序章 scene1
朝の空気は、やけに澄んでいた。
それだけで今日は「何かある日」だと、省吾は思った。
中谷省吾、十四歳。
いつもより三十分早く家を出るという、人生最大級の冒険を実行中である。
理由は単純明快。
憧れの女子――水無月実花に、告白するからだ。
胸の奥がそわそわして、足取りは軽い。
手荷物かばんはちょっと重いが気持ちは羽が生えたみたいに浮いている。
(言うんだ……今日こそ言うんだ……)
いつも見慣れた学校までの道のはずなのに、やけに映画のワンシーンみたいに見えた。
電柱、コンビニ、横断歩道。
すべてが背景に溶けていく。
省吾の視界にあるのはただ一つ。
学校までの道の、その先にある「告白」。
「水無月さん、好きです!」
脳内で何度目かのシミュレーションをしながら、彼は歩く。
いや、ほとんど突進していた。
――信号?
そんなものは恋の前ではただの飾りだ。
現実の信号は、しっかりと赤だった。
キキーッ!!
耳をつんざくブレーキ音。
次の瞬間。
ドン!!
世界が裏返る。
空とアスファルトがぐちゃっと混ざる。
省吾の体は軽く宙を舞い、そして落ちた。
(あ……)
痛みは、なかった。
代わりに、意識がふわっと遠ざかっていく。
朝の空は、さっきよりずっと青い。
(告白……)
ぼやける視界の中で、省吾は必死に考える。
(そうだ……俺は……)
薄れゆく思考の最後に浮かんだのは、
水無月実花の笑顔。
「告白を……するんだ……」
それは決意だったのか、未練だったのか。
誰にもわからない。
だが確かなことが一つだけある。
中谷省吾は、
「告白」と言いながら、
人生を終えた。
――朝の通学路は、今日も何事もなかったように、
次の誰かを学校へ運んでいくのだった。




