第3話scene5
中谷省吾は、走っていた。
冨永から授かった“一緒に帰る”という希望を、
一秒でも早く実践するために。
(今ならいける……!)
教室の前に立ち、息を整える間もなく叫ぶ。
「みっ、水無月さん!!」
――返事はない。
教室を見渡す。
空っぽだった。
机も、椅子も、
そこに水無月実花の姿はなかった。
「……」
省吾は、しばらくその場に立ち尽くした。
帰った後だった。
理解した瞬間、
心にぽっかりと穴が空く。
「……」
次の瞬間――
省吾は踵を返し、再び走り出した。
向かう先は、一つしかない。
冨永の教室。
扉を勢いよく開ける。
「冨永!!」
冨永は、その剣幕に肩を跳ねさせた。
「ど、どうした!?」
「いないんだ!」
省吾は叫ぶ。
「いないんだよ、水無月さんが!!」
冨永は一瞬考え――慎重に言葉を選んだ。
「……そ、そうか。
もう帰ったんじゃないかな?」
「じゃあ……!」
省吾の声が震える。
「じゃあ一緒に帰れないじゃないか!!」
ビシッ、ビシビシッ
床、壁、天井。
教室が悲鳴を上げ始める。
「ま、待て待て!」
冨永は慌てて両手を振った。
「今日は……今日はしょうがない!」
「なんで!?なんでだよ!?」
省吾は今にも泣きそうだ。
「一緒に帰る気満々だったのに!!」
冨永は追い詰められた。
(まずい……完全にまずい……!)
必死に頭を回転させ、
口から出たのは――
「……前もって……予約……」
「……予約?」
省吾が止まる。
冨永は内心、絶望しながら続けた。
「そ、その……一緒に帰るってのは……
ほら……ちゃんと……予約、してなかったろ?」
「予約……
そんなものが必要なのか?」
冨永は自分でも信じられない理屈を並べる。
「そ、そりゃそうだろ……!
一緒に帰るんだぞ……?」
ひび割れた教室を横目に、必死に言葉を足す。
「いろいろ……準備とか……
心の準備とか……!」
省吾は、冨永を見つめたまま固まった。
(……ダメか……?)
冨永の額に、冷や汗が伝う。
数秒の沈黙。
やがて――
省吾が、ぽつりと言った。
「……そういうものなのか……?」
教室の崩壊が、止まる。
「……うーん……」
しばらく考え込み、そして――
「わかった。
明日、予約を入れてみるよ」
冨永は、心の中で拳を握った。
(通った……!)
(だいぶ苦しかったが……)
(……危機は、去った……)
教室は、何事もなかったかのように静まり返る。
こうしてこの日もまた、
曖昧すぎる理屈によって世界は救われた。




