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断罪を目指して悪女を演じたのに、年下王子は逃がしてくれないようです

作者: 夜音
掲載日:2026/03/28

「ミシェーラ・マーシュ。あなたとの婚約を破棄する」


 婚約者ウェイド・バージェス王子殿下が、冷たい紫色の瞳で私を見据え宣言した。


 卒業式後のパーティー会場が、シン……と静まり返った。


 ――ついにこの日が来たのね。


「何故です?」


 口紅の赤い色を見せつけるように顎を上げ、意識して声を低くする。


 最後まで、しっかり演じましょう――悪女を。


「何故だって? 学園内での虐めや不貞の数々……。淑女として、いや王子妃として相応しいと思っているのか? ミシェーラ。君を伯爵家から除籍のうえ、追放処分とする。正式な沙汰は追って下す。それまで幽閉を命じる」


「……かしこまりました。殿下」


 お父様、ごめんなさい。貴方の描いた未来は私が壊して差し上げたわ。


 この日のために用意した、胸元が大きく開いた鮮やかな緋色のドレス。その裾を震える指先で摘み膝を折る。心を込めて殿下へと捧げる最後のカーテシー。


 地味な胡桃色の私には、唇もドレスも似合わない派手な色。


 私たちの周囲から聞こえてくるのは、驚きや侮蔑の声。


 これでいい。だって私は、殿下の婚約者になってはいけないのだから。


 ――さようなら、愛するウェイド様。



 *



 乗せられた馬車がガタゴトと夜道を走る。


 私の向かいには、紺色のお仕着せ姿の髪も瞳も黒いメイドがひとり。その表情は無だ。


 窓の外に流れる外灯の光を目で追いながら思い出す。


 私と、学園のひとつ後輩に当たる殿下との婚約話が出たのは、彼が入学してから半年ほど経った頃のこと。


 学年は違えど、生徒会役員として関わりがあった私たち。身分におごることなく、黙々と山積みの実務と向き合う殿下の姿に私は惹かれていた。


 両親も私の婚約を心から喜んでくださった。


 ほんとうに幸せだったのに。


 あの夜、両親の会話を聞いてしまうまでは――



 *



『ミシェーラが殿下の妃か。あの時、城の下級メイドだったノーマを陛下に差し出したのは、正解だったな』


『ほんとうですわ。あなたの幼なじみのあの娘、陛下の愛妾になるのが嫌だとここへ逃げてくるなんて』


『しかし、そのお陰で陛下から多額の謝礼を賜り、子爵から伯爵へと陞爵できた。ノーマには感謝してるさ』


『……まあ、離宮に軟禁されて王妃様からはたいそう()()()()()()そうですけど。ふふふ』


 扉の向こうから聞こえる母の楽しげな笑い声に背筋が凍った。


 なんて酷い。両親がそんな人間だったなんて。


 卑しい。浅ましい。吐き気がするほどおぞましい。


 握りしめた手のひらに爪が食い込んだ。


『噂では、王妃の(めい)で罪人の如き扱いだったとか。最後には、狂ってしまい幼い王子を残して自ら命を絶ってしまうとはな』


『王妃様はお子が宿りませんでしたから、お怒りもひとしおだったのでしょう。その後も血をわけたお子はついぞ授からず。国王陛下も手がつけられなかったのではなくて?』


『ああ。あれ以来、陛下に近づく女は片っぱしから排除されていたからな。さて。あの時は陛下から金と伯爵位をいただいた。未来の王妃ミシェーラは、我が家にどれ程の見返りをもたらすか。……今から楽しみで仕方がないな』


 この瞬間、私の世界は壊されたのだ。


 幸せの只中から、地獄へと突き落とされたようだった。


 両親の本性が、あんなにも醜悪な人間だったなんて。


 ――ウェイド様は実の母が受けた仕打ちを知っているのかしら?


