01.ようこそ、丸斗探偵局へ
今回の話は、日本のとある街に佇む一人の貴婦人から始まる。
年に一度のお祭りのムードに包まれていた町の中で、彼女は一人途方に暮れていた。たくさんの人が思い思いに歩き、肉の波が包み込む大通りの中では、いくら必死に訴えようとも彼女の声は弱々しく響き、明るく賑やかな喧噪のなかに消えていくのみであった。しかし、このまま自分ひとりだけでは、人混みの中に消えた孫どころか、それを探す立場である自分の行方すら分からなくなりそうである。交番に行こうにも、その位置はまさに自分と反対側、濁流の向こう岸である。何とか混みあう道を抜けて一旦避難は出来たものの、これから一体どうすれば良いのか、彼女には一切分からなかった。
途方に暮れた貴婦人の目に、一つの看板が止まった。少し古ぼけた感じのビルの二階、白字に黒いゴシック文字が佇んでいる。眼鏡を動かし、彼女はじっくりとその文字を読んだ。
「丸斗……探偵……局?」
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「はぁ、退屈ね……」
町はずれにあるビルの二階、濃い茶色で包まれたドアを開けると、そこに一つの仕事場が広がっている。これが「丸斗探偵局」である。その全体を見渡す事が出来るようにある椅子の上で、一人の女性が暇を持て余していた。
彼女の名前は『丸斗恵』。丸斗探偵局の代表、『局長』の座に就く女性である。首の付け根まで短く伸ばすセミショートの紫の髪が明るく目立つ彼女の服装は、上は大きな胸を包み込む赤紫の服、下はすらりとした足を目立たせる青のジーンズと言う普段通りの格好。そして、彼女の態度も普段通りの物であった。
「お祭り行きたかったのになー、ケチなんだから……」
面倒臭がりの怠け者。それが彼女を説明するのに一番ふさわしいものかもしれない。局長用の机にだらしなくもたれかかり、自分の服が乱れるのも気にしない。口では外の祭りに参加したいとは言っている物の、本心はこうやってのんびりする事の方が大好きなようである。とにかく今日もダラダラして過ごしたい、そう言う彼女の姿勢に対して、いつもブレーキ役となっているのが……
「仕方ないですよ、局長。昨日たっぷり楽しみましたからね」
背中まで伸ばした黒く長い髪に、黒縁の眼鏡、そして黒い燕尾服。全身を「黒」で包み込み、すらりとした体の輪郭を創りだしている青年、丸斗探偵局の助手を務める『デューク・マルト』である。真面目そうな外見に似合わず、彼はこういう暇な時間こそ大事ではないか、と告げた。その片手には、祭りのついでに買ったと言う分厚い哲学の本が握られている。恵局長が見たら目眩がしそうな代物だ。
……この「丸斗探偵局」は、丸斗恵局長とデューク・マルト助手、二人だけで切り盛りする小規模な探偵事務所である。それゆえ、大事件どころか、ちょっとした依頼が持ち込まれる事も滅多にない。そんな事もあってか、一日の大半は、事務所内で暇を持て余すというのが日課となっているのである。
「全く、デュークは一人だけ偉そうなんだからずるいわよ」
「ず、ずるいって……」
先程までソファーで寝転がったせいで乱れたセミショートの紫髪もさることながら、今の局長のスタイルは警戒心がなさすぎる。露出を嫌うはずなのだが、今の彼女は自分の胸の谷間が一瞬服から覗いているを心配する事すら頭になかったようだ。とにかくだらけていたい、という局長を見て、助手のデュークは呆れ顔で眺めている。腰に届くまで伸びた髪をかき上げるか、黒ぶちの眼鏡を少しだけ持ち上げるか。どちらかをしているという事は、今の状態に少しだけ不満はあるものの、悪くないという現す癖であることを彼は承知していた。
この光景、この探偵局では日常光景である。怠け癖のある恵はだらけ続け、それにデュークが突っ込みを入れる。それでもデュークが見限らないのは、彼女と共に働く今の状況を誇りに思っているからである。そしてもう一つ、彼女の「能力」を、自らの「力」で支え続けるために。
と、突然呼び鈴の音がした。慌てて服や髪を整える恵。散らかした書物を急いで片づける作業もある彼女は、ネクタイを整えるだけでどんな事態にも対処できるデュークの心構えとは対照的だ。何とか先程までの痕跡を残した彼女の了承を受けて助手が応対し、音の主を探偵局へと誘導した。
予約は無いが、困っている人を見放してはおけない。せっかく自分たちを頼りにしてくれているのだから、しっかりと答えるのが彼らの使命である。
「ようこそ、丸斗探偵局へ」
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本日急遽受け入れる事になった依頼人は、この町の近くに住んでいる貴婦人。数日に渡って行われると言うお祭りに訪れた所、一緒に来た孫が大量の人で埋め尽くされている街中で行方不明になったらしい。消えた場所は覚えているのかと恵は尋ねたが、残念ながら貴婦人は人混みを避けるのに精いっぱい、それどころでは無かった。そして交差点を抜け、気付いた時には一人ぼっちになっていたという。はっきり言って、情報は全く無いに等しい。
