正しかったかもしれないが、「お節介」という言葉もある。しかし、陽が昇っている間に恵と蛍が体験した事を話した途端、相手側がざわつき始めた。狸の仕業である、とドンたちは言っていたのだがどうやらこれに関してのことらしい。
ちょうどデュークと向かい合っている、長老のようにしわが多い金髪の男性曰く、この魔鏡に関してよく分からない所があるという。
「そういえば、二人とも古文書に限られた内容しかないって…」
「それでございます、わしらの先祖…この一帯を治めております狐の長老様でございますが…」
ずっと昔に狸と狐の戦いが「第三者」の手による和解という形で決着を収めた時、互いにその有効の証として何かを交換したという話を聞いた事があると言う。このありがちな手掛かりからして、デュークの力が無くとも間違いなくそれが「魔鏡」であるのは間違いない。ただ、場所については残念ながらエルの実家には情報は無かった。しかし、その狐の長老の知識を集めた場所があるため、そこに陽が昇り次第向かい、真相を確かめる事になった。朝が苦手でも、今回はデュークが無理やり起こす事にしているので心配はないようだ。
色々一段落した後、狐の仲間たちと語らうブランチと蛍から少し離れ、星が見える位置に恵とデュークは隣り合わせに座った。寒さも時空改変でだいぶ和らいでいる。
「それにしても、狐も狸もあなどれないわね…」
これまで様々な依頼を受け、解決に尽力していた丸斗恵であるが、やはりこれらのような伝説に語り継がれている存在と関わる事は興奮の連続であり、そして結構疲れるものである。
「この物語は何でもありですからね。僕のような未来人から、ブランチのような喋る猫、局長のような分身能力を持つ人たちまで…」
「妖怪までいたんじゃ、ね…」
少し苦笑しながらも、恵はかねてから思っていた疑問を口にした。
「デュークって、もしかして狐か狸の子孫だったり?」
「…え?」
今回自分たちが襲われた時のような、まるで現実に起こっていそうなものを見せる能力。蛍たちもきっと同じ疑問を抱いているに違いない。そう感じた恵の一言を、デュークはあっさりと否定した。あくまで彼らは「今」を変える力しか持っていない。化かすというものは、幻影でしかないのである。それに比べ、自分の力を幻影だとすれば、永久的に、時に強制的に続く事になる幻影を相手に見せるという事になる。
強いて言うなら、「上位互換」だ。意味ありげに強調した彼の言葉の真意をたどろうとする恵だが、やんわりと断られてしまった。探偵なら、自分の力で推理すべきだ。都合のよい言葉であるが、助手が言うなら仕方ない、と恵はその言葉を心に留めておく事にした。
…全てを話す時は、近づき始めている。デューク・マルトは、そう感じていた。
そんな中、恵に言われて彼はある事を忘れていたのに気がついた。丸斗探偵局に残してきたもう一人の自分たちとの連絡である。
万が一の事も考え、蛍、デューク、そして恵の分身能力を持つ、あるいは能力を得る事が出来ることを応用し、栄司に頼まれて松山に行った一行の一方で、片割れである自分たちは探偵局に残ったのである。ある意味栄司と同じような仕組みである。ブランチに関しては遠出を嫌がったのでそのままこちらについてきてもらったが、ここ二日の間ですっかりそれに関する連絡を取るのを忘れていた。
ただ…。
「…連絡がありませんね…」
「え?」
向こう側が寝ている可能性がある、というデューク。それもそうだろう、今は夜中、遠く松山で探索に忙しかった可能性も十分にある。羨ましいと思いつつ、恵がメールを送っておく事にした。
…実はデュークの力でも、本当に連絡が取れない状態であった。明らかに何かの干渉がある事は、デュークは既にお見通しだった。しかし、敢えてそれは誰にも言わなかった。もしかしたら、ここで何か一つ重要な歴史の局面が起きるかもしれない。例えそれが、負の歴史であっても…。