 私の両親の裏切りを――。


 知らなかったとしても、私が婚約者になるわけにいかないわ。あの両親の娘である私にその資格はない。


 あの強欲な父がこの婚約を解消することを許すはずがない……。ならば、殿下に私を捨てていただきましょう。


 お父様の思い通りにはさせないわ。


 翌日から地味だった化粧は派手なものへと変えた。下がり気味の目尻を、猫のように吊り上げる黒いラインで縁取り、目蓋には深いボルドーを引く。そして、唇には毒々しい赤い色。


 ひとつに纏めて結うだけの胡桃色の髪は、緩く波打たせて無造作に肩へとおろす。


 鏡に映る私は、まさに見知らぬ悪女だった。


 それまでこちらから話しかけることのなかった男子生徒たちに進んで声を掛けた。片側の口の端を上げ精一杯の笑みを浮かべて。


 私を慕ってくれていた女子生徒たちへも厳しく接する。胸が痛んだ。戸惑う彼女たちの顔を見るたびに心の中で何度も謝った。


 殿下には『……どうしたんだ、ミシェーラ』と心配された。


『別に。自由に生きようと思っただけよ』


 どうか、私を嫌いになって。


 私の想いとは裏腹に殿下が私に愛想を尽かす日は来なかった。



 *



 卒業の日を数日後に控えたある日。


 ある男子生徒によって人気のない旧棟へと連れ込まれた。


 強い力で体を押さえつけられ、恐怖で震えることしかできない。


『……ウェイド様』


 ――助けて!


 思わず口をついたのは愛する人の名前。


 遠くから近づいて来る足音。揉み合う二人の姿。


 男子生徒を追い払ったのは、殿下だった。


『大丈夫かい? ミシェーラ』


『……な、何故、邪魔をなさったの? 彼といい雰囲気だったのに』


 悪女を演じなければ。


 なのに、涙が溢れてくる。思わず顔を伏せた。


『いい雰囲気だった? それなら何故震えているの? 何故、泣いているんだ……!』


 殿下の大きな手に頬を包み込まれ、強引に上を向かされる。至近距離に迫る殿下の顔。真っ直ぐに見つめる彼の紫色の瞳は、少し潤んで悲しげに揺れていた。


『……殿下には、関係ありません。お願いだから、もう私に関わらないで』


 なんとか声を絞り出した。涙が、止まらない。


 私の両親が貴方のお母様に、どれほど残酷で卑劣な仕打ちをしたのか、すべてぶちまけてしまいたくなる。


 駄目よ。この秘密は私の胸の奥に隠し通すのよ。殿下のために。


「……君の気持ちは、わかったよ」


 殿下がどんな表情をしているのか、涙で滲む私には見えなかった。



 *



 あの日以来、殿下とは会わないように行動した。


 そして今日、私はついに目的を果たしたのだ。


 馬車に揺られて辿り着いたのはこじんまりとしたお屋敷。


「自己紹介が遅くなりました。護衛兼メイドとしてお仕えします。ザラ・キーツと申します」


「私は、ミシェーラと申します。よろしくお願いいたしま……す?」


 護衛兼メイド? 聞きなれない単語だわ。幽閉される罪人に護衛なんてつくかしら? ……違うわよね。悪女の私が暴れた時に取り押さえるんだわ。


 案内されたのは、私の好きな淡い緑色を基調とした部屋だった。


 壁一面に本棚が備えつけられている。収められている書物は、私が好きな作家のものだらけ。大人が三人は横になってもまだ余裕がありそうな寝台は、ふかふかの羽毛の上掛け。しかも天蓋つきだ。


