103.柿の木山の攻防・2A / 新たなる依頼
次の日。
「申し訳ない事をした…許してほしい」
「いえ、大丈夫です…」
松山の街は、繁華街から離れると田畑が目立つ古い郊外の街並みが目立つ。そんな中に建つ一軒家に、恵たちはお邪魔をしていた。目の前にいるのは、鍛え上げた筋肉が目立つ父親とふっくらした顔つきの母親、そして、蛍と一緒にじゃれあっている子供。そして、その横には昨日から消えないたんこぶを抱えて一人の背の低い男が、父親と共に恵とデュークに平謝りしている。彼らはただの人間…いや、人間ですらない。森羅万象、何でも化ける事が出来る「狸」の名家なのだ。
かつての松山道後の不祥事がきっかけで狐たちが全面的に撤退を余儀なくされて以降、四国は佐渡と並ぶ狸の天下となっている。特にここ、愛媛県松山市は、映画にも取り上げられるほどの狸の勢力が集まる総本山の一つである。彼らの総大将はかつて人間の陰謀に巻き込まれて以降封印されてしまい、それ以降はなるべく人間社会において前面に自らの術を推し出す事無く、穏やかに生活を営んでいる者が多い。特に、この狸一家のような若い世代の場合その傾向が顕著のようだ。
そんな彼らが、どうしてあのような事を大々的に行ったのか。デュークが投げかけた問いには、これから話す依頼内容と共に説明したい、という父親の連絡があった。ただ…
「え、父ちゃん駄目?」
「駄目だ、これは父ちゃんと母ちゃんに関わる重要な事だ。邪魔するんじゃない」
「んー…」
母ちゃんから窘められても、一人息子のふくれっ面は直らない。ちょっと我がままな息子だと謝る父親狸に対し、探偵局は大丈夫だと答えた。
「いい、ケイちゃん、これは探偵局の重大任務よ」
「局長、そこまで気合入れなくても…」
少々ませた感じの小学生には、少し年上のお姉さんというのは相性抜群のようだ。蛍と一緒に遊ぶ事になり、息子狸にも元気が戻ったようである。そのまま客間を出た二人を見送った後、改めて丸斗探偵局は彼らからの「依頼」を引き受ける事にした。
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依頼人の名は、松山市在住の化け狸である坂上玄・坂上花音夫婦。遠く離れた丸斗探偵局という存在については、以前起きた土地神騒動の解決後に風の噂で知ったと言う。
「なるほど、それで実力を見ようと…」
「へい、オレっちがちょっとイタズラをしようと思って」
「ありゃやりすぎだよビロウド…」
平謝りするのは、この家に住み、手伝いを担当しているニホンカワウソのビロウド。ただ、見た目は小太りの人間なので全くそうは見えない。それほどの…恵や蛍をも驚かせるほどの変化能力を有する彼だが、それ以上の力をこの狸夫婦は有しているようだ。まだ実力を見ていないのでそれらを突っ込む事は避け、取りあえずは依頼について詳細を聞く事にした。
ただ、本題に入る前にもう一つ玄から確認をお願いされた。彼らから見せられた一枚の写真に、恵とデュークは驚いた。念写を使って事前に映したものらしいが、そこに佇んでいた金髪の女性は探偵局が何度もお世話になっている人だったのだ。
「え、エルさん…!?」
「そうか、やはり君たちも知り合いだったのか…」
何故彼がこのような事を聞いたのか、それを知るためには彼女の家系との因縁を語る必要があった。
田舎狐の旦那と違い、エルは名家の血を引いている実力派である事は探偵局も十分承知していた。だが、そのルーツに関してこれまで疑問に及ぶ事は無かった。個人情報の保護もその理由の一つだが、まさか人間世界にまで伝説になっているなどとは考えもしなかったのだ。
先程松山での不祥事がきっかけで狐が四国から撤退する事態になったと述べたが、その不祥事とは、今でいうと「ドッペルゲンガー」という言葉が近いかもしれない。道後温泉の近くに昔存在した城の殿様の奥様に化け、本物と全く同一の存在となって惑わせたのである。当然偽者の正体が狐と知れば殿様が怒るのは想像に難くないだろう。ただ、危うく火あぶりの刑にされる所をこの狐は無事に救われた。それは、この狐が当時四国で最も実力を有する存在であったためである。
「そういえば、確かにある時を境に狐の遺伝子分布が四国から大幅に減少した時がありますね…」
「デューク、いちいちSFにしなくていいから…」
ともかく、歴史上でも確かに狐は四国から撤退しているのは間違いない。その後この狐一族がどうなったのかは分からないが、確かなのはその血がやがてエルへと受け継がれるという事だ。
さて、その四国へ撤退した後から、ある一つの宝が行方不明になったというのが今回の依頼の本題である。
「魔鏡?」「…ですか?」
「そう、これが今どうなっているのか調べて頂きたいのだ」
坂上一家は、先祖を辿れば八百八狸の一員と言う名誉ある家系へと辿りつく。そして、その狸やその手下が一時道後の山奥を中心にエルの先祖と抗争状態に陥った事があると言うのだ。しかしその戦いは長期化し、やがて互いに疲弊したところ、とある「第三者」の手による和解という形で決着を収めたと語り継がれている。その時、「第三者」の手ほどきで互いに有効の証として物品を貸し合ったという。
「それで、貴方達が貸したのは、先程の…これに書いてあった魔鏡と言う事ですね」
「そうだ」
達筆過ぎて恵には解読不能だったのだが、デュークの解説のお陰でその証明書の内容を掴む事が出来た。狸側が当時の松山城内に保管した一方、狐側は山の奥に大事に保管する事にした。それぞれ便利な物品と言う事で、本当に大事な時に使用を許可し、返却期限が来た時には相手側に返却する。双方が信頼し合っている事を、時を経る事で改めて確かめ合うというものであった。だが、狸側が数十年後に狐側にその宝物を受け渡した一方、狐側が期限が過ぎてもその物品を返却していないのである。
互いに以前のような戦いは避けたい。そう考えていたこの父親…狸の親分格が、これまでの行方不明事件の主犯格であったのである。なお、一時姿をくらました人々は関係ないと分かればすぐに解放したという。少々強引すぎる、と恵から言われたが反論は一切できなかった。
「あたしたちは松山を離れられないから、向こうにこの兄弟を送ったんだけど…」
「そうそう、でも兄貴から何にも連絡が帰ってこないんすよ…」
「なるほど、それで関係ある私たちに協力を…」
少々事情は複雑だが、喧嘩の元は早めに断ち切らないといけない。このような事は初耳であったデュークも含め、恵は依頼に応じる事にした。蛍にもあとでその旨を伝えるつもりだ。それにしても、まさかまたもや狸に関わる事件に巻き込まれるとは思わなかった彼女…。
と、その時。
「ただいまー!」
元気な声で、蛍が戻って来た…戻って来たのはいいのだが…。
「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」「ただいまー!」
後から後から帰ってくるではないか!そしてその蛍の列からはみ出た蛍が、涙目で局長に抱きついてきた。
「狸に化かされてしまいました~…」
よしよし、と頭をなでる一方で、彼女をからかった悪ガキは母親に術をすぐに解かれて、お尻ペンペンの刑を受けたのであった。