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新月の夜、吸血鬼と出会った。  作者: 結城 ユウキ
第三章 吸血鬼と吸血鬼
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第八話

「京都に行きたい」


 ノアが突然そう言い出した数時間後には、恵人は京都市内のホテルにいた。

 なんならそこは最高級のホテルで、恵人はちゃっかり最高級の料理を堪能していた。

 まあそれは置いておいて。


「疲れた……」


 そう言って、恵人はホテルの部屋の、いかにも高そうなソファに腰掛けた。

 疲れるのも当然。信じられないほどの弾丸特急ツアーだったからだ。だから恵人は財布とスマートフォンくらいしか持っていない。ほかは現地調達だ。


「甘いね、恵人」


 そう言いながら恵人の隣に腰掛けたのは今回の元凶であることのノア・ルベルロットさんだ。出発時と何一つ変わらぬ顔で、恵人のことを見ている。

 いつもより、気持ち距離が近い。

 ノアが隣に座ることは普段の生活で多々あるが、旅先となるとなんだか特別な感じがする。

 ノアもそう思ってくれたのか、より密着して腕を絡めてくる。


「えへへ、ほんとに来ちゃった、京都」

「……反則だろ」


 ここまでノアに振り回されたことはなかったので文句の一つでも言ってやろうと思っていたが、そんな可愛らしいことを言われてはもう何も言えない。

 本当に疲れているのに、来てよかったと心の底から思った。


「え?」

「俺もノアと一緒に来れてよかったって言った」


 目の前のノアがこんな嬉しそうに、幸せそうにしているのだ。わざわざ野暮なことは言いたくない。


「ほんと!? そう言ってもらえると嬉しいな」


 ノアはさらに強く腕を絡めてきて、しばらくその体勢で過ごす。

 誰かに見られようものならドン引きされること間違い無しのイチャつき具合だが、今回は旅行だ。無礼講ということで許してもらおう。

 無礼講ついでに、ふと思い浮かんだ疑問をぶつけてみる。


「ノアって、日本に来る前どこにいたの?」


 長い間生きていたノアだが、日本に来るのは初めてだと言っていた。なら、その前はどこにいたのだろうか。純粋な疑問だ。


「あー、ヨーロッパの方転々としてたかな。生まれがそっちなのもあるけど。ドイツ、フランス、イタリア、スペインとかね。みんないいところだったよ」


 恵人の勝手なイメージでも、今挙げられた国々はいずれ行ってみたいと思えるものだった。


「じゃあなんで、日本に来たの?」


 それもまた、素朴な疑問。長い間ヨーロッパで暮らしていた人間がアジアの島国に来るなんて、よほどの理由があったのだろうか。

 いつものように簡単に答えてくれると思っていた。

 けれどノアの反応は、予想外のものになった。


「恵人にとってあまり気分のいい話じゃないと思うんだけど、それでも聞きたい?」


 珍しく真面目な声音。きっとノアの言う通りなのだろう。恵人が聞いても、気持ちよくはない話。

 それでも、聞く必要があると思った。聞かなければならないと思った。

 だから――。


「聞きたい。聞かせてほしい」

「……わかった。じゃあ、話すね」


 ノアはふうと息を吐き出し、言葉を紡ぎ始める。


「ヨーロッパにもね、日本で言う忌み子がいるの。だから吸血鬼は、その呪われた血を求めるんだ、必死になってね」


 なんとなく、日本以外にも忌み子のような存在がいることは察していた。ノアの言葉によって、その予想が真実となる。


「でも吸血鬼って、ヨーロッパにすごく多いの。そんなイメージない?」

「ある、かも……」

「でしょ? だからヨーロッパにいる忌み子は大体狩り尽くされちゃったんだ」

「狩り尽くされたって……」

「言葉通りだよ」

「……!」


 恵人は息を飲んだ。けれどノアは、淡々と同じ声音で話し続ける。


「今の私と恵人との関係を築いた人たちもいたわ。でもね、吸血鬼にとって人間は食事。そうじゃない吸血鬼たちが大多数だった」


 そうじゃないということは、つまり――。


「だから忌み子はどんどんいなくなった」

「でも、そんなの許されるわけ――」

「許されたんだよ」

「そんな、なんで……!」


「忌み子がいなくなったほうが、人間にとって都合がいいから」


 今度は、言葉も出なかった。


「次々と忌み子が凄惨な死体で発見されたのにも関わらず、お偉いさん方はそれを隠蔽したの。そりゃそうだよね、忌むべき存在が次々といなくなるんだから。直接手をくださずともね」