「……あの、ほんとうにこの部屋で合っています?」


「殿下のご指示ですので」


 表情を崩さずにザラさんが答える。


「湯浴みの支度ができています。ご希望があればお手伝いいたしますが、どうなさいますか?」


「ひ、一人で、入れます」



 *



 顔を覆っていた派手な化粧を思い切り洗い落とした。


 赤やボルドーが渦を巻きながら吸い込み口に消えていく。


 ――これでもう派手な色彩とはお別れね。


 温かな湯に浸かると、今日までの張り詰めていた緊張が足先からほどけていった。


「……ごめんなさい。ウェイド様」


 思い出すのは、冷たい紫色の瞳。


 ごめんなさい。


 あの冷たい瞳から逃れたくて、お湯の中に顔を沈めた。


 私の両親が犯した罪は、決して許されない。


 ごめんなさい。


 顔を上げると、お湯ではない熱い雫が頬を滑り落ち、水面に音もなく小さな波紋を作った。



 *



 湯を上がると、用意されていた部屋着に袖を通した。驚くほど私の体にぴたりと合う滑らかな絹のワンピース。


 案内された食堂には、一人で食べるにはあまりに豪華な食事が並んでいた。


 焼きたての白パン。湯気の揺れる野菜スープ。香ばしい匂いの鶏の香草焼き。サクサクに焼き上げられたミートパイ。


 実家でもここまでの食事は並ばなかったわ。


 まるで――


「最後の晩餐かしら?」


「殿下のご指示ですので。冷めないうちにお召し上がりください」


 あいかわらず無表情のザラさん。


 おかしいわ。私、断罪されて処遇が決まるのを待っているのよね?


 とても罪人に対する扱いとは思えないわ。


「私は、悪女なのよ……?」


 呟いた言葉は、スープの湯気に溶けて消えた。



 *



 雲のように軽い上掛けに包まれ目が覚めた。視界に映るのは、レースがあしらわれた淡い緑の天蓋。


「……夢じゃなかった」


 ここへ来てから、目覚めるたびに口にする言葉。


 美味しい食事、温かなお風呂。それから、好きな作家の書籍を読む時間。すべてが穏やかで心が安らいだ。


 けれど、罪人としてここにいるというのに、こんなに自由でいいのだろうか?と思い始める。


 その結果、私が出した結論は。


「ミシェーラ様。何をしてるんですか?」


 袖をたくしあげ、固く絞った雑巾で窓を拭いていた私に背後からザラさんの声が響いて振り返る。


「私は断罪された悪女ですもの。お掃除くらいしなくては」


「ずいぶんと真面目な悪女様ですねえ」


 ふふん。と胸を張ってみせた私に、ザラさんは何故だか生暖かい視線を向けてきた。



 *



 それから、数日後。


 自室で好きな作家の綴った物語の世界に浸っていた私は、ノックの音で現実に呼び戻された。


「どうぞ」


 ザラさんが紅茶を淹れてくれたのかしら?と扉の方へと視線を向ける。


 そこにいたのは、予想通りに銀盆に紅茶のポットとカップを乗せたザラさん。――と、その後ろに佇むウェイド様の姿があった。


 ……ついに、私の処遇が決定したのだわ。


「久しぶりだね。ミシェーラ」


 朗らかな笑顔のウェイド様。もう二度と見ることはないと思っていたぬくもりのある紫色の瞳。


 流れるような素早さで紅茶をテーブルにセットしたザラさんが立ち去ると、私たちは二人きりになる。


「とりあえず座ろうか?」そう促され向き合い椅子に腰掛けた。


 国外への追放か、修道院行きか。それとも、収監されるのだろうか。


 不安な気持ちを抱えながら、小さく震える指先でカップに手を伸ばす。流し込んだ紅茶は、何の味も匂いもしなかった。


「……それで、私の沙汰はどうなったのでしょうか?」


「そうだね。その前に、これを……」


 そう言って彼ががテーブルに置いたのは、古びた一通の書面だった。


 父に宛てて、金貨と陞爵を確約する国王陛下の署名と、『ノーマ・アグリィを引き渡した謝礼と口外を禁じる』という吐き気がする内容が記されていた。これは、紛れもない父の罪の証拠だ。


 指先の震えが、全身に広がっていく。


 ああ。終わりだわ。


 ウェイド様に知られてしまった。


 彼の顔を見ることが怖くて俯いた。膝上に置いた両手がスカートを力強く握りしめる。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 心の中で叫び続けた。


「ミシェーラ。君の様子があまりにもおかしかったから、調べさせていたんだ。実家には僕の部下が入り込んでいたからね。行動の原因はすぐにわかったよ」


 氷みたいに冷たい言葉を投げつけられるかと身構えた私の思いとは裏腹に、落ち着いた声で告げられた。


「僕の母を売り渡した際、国王が署名した書面が、マーシュ家の金庫から見つかったんだ。君の父上は、何かの時に『切り札』として使えるかもと残していたみたいだね」


 殿下は、すべて知ってしまったの?


