第六話
「……というわけだ」
ノアが吸血鬼であることは誤魔化しつつ、昨日あった一部始終を楓に聞かせた。
話せば話すほど自分がいかに短慮だったかを自覚し、恥ずかしくなる一方だった。その意味では、自分の罪をより意識するという意味で、話してよかったかもしれない。
「……折原さいてー」
話を聞き終えた楓は開口一番、素直な感想を漏らした。全くもってその通りだと、自分でも思う。
「自分が一番よくわかってるよ」
「だったら、することはわかってるよね」
「ああ、もちろん」
まず、ノアに会いに行く。
きっと家に帰っても、ノアは恵人に気を遣って家を空けているはずだ。
ノアの行動範囲も、吸血鬼の行動範囲も正直わからない。
何せ初対面の時はどこからともなく現れて急に消えたのだから。
恵人に会わないようにするなんて朝飯前だろう。
それでも、ノアに会わなくてはならない。
そして会ったら、謝る。
謝って、恵人がこれからどうしていきたいか、ノアに伝える。
それくらいのことは、やらなければならない。
「じゃ、大丈夫だね」
「悪いな、こんな話聞いてもらって」
「私が聞いたことだからいいんだよ。ちゃんと人間らしくて安心した」
「どういう意味だ、それ」
楓の突拍子のない発言に、恵人は笑いながら返す。
「だって学校での折原、放ってるオーラが半端じゃないんだもん。俺に話しかけるな、みたいなさ」
「……」
出してなかったと言えば、嘘になる。
「だからみんな怖がってるんだよ。折原が忌み子かどうか関係なく」
「……え?」
「というか、君と話してみたいって思ってる人、意外と多いよ?」
「いや、そんなこと――」
「あるんだよ。君が見てないだけ。見ようとしてないだけ」
その言葉で、恵人は我に帰る。
今までが酷かったからって、高校でもそうなるとは限らない。
それなのに最初から同じものだと決めつけて、関わることをやめていた。拒絶していた。
そんなことでは、恵人を忌み子だからと言う理由だけで虐げてきた連中となんら変わりがない。
知らず知らずのうちに殻にこもって、周りが見えなくなっていた。
「じゃあ、俺は……」
「でも、大丈夫」
楓の焦茶の双眸が、恵人の目を捉えて逃さない。その目はノアほどの迫力はないものの、それに追随する魅力を持っていた。
「君の居場所は、私が作るよ」
「なんでそこまで……」
楓にそこまでする義理があるとは恵人には全く思えなかった。
理由がないからだ。
楓のことを救ったわけでも助けたわけでもない。
恵人が言ったことなどただの感想であり、それ自体になんら説得力はないのだ。
「君がどう思ってるかはわからないけど、少なくとも私は、君の言葉に救われた」
恵人の考えを見透かすように、楓は強く、そう言った。
「だから今度は、私が救う番」
息を吸って、楓は続ける。
「折原恵人、君は、友達が欲しい?」
その問いに対して、恵人は答えを持ち合わせていた。
けれどそれは、昨日ノアに言った言葉とは正反対の言葉。
本来であれば、口にしてはならない言葉だ。
けれど今は。
今ここで本心を口にできなければ、それこそ一生逃げることになってしまう。
自分の本音と向き合うのが怖くて一歩踏み出せなくて、この先後悔するのが目に見えている。
ならば。
「……俺は友達が欲しい。南條、手伝ってくれるか」
「……うん、もちろん!」
楓は嬉しそうに目を細め、恵人の提案を笑顔で快諾してくれた。
彼女がいなければ、きっと恵人はこの言葉を口にできなかったはずだ。だから楓には感謝しかない。
ふと、楓が口を開く。
「ねえ、さっき言いたいこと言い合えれば友達だって言ったよね?」
「ん? ああ、確かに言ったな」
「私たち言いたいこと言い合ったよね?」
「まあ、確かに」
「そしたらもう、友達じゃない?」
言われてみればそうだ。
あくまで恵人が定義した友達の条件に照らし合わせればだが、楓は本当の友達がいないことを話して、恵人は友達が欲しいことを話した。
恵人が提案した『言いたいことを言い合える』と言う条件は満たしていることになる。
「……まあ、なり得る可能性はあるな」
照れ隠しにそんな周りくどいことを言ったが、当然楓にそんなのが通用するわけはなく、楓は恵人を鋭い視線で睨みつけた。
「……悪かった。これからよろしく、南條」
恵人は、革手袋を身につけたまま、楓に握手を求めた。
これは恵人としてのけじめ。
昨日拒絶したが故の、けじめだ。
恵人が手を差し出したことで、楓は一瞬、目を見開いた。
けれどすぐ破顔して、
「うん、よろしくね、折原」
と、恵人が差し出した手を強く握り返した。
こうして、折原恵人に初めての友達ができた。
クラスの中心人物にして人気者。彼女の周りには人が絶えず、みんなから頼られている。
けれど一歩踏み出すことも踏み出されることもなく、深い友人関係を形成できない。
そんな悩みを抱えた、ごくごく一般的な女子高生。
恵人とは極めて対照的。
だが、対照的だからこそ、互いの欠点に気づくことができる。見えることが違ってくる。
この出会いが自分の人生にとってどれほどの影響を与えるか、まだわからない。
けれど、少しでもいい出会いになればいいなという想いは、確かにあった。
◆
楓との昼食を終え、二人は別々のタイミングで教室に戻った。
友達同士で振る舞うのは明日から。恵人と楓はその約束を取り付け、解散していた。
明日からこの陳腐で退屈な日常にどういった変化が起こるのか、正直楽しみだ。
けれど恵人には、解決すべき重要な問題が残っている。
これを解決しない限り、胸を張って楓のことを友達と呼べる日は来ないし、楓を友達と言ってノアに紹介することもできないだろう。
帰りのHRが終わった瞬間、恵人は急いで教室から出た。
出る間際に楓と目が合い、まるで「頑張って」と言われているようなウインクをされた。楓にそれをされて頑張らない男子などいないだろう。
改めて気合を入れて、恵人は駆け出した。
息を切らしながらなんとか家にたどり着いた恵人は、ノアがいることを期待しながら玄関のドアを開けた。
けれどその期待はすぐ打ち砕かれる。
電気がついていない。
生活音も聞こえない。
およそ人が住んでいるとは思えないほど静かだった。
ノアが意図的に恵人を避けていることは間違いない。
問題はそのノアがどこに行ったかだ。
普段恵人が学校に行っている間、ノアは基本的に家にいる。食材を買いにスーパーに行ったり気分転換に外に出たりはしていただろうが、夜以外に長い時間外に出るということはなかったはずだ。
だから、恵人にはノアが今どこにいるのか皆目見当がつかなかった。
そもそも吸血鬼の行動範囲もよくわかっていない。移動しようと思えば人間では到底考えられない距離をひとっ飛び、なんてことも考えられる。
考えれば考えるほど、ノアに会える気がしなくなってくる。
それでも、恵人はノアに会いたい。会わなくてはならない。
「――よし、探すか」
恵人は肩にかけていた鞄を放り投げ、再び駆け出した。
まず向かったのは駅。人が多いところから潰していく寸法だ。
駅構内、駅に隣接した店舗等見て回ったが、ノアの姿は見かけられなかった。
あれだけ目立つ容姿だ。これだけ人がいても一目でわかると思ったが、そもそもいなければ意味がない。
次に来たのはノアがよく買い物をしているというスーパー。
二階建てで面積自体もかなり広く、一周するだけでもかなり時間がかかる。
陳列されている棚の通りに一列ずつ確かめていったが、ノアは見つからなかった。
この時点ですでに一時間が経過しており、自分がどれだけ無謀なことをしているか実感し始める。
しかし、それでも諦めることは恵人に許されていない。どれだけ時間がかかっても、ノアを見つける使命が恵人にはあるのだ。
次に向かったのは図書館。ノアが本好きかどうかわからないが、時間を潰すという意味ではここも候補にあがっておかしくない。
公共の施設を使ったことがない恵人にとって、図書館は初めて入る場所。だが、多少の緊張はあれど、中に入らなければ始まらない。
恵人は意を決して図書館へと足を踏み入れた。
閉館の時間が迫っているためか、それほど人は多くなかった。老若男女が入り乱れ、絵本を読んでいる幼児、それを見守っている親、机に参考書を広げて勉強している学生、新聞を読んでいる高齢者など、様々な人々が図書館を利用していた。
恵人が入っても、その場の空気は変わらない。けれどこれは意図的なものではなく自然的なもの。目の前のものに集中している結果、それ以外が目に入らないのだ。
しかし、そんな空気に居心地の良さを感じながらも、恵人は焦っていた。
(くそ、どこにいるんだ……!)
そんな恵人の思いとは裏腹に、図書館のどこを探してもノアは見つからない。
そもそも、ノアがどんな本が好きかを恵人は知らない。
どんな食べ物が好きなのか。
どういう場所が好きなのか。
今の趣味はなんなのか。
誕生日は?
出身は?
身長は?
――何も、知らなかった。
恵人はノアと一ヶ月も生活を共にしながら、ノアのことを何も知らなかった。
知ろうとしなかった。
その事実に、恵人は総毛立つほどの恐怖を覚えた。
ノアと一緒にいる選択をしたのにも関わらず、ノアのことを都合の良い同居人とでも思っていたのか。
自分に吐き気がする。
どこまで調子に乗っていたのだろうか。
ノアの優しさの上に胡座をかいて、ノアとの関係を深めようともしなかった。
そもそも、ノアは恵人じゃなくてもいいのだ。
恵人にとってノアは唯一の吸血鬼と言っても過言ではないが、ノアにとって恵人は唯一無二ではない。恵人のことを探したと言っていたが、探そうと思えばきっとまだいるはず。
今回の件でノアが恵人の元を離れていってもなんらおかしくないし、恵人がそれに文句を言う筋合いもない。
恵人にとってノアを見つけることはもはや、今後の恵人の人生を左右するものとなっていた。