「本当にすいません、何も分からないのに急にお邪魔してしまって……」
落ち込んだ表情の貴婦人だが、顔を見上げた時、そこには二つの自信に溢れた顔が並んでいた。
「ありがとうございます、十分情報は得ましたよ」
「……え?だ、大丈夫なのですか……?」
大きな胸を張り、しっかりとした笑顔を見せる局長。それでも心配がぬぐえない貴婦人に向けて、長髪の美男子が優しく語り掛けた。
「僕たちにお任せ下さい。
あなたの依頼、100%解決させます」
……助手に貴婦人を一旦託し、丸斗探偵局を出た恵は、人で賑わう大通りに近づくとおもむろに二つのビルの間に隠れた。こんな場所に人が来る訳がないのだが、念のために周りに誰もいないことを確認した彼女。恵を見ているのは、頭上に光る太陽だけである。何故そのような事をするのか、空から差し込み続ける光が彼女の影を映し出した次の瞬間、その秘密は明らかになる。
この狭い場所に入りこんだのは、丸斗恵「一人」。しかし、次第に太陽が創る影の数は一つから二つ、四つ、八つ……見る間に増え始めたのである。それは、影の持ち主においても同様。紫の髪に赤紫の服、青のジーンズ、そして大きな胸。全く同じ姿に顔、服、記憶、素質、そして一切違いのないDNAを持つ女性が、あっという間に狭い路地を埋め尽くしていたのである。幻覚でも幻想でもない、これらは全員とも同一の「丸斗恵」……増殖探偵の持つ力、『増殖能力』である。
自分自身の数を増やすと言う能力を駆使し、様々な依頼を解決する。その数は一切限りなく、彼女が思えば思うほど次々に自身を増殖させ続けていく。これが、丸斗探偵局の局長である彼女が最も得意とする調査方法である。とは言え、肝心の依頼はあまり来ないのでこういった真面目な目的で能力を発揮する事はなかなかできないのだが。そんな滅多に来ないと言う事態に対し、恵は数十人に増えた上で虱潰しに孫の行方を捜すという作戦に出たのである。物陰に隠れた人影が数十にも増えた辺りで、彼女はその作戦を実行し始めた。物陰から誰にも見つからないように、後から後から、まったく同じ女性が次々に現れ続ける……間違いなく、異様な光景だろう。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「……よし!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
数十人の「彼女」は、なるべく人前で自分同士と鉢合わせないように注意しながら、手持ちの写真を頼りにあちこちを探し始めた。全員とも思考は全く同じ故に、自分が行きそうな所と反対の方向に進んだり、別の所を探したりすれば案外被らないものだ。人の影が少ない路地裏で会った時には、彼女は二人から一人に戻り、そしてまた二人になる。頭の中の記憶をそうやって共有する力も、彼女は有しているのである。ただ、いつの頃からこのような力を持っているのかについての記憶は彼女には無い。気付いた時には、既に自分自身を増やし続ける力を有しており、そして自在に操る事が出来るようになっていた。それが、丸斗恵と言う女性なのである。
交差点近くのコンビニや店、裏道、書店……ちょっっとだけ書店やコンビニで立ち読みをしつつ、各地を捜す彼女だが、なかなか孫は見つからない。疲れの色が見え始めた恵たちの脳裏に、最悪の可能性……「誘拐」と言う二文字まで浮かび始めた、その時であった。
「あ……!」
一か所に集まった数十人の恵はすぐに元の一人に戻り、連絡のあった場所へと向かった。そこには、一人物陰に隠れてしょんぼりと泣いていた、一人の少年の姿があった。
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丸斗探偵局の中を、嬉しい声が包んだ。涙を流して喜ぶ貴婦人……おばあちゃんに抱きかかえられ、こちらも嬉しそうな顔の孫。自分たちの苦労が無事に実り、急遽持ち込まれた依頼を無事解決できたことに肩の荷が降りたように、恵とデュークは二人の様子を優しそうに眺めていた。
そんな彼らに、貴婦人は今回の依頼の報酬を差し出した。普通は電話で相談する際にこういった依頼金は決めるのだが、今回は急な依頼だった事もあり、特例として老婦人側から報酬を出してもらう事にした。信用や実績が必要になる行為かもしれないが、こうやって無事解決する事が出来る以上たっぷり報酬が来るのは間違いないだろう、と恵は読んでいたのである。そして、その予測は正しかった。貴婦人のカバンから出て来たのは、封筒を厚くするほどの……
(げ、現金!?たくさんのマネー!?お金!?)