 自分も苦労したと思っていた。けれどそんなのは甘かったのだ。きっと彼らは恵人よりももっと、つらい人生を送ってきたに違いない。

 生きている間はさぞ苦しかったろうに、その死さえもなかったことにされてしまう。

 それがどんなに悔しいか。屈辱的か。


「……君は優しいね」

「……え?」

「遠い国の、赤の他人に対してそこまで心を痛められるなんて。そうそうできることじゃないよ」

「いや、そんなことは……」

「あるよ。……だから私は、君に惹かれたんだろうね」


 そう言った彼女の目は、慈愛に満ちていた。自分が愛されていると、そう思ってしまうような視線。温かくて、優しい。

その視線が妙に気恥ずかしくて、恵人は思わず目をそらす。そんな様子を見てクスッと笑ったノアが、話を再開した。


「……それで私はそこが嫌になって、行くところを探した。それで、日本を見つけたの。一応、形だけかもしれないけど、忌み子に対する配慮もあるような国だったからね」

「そっか、そうだったんだね……」


 自分から聞いたのだ。だからここで悲しい気持ちになっちゃいけない。そう思った恵人は、心の内で渦巻く感情をぐっと抑えた。


「でも、もっと前向きな理由だと思ったよ。まさか故郷が嫌になってこっちに来てたとは」

「あはは、耳が痛いね」


 天真爛漫という言葉が恐らくこの世界で一番似合う存在でも、負の感情で動くこともあると思うと少しは安心するが。


「前向きばっかりじゃ疲れちゃうからね、ちょっとは後ろ向いてもいいと私は思うよ」


 ノアは窓の外を見ながらそう言った。

 きっとノアはできるだけ前向きで生きてきたのだろう。普段の行動はそれが染み付いていて、ノアが前向きであることが当たり前化かのように思えてしまう。

 けれど、ノアにだって心はある。いつだって前を向いていられるわけではないし、傷つくことだってあるだろう。

 だからそのノアの言葉は、恵人には非常に重く聞こえた。


「……うん、そうだね」


 ノアが後ろ向きなときは、自分が前向きになろうと、そう思えた。


「でも、恵人がこんなこと聞いてくるなんて思わなかったな」


 ふと、ノアがこぼす。


「え、そう?」


 恵人としては気になったことを聞いてみたまでだが、そんなに珍しいことだったろうか。


「うん。だって前まで、私のこと何も聞かなかったじゃん」

「あ……」


 言われてみれば、そうだった。

 ノアに対して興味がないわけでも、ノアのことを知りたくなかったわけでもない。

 ただ、聞くのが憚られたのだ。

 迷惑じゃないだろうか、失礼じゃないだろうか。

 そんな不安が頭によぎり、ノアについて深く聞くことができなかった。

 けれど今回の疑問は、自然に出た。

 どうやらノアのことを知りたいと強く思った気持ちは、早速意識を変えてくれていたらしい。


「だから私、すごい嬉しかった。もっと私に興味を持ってほしいって、もっと私を知ってほしいって、すっごい思ったよ」


大したことはしていないはずなのに、ノアはとても喜んでいるようでなんだか申し訳ない。

 決して褒められるようなことではないのだ。だからそれを素直に受け取ることができなくて、


「……前までが駄目だったんだよ」


 そう、なんとなく誤魔化してしまう。

 瞬間、恵人はノアの柔らかい体に包まれた。


「大丈夫。私は君と、ずっと一緒にいる。どこかに行ったりしない。だから、ゆっくりでいいんだよ。君のペースで、いいんだよ」


 いつまでも甘やかされてはいけない、と思うことは思う。けれどこの肌のぬくもりと優しい声音が、その思考を尽く破壊する。

 このまま全てを委ねてしまいたいと思えるほど、ノアの包容力は凄まじいものがあった。


「……ありがとう、ノア。そう言ってくれると助かるよ。でも、ノアと一緒にいたらどんどんダメ人間になっていきそうだな」

「ふふ、私はいいよ? なんなら私がいなきゃダメな身体にしてあげようか?」

「それは本当にまずい気がする……」


 恵人とノアでは生きている時間軸が違う。ノアは千年という単位で過ごしているが、恵人はせいぜい生きて百年だ。

 だから必ず別れが来る。

 寿命が尽きてお別れか、それまでにお別れするかはわからない。

 ノアはいなくならないと言ったが、その保証もどこにもない。

 故に自分で生きるすべを見つけなくてはならないことを、恵人は理解している。

 けれどノアといるうちは、今まで自分にも他人にも甘えられなかった分、少しくらいは自分に甘くなって良いのかもしれないと、そう思う恵人だった。

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