 私が、殿下を欺けなかったからだ。そのせいで、辛い過去を殿下に――


 私の思考を遮るように、彼は言葉を続けた。


「ご両親には爵位と財産を返還させ、最果ての村へ送った。小さな小屋と荒れた畑を与えたから農家として頑張ってくれるだろう」


「……そうですか。あの二人には重い罰でしょう。それでもまだ甘いのでは? 殿下のお母様を――」


 先に続く言葉は、罪悪感に押し潰されて口にできない。


「確かに、憤りは消えない。けれど君の両親だから……処刑は避けたいと思った。それに、何よりも貴族の地位に固執していた彼らには、土埃にまみれて畑を耕すのがお似合いだろう?」


 少し笑みを含んだ声色に思わず顔を上げた。


 私を見つめる瞳は、温かな色のままだった。


「あの男には病気静養の名目で、かつて母が閉じ込められた離宮へと移ってもらった。僕が成人し即位するまでは、お飾りの国王として玉座に座らせておくつもりだ。その後は……」


 ふいに、ウェイド様の声が一段低くなる。


「王妃も当時の使用人から証言が取れた。母以外にも、被害を訴えるものが多くてね。北部修道院へと追放処分にしたよ」


 北部修道院。修道院と呼ばれているものの、その実態は一度入ったら生きては出られない監獄同然の場所だ。


 ウェイド様の憎しみに触れた気がした。


 幼い彼から母親を奪った相手なのだから、あたりまえだろう。


 それは、あの両親の娘の私にも向けられて当然の感情。


「自分のせいだって思ってる? それは、違うよ。子供の頃に母から聞かされて育ったんだ。あの人が命を絶つその日まで、ね」


「……すべて知っていたの?」


 驚愕に瞳を見開き、ウェイド様を見つめた。


「ああ。だから君が悪女のふりをして婚約破棄を目指す必要はなかったんだよ。でも必死に悪女の真似事をするミシェーラも可愛くて、好きだったな。」


「……か、可愛い!? からかわないでください。わ、私、ウェイド様が知ったら傷つくから……って。私は、相応しくないんだって――」


 悲しい過去も、私の覚悟も。嘘で塗り固めた悪女の理由も?


 さまざまな感情が一挙に押し寄せてくる。怖い。悲しい。恥ずかしい。捲し立てる声が、次第に涙混じりになってしまう。


「そんな君だから好きになったんだ。ありがとう。僕のために一生懸命になってくれて。少し不器用で、優しくて、僕のことを想ってくれた。……僕にも同じだけ、いやそれ以上に君を愛させてほしい」


 なんて、真っ直ぐな言葉なの。私のことをそこまで――。


 でも。


「ですが、私との婚約は破棄されたのでは? それに、両親は追放処分。そんな家の娘が婚約者になるなど、周囲が納得しません」


「そもそもあの断罪劇は、君を実家から引き離すための僕の作戦だったんだ。……僕の芝居もうまかったでしょ?」


「さ、作戦……?」


「ずっと証拠を掴む機会を窺っていたから、君の芝居に便乗させてもらった。……ほんとうに助かったよ、ミシェーラ。それから、身分なんて僕は拘らないけど、君は気にするだろうから養子先は見つけてあるよ。伯爵家と侯爵家どちらがいいかな?」


「え、と……お任せします……?」


 彼の勢いに押されて、思わず言ってしまってから、我に返った。


 養子? 誰が? え? 私が? 待って、私、今なんて? あれじゃ肯定したことになるのではないかしら。


「私にはなんの罰もないと?」


 恐る恐る尋ねた。


 ウェイド様がゆっくり立ち上がる。私の元へと歩み寄ると、座る私の手を取った。ぐいと引かれ、そのまま立ち上がるように促された。


 甘く熱く私を射抜く紫色の瞳。


「いや、処罰は受けてもらうよ。僕以外の男に笑いかけ、触れられた罰を、ね。二度と僕から離れることは許さない」


 もう逃がさないとばかりに、痛いくらいに抱き締められる。二人の間で響く少し早い鼓動。懐かしい匂いと確かなぬくもり。


「……覚悟してね? ミシェーラ」



最後までお読みいただきありがとうございます。

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