目を輝かせ、心の中ではしゃぎまわる局長と……
(……局長、相変わらずだなぁ……)
その心を、自分の持つ『力』を用いて察知した助手。
そして結果は、数万円にもなる現金……相当の、日本各地のスーパーやデパートで思う存分使える商品券であった。恵局長の顔に唖然とした気持ちが出てしまったようで、慌てて貴婦人は謝罪し、事態を説明した。普段はクレジットを用いた支払いを行っている彼女、現金その物は持っておらず、手元で今払えるのはこれだけしかなかったと言う。
「ごめんなさい、局長さん。本当ならお金で支払う所なのですが……」
「だ、大丈夫です。こっちこそ、突然すいません。
それに、事件が無事解決しただけでも、私たちは嬉しいですから」
……と言う感じで、表面上は爽やかな事を言う局長であったが、勿論本心はクレジットで後払いにした方が良かったかもしれない、と惜しんでいた……。
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と言う事で、笑顔で挨拶をして依頼人と孫が立ち去った後の、丸斗探偵局。今回の資料を片付けている助手のデューク・マルトの視線が封筒を持つ局長の方に行った時、彼女が何をしようとしているのかに気付き、慌ててその封筒を取り上げようとした。当然、恵が怒るのは言うまでもないのだが……
「何するのよ、デューク!せっかく何枚入っているか確認しようと思ったのに……」
「局長、絶対また無駄遣いしようとしてましたよね……」
眼鏡の中に見える目つきは呆れが混ざっているが、助手であるデュークの心配もごもっともである。この怠け者でお調子者な局長の丸斗恵にこういった大金が回ると、毎回すぐに使い切ってしまい、それも全て無駄遣いに終わってしまうのだ。せっかく依頼が入っても、結局給料は低いままと言うのがこの探偵局の現状。さすがに今回はそれを避けたいと言わんばかりに、デュークは金庫の中にこの封筒を入れようとした。つい先程まで何も無かったはずの場所に突然現れた黒い金庫に……。
「そっちがその手なら……私だって黙ってないわよ!」」」」
宣戦布告をかけると同時に、封筒を取り換えさんと再び恵は何人にも増殖した。あっという間に、探偵局が紫色で賑わい始め、怒っている女性の声が部屋の中を包み始める。
「デューク!私によこしなさい!」よこしなさい!」よこしなさい!」よこしなさい!」よこしなさい!」よこしなさい!」よこしなさい!」よこしなさい!」
「そうはいかないですよ、局長!」
だが、助手の方も彼女との長い付き合いでそういった場合の避け方を知っている。四方八方から攻めて来る彼女たちを、軽やかに退けつつ、何とか金庫へと入れようとした。ただそれでも恵の追撃は止まず、部屋の中はまだまだ賑やかな状態が続く。
「「「「「こらーデューク!助手なら待つのが常識でしょ!」」」」」
「僕は待ちません!そしてそんな常識はありません!」
「「「「「何をー!助手の癖に生意気!」」」」」
「局長が元々悪いんですよー!」
……ただ、こう言う言い争いも、二人の息があってこそ出来る技。喧嘩するほどなんとやら、外のお祭りに負けずに探偵局もしばらくこの状態が続きそうである……。
依頼も推理も滅多にないけれど、悪党妖怪未来人、どんな強敵も一網打尽、どんな依頼も一挙解決。少々……いや、かなり個性は強いが、正義感と優しさ触れる仲間が、ほぼ100%問題を解決してくれる。
それが、この『丸斗探偵局』なのである。