第2話scene5
登校の喧騒を切り裂くように、水無月実花は校舎へ足を踏み入れた。
(時間がない)
そう確信した彼女は、自分の教室には向かわず――
迷いなく隣のクラスの前に立つ。
そして、すぐに見つけた。
メガネをかけ、背筋が伸びた、無駄のない佇まいの男子生徒。
静かな存在感。だが、間違いない。
「――冨永君!!」
呼びかけた瞬間。
冨永翔は、まるで最初から来ると分かっていたかのように、
視線を上げ、右手をすっと差し出した。
「わかっている」
冷静すぎるほど冷静な声。
水無月は思わず眉をひそめる。
「……わかってる?
なにが?」
冨永は答えず、彼女の肩越し――
背後を、静かに指さした。
「あれだろ?」
振り返った水無月の視界に映ったのは――
中谷省吾。
立っているだけなのに、
彼の足元から、バリバリと壁と床にひびが走っていく。
教室そのものが、悲鳴を上げていた。
冨永は状況を一瞥し、淡々と告げる。
「とりあえず、教室を出ようか。
このままだと、構造的に崩壊しかねない」
「え?」
省吾は、少し地団太を踏みながら反論する。
「ここでいいよ!
ここで返事が――」
その一歩で、床がさらにひび割れる。
冨永は一切声を荒げない。
「中谷君。気持ちはわかるよ」
省吾が、きょとんとする。
「でもね」
冨永は微笑む。
「恋の話は、こんなところでするものじゃない」
一拍置いて、続ける。
「何なら僕と、一旦教室の外に出て、
恋の話でもしようか?」
水無月が息を呑む。
「返事がないのには、何か理由があるのかもしれない。
……語り合わないか?」
省吾は、頭をかく。
「……問題、何が俺に、何が?」
冨永は即答した。
「それが分からないから、語り合うんじゃないか?」
――その瞬間。
教室内を走っていたひび割れが、
ぴたりと止まった。
水無月は目を見開く。
「と……止まった……?」
省吾自身も、驚いたように周囲を見る。
「……わかった」
その一言と同時に、空気が落ち着く。
こうして――
知恵の勇者・冨永翔と
破壊神(自覚なし)・中谷省吾は、
なぜか廊下で、
恋について語り合うことになったのだった。
scene6
舞台:教室脇の廊下
教室の外、人気のない廊下。
省吾は頭を抱え、感情をそのままぶつけるように叫んだ。
「なんでだよ!
なんで返事がもらえないんだよ!」
冨永は壁にもたれ、腕を組んだまま静かに言う。
「中谷君、落ち着け」
「落ち着けるかよ!!」
「返事がもらえない理由は簡単だ」
冨永は、いかにも“分かっている人間”の顔で告げた。
「――乙女心のせいだ」
「……おとめごころ?」
省吾は一瞬、完全に思考が停止した顔になる。
冨永はうなずく。
「そうだ。
彼女は今、迷っている」
「迷ってる……?」
「君の気持ちを受け入れるべきか、
それとも拒むべきか」
冨永は淡々と続ける。
「そして、その結論はすぐには出ない。
感情とは、熟成を必要とするものだからな」
省吾は、必死に理解しようとしている。
「じゃあ……
俺の気持ちは……どうすれば……?」
冨永は即座に答えた。
「落ち着け」
「またそれかよ」
「返事がないということはだな」
冨永は人差し指を立てる。
「NOではないということだ」
省吾は目を細める。
「……NOではない……
ってとこに、すごく引っかかるんだけど……?」
冨永は一切動じない。
「俺を信じろ」
そして、さらりととんでもないことを言う。
「女性に対する理解は、
遥かに俺のほうが上だ」
根拠は一切示されない。
だが、口調だけは異様に自信に満ちていた。
省吾はしばらく黙り込み――
「……そう……なのか……?」
と、なぜか納得しかける。
冨永の話は、意味があるようで意味がなく、
意味がないようで妙に説得力があった。
その結果。
省吾の肩から力が抜ける。
呼吸が整う。
――すると。
彼の周囲で起きていた破壊現象が、静かに収まっていく。
ひび割れていた床は元に戻り、
欠けていた壁も、何事もなかったかのように修復されていく。
まるで、最初から壊れてなどいなかったかのように。
その様子を、少し離れた場所から見ていた水無月は――
言葉を失っていた。
(……どういうこと……?)
剣でも、力でもない。
ただの会話で――
破壊神が、落ち着いている。
(この現象は……?)




