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部落差別のある村

作者: 六野みさお
掲載日:2026/07/15

「部落利権」が指摘されるようになって久しい。江戸時代などに身分制度の最下層とされていた職種の人々が住む村を「被差別部落」とし、迫害されてきたことへの補償を盾に利権を維持しようとしているというものである。しかしその一方で、今でもこれらの元不可触民たちは差別されているという、主に当事者とみられる人々からの主張もある。また、これらの「被差別部落」は時間の経過とともに忘れ去られる存在であり、それについて詳細に知っていたとしても沈黙を貫き、次の世代に知らせるべきでないとする「寝た子を起こすな論」もある。どれも昨今はもっともらしく語られているものの、多くの日本人にとっては(特に北部の人々にとっては)あまり自分には関わりのないことであろう。私もそうであればよかったのだが、そうはいっても自分がこれらと切っても切り離せない、ある種の「因習村」で育った以上、語らないわけにはいかない。


村、といってももともと港町であり、現在は住宅街や工場も立ち並ぶ、それなりに発展した地域である。だが発展しているのは一部分にすぎず、明らかに21世紀の文明から取り残されたような、今にもひしゃげそうな家が立ち並び、みすぼらしい服を着た住民たちが過ごしている地区がある。小さな子どもでも、そこがいわゆるスラムであることは直感的に理解できる。そう、ここが「部落」、少しオブラートに包んだ言い方をすれば「同和地区」である。どういう成り立ちでそこにそれが成立したのかはわかっていない、おそらく古来、港町の汚物処理もしくは屠殺業などに従事していたのであろう。


ともかくそこにどういう背景があるのかはひとまず関係なく、そこが貧困地域であることは事実であるから、この地区の子どもたちはナチュラルに馬鹿にされている。上の世代からそこが曰く付きであることを知ればなおさらである。その地区は明らかに周辺と比べて地価が安く、何も知らずにそこに転入しようとしてきた知り合いを親戚総出で止めるみたいな話もしばしば聞かれた。


しかし行政や教育者たちはこのような前時代的なものを放置しておくべきではないと考えるようで、なんとかして地区を振興すると同時に、差別感情を是正しようとする。地区の中心付近に「同和推進施設」が建設され、そこで住民への最低限の教育(特に中高年の住民はまともに義務教育すら受けられていなかったようで、自分の名前すら書けないような状態の人も散見されたらしい。バスの停留所の文字が読めないので運転手に聞こうとすると、なるほど文字も読めないとは奴は例の地区の者にちがいないと察され放置発進されたとかいう陰湿すぎる逸話がある)を施し、さらに自分たちはあくまで平民であり、まったく迫害される筋合いはないというプロパガンダを打っていたようである。


当然、学校教育もこれらの悪しき因習に必死に立ち向かっていた。毎年数十時間が同和教育に充てられ、部落差別はいけないことであると教えられてきた。しかしながら実際は、あくまで身分を理由とするイジメを行わなければよいということになってしまい、「奴には清潔感というものがないので、積極的に仲間に入れるわけにはいかない」というような婉曲な迫害となっていた。こうなれば教師たちも手を出すことができず、彼らはスクールカーストの最底辺と位置付けられるのが通常であった。


ちなみにこのような貧困地域では家庭崩壊というものが頻繁に起きるらしく、恐ろしい勢いで孤児が生産されるため、地区内には児童養護施設もあった。この「みなしご」の存在もますます子どもたちへの迫害に拍車をかけるのだが、問題は外面的にはこれがただの養護施設であることである。あるとき隣町の児童養護施設が経営難で潰れたのだが、あろうことかそこの子どもたちを例の地区の施設に移動させるという話になった。もともと隣町の施設は特に曰くのない地域に建っていたものであり、純粋に新天地を求めてやってきた善良な子たちが例の地区の背景を知り絶望するという展開になってしまっていた。


しかしこのような因習村に生まれ育ちながら、若い頃はやや革新的な思想を持っていた私はこの部落差別に加担することはなく、みんなが避ける彼らに対しても比較的普通に接していた。これは肩を持つというわけではなく、あくまで人として尊重するというだけであり、いじめっ子に対して「まあそう言うな、門地によってのみ人を判断するべきではないだろう」と苦言を呈するというくらいである。このような姿勢によって、私は彼らの内面についていくらか詳細に知る機会を得た。この稿はもとよりその記録であり、身分制度が人をどのように絶望させるかについて述べるものである。


さて、一般に我々は、身分制度とはピラミッドのようなものであったという印象を持っている。特に日本においては頂点に天皇が君臨し、そのすぐ下に少数の王侯貴族が支配層として存在し、さらにその下に平民という大多数の民衆がいたとされる。平民たちは確かに貴族様を羨み、時に圧政を憎むことはあるが、それはある意味正常な支配の形である。しかしながら実際は、大多数の平民の下に、少数の不可触民が存在したのである。考えてみてほしい、自分が九割方の国民から蔑まれる身分に生まれていることへの大いなる絶望というものを。それは生まれながらにして罪人の刺青を彫られているようなものである。もちろん名目上は彼らも平民であるのだが、それはかりそめの平民にすぎない。自分が元不可触民であると知れれば、凄惨な迫害が待っている。まさに、誰にも心を許せない状態にあるのだ。


そして、その「自分が社会の最下層たる身分である」という自覚が、特に若者にとってどんなに重苦しいものであるか。その事実は子どもたちから笑顔を葬り去ってしまう。他の若者たちには無限の可能性があるというのに、彼らにのみそれがない。「そう、それが俺たちの現実で、どうすることもできないものさ。何も憐れまなくていい、身分というものは変えられない。心配するな、底辺には底辺なりの生き方があるさ」とは、あるときの彼らのうちの一人の台詞である。彼は当時まだ中学生であったというのに、まるで数十年を生き抜いてきたように目に光がなかった。


ただ私はこの問題については部外者であり、積極的に部落差別に反対する声を上げるものではない。すでに私はこの因習村を離れ、戻ってくることはないかもしれない。しかし自分の中のひとつの主義として、人は(少なくとも一般的民衆の範囲においては)その性質によってのみ判断されるべきで、決して身分によって迫害されるべきではない。これは皇室やら由緒ある名家やらに敬意を払う感情とは真逆のものである。人の身分を尊重し崇拝することはぜひ行われるべきことであるが、人の身分に嫌悪感を示し、それだけで人や家を嫌うということは、理性ある人間にとって最も恥ずべきことである。とはいえ、この稿はあくまで記録であり備忘録である。この国にまだ歪んだ身分制が残っていることを、私は自分の経験から指摘するのみである。

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― 新着の感想 ―
「橋のない川」で読んだ世界がそのまま、まだあるんですね